田舎暮らしに憧れて都会から移住しても地元に馴染めず、尻尾を巻いて逃げ出す人も多いらしい。それはそうなのだ。私だって北軽井沢に通うこと10年、家を譲り受けてから4年、やっと地元のことが薄々わかってきた。
もっとも私は定住したわけでなく、自分の家と森の家との居住比率は3対1位。いつも忙しく行きつ戻りつ、これでは馴染むことも難しいと思っていたけれど、最近ようやく1週間ほど滞在できるようになったらだんだん町の顔が見えてきた。新しい環境に馴染もうと必死で交友関係を模索するのはやめたほうがいい。なんでも徐々にゆるゆるとが最良。
私の場合はお隣さんが古い知り合いというのが幸いして、最初から人間模様が見えていたのが良かったけれど、それでもなんだかテンポ感が違う。例えば工事を頼んでもなかなかことが進まない。見積もりを出さない、設計図がないなど、私の自宅に出入りするリフォーム業者の完璧な仕事ぶりになれていたのではじめはただただ驚いた。見積もりも、これをやったらいくらときちんと値段が決まっていれば計画が立てられるけれど、北軽井沢でいくら位になりますか?と訊いても返事がないと工事を頼みにくい。億万長者ならいざしらず、百万長者でもない私は野垂れ死にする覚悟でもない限り、危険を犯すことはできない。
そういう愚痴を別荘の管理事務所でしていたら紹介されたのはもと東京の人。地元の人は私とペースが違うだけでとても良い人達ばかりだけれど、テンポ感の違いは如何ともし難く最後に腹を立てて理不尽な罵詈雑言をはいて関係が悪化するのがいつものこと。元東京都民の木工業者はこれとこれをやるには丸2日かかります。助っ人も必要なのでこのくらいでいかがですか?と明快な予算を提示してくれて納得の上で庭仕事をお願いした。
庭仕事は楽しいけれど、漆にかぶれた経験者としては二度とごめん。聞けば軽井沢地帯には130~140とか漆の種類が繁殖しているらしい。おお、こわ!
北軽井沢は自然がいい。キャベツ畑ばかりの僻地というなかれ、けっこう文化人が住み着いており、先日訪れた自動車やさんのご主人が北軽井沢愛を熱く語るのを聞いていると私も共感するものが多い。私が腹を立てて牙を剥いても立ち向かってくる命知らずな人はいなくて、のんびりといなされてしまうので最近は腹も立たなくなってきた。今ではこちらに終の棲家を見つけようかとも思うようになってきた。住民票を移すとどんなメリット、デメリットが有るかなどとも考える。
なぜかというと、今コロナ禍の中で地元の施設の貸出しが限られていて中々貸してもらえない。住民票の持ち主に限るといわれても、なんとか疫病を食い止めたいという必死の努力があればこその事情だからこちらも文句は言えない。しかし、生徒たちがアンサンブルの練習に訪れてきても練習場所が確保できず、私の家の狭いリビングでひしめき合って練習するほうがよほど危険なのだ。これが3年続いていたのでいっその事住民票を移してしまおうかと考えている。私は喜んで北軽井沢人になろうかと。
どちらにしても北軽井沢は私の生まれ育った家の裏庭に似た風景なのだ。私の生家の前庭は造園されていたけれど裏庭は放ったらかし。崩れかけた葡萄棚や古井戸、群生の枇杷の木、竹藪、ぼうぼうと草が茂り生け垣の穴から近所の子供達が出入りした。私はこの裏庭が大好きで、ここで一人遊びをしていた。枇杷の木の張った枝に座布団を載せてその上で昼寝を楽しんだ。飾らないありのままの自然で、大山の峰々の上にそびえる富士山が全く遮られるものなく夕日に輝くのを眺めたものだった。今その頃の自分に足早に戻っている。
森の家をノンちゃんが譲ってくれたのも私を子供の頃に戻してくれるためだったのか。初めて彼女の家に入ったとき「うちの裏庭そっくり」といったものだった。これは非難したのではなく本当にきれいだと思ったからで。今その美しい季節になったので、先週滞在してきた。徐々に北軽井沢と私が近くなっていく。しかし開発の波が下から押し寄せてきている。家がどんどん建って10年後にはどんなになっているのか、願わくばこれ以上木を切らないでほしい。
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