2025年11月22日土曜日

記憶の彼方へ

(前回の投稿から) 

私は今まで聞きに行ったコンサートのプログラムは一切保存しない主義だったけれど、今回のベルリン交響楽団のものは取っておこうかと思う。なぜ保存しないかというと、保存してしまうと一瞬で消えてゆく音の芸術に対して逆に消されない文字で保存するのは失礼かと思ったからで、全部自分の耳から吸収したものを逃すまいということなので。しかし、子供の頃の記憶違いかも知れないことがあったので今回からはそのようにしようかと思う。

先月だったか、nekotamaに投稿した子供の頃聞いたと思ったレオニード・コーガンのプロコフィエフ「ソナタ2番」の演奏。絶対に間違えていないと思うのにその時コーガンはプロコフィエフは演奏しなかったと指摘された。それをしらべていたけれど、なるほど、演奏したという記録がない。ただ聞いたと思える年号はあっていた。もしかしたら他の人?

それで他の人の演奏会を調べたら、アイザック。スターンが横浜県立音楽堂での演奏でコンサートの半ばくらいで弾いたという記録が出てきた。しかし私はどうしてもコンサートの初っ端でプロコフィエフを聞いたという記憶があって、それが心に染み付いていたのだった。

AIに頼んでしらべてもらうと、アイザック・スターンがコーガンの10年くらいあとに来日している事がわかった。と、すると私はその頃はもう成人していて、しかも演奏者の肩越しに演奏する姿までもが思い出される。肩越しにというのがどういうことなのかしばらく考えて出した結論は、私は客席の最前列あたりにいて、ヴァイオリンは客席に向かって上手側に向くので、私は下手側にいたということなのか?

それでもその肩というのが割に小柄だったコーガンのもののような印象。スターンはたっぷりした体格であったし、オイストラフと似ている。オイストラフは横浜では聞いたかどうか覚えていない。多分都内でだったかも。

で、またコーガンに戻ると、AIが言うには。当時のコンサートは労音という組織のものなら、東京以外の地方公演ではプログラムは割と流動的に変えられたという。すると当日急にプログラムが変わるということもあり得たらしい。その記録は労音に訊かないとわからないけれど、記録があるかどうかはわからないということだった。

なぜ、そんなにコーガンにこだわるかというと、あの音を誰が出したかということがすごく重要なのですよ。アイザック・スターンかもしれない。彼は実際県立音楽堂でプロコフィエフを弾いたという記録がある。その時、私も聞いていた。だから勘違いしたのかもしれないと考えられる。しかし、レオニード・コーガンの素晴らしさは私の記憶の中であの最初の音に集約されてしまっているのです。それが他の人であったら、私のコーガンの実態は何だったのかということになってしまう。

兄は私をしょっちゅうコンサートに連れて行ってくれた。それは労音のコンサートが多かった。今でも労音という組織はあるのだろうか。気が向いたら調べてみようかと思っている。

戦後まもなくの労音ではよくロシア人の演奏を聴いた。レニングラード交響楽団などは、たしか千駄ヶ谷の体育館だったかしら。ドン・コサック合唱団も人気が高かった。チャイコフスキーのシンフォニー4番を演奏したレニングラード交響楽団の演奏は、ただただ目を丸くして眺めたものだった。圧倒的な音量とすごいテクニックはほとんど人間の能力の限界のように感じた。今でこそ日本人は素晴らしくなったけれど、当時の日本の楽団は遅れていた。

今や日本人は、演奏でもスポーツでも世界に名乗りを上げて大活躍をしている。けれど、当時はあの音がわたしにとっては衝撃だった。

今や、すごくうまいヴァイオリニストは世界中で日本人が大活躍している。芸術の良いところは人それぞれ違っていいというところ。野球のように何本ホームランを打ったとかの記録だけで決まり記録だけで語られる。しかし音楽には完璧な技術の他に人間の感性が要求されることで、人それぞれの個性でも評価される。

よく言われるのは、コンクールで日本人は皆同じ表現をするので気持ち悪いと。それは同じ先生の門下生がたくさん出れば全部先生にそっくりと言うことで。優秀と言われる人ほど先生に似てしまう。模倣から始まる日本の演奏家と、自分の個性を重んじる海外の先生の門下生たちの違いかもしれない。














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