同級生の訃報を聞くようになってから、私もしばしばこういう心境になっている。葬式は残された者たちのため。私は大家族で兄姉たちの一番下の末っ子。子供もいないから誰の手も煩わしたくない。戒名は仏教徒でもないので不要。考え方としては仏教の教えのほうがキリスト教よりは好きだという程度の宗教観。西洋音楽を学んだからキリスト教的な要素も受け入れられる。宗教についてはなんの知識も偏見も持たない。
我が骨はというと、本当ならモンゴルの大草原に置き去りにしてもらい狼に食われるのが一番いい。でも脂身ばかりでまずくてオオカミさんには気の毒。山の上に放置してもらいコンドルに空高く運ばれるのもいい。水は苦手なので海より山がいい。
石原さんはカラスが嫌いだと言っていたから私も彼が嫌いだった。カラスは賢く街の掃除屋としての能力は高く買われている。カラスを追い払うよりも人間のゴミの不法投棄、ゴミの捨て方を注意しないといけない。
石原さんは普通のレベルの人々のはるか上に行く能力の持ち主。カラスも鳥類の知恵者。カラスと比べられては石原さんも浮かばれないけれどあの世では仲良くしてほしい。能力も威厳もありはっきりとものを言うところは日本の政治家たちの曖昧さがなくて良い。抜群の知能と信念が人を納得させる。やや強引過ぎてもとてもチャーミングでもある。ただ東京都知事の小池さんのことを年増の厚化粧などというのはあまりにも失礼。女性として許せない。
去年まで時々集まって弾き合いをしていた大学の同級生。いつの間にか亡くなっていた。フルート専攻でキビキビして声の大きい人だった。仲間が5,6人集まってそれぞれ曲を持ち寄って楽しい時間を過ごしていた。中でも彼女は飛び抜けて明るかった。訃報を聞いたときはまさかと思った。一人また二人とお別れが続く。私自身はといえば我が家系は健康で長寿、まだ中々死ねないとは思うけれど、ここ2年ほど足の痛みやしびれに悩まされていて階段がうまく降りられない。
治療の術がわからないのが一番困った。まずは整形外科に行く。足は怪我をしているわけではないけれど、脊椎の軟骨がすり減っていわゆるすべり症というものだと聞かされて、湿布薬をもらって帰ってきた。湿布薬などはもとより足のしびれなんかには効かない。次はかかりつけの内科医で処方されたビタミン剤。これは根本的な治療ではないけれど、なぜか効いて痛みが半減。しかし根本的に治るわけではない。
腰のすべり症がなぜ足のしびれにつながるのか、大学病院の整形外科で説明を聞いても納得はいかなかった。何よりもその整形外科の医師の疲れ果てた顔を見て気の毒で行くのをやめた。ご本人が病気にならないように祈っていますよ。最近友人と電話で近況など話していたら彼女のかかりつけの施療師を紹介された。
周りにまだ畑の残るのんびりした環境に建つ白い家。施療師の説明を聞くとかすかな希望が湧いてきた。藁にもすがる気持ちで治療をお願いすることにした。今日二回目の施術。決して強い力で押すこともない。痛みもない。しかし、帰宅するとあまりにも体中が激しく反応していてぐっすりと眠ってしまった。今まで受けていた整体とも全く違う静かな治療。そこで聞いたのは骨はそれ同士がつながってはいないということ、骨はすべてバラバラでそれが筋膜というものでつながれているらしい。その筋膜が固まったりより合ったりすることで、しびれや痛みなどの症状が出てくる。だから筋膜をほぐすことによってそれらの症状が消える・・・とまあ、こういうことらしい。
骨同士は繋がっていない?なるほど言われてみればそうだわねえ。しかも骨は本来痛みを感じないものだから、すり減っても痛いことはない。なるほど、今まで考えたこともなかったけれど、筋膜の治療によって治るならこの先まだスキーを諦めないで済む。
長生きするのも大変なのだ。年をとっているからと言って、治療に行けば加齢で済まされるのは納得行かない。年をとっているからと言って不健康で薬漬けになって、病院の待合室での社交生活はいただけない。私は快適に愉快に過ごしたい。そして命尽きたときには鳥に空高く運ばれていきたい。それは希望が叶えられないようだから、軽気球の上から放り投げて貰えばいい。トルコのカッパドキアで軽気球に乗って明け方の空に浮かんだとき、天国ってきっとこんなところよねと語り合った。その時の相手もすでにいない。
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