2013年8月31日土曜日
弦楽アンサンブル合宿
音楽教室の弦楽アンサンブルが発表会に向けて強化合宿をするので、一応指導者面をしてきているのは葉山の「湘南国際村」ここに泊まり込んで一日中練習することになった。指導と言ってもこの合奏団は自主運営的な要素が濃くて、曲目その他、たいていのことは生徒自身が決めている。今日は午後1時から夕食の1時間を挟んで夜9時半まで練習しっぱなし。曲はホルスト作曲の「セントポール組曲」単純で簡単な割には華やかに聞こえるという、非常においしい曲なので発表会にはうってつけのようだ。しかし、午後ずっとああでもないこうでもないとやっていると、疲れた。感心するのは嫌な顔もせずずっと弾いていることで、よほど好きなことでないとできないから、本当に好きなんだろうと、妙に納得する。楽器を弾くと私などは30分もすると集中力がなくなってしまうが、皆熱心に弾いているうえに、休み時間もなにかしら練習している。練習が終わると夜は一色海岸方面に飲みにでかけるらしい。元気だねえ。明日も朝9時から練習となると、この後飲んだくれてひっくり返るわけにもいかないから、私は遠慮することにした。さて寝るかと言ってもなにもすることはないから久しぶりに早寝をしようかと思っている。
2013年8月29日木曜日
2013年8月28日水曜日
ヴァイオリンだって非対称
元気が良すぎる生徒が弓を壊してしまった。大慌てで楽器やさんに行って新しい弓を買うというから、見てあげることにした。夕方仕事帰りの彼女と落ち合って楽器屋さんへ。その楽器屋さんにはかなり以前に1,2回行ったことがあって、少し気難しい(職人気質の人が多い)人の印象だったけれど、年齢を重ねてすっかり陽気な人になっていた。弓選びは楽器屋さんと私と本人の意見が一致したので、終了。その後楽器やさんのYさんが情熱を込めて滔々と楽器の話を始めた。弦楽器の渦巻きの部分は決して左右対称ではないこと。弦を巻き取るペグの部分が4本交互になっているために弦を張る長さが違う。それで張る力のかかり方も違うから少しだけどちらかに傾いている・・・とか、スクロール(渦巻き)の裏側を少し削ると音がよく響く・・・とかやたらに指板を厚くするのはいけない・・・とか。なるほど、ヴァイオリンは全く完成された対称形だと思っていたけれど、そうでもなかったらしい。人の体だって左右対称ではない。心臓はほんの少し左にあるから、左周りは右回りに比べて楽だとかそんなこともあるらしい。筋トレに行くとよくわかるが、私の体はバランスが悪い。左肩が前に出て、右肩が下がってみたいな、その人の演奏する楽器に依って色々な姿勢になっている。あるとき、これは体に良くないと思ってヨガ教室に行って直したことがあった。体は真っ直ぐになったが、楽器が持てなくなってしまった。ヴァイオリンを肩にのせようとすると、するりと逃げる。何回やっても同じ。結局人間は左右対称でいるのも考え物との結論に達して、今は直さないことにしている。むしろ楽に楽器を構えられる体型になっていることを喜んでいる。
ちなみに私の楽器はスクロールの裏側が削ってある。長い年月(300年近い)のうちにすり減ったのかと思っていたが、人為的にそうなっていたのかと、目からうろこだった。専門家の話はいつでも本当に面白い。
ちなみに私の楽器はスクロールの裏側が削ってある。長い年月(300年近い)のうちにすり減ったのかと思っていたが、人為的にそうなっていたのかと、目からうろこだった。専門家の話はいつでも本当に面白い。
2013年8月26日月曜日
9月は古典音楽協会60周年記念演奏会Ⅱ
イ・ムジチ合奏団と前後して創立されたという古典音楽協会は故三瓶十郎先生のライフワークだった。私はメンバーのうちでも参加するのが遅かったほうで、先生の最晩年に2回ほどお目にかかっただけだが、ほとんどの人は何十年となく一緒にやってきた仲間たちで、今年は創立60周年を迎える。メンバーがほとんど入れ替わらないので、練習も本番もテレパシーが飛び交う。だれかがなにかすると一斉に反応する。チームワークを誇っている。
私は4つのヴァイオリンの協奏曲の第2Vnのソロを弾きます。
私は4つのヴァイオリンの協奏曲の第2Vnのソロを弾きます。
どうぞ聴きにいらしてください。
2013年8月25日日曜日
2013年8月24日土曜日
武道館にて
昼頃、日テレ24時間テレビのリハーサルで武道館集合。会場では着々と準備が整って、次々にリハーサルがこなされていく。かつてのテレビや映画界は時間が延びるのは当たり前みたいな所があったけれど、最近は手慣れてきてどんどん進んでいく。リニューアルされた方ではなく最初に制作された映画「砂の器」の撮影にオーケストラで参加した時に、あまりの不思議な時間の使い方にびっくりしたことがあった。芝居が時系列で進まず、あちらこちらと飛び飛びに撮影されるので、パッチワークを作っているのを見るようだった。同じような設定の場面を集中して撮るものだから、それに関係のない出演者は待ち時間がえらく長い。撮影現場はたしか埼玉会館だったと思うが、待つのにウンザリして次からは楽屋にガスコンロを持ち込んで鍋料理を食べたりしていた。見つかったら叱られるからおとなしくしていたけれど、鼻のいい管理人だったら、においでばれる。気が付いていてもお目こぼししてもらったのか、そのへんはよくわからない。テレビの音楽番組でもかつてはスコアの読めないディレクターが多かったからカメラが楽器を追えなくて、休んでいるほかの楽器を延々写して何回も取り直しがあって、気がつくと夜が明けていたこともあった。そんなテレビも映画も手探りの時代から仕事をしていたので、今の人達の要領の良い仕事は驚き。機材も録画技術もかつてとは雲泥の差で、どんどん支障なく進んでいく。武道館で私たちが板付いているのは正面の大きなスクリーンの裏側で、遮られて画面には映らないけれど、薄暗い譜面灯の下で真面目に仕事をしている。意地悪な週刊誌がこの手の番組の悪口を言うけれど、こういうイベントがあって若い子達が司会の「嵐」なんかに惹かれてくるにせよ、時には人の姿に感動して自分も頑張ってみようと思えたら良いのでは。若者がけっこう一生懸命生きているのが今の日本だと思っている。私たちの出番は明日午後から終了まで。マラソンランナーが無事到着すれば定時でお開き。遅れると到着までお付き合いする。待つのも仕事なので。
2013年8月23日金曜日
夏の疲れ
美容院で毛染めしてもらっていたら、急に眠りに落ちてしまった。頭がグラッとしてハッと目が醒める。「あら、ごめんなさいね。やりにくいでしょう?」と言ったらエレガントな男性美容師は「いいんですよ。どうぞお休みください」と言ってくれる。お言葉に甘えてずっと、コックリ居眠りを続けた。急に頭が動くと手が滑って顔にヒゲでもかかれないかと心配したけれど、済んでみたら髪だけきれいに染まっていた。カットも無事終了。ほとんど起きていられなくて、眠りの森の美(?)女は起こしてくれる王子さまもいないので、しかたなく自分で起きて仕事場へと向かった。いつからか私は眠りの達人になった。どんな所でも眠ろうと思ったら・・・思わなくても寝てしまう。一度東京文化会館のリハーサル室で、ピアノのカバーがはずしてあって、それに包まって熟睡したことがある。一緒に居た人達にあきれられた。文化会館の方達ごめんなさい。でも、ずっと前のことですから、時効だと思います。ステージのソデで出を待つ間に眠るという離れ技もやってのける。これも本当にはるか昔のことだけれど、袖でぐっすり眠ってしまい、ステージマネージャーに起こされた時には、もう全員が板付きになっていて、ヴァイオリンの前の方の席に一人でコツコツ靴音を響かせて歩いた時には、穴があったら入りたかった。音楽教室の床で寝ていたらガラス戸越しにこちらを眺めて大笑いしている人達が居たこともある。寿司屋のカウンターなんていうのもあって、さぞや職人さんも迷惑だったことでしょう。札幌でラーメンを眠りながら食べて汁に顔が付きそうになっていたら、友人が笑いながら連れて帰ってくれたことも。1番の失敗はせっかくプラネタリウムに連れて行ってもらったのに、夕日が落ちて夜になると同時に寝てしまったこと。連れて行ってくれた人はいまだに怒っているみたい。ごめんごめん、まだほんの子供なんだから許してください。
2013年8月21日水曜日
古典音楽協会定期演奏会
古典音楽協会の60周年記念演奏会第2回目です。
今まで演奏された懐かしい曲がメインです。
お耳に慣れた名曲をご堪能ください。
一同お待ちしております。
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2013年8月20日火曜日
帰ってきちまった。
いやー、暑い!もう少し軽井沢に滞在したかったけれど、たまさぶろうはじめ猫たちが心配で帰ってきた。特にノラねこはどうしているかな。まだ姿が確認されない。今朝6時前にのんちゃんとお隣さんに見送られて出発した。20日ともなれば渋滞もなくなるかと思っていた。関越道の練馬までは順調で、あっという間に到着したけれど、その先が混んでいた。1キロ走るのに40分。時速1、5キロ。歩くよりも遅い。ひたすら耐えてやっと自宅に戻ると、たまさぶろうは爆睡。モヤも胡乱な目でこちらを見る。コチャは忍び足で押し入れに隠れてしまった。この薄情者めらが!一生懸命猫たちのために帰ってきたのに。荷物を片付け、昨日のうちに買っておいた野菜をしまい、洗濯をしてやっと一息つくと昼近くになった。なんと、この私が食欲がない。軽井沢ではもりもり食べていたのに。昨日の夜もみんなで手巻き寿司を食べ、日本酒をいただいた。今朝が早いのでお隣からはお土産の前渡し。Oさんお手製のベーコン、Hさんお手製のマーマレード。試行錯誤で色々なものを作っているらしい。鮭の燻製は大失敗だったとか、ベーコンは上手く出来たとか話している。ノンちゃんとお隣2人組は、滞在中はいつも一緒に食事をしているそうで、お金をプールしておいて、それで食料品を買っている。野菜や果物が豊富で安いから、とても賢いやり方だと思う。庭がつながっているので、できあがった料理をどちらかへ運ぶのも簡単。時々個々に食事をしたいときには、そう言っておけば自由に出来る。頭のいい人達だから、ものすごく合理的に物事が進む。一種の共同体でも自由でいられるところが素晴らしい。「今度はもっと長期滞在して」とノンちゃんに言われて、その内、一月くらいいられたらいいなあと思っているが野良猫が悲しむから無理。
2013年8月19日月曜日
軽井沢2日目
お料理上手な隣人の手料理でずっとお腹がいっぱいなのに朝はちゃんとお腹が空く。帰って体重計に乗るのが怖い。昨日の夕飯は、トマトの前菜、ブロッコリー、鯛のカルパッチョ、メインがスペアリブとじゃがいもの黒酢ソース煮込み。赤ワイン。隣人のお二人はプロ顔負けの腕の持ち主だから、毎日こんな風にお料理を作っているらしい。自然の中で暮らし、好きな料理を作って暮らせるのは、彼女たちが若いころにどれだけ立派に仕事をしてきたかの証のようなもの。Hさんは映画のプロデユーサー、Оさんは雑誌の編集者だったそうで、しゃきしゃきとしていながらおっとりと優しい面ももちあわせている。Оさんは今織物作家としても活躍している。今朝目が覚めるとまだ皆さん眠っているようで、そっと起きてシャッターを開けると、木々の緑がいっせいに目に飛び込んでくる。さわやかな空気を胸いっぱいに吸って、心地よさに身をまかせて、しばらく外を眺めた。たしか皆でラジオ体操をすると言っていたのに、誰も起きてこないから散歩に出ることにした。近所を一回りするつもりだったのに、迷子になって帰れなくなってかなり歩く羽目になってしまった。自宅の近くをよく散歩するけれど、比べ物にならないほどのさわやかさ。こんなところに住みたいけれど、夜は真っ暗だし、冬はさみしいし、軟弱な私には無理かもしれない。それなのに、ノンちゃんはたった一人で冬の森で過ごすことがあるという。信じられないほどさびしく厳しい中で、かなりのご高齢の彼女が静かに自然の音に耳を傾け、美しい雪景色を目をほそめて堪能しているに違いない。まったく自然体でひたすら旦那様を愛し、好きなことには大変な情熱をかけて挑戦していく。いまだにスキーも滑る。私がもっとも尊敬する人なのです。
2013年8月18日日曜日
のんちゃんの別荘
北軽井沢にあるのんちゃんこと田畑淳子、精一夫妻の別荘でひたすら昼寝をしている。思っていたよりずっと疲れていたようだ。到着してすぐにお隣に住むHさん、Оさんのお宅で昼食をいただいた。お二人の女性は料理上手で、いつもすごく美味しいものを食べさせてもらえる。ツナのカナッペ。レーズンブレッドにブルーチーズとマーマレードを載せたもの、ラタトゥーユなど、広いウッドデッキで白ワインを飲みながらゆっくりといただく。じっくりと味わっていたが、眠さに勝てずにそばの揺り椅子に腰かけるとあっと言う間に眠ってしまった。目が覚めると目の前にはしたたるような緑の木々が美しい。少し起きて話に加わって又すぐにとろとろと眠りに落ちる。そうやって何回か寝た後は庭伝いに行けるノンちゃんの家に戻って、今度はリビングのソファで横になって寝てしまった。田畑夫妻は有名なお人形作家と絵本作家のカップルで、お二人とも素敵に魅力的な私の大好きな人たち。木の皮を張った外壁のかわいい別荘はおとぎ話に出てくるような雰囲気で、毎年夏にここでバーベキュー大会が開かれる。今年は仕事の都合で参加できなかったので、松原湖の帰り道立ち寄って泊めていただくことにした。すぐわきに川が流れていてせせらぎの音が涼しさをさそう。今年の暑さがいつにもなく体に堪えていたようで、昨日緊張の糸がきれるとすっかりゆるんだものだからひたすら眠い。ノンちゃんはすごくおおらかなのに本当に繊細で、私のそんな様子を察していたみたい、昼食が終わるとさあ、昼寝をしましょうと言ってご自分も部屋に引っこんでしまった。ありがたくのんびりさせてもらった。ノンちゃんに初めて出会ったとき、なんて素敵な人なのかしらと思った。ご主人の精一さんは超ハンサムで頭脳明晰、のんちゃんがそんなご主人を心から好きな様子を見ていると、こちらまで幸せな気分になる。年をとることで魅力を増していくことはできるのだと、このお二人をみているといつもそう思う。
満員御礼
2時からのヤルヴィホールでのコンサート。軽井沢や八ヶ岳などから知り合いが続々会場に集まってきた。学生時代の同級生のHさん夫妻が大勢のお知り合いを連れてきてくださったし、渋谷の音楽教室の人たちも客席に見つけて、本当にうれしかった。ほぼ満席。こんな辺鄙なところでも会場の音響の良さとプログラムが魅力的なこと、それぞれの人脈でこれだけ集まるのはありがたいことで、主催者の服部さんの長年の努力のたまものだと思う。私は去年からの参加なので演奏だけしているが、スタッフの皆さんの陰の力が大きい。コンサートの下準備、食事の世話をしてくれる人、会場のセット、お客さんの受け付けなど、華やかに演奏している陰にはたくさんの人の助けがあるということに私たちはいつも感謝している。ステージに立つ人たちの陰にはその何倍もの人の力が隠れているのだ。本番はいつも緊張するけれど、今回初参加していただいたチェリストの舘野英司氏の演奏に支えられて無事終了。彼は1年半前に病気で手足に麻痺が残ったが見事に復活。最高のリハビリがチェロを弾くことだそうで、さすがにベテランの風格で私たちを支えてくれた。若くて上手い人はたくさんいるけれど、こんな風に共演者に安心感を与えることは、たくさんの経験を積まないとできるものではない。無理なお願いを快くきいてくださったことに感謝、皆のありがとうが飛び交ってコンサートも終わり、夜更けまでセミナーハウスで語り合って、そしてお別れ、来年私が果たしてヴァイオリンをひけるかどうかおぼつかないが、再会を約束してそれぞれの帰路についた。今一人でコテージに残って木々の朝日のあたる気持ちよさを満喫している。今日は軽井沢の友人の別荘までひとっ走り。暑さを避けて少し滞在するつもりです。
2013年8月16日金曜日
天国です
涼しい。今日は2時ころ到着するチェリストを待つ。時間になって車で駅まで迎えに行った。松原湖駅は無人駅。小さな小さな待合室があって、2両編成のかわいい電車が走っている。緑濃い山が前後に迫って、夏の終わりを感じさせる雲がたなびいている。今日はヤルヴィホールでリハーサルができる。このホールはまれにみる音響の良いホールで、弾いていると本当に幸せな気分になる。主催者の服部さんがベートーヴェンの「大公トリオ」「弦楽3重奏セレナーデ」を、ドヴォルザークの「ピアノ5重奏」を私たちが演奏する。アンコールは弦楽器全員で6重奏を予定している。作曲者はお楽しみに。練習は予定よりも早く進んで、4時ころには宿泊しているコテージに帰ってきた。夕飯までの時間は女4人、当然かしましい。缶ビールを開けておしゃべりに余念がない。いくらしゃべっても話題が尽きない。ほろ酔いになったころ、服部ご夫妻のいるセミナーハウスに行って夕飯をごちそうになる。野菜中心の心尽しのメニューでそれぞれ好きなお酒を飲みながら歓談。おいしいなあ、こうして仲間たちと食べるのは。自分だけの食事のときは猫とどっこいどっこいの粗末さで、エネルギーが摂れればいいという感じなのに、今日は久しぶりに家庭の料理を食べた気がする。明日が本番なので少し早めに帰ることにした。鼻をつままれてもわからないくらい真っ暗な道なので、懐中電灯を持っていても怖い。ゼネラルマネージャーのТさんの車に大騒ぎしてぎゅうぎゅうに乗っていると女子高生になった気分で、今日も楽しい一日でありました。
2013年8月15日木曜日
涼しい
小海町に来ている。今日は東京も少しはしのぎやすい気候でしょうか。こちらはもうすっかり秋の気分。夕方4時半ころ到着。渋滞情報が出ていたのでもっと混むかと思っていたら、まったく混まないで非常にスムーズに走れた。明日から練習が始まるので今日はのんびりと夕飯を食べに近所の温泉に出かけた。そこのレストランは花豆と言ってお野菜たっぷりのヘルシーメニューで人気がある。ところが5時ころ入ったらもう閉店で予約客しか受け付けないらしい。この辺でどこかで食事ができないかと訊くと、近所の焼肉屋さんを紹介してくれたけれど、そこも問い合わせてみるともう一杯だそうで、途方にくれてしまった。近くにお店もない辺鄙なところだから、今夜は食いっぱぐれるかと思ったが、温泉の食堂があるという。花豆のご主人はそこはお勧めしないけど、そこしかないと言うので仕方なく行ってみた。お盆休みのために、家族連れがひしめき合っている。混雑も苦手、泣き叫ぶ子供も苦手だからいやだなあと思った。花豆のご主人はあまり味は保証しないようなことを言っていたけれど、ビールで乾杯してから食べると思いがけず美味しく満足してご機嫌でコテージに帰ってきた。夜は何もすることがないので、のんびりとブドウをつまんだりしてたらたらと過ごす。こんなことはめったにないので、すっかりくつろいでしまった。あすからはのんびり気分は吹き飛んで、練習がどうなるか、少ない時間の中でまとまるかどうか、毎度ながら本番前は緊張する。
2013年8月14日水曜日
明日から松原湖へ
暑い夏でした。まだ過去形では語れないかもしれないが、明日は松原湖へ向かって渋滞をかき分けながら走る予定。あちらは朝晩はとても涼しいらしい。やっと人間らしい生活ができるかもしれない。明後日が練習日なのでまだ来ない人もいるが、皆ばらばらに車や電車で集まってくる。去年私は、前の晩一人で甲府まで車を走らせて市内のホテルで一泊、練習日の朝松原湖へ向かった。今年はドヴォルザークを一緒に弾いてもらう絵美さんが同乗して、前日直接松原湖まで行ってしまうことにした。渋滞の最中でも昼過ぎに中央道に乗れば、少しは避けられそうな予測が出ている。一日オフなので時間の心配はない。10月には八ヶ岳音楽祭に出演するので、又中央道のお世話になる。中央道はパトカーに捕まった苦い経験があって、いっそのことドイツのアウトバーンの様にスピード無制限にしたらどうなのかと思っている。日本の高速のように制限速度を気にしながらちまちまと走るのは性に合わない。なまじ制限するから事故が起きるのではと思っている。ドイツ人のすごいところは、制限のないところでぶっ飛ばすけれど、理由があって制限速度表示が出ると、それは見事に一斉に速度を守ること。見ていて気持ちがいい。最近は多少遅くなってきたが、私はどうやら人様よりもスピード感が早いらしく、制限速度の低い所ではいらいらする。それで絶えず後ろにパトカーがいないか気にしながら走るのでストレスがたまる。ドイツで運転した時にはアウトバーンの心地よさは尋常ではなかった。日本では理由もなくなんでも制限するから結果として規則を破りたくなる。今回はパトカーに捕まるくらいスピードが出せるはずはなく、のろのろ運転で居眠り注意しないと。
最近はアウトバーンも制限速度ができたとかちらっと聞いたような気がする。道幅が広くて日本の高速みたいに曲がりくねっていないから、とても走りやすいのに。
最近はアウトバーンも制限速度ができたとかちらっと聞いたような気がする。道幅が広くて日本の高速みたいに曲がりくねっていないから、とても走りやすいのに。
2013年8月13日火曜日
4つのヴァイオリン
9月27日古典音楽協会の定期演奏会でヴィヴァルディの4つのヴァイオリンのためのコンチェルトを弾く。今日このコンチェルトのソロを弾く4人が集まって練習が始まった。まだ一月以上先の事なので気分はノンビリ。チェロにもお付き合い頂いて通奏低音を弾いてもらう。我が家の狭いレッスン室ではお互いの息遣いまで聞こえるが、広い練習場やステージではそうはいかなくなる。4人4様の演奏のどこで妥協するか、接点を見いだすか、その辺は駆け引きとなる。私は第2ヴァイオリンのソロを受け持つ。性格的にお山の大将だから言いたい放題、テンポも好きなだけ速くしたい。それに対して第1ヴァイオリンは慎重にじっくりと曲を作り上げていく。第3ヴァイオリンはガッチリと弾きたいほう。第4ヴァイオリンは均整の取れたオーソドックスな演奏。となると、異端児はやはり私なのか。すごく枠にはまるのを嫌うのと、以前イ・ムジチ合奏団のサブコンマスやフランス国立オーケストラのコンマスと一緒に弾いたり、ミュンヘン、ベルリンフィルのトップメンバーや日本人でも国際的な活躍をしている人達との共演も多かったので、彼らの演奏が非常に個性的かつダイナミックであることを身をもって感じていた。その印象が強くてどうしてもおとなしくしていられない。「古典」の整然とした演奏とは油絵と水墨画ほども違う。それで皆の鼻面をもって引きずり回す結果となる。それを穏やかに受け入れてくれるのが「古典」の人達で、ほとんどの団体で3年以上は所属していられなかったのに、「古典」だけはもう30年?続いていると思う。非常にきちんとしたゆっくり目のテンポでいきたいコンマスの角道氏の隣で制御されながら、じゃじゃ馬ならぬじゃじゃ猫はここまで続けてこられた。たぶん好き勝手にやらせてもらえていたらわがまま放題になって、こんなに長くは続けてこられなかっただろうと思う。人間少し枠があったほうがいいらしい。初めは意見も衝突してみんないらいらするが、回を重ねる毎に自然と練れてきて、一つのものになっていく。その過程が楽しい。
2013年8月12日月曜日
早くも忘年会の準備
スキーと麻雀とお酒をこよなく愛するわが「雪雀連」は毎年の行事が決まっていて、偉大なるマンネリで数十年過ごしてきた。お正月の志賀高原の初滑り、サホロスキー場、2月と3月のスキー講習会、お花見、春の天元台、初夏の八幡平、夏のニュージーランド、軽井沢のバーべーキュー、秋はスキー用具の選定会、絵を描く人達は展覧会。12月は奥志賀高原と忘年会の音楽会。そしてこのスケジュールの合間にもなんだかんだ理由にもならない理由をつけては集まってお酒を飲む。よくもこれだけ遊べるものだとほとほと感心するけれど、参加はそれぞれ自由なので全て参加するのは会長の山田さんだけ。会長は御年83歳でこれだけの企画と実行の手順を皆さんにお知らせする。恐るべき記憶力とタフさには驚く。今年の忘年コンサートの会場から急なキャンセルがあって、急遽他の会場を探しに行くことになった。会場候補の新宿3丁目のライブハウスに下見に行くことにした。集まったのは会長とAさん、Hさん、私の4人。以前の私は仕事が忙しくて中々行事に参加できなかったが、最近はようやく余裕が出来て、今まで参加出来なかった分を取り返している。地下鉄駅から1分の近さ。地下にあるお店は椅子が30席くらい、中央にひな壇、その端にスタインウエイのピアノ。広さも料金も申し分ない。とても感じの良いマスターが出てきて交渉成立。ようやく安心した会長はご機嫌で、歌舞伎町の魚専門のお店でちょっと喉をしめらす事になった。かつて新宿には仕事でも練習でも年中通っていたけれど、歌舞伎町周辺は怖くて近寄らなかった。お上りさんのようにキョロキョロまわりを見回して皆に従いていった。不思議な人種、不思議なお店がいっぱいあって、それでも一時期の怖さはないそうだが、ふつうのおばさんが歩くには刺激的過ぎる。ホストクラブの看板には安っぽい金髪のおにいさんたちの写真がデカデカとかざられている。女性はほとんどベビードール風、寝間着風の超ミニスカート。かつて経済が破綻して雲隠れしてしまった知人がいる。あるとき新宿3丁目あたりで見かけたという噂があった。そういう人達の隠れ場所にもなっているらしい。
2013年8月10日土曜日
2013年8月9日金曜日
松原湖アンサンブル練習2回目
立秋が過ぎたというのに暑さがぶり返した。この暑さの中、フウフウ言いながらメンバーが集まってきた。我が家での練習なので私一人涼しい顔をしていられる。前回の練習はほとんど様子見だったからなんとなく合っているような気がしていたけれど、練習はすればするほど難しくなっていくのが毎度のこと。今日は喧々諤々、それぞれの意見が衝突する。なんとかまとまるまでは大変だった。一度納得すればいいのだが、今日納得したからといって次の回に又意見が変わることもあるから油断はできない。そしてまとまったものが来週になるまで覚えていられるとも思えない。後は現地のヤルヴィホールに行ってから、本番前日の練習に賭けるしかない。練習後、冷たいビールを飲みながら話に花を咲かせていると、気分はもう松原湖。何日か涼しいところで過ごせるのはありがたい。そして帰り支度をした人達がドアを開けて外にでたとたん、猛烈な暑さに襲われて悲鳴を上げた。なにこれ。今年はあまりの暑さに、さすがに元気がでない。今日も皆さんが来る前に少し練習しておこうと思ってレッスン室に入ったけれど、楽器を構えるのも大儀でソファーに横になっていたら、ぐっすりと寝てしまった。昼寝ならぬ朝寝。こんな時間に眠れるのはめったなことではない。目が醒めてハッとして飛び起きたら、11時半になっていた。まいった!こんな時に天候に逆らってもいいことはないから、素直に休ませてもらおう。朝ご飯の後眠って起きたらすぐに昼ご飯。いやはや。
岩合光昭さんのねこ展
今朝、友達おじさんからメール。「ヒカリエの岩合光昭のねこ展に行ったにゃにゃーん」もういい年して女子高生みたいなメールよこすでない。音楽教室の途中にヒカリエがあって、そこを通り抜けると教室は目と鼻の先。このねこ展がはじまってから毎回「しまった、もう少し早く出てくればねこ展見られたのに」と思っていたので、今日のレッスンの前に時間をとって見にいくことにした。メールをもらったので思い出して見られて、感謝しなければ。しかし、世の中にこんなにねこ好きな人が多いとは!老若男女、特に若い男性の姿が多いのにもびっくりした。彼女に引きずられてきたのかと思うとそうでもなさそう。いい年したおっさんが嬉しそうに眺めている。所々で歓声が上がっている。「きゃあ、かわいい」私も実は叫びたかった。しかし、教養が邪魔してそうもいかない。でも口元は緩みっぱなし。平日なのにやたら混み合っていると思ったら、今日は岩合さんのトークショウがあるらしい。時間になって会場の一角のスペースに行ったら、もう人垣で遮られて岩合さんの姿は見えない。そこだけ大変な熱気で、主人公が登場すると盛大な拍手が起こった。私は小柄だからとうてい見えないのであきらめて会場を後にした。写真家でご本人がこれほど人気が高いというのも猫さまのお陰。猫は魔物で一旦好きになるとその魔力から抜けられなくなる。ただただひたすら可愛がられるためにこの世に生まれてきたねこたち。それ以外の存在の意義はなんにもない。
2013年8月8日木曜日
早速ですがエピソード
昨日の話で私的に1番受けたのは、魚板のはなし。
黛敏郎さんの曲でパーカッションに魚板が必要になった。魚板とは魚の形をした板で中がくりぬいてあって、寺を訪れた人が謂わば呼び鈴として叩いたものだそうで、そんな物は永平寺くらいにしかなくて借りるのは不可能。それでステージマネージャが考えた。まな板に魚の絵を描いて奏者に渡した。叩く方はお客さんにまな板を見せるのが恥ずかしくて、叩くとすぐに引っ込めてあまり見せないようにしたそうだが、こともあろうにそのお客さんに見える方に魚の骨がいたずら描きしてあったらしい。
ある指揮者はいつも指揮棒を持ってこないでパーカッションの処に行ってはスティックを借りる。それでいたずらな人があるとき重たい鉄のパイプを渡したので、指揮者は腕が疲れて振れなくなってしまった。
秋田での仕事の時。本番まえに街でみつけた鼻眼鏡。ごていねいにちょび髭までついていた。大量に買い込んでみんなに渡して笑い転げていた。さて本番。謹厳実直の見本のような顔をした秋山和慶氏。1曲目を振りだしてしばらくすると、自分の眼鏡をはずす。なにをするのかと思ったらさっきの鼻眼鏡を掛けた。指揮者はお客さんに背中を向けているから客席には気がつかれない。しかし演奏している私たちはもう吹き出しそうになるのをこらえるのに必死だった。ちなみに秋山氏、顔とは正反対、いたずらばかりしていた。
真冬の旭川でトビリシバレエ団の公演があった。バスでの移動の時、オケのメンバーの乗ったバスのヒーターが故障。あっというまに車内の窓という窓は氷の結晶で覆われた。とにかく運転手の視界は確保しなければならないから、皆で10センチ四方くらいの部分を手で暖めたりライターであぶったりしてようやく氷を溶かしながら走った。地吹雪と空からの吹雪の中バスは猛烈な勢いで走る。その中で対向車のナンバーが奇数か偶数か運転手と賭けていた大馬鹿者がいた。それは、うふふ、面目ない。このnekotamaでした。
オケマンに愛されていた指揮者のやまだかずお、通称ヤマカズさん。練習時間が足りなくて繰り返しの打ち合わせが間に合わない。それで「私がハンカチを出したらコーダに飛んで下さい」と言って本番が始まった。途中で汗を拭こうとヤマカズさんがハンカチを取り出すと・・・あっという間に曲が終わってしまった。
大指揮者朝比奈隆氏。お年を召してからは手が思うように動かなくなってだんだん遅くなってしまう。「僕を見ないで。僕に合わせないでよー」と叫んでいらした。じゃあ一体どこに合わせりゃ良いの?
本人の名誉のために名前は伏せるが、ご本人が故郷に錦を飾る演奏会。ベートーヴェンのシンフォニーで最後をふり間違えて早く終ってしまった。でも曲はあと数小節残っている。素直に指揮者に合わせてやめた人、まだ残っているからと律儀に弾いた人、弾いたのに驚いて指揮者が又振る、それで弾く人弾かない人、もうグッチャグチャ。残念!
黛敏郎さんの曲でパーカッションに魚板が必要になった。魚板とは魚の形をした板で中がくりぬいてあって、寺を訪れた人が謂わば呼び鈴として叩いたものだそうで、そんな物は永平寺くらいにしかなくて借りるのは不可能。それでステージマネージャが考えた。まな板に魚の絵を描いて奏者に渡した。叩く方はお客さんにまな板を見せるのが恥ずかしくて、叩くとすぐに引っ込めてあまり見せないようにしたそうだが、こともあろうにそのお客さんに見える方に魚の骨がいたずら描きしてあったらしい。
ある指揮者はいつも指揮棒を持ってこないでパーカッションの処に行ってはスティックを借りる。それでいたずらな人があるとき重たい鉄のパイプを渡したので、指揮者は腕が疲れて振れなくなってしまった。
秋田での仕事の時。本番まえに街でみつけた鼻眼鏡。ごていねいにちょび髭までついていた。大量に買い込んでみんなに渡して笑い転げていた。さて本番。謹厳実直の見本のような顔をした秋山和慶氏。1曲目を振りだしてしばらくすると、自分の眼鏡をはずす。なにをするのかと思ったらさっきの鼻眼鏡を掛けた。指揮者はお客さんに背中を向けているから客席には気がつかれない。しかし演奏している私たちはもう吹き出しそうになるのをこらえるのに必死だった。ちなみに秋山氏、顔とは正反対、いたずらばかりしていた。
真冬の旭川でトビリシバレエ団の公演があった。バスでの移動の時、オケのメンバーの乗ったバスのヒーターが故障。あっというまに車内の窓という窓は氷の結晶で覆われた。とにかく運転手の視界は確保しなければならないから、皆で10センチ四方くらいの部分を手で暖めたりライターであぶったりしてようやく氷を溶かしながら走った。地吹雪と空からの吹雪の中バスは猛烈な勢いで走る。その中で対向車のナンバーが奇数か偶数か運転手と賭けていた大馬鹿者がいた。それは、うふふ、面目ない。このnekotamaでした。
オケマンに愛されていた指揮者のやまだかずお、通称ヤマカズさん。練習時間が足りなくて繰り返しの打ち合わせが間に合わない。それで「私がハンカチを出したらコーダに飛んで下さい」と言って本番が始まった。途中で汗を拭こうとヤマカズさんがハンカチを取り出すと・・・あっという間に曲が終わってしまった。
大指揮者朝比奈隆氏。お年を召してからは手が思うように動かなくなってだんだん遅くなってしまう。「僕を見ないで。僕に合わせないでよー」と叫んでいらした。じゃあ一体どこに合わせりゃ良いの?
本人の名誉のために名前は伏せるが、ご本人が故郷に錦を飾る演奏会。ベートーヴェンのシンフォニーで最後をふり間違えて早く終ってしまった。でも曲はあと数小節残っている。素直に指揮者に合わせてやめた人、まだ残っているからと律儀に弾いた人、弾いたのに驚いて指揮者が又振る、それで弾く人弾かない人、もうグッチャグチャ。残念!
旧友たち
7人が新宿のビアホールに集まった。元同じオーケストラでほとんど同期で活動した人達。その頃の東響は一時期解散の憂き目にあって、団員の自主運営によって再建されたばかり。貧乏でひどく忙しい大変な時期を再建への希望に燃えて一緒に闘ったいわば同士達。今はそれぞれ一家をなして安定した生活を送っているが、当時のひどいスケジュールや貧乏生活を思い出すと、それでも若さと笑いに満ちていた。これもひとえにオーケストラという番外地にいたからこその幸せだったかもしれない。ふつうに一般社会だったら、収入もなく身分もあやふやなこんな人達はおそらく落ちこぼれの扱いを受けただろうに、芸術という隠れ蓑があったので多少は変でも許されたし、貧乏も勲章のようなものだった。思えば毎日毎日笑っていたような気がする。実際は青息吐息だったはずなのに、楽しいことしか思い出せない。多少は変と言ったけれど、本当のこと言うとたいそう変な人ばかりだった。常識がない奇人変人揃い。あるときには温泉宿で大騒ぎをして新聞種になり出入り禁止に。あるときには病院にお見舞いに行って、患者の枕元でくさやを焼いて酒盛りをして看護婦さんから追い出されたり。全くどうやったらこんな非常識なことができるのかわからないあきれた連中だった。それが許されるような社会で、面白いエピソードとして残っているのがおそろしい。しかもけっこうお家柄もよく、戦前なら雲の上の人なども多かったために、あまり社会的制裁も受けなかったようだ。今や行い澄まして有名音楽家になっている人も多々いる。今では考えられないような逸話の数々が残っている。今日のメンバーはどちらかと言えば常識のあるほう?かな。音楽事務所の社長や会計士、現役のパーカッショニスト、もとベルリンドイツオペラ団員で現音大教授、キリスト教の引退した修道士達のケアをしている人、こう書くとガクタイは変身も様々であざやかだと思う。頭が固まっていないから良く言えば柔軟、悪く言えばいいかげん。水のように自由で器に従う。あまりにもおかしい話が多くて書ききれないので、いつか書いてみたいとおもっています。
2013年8月7日水曜日
手秤、目秤
料理の場合私は計量カップも秤も使わない。それで長年やってきたけれど、先日の花火見物会場のオーナーの一言でちょっと考えさせられた。「材料量るのは苦にならないからレシピ通りに作れば失敗しない」なるほど。たとえ量っても私が作るとだめなような気がする。レシピも読めないし。
私の母はちらし寿司作りの名人だった。ちらしだけでなく天ぷらの衣なども見事に一滴も残さずきっちりと使い切るので、いつもびっくりするくらいだった。昔のことで計量カップもつかわない。ちらし寿司は高価な材料は使わないし少し甘めだけどいつも同じ味で、やさしくまろやかで本当に美味しかった。見ていると手秤、目秤と称してだいたいこんなものかなとやっていたのに、私とは大違いでいつも決められたように同じ味になる。専業主婦のすごさを見せつけられた。それを見ていたから私も手秤、目秤でやっているけれど、その日によって味噌汁の濃さもこれほどかと思えるほど違う。母に似ればきちんと同じようにやってのけたと思う。兄が母そっくりで、なにをやっても器用にこなす。私は残念なことに父親似。父はなにもかもひっちゃかめっちゃか、人生を思うがままに生きたからその娘の私も「ええい!味噌汁がなんでえ」くらいの気持ちだからいけないのだ。母と父は水と油で容易に溶け込めなかったと思うのに、仲は良いのか悪いのか、はたからはうかがい知れないような夫婦だった。父は魚に火を通しすぎるな、醤油を煮立てるなと言うのに対し、母はなんでもしっかりと中まで火が通っていないと気がすまない。当時の衛生状態からいって、食中毒を心配したらしい。母はたらこの芯まで火を通す。しょっぱいだけで少しも美味しくなかったから初めて生のたらこを食べた時は感激した。質素でも楽しかった大家族時代を思い出す。大勢の家族で食べればなんでも美味しかった。もしかしたら母の味は仲良しの兄弟達で食べるという、そんな調味料がかかっていたから特別においしかったのかもしれない。
私の母はちらし寿司作りの名人だった。ちらしだけでなく天ぷらの衣なども見事に一滴も残さずきっちりと使い切るので、いつもびっくりするくらいだった。昔のことで計量カップもつかわない。ちらし寿司は高価な材料は使わないし少し甘めだけどいつも同じ味で、やさしくまろやかで本当に美味しかった。見ていると手秤、目秤と称してだいたいこんなものかなとやっていたのに、私とは大違いでいつも決められたように同じ味になる。専業主婦のすごさを見せつけられた。それを見ていたから私も手秤、目秤でやっているけれど、その日によって味噌汁の濃さもこれほどかと思えるほど違う。母に似ればきちんと同じようにやってのけたと思う。兄が母そっくりで、なにをやっても器用にこなす。私は残念なことに父親似。父はなにもかもひっちゃかめっちゃか、人生を思うがままに生きたからその娘の私も「ええい!味噌汁がなんでえ」くらいの気持ちだからいけないのだ。母と父は水と油で容易に溶け込めなかったと思うのに、仲は良いのか悪いのか、はたからはうかがい知れないような夫婦だった。父は魚に火を通しすぎるな、醤油を煮立てるなと言うのに対し、母はなんでもしっかりと中まで火が通っていないと気がすまない。当時の衛生状態からいって、食中毒を心配したらしい。母はたらこの芯まで火を通す。しょっぱいだけで少しも美味しくなかったから初めて生のたらこを食べた時は感激した。質素でも楽しかった大家族時代を思い出す。大勢の家族で食べればなんでも美味しかった。もしかしたら母の味は仲良しの兄弟達で食べるという、そんな調味料がかかっていたから特別においしかったのかもしれない。
2013年8月6日火曜日
今年も24時間テレビ
日テレの24時間テレビは創生期の頃からのお付き合い。何年間かは毎年出演していたが、一時期仕事のスケジュールが合わなくてしばらくお断りしている内に他のメンバーが決まってしまったために、すっかりご無沙汰となっていた。そのうち私も暇になり又呼んで頂けるようになって、最近は毎年参加。去年はイギリス旅行と重なって出演できなかったので、もう他のメンバーが入ってしまったかとおもっていたけれど、今年も弾かせてもらえることとなった。今日はリハーサルのみ。こんな風にフリーで仕事をしていると、中々難しいことがある。私は特に猫族だから、決まったグループに属さないで人間関係にもあまり気を遣わない。それで他の人よりもスタジオの仕事は少ないので、たまにこういう仕事が入ると、何年ぶりかで行くスタジオの場所も覚えていないこともある。数年前に久しぶりで行くことになった日テレの録音スタジオであるサウンドインは覚えているとおもったものの、自信がないのでカーナビに頼ることにした。カーナビに導かれていくと、とんでもないことを言う。すぐ近くであるということは景色でわかるし方向感覚も失っていない。それなのにどんどん奥へ奥へと連れて行かれ結局何度も同じ処をグルグル回されてしまった。腹を立ててカーナビは切って自分のうろ覚えの道を行くと、なんのことはないすぐに到着した。今年はそんなわけでカーナビには最初から頼ることはなくスタジオに無事到着。毎年会える懐かしい顔、顔。少しずつ老けてはくるものの、ガクタイはみんな若い。毎年今年が最後かもしれないからと写真を撮るコンマスのYさん。ちっともきれいに撮ってくれないので、地が悪いのは棚に上げて文句を言う。写真は残酷、特に最近のデジカメはしっかりなにもかも撮ってしまう。進化するのもいい加減やめてもらいたい。
2013年8月4日日曜日
猫付きマンション
2010年から始まった「猫付きマンション」と言うのがあるらしい。これは文字通りマンションの部屋を借りると猫が付いてくるというもの。賃貸マンションで猫を飼うことを我慢しているひとも多い。だがこの場合猫はマンションのものだから転居があっても残して行くのは可能で、連れて行くことも出来る。
MSNニュースから引用
「それにしても、なぜ「猫付きマンション」が生まれたのだろうか。この猫付きマンションの仕掛け人である、東京キャットガーディアンの代表 山本葉子さんに話を聞いてみた。
猫も飼い主も、物件オーナーもハッピーになる仕組み
「そもそものはじまりは、人間と同様、猫の高齢化がきっかけなんです」と山本さん。自身が代表をつとめる東京キャットガーディアンでは、行政(動物愛護センターなど)から猫を譲渡してもらい、猫を里親に譲渡する活動をしている。その数は、2008年から2013年7月現在までで3000頭を超えるなど、一定の成果をあげているが、大きな課題もあった。「大人猫」の貰い手だ。」
子猫はかわいらしくもらい手はすぐに見つかる。しかし飼い主の高齢化や死亡で飼えなくなってしまった猫は処分されてしまうことが多い。そんな可哀想な猫のためにも、飼いたくても飼えないない人のためにもこのアイディアは一石二鳥。ただいま入居希望者が殺到しているそうだ。
私も小さい貸部屋のオーナー。今年の春ひと部屋が空いて次の借り手が見つかるまではかなり時間がかかった。私は基本的にペットを飼ってはいけないとはいわないが、大抵の不動産屋さんはペットは不可ですねと念を押してくる。いつも曖昧にええまあとか言っているが、そこを逆手にとってこんな戦略もあったかと目から鱗だった。いっそのことマンション中を猫が走り回っていたら、なんて幸せなのかと考えると、これもありかな。猫嫌いは来られなくなってしまいそうだけど。
MSNニュースから引用
「それにしても、なぜ「猫付きマンション」が生まれたのだろうか。この猫付きマンションの仕掛け人である、東京キャットガーディアンの代表 山本葉子さんに話を聞いてみた。
猫も飼い主も、物件オーナーもハッピーになる仕組み
「そもそものはじまりは、人間と同様、猫の高齢化がきっかけなんです」と山本さん。自身が代表をつとめる東京キャットガーディアンでは、行政(動物愛護センターなど)から猫を譲渡してもらい、猫を里親に譲渡する活動をしている。その数は、2008年から2013年7月現在までで3000頭を超えるなど、一定の成果をあげているが、大きな課題もあった。「大人猫」の貰い手だ。」
子猫はかわいらしくもらい手はすぐに見つかる。しかし飼い主の高齢化や死亡で飼えなくなってしまった猫は処分されてしまうことが多い。そんな可哀想な猫のためにも、飼いたくても飼えないない人のためにもこのアイディアは一石二鳥。ただいま入居希望者が殺到しているそうだ。
私も小さい貸部屋のオーナー。今年の春ひと部屋が空いて次の借り手が見つかるまではかなり時間がかかった。私は基本的にペットを飼ってはいけないとはいわないが、大抵の不動産屋さんはペットは不可ですねと念を押してくる。いつも曖昧にええまあとか言っているが、そこを逆手にとってこんな戦略もあったかと目から鱗だった。いっそのことマンション中を猫が走り回っていたら、なんて幸せなのかと考えると、これもありかな。猫嫌いは来られなくなってしまいそうだけど。
お花火大会
「うちのベランダから花火がみえるからいらっしゃい」というお誘いを受けて土曜日に成増まで出かけた。地下鉄成増から5分ほどのすてきなマンションの5階に住む独身女性。4LDKもある一人住まいには広すぎると思われる素晴らしいマンションに7人の遊び仲間が集まって、花火開始の1時間前から飲み始めた。まずシャンパンで乾杯した後は、一気に酒盛りに入る。けれど私は最近とんと不調法になって、アルコールが飲めなくなってきたのでノンアルコールのビールでお付き合いする。マンションの中を見せてというと、ドアが閉まっているところは全部だめ!と見せてくれない。一体なにが入っているのかなあ。私も自宅はレッスン室以外の猫部屋は絶対人には見せられないけれど。花火は7時に打ち上げられるのでそれまでには皆すっかり盛り上がって、うっかり最初の花火を見逃すところだった。都内と埼玉県側の戸田の花火が同時に川を挟んで打ち上げられるとあって、直下で見たらさぞ迫力があるかと思うが、現場に行ったらものすごい混雑の中で雨の心配などしながら見るのはつらい。こうして室内で悠々とお酒を飲んで美味しい物を食べて見られるのは本当に贅沢なこと。我が家では毎年家の前の桜を愛でながらのお花見大会が開かれる。こちらはお花火大会。今回のオーナーは化学者だからお料理が上手い。計量カップを使って調味料を計るのは仕事柄ちっとも苦にならないそうだから、味は安定していてすごく美味しい。私は大雑把な性格の上、「野生の勘」がたよりだから、日によってとてつもなく出来不出来がある。安定した気分の時はそれほどまずくはないのに、お客様だと緊張して余計な手を加えて失敗することが多々ある。さて、花火のクライマックスは色とりどり形も様々で見事な盛り上がりで感動した。火薬の調合でこれほどの造形が生み出されるのが不思議。しかも一回こっきりのアートに惜しげもなく全精力をかける、花火師は演奏家と同じ一発勝負。入念な準備の末に打ち上げて、雨や風に邪魔されて無念の涙を流す事もあるだろう。今年の隅田川花火大会は大雨で大量の上げ残しが出たそうだ。大損害を被ったと思ったが、そのための保険もあるそうで金銭的には損害はないらしい。それでも1年かけての準備が水の泡となって、どれほどがっかりしたことかと同情する。夜も更けてオーナーは酔いつぶれて居眠りを始めた。私が「もう終電がなくなるわよ」と言うとびっくりして目をさます。最後に恩知らずにも脅かしてから帰る誘惑には勝てなかった。
2013年8月2日金曜日
2013年8月1日木曜日
哀れ
山口県の連続放火殺人事件で逃げていた男が逮捕された。限界集落という本当に狭く高齢者だけが暮らす小宇宙の中での悲惨な事件は、外から窺い知ることも出来ない。それぞれ言い分はあるとおもうけれど、いったんねじれてしまった人間関係をなんとか修復できなかったのだろうと胸の痛む思いでニュースをみていた。その中で犯人が飼っていた犬のことが可哀想でならない。見れば手入れもよく、性格も穏やかそうで、かわいがられていたのが一目でわかる外見をしている。そんな動物を大事に出来る人がどうしてあのような悲惨な事件を引き起こしてしまったのか。犯人が逮捕された1分後に犬が急死したそうだ。まるで飼い主の一大事の身代わりにでもなったように。まだ7歳か8歳、大型犬の寿命にしては早死にといえる。飼い主が山に逃げるときに大量の餌を置いていったらしい。それでも犬はなにか大変なことが飼い主に起きてしまったと察知したにちがいない。何日もかえってこない飼い主をひたすら待っていたのに、もう永遠に会えなくなったとわかったのかしら。保護された時には久しぶりに人に会えて嬉しそうに尻尾を振っていた。せまいケージにとじこめられてもおとなしく期待に満ちてひとの方を見ていた。まだ飼い主に会えると思っていたのだろう。でも飼い主が逮捕された瞬間、犬にもなにか伝わったとしか思えない。待っていた数日間の寂しさと、なにかとんでもないことが起きたと感じたショックが命を終わらせたに違いない。この犬を巡って以前住民の一人から処分してしまえと言われたことがあるという。罪のない犬が哀れでならない。
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