今日、ミューザ川崎シンフォ二ーホールは 巨大な磁場となって私たちを飲み込んだ。
「冥土の土産に(笑)ベルリン・フィルが聞きたい」と言ってきたのは、中学校時代からの友人M子さん。彼女はいわば私の恩人で、当時遊び半分でヴァイオリンを弾いていた私を音楽の道へといざなってくれた人だった。中学から音大付属高校へ、そして音大へ、オーケストラも一緒だったけれどその数年後、結婚して館林に越してしまったのでそこからはそれぞれ別の道に別れてしまったけれど。
お互い仕事が一段落となったこの頃、やはり一番気のおけない関係で合えばすぐに時間の壁はなくなるというような間柄。ベルリン・フィルともなるとチケットを取るのは至難の業。私は一般の人よりも早くチケットが買えるようにミューザの会員になり、発売当日満を持して待ち構えて発売時間に電話を発信・・・するつもりだったのに、直前に画面が消えて、あたふたしていたらもう良い席は埋まってしまったという、お粗末な顛末はいかにも私らしい。それでも3階センターをゲットした。
待ちに待ったこの日、早めに待ち合わせてランチをともにして会場へ。土曜日でもあり、たくさんの人が川崎駅に流れていて、目が回るような騒がしさ。人の流れを見ているとくらくらしてくる。会場は期待に満ちた人々で満員になった。
シューマン:マンフレッド序曲
ワーグナー:ジークフリート牧歌
ブラームス;交響曲第1番
キリル・ペトレンコ指揮
完璧に訓練された一流のオーケストラはもちろん世界の最高峰にいるけれど、プレーヤーの一人ひとりの技術と音楽性も最高であるけれど、やはりオーケストラは指揮者の力量で決まると言ってもよい。
全く無駄のないある意味非情で冷静なと見えるペトレンコ。研ぎ澄まされ一見事務的とも取れるほどの最小の棒のテクニック。名人というのはこういうものかと息もつけないほどの感動で私は心が一杯となった。ややもすると大仰に感情丸出しの指揮が多い中で、まるで日本刀のように冷たく光る。それなのに、愛する者のために作曲されたワグナーの心の暖かさが伝わってくる。
シューマンもワグナーも一般から言えば変な人達。境界線を超えた感情がこんなにも豊かに愛情あふれる演奏となって、私はあまりの集中にほとんど瞑想に陥ってしまった。しばらく椅子から立ち上がれなかった。
そしてブラームスは、冒頭のティンパ二の連打がこれほど素敵なのは聽いたことがない。緊張したり力んだりする演奏が多い中で、ゆったりと風格のあるやや音量を抑えての演奏。これも指揮者の演出なのかしら。指揮に応じるプレーヤーの力量は、見事なデクレッシェンドの細部まで揃って、流石に世界一流。
彼らの演奏を冥土の土産と決めた私は、生まれ変わったら、母親のお腹の中にいる間にもヴァイオリンを練習して、生まれて数ヶ月で天才と称せられたら、このオーケストラのオーディションを受けに行きたい。
私は今まで聞きに行ったコンサートのプログラムは一切保存しない主義だったけれど、今回は取っておこうかと思う。なぜ保存しないかというと、保存してしまうと一瞬で消えてゆく音の芸術に対して逆に消されない文字で保存するのは失礼かと思ったからで、全部自分の耳から吸収したものを逃すまいということなので。しかし、子供の頃の記憶違いかも知れないことがあったので今回からはそのようにしようかと思う。
先月だったか、子供の頃聞いたと思ったレオニード・コーガンのプロコフィエフ「ソナタ2番」絶対に間違えていないと思うのにその時コーガンはプロコフィエフは演奏しなかったと指摘された。それをしらべていたけれど、なるほど、演奏したという記録がない。
それで次回に続く。
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