復帰のために仲間たちと練習を始めた。シューベルトの「ます」と同じ編成で長年の仲間たちと、ピアノ、コントラバスとヴィオラとチェロ、そしてヴァイオリン。変わった編成だけれど、案外曲数は多い。
先日モーツァルトのトリオを復帰第一号として演奏したけれど、やはりモーツァルトは厳しく、弓を持つ手が落ち着かない。弓は本来跳びたがるようにできているから、普段はそれをまっすぐに引くのは案外難しいことで、運弓法をボウイングという。このボウイングを身に着けるためにどれほどの苦労をしてきたか考えると、数か月の空白の取り戻せない時間がおしい。たった数か月でこれほと落ち着かないのは、年をとってしまったこともあるけれど、いちばんは心の問題。
体の柔軟性は日々固くなっていく。ほんの数日練習をさぼっただけで、結果はどんどん悪くなる。若い頃、本当に柔軟だった体もさすがにギクシャク。自然の摂理には逆らえない。練習時間も最初は20分くらいから。これほど音が悪くなっていたとは!今はもう2,3時間弾いてもあまりこたえないけれど。固くなった体は真っ先に心に影響する。心がおびえて先に進めなくなる。おやおや、また学生時代に逆戻り。
それでも人生の最後の時まで楽器が弾けるってなんて素敵なことかと思う。それに今まで待っていてくれた仲間たち。久しぶりね、元気?ちっとも変わらない笑顔。実は練習はそこそこに、練習後のランチタイムが待ち遠しい。
次回はまた2か月後に練習ということで期待が膨らむ。うれしいなあ、今年の暮れは賑やかかもしれない。この数年、誰にも会いたくないほど疲労困憊だった私も、先月ころから旧友と会うことが多くなった。残念なことに数人の人とのお別れは避けられなかったけれど。
特に、長年私たちのスキークラブ「雪雀連」で指導をしてくださったスキーのコーチ小川先生がなくなったと聞いてショックだった。メンバーより若くて体力もあるスキーヤーが先にとは思いもよらない出来事だった。
私はここ数年膝が痛くて滑ることができなかった。それでもあきらめきれず「私は膝さえいたくなければ初心者用ゲレンデならいけるかも。でも一度転んだら起き上がれないかもしれない。先生が一緒に滑ってくださるなら私が転んだ時に起こしてもらえますか」と訊くと「ああ、いいよ」と快活な声で答えてくれたのにとっとと先に行ってしまうなんて。ほかの人から聞いたところでは、ずっと体調が悪かったらしい。少しもそんな気配は見せなかったのに。
私だってつい6年ほど前、ヨーロッパの最高地点のゲレンデで飛び回っていたことはもう夢だったのかもというほどの弱りよう。毎日のストレッチやウオーキングでようやく筋肉を維持する。まさか先生が先に逝くとは思わなかったから、もう少し筋力がついたらスクールに参加したかったのに。
「雪雀連」の会長の山田さんはなんと90歳の目前まで滑っていた。いつも飄々として滑るから見た目がゆったりと見える。それなのについて行こうとすると、思いがけず早いので驚くことが多かった。転ぶこともなかったのに、眼の前で急にころんだのにびっくりした。その直後、彼は「私はもうスキーをやめます」と宣言したのだった。お見事。
私はクドクドと言うように、ここ数年のいやな出来事に疲労困憊していた。悲しいことも多く暑すぎる夏に全国のくま騒動、耐えきれないような事柄が続きほとんど機嫌の良かった日はない。友人たちと一緒でもなんとなく不機嫌で、周りも知らん顔しながら気を使ってくれているのがわかる。普段は知らん顔しているのに、少しでも私の具合が悪いとわかるとさっと手を差し伸べてくれる人たち。
やっと涼しくなってホッとしたころのタイミングで、コンサートの話が持ち上がった。来年の話だけれど今から練習にかからないとヨボヨボの私たち、なかなか練習が捗りません。しかもプログラムの中の1曲は全三楽章の殆どが見事に変拍子ときている。人間にとって変拍子は心臓に良くない。けれど面白く、体中にアドレナリンが満ちて久しぶりに生き生きした。
練習後言われた。「nekotamaさんは弾いているとどんどん元気になるのよね」と。なるほど、年相応にゆったりとした生活に転換して、森の中の家でゆったりと手芸に勤しむ姿は自分でも似合わないと思うのは確か。でも若い頃は結構読書好きだったり編み物もした。
練習後は持ち寄りでランチを済ませ、しみじみと思う。ああ、生き返ったと。こんな変拍子くらいでオタオタしていたら95歳まで演奏はできない。毎日のスクワット、ストレッチ、ウオーキングなどで体調もかなり良くなってきたし、来年こそは幸せに暮らしたい。
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