2025年11月26日水曜日

「国宝」を読む

先日映画の国宝を見てえらく衝撃を受けて人に話したら、それ、本で読むほうがもっとすごいわよと 言われて読んでいる。

ベルリンフィルを聞きに行ったときに川崎のラゾーナでブラブラしていたら丸善があって、そこに山積みされていたのが「国宝」。さっそく上下巻買い求めて数日後、読み始めた。一日目にはもう2巻目の半ばまで読み進んでいったけれど、最近の老眼の進み具合でえらく目が疲れた。それで2・3日小休止を取ろうと思う。先が知りたいけれど、筋書きは映画で見ているから大体わかっている。それにしても・・・

この作家の著書を読むのは初めて。なんといううまさ!ぐいぐいと惹きつけられて本を手放すことができない。ページごとに情景がそこに映像となって浮かび上がりそうな。こんなにすごい作家がいることに今まで気が付かなかった。

幼少時代は一端の文学少女。小学6年生の夏休みに世界の名作と呼ばれるものを片っ端ヵら読んで、なんとその数は百冊ほど。一日に3冊くらいぺろりと読み終える。それでろくすっぽ内容なんてわからなかったかというとそうでもない。特に感激したのがドストエーフスキーの「罪と罰」というと本当かなと思うかもしれないけれど、自分でも疑って後におとなになってから読み返してみたらやはり同じように感激したのでわかっていたらしい。

よほどませていたのか、兄弟が上にずらりといるので耳学問でわかっていたのか。レコードと同じく本もたくさんある家で、誕生日のプレゼントはいつも姉が本をくれた。姉の持っている本は難しくて小学生ではわからないと思いつつも、手当たり次第に読んでしまう。いわゆる活字中毒でなにか読んでいないと禁断症状になった。しばらく読書をしないと、活字を読んでいる夢を見た。子供用の本は誕生日にしか買ってもらえなかったから、姉の本を読む。

私がレコードを聞いたり本を読んだりばかりで近所の子ども同士で遊ばないのを気遣って、母は無理やり私の手を引いて近所の同い年くらいの子供の家においてくる。母の姿が見えなくなると私はさっさと家に帰ってきてしまう。毎日のように繰り返された光景だった。可愛げのない嫌な子供だったのだろう。

「黒宝」の作家、吉田修一さん、この方の作品は一度も読んだことがなかった。純文学と大衆文学の賞をあわせて受賞なさっているという。そのあたりのジャンルは私の読書の範囲になかったというより、私の方が先に生まれているから、すでに読書が辛くなって読まなくなった時期からのご活躍だったのだと思う。

ヴァイオリンを弾くのに忙しかったということもあって、なかなかまとまった読書はままならなくなっていた。去年仕事をやめてやっと時間に余裕ができたので、これからは子供時代に戻って読書に勤しもうかとおもう。

「国宝」まず主人公の生い立ちや環境などの描写がまざまざと絵を見るように浮かぶ。最初からグイグイと引き込まれて文字を読んでいるのではなく映像を見ているかのように。これは先に映画を見てしまったので、その影響かもしれないけれど。一人ひとりの登場人物のキャラクターの面白さ。何と言っても歌舞伎の世界を知らない私にも、その場にいて物語に登場しているような錯覚を覚えるほどの凄腕の作家さん。

余計な説明をせず一切の無駄がない。最初に主人公が弟子として師匠の家を訪れたあたりの、景色の描写は簡潔でいてお見事。本当にうまいのだとほとほと感心する。勝手に引用してはいけないと思うので、それは作品を読まれた方ご自身で見つけていただきたい。

映画を見て少し長いのでは?と思ったけれど、実際に本で読むとこれではどこも切り離せないと思う。長くなった意味がよくわかった。気にいるとその作家の作品をほとんど読むので、これからの秋の夜長がたのしみ。さっさとメガネ屋さんに行って老眼鏡を調整してもらわないと。











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