2025年11月10日月曜日

ザ・ベース・ギャング・ナイト

コントラバスのアンサンブル、イタリアの名手たちの面白くも圧倒的なテクニックを楽しんできました。

コントラバスはオーケストラの中でもひときわ異彩を放つ楽器群。普段、ステージ上手(かみて)の ヴィオラ、チェロなどの楽器の後ろに群れをなす。楽器というよりも象の群れのようなユーモラスでもありいささか重い量感が伝わってくる。私はこの楽器が大好きなのだ。

今の人はそんなことはもうしないと思うけれど、戦後まもなくの貧乏楽隊たちはチューニングの際、ペンチで思いっきり弦巻を挟んで回していた。可愛げのない新人オケマンの私は楽器というより家具みたいだねとか言ってからかっていた。怖い物知らずで大人に言いたい放題だったのに彼らはそんなことは気にもかけない。そんなおおらかなベース屋さんたちは大体呑兵衛でお人好し。

楽器によって演奏者の性格が違うというのは、よく言われるようにやはり大型の楽器を弾く人は人間も大きい。ヴァイオリンの演奏者のようにキイキイ怒こったりしない。オーケストラに入って先輩たちの中で特に私が大好だったお姉さんがいた。当時女性のコンバス奏者はとても珍しかった。その人に懐いて「おねえちゃま」と呼んでまとわりつかれてさぞ迷惑だったと思うのに、いつもニコニコ物静かに相手をしてくれた、ミーヤさん。その少し後輩の、今や私の生涯の友であるHさんも肝っ玉母さんを絵に書いたような太っ腹。私はすっかり彼女にお世話になっている。

そんなベース奏者たちは普段縁の下の力持ちで、めったに表にしゃしゃり出てこないけれど、最近のベース奏者の演奏レベルはかつてのレベルではない。ベースで初めて聽いたソロは、故 江口朝彦さんがN響の定期演奏会でマーラーの交響曲1番「巨人」での演奏だった。コントラバスが?え、こんなきれいな音なの?

普通この部分はソロと書いてあるけれど、グループのソロとして演奏されることがあるとか。しかしそのときは江口先生お一人でハンサムなお顔を少し紅潮させて、そのお顔を見ているだけでも素敵でした。このときは私は多分音大生かあるいはオケの新人時代だったと思う。

私の音大生だった頃、コンバス専攻の学友たちは弦楽器アンサンブルの隅っこでおとなしく控えていたような。音出てるのかなあ?なんて。いや、それは失礼。その後彼らは錚々たるオーケストラの奏者で活躍しますから。それでもソロ楽器という認識は薄かった。

ところですっかりその考えが間違いだったと思ったのはやはり友人たちのおかげ。Hさんはコンバス好きの私が主催する夏のコンサートなどで、常に、真っ先に音を出していただくことになった。それは私の鎮静剤となる。あの低温の振幅の大きな振動音をきくと、「ゴーシュのチェロ」みたいな作用をするらしい。私が主催するコンサートにはコンバスが欠かせない。

そんなことで今回のイタリアのギャングたちのユーモラスなコンサートのチラシを見つけて小躍りした。コンバスは今や立派なソロ楽器として存在感を高めている。しかしやはりベースとして音を重ねる最も重要な存在であることは言うまでもない。その音の豊かさは倍音の多さに比例するらしい。四人のイタリアのベーシストのハーモニーの美しさとテクニックの素晴らしさは圧倒的だった。

残念なことに川崎ミューザの大きな会場は満席とはならず半分の入りだった。けれどこれから徐々に彼らの存在は知られてくることでしょう。こんなことできるの?「家具」と悪態をついた私を許してほしい。チェロよりもっと音が柔らかく響きに包みこまれるような気がする。癒やしですね。特に優秀なメンバーであるからということもあるけれど、一聴に値するコンサートだった。

曲目は

モーツァルト・ラテンメドレー・上を向いて歩こう・フニクリフニクラ・オー・ソレ・ミオ。

デズモンド・ファイブ~チャイコフスキー メドレー。モリコーネ・メドレー。

赤とんぼ・ベースの四季 「春」「夏」「秋」「冬」

それぞれ大変素晴らしい編曲で、様々な曲が絡んでいるから、その曲名なども探し出す楽しみもある。日本にはすでに数回来日しているとのことで、私は今まで知らなかった。聞き逃したのは残念だったけれど、次回はきっとチェックしておこう。すでに常連さんがいるようで皆さん慣れたもので拍手や手拍子で楽しんでいる。堅苦しいコンサートではないけれど、知識があればもっと楽しめそうな曲目だった。

イタリアの家具は素晴らしい!











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