2023年10月30日月曜日

夜明け前

 合奏団の新体制のために奔走していたとき様々な問題にぶつかり、その殆どの解決が近づいた頃、私は無性に旅に出たくなった。元々じっとしているのは苦手。それで毎日同じ会社にでかけて同じ仕事をするような真っ当な社会人とはなれなかった。いつも何処かへ行きたいと思っている。旅の終わりの羽田空港で飛行機から降りて空を見上げたらふんわりと浮かぶ雲。誘われているようでつい言ってしまった。「ああ、どこかへ行きたい」周りはそれを聞いて「今帰ってきたところじゃない」

富山県は私が所属していたオーケストラの元団長の故郷で、その関係から演奏旅行が多かった。初めて富山に行ってタラ汁を食してあまりの美味しさに市場で鱈を買い込んだ。今のようにクール宅急便が普及していなかったのでまるごと発泡スチロールの箱に入れて楽器と鱈と抱えて羽田まで運んだ。急いで帰宅して早速タラ汁作り。でも出来上がったものは現地で食べたものには及びもつかなかった。その後も度々富山県にお邪魔しては現地での仕事もさせていただいたり遊びに行ったり。

今回の合奏団の問題に奔走して疲れも溜まっていて、でも薄っすらと解決の糸口が見えてきた頃、射水市のお祭りに行くチャンスができた。古くからの知人が知らせてくれたので矢も盾もたまらず4泊5日の旅程を組んで新幹線に乗った。

思えばこれが問題解決のエネルギーとなって不思議な力が湧いてきた。射水市の新湊の曳山巡行は巨大な重たい車輪をつけた山車で市内を練り歩くという単純なお祭りながら、長い歴史と現在の市民たちの伝統を守る熱意で満ちていた。このあたりは昔は漁港として栄え、大金持ちがいてこの山車の建造におおいにお金を振る舞ったそうで、このあたりで取れた魚を北海道まで運び、帰路には北海道の昆布を仕入れて船に積んで帰ってきたという。それで富山の昆布締めは未だに人々に愛されているという。

初日は日頃の疲れが出てホテルに入るとぐっすりと寝てしまった。次の朝7時に迎えに来てくれた知人の車で放生津八幡宮に向かう。まだ人も少ない境内で少し雨模様。その数日間はお天気が悪いという天気予報だけれど、究極の晴れ女のわたしが来たからには晴れさせずにおくものか。執念が通じたらしくその後は雨が上がって強い日差しに音をあげそうになる。近隣の各町内から様々な意匠を凝らした山車が集合して神前でお祓いを受けていよいよ出発。イヤサーイヤサーの掛け声とともに法被の男たちの長い一日が始まった。

すべて単純に掛け声はイヤサーのみ。ただひたすら山車を引いて角を曲がる。その曲がるときの迫力がすごい。車は方向を変えるハンドルも付いていない。まっすぐに進むしかできない車を無理やり回転させるのだから非常な重さで力任せにねじ伏せて回す。道路に筋がつく。飛ばされそうになる曳き手が転びそうになる。こんな単純なことの繰り返しなのに目が離せない。

結局朝7時からよる10時ころまでずっと山車について歩いてしまった。夕方になると車の装飾が取り外され、周りに提灯を下げる木組みがつけられる。そこに明かりが灯され、ゆらゆらと闇の中から提灯の隊列が現れる。それが幻想的で夢見心地になる。最後は川岸の土手を大変な力で押し上げられた山車が橋の上に3台ずつ並びながら去っていく。川面に提灯の光が反映して消えて祭りは終わる。

大きな声や群衆の歓声が聞こえてもこの祭りはどことなく物静かなのだ。富山は越中おわら節の地元。ひらりひらりと女性の白い手が翻る物静かな踊りと共通する雅さが見える。すっかり魅せられて疲れも感じないほどだった。ホテルに戻るとさすがに何もする気がなくひたすら寝支度。靴を脱いだら右足の爪が真っ黒になっていた。歩きすぎて爪が内出血、呆れたものだわ、この年で。思わず笑いがこみ上げる。



https://youtu.be/l3EvDRi9Ywo?si=mDpWzUDfQMbXrNt9
















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