2024年8月31日土曜日

電車で逆走

 昨日は怪しい男からうち中の通信機器がすべて使えなくなると脅されたから、今か今かと待っているのに一向に途絶えず情報は入ってくる。

今日の天気は時々雨、巨大な台風が日本列島の下半分に居座って動かず、煽りを食ってこちらまでジトジトとした天気が続いている。東京ベートーヴェンカルテットを主宰するチェロの奈切敏郎さんは頑固一徹、カルテットとともに生き延びるつもりらしい。老いてますます成熟の一途、私より年下だけどね。ほぼ毎回聴かせていただいている。しかし偉いものだ。

台風の影響で客足はどうかと思っていたけれど、このお天気にしてはよく入っている。後援者やファンが多いから。客席の人たちがひたとㇲテージを見つめ、一音たりとも聞き逃すまいと舌なめずりするように聞き入っている。長年充実した活動を継続するとこうなるのですね。

東京文化会館を出るとかすかに雨の感触があって、ざあっと来る前に急いで帰ろうと足を早める。山手線の上野駅で目黒に出たいから案内版を見ると、渋谷方面とある。目黒と渋谷ならご近所さん。乗り込むと座席も空いていて座われたからやれやれ。しばらくして考えた。渋谷を通ってから目黒に行くのはどう考えても数駅以上無駄。ああ、やはり逆走している。

私は天才的な方向音痴。右と思うと左。左と思って、待てよ!自分が左と思ったのだから右に違いないと思って右に行くと必ず左が正解。だからそのまた裏をかいて反対に行くとその反対が正解。これって何なのか理解に苦しむけれど、生まれ持った才能の一つではある。

目黒に行くには遠回りと気がついたからすぐに次の駅で降りた。目黒で私鉄に乗り換えて今度こそ正常な方向に走っている電車を見ていると、以前私が乗っていた東横線とはまるで違う場所、例えば飯能とか石神井公園とか、森林公園とか、逆方向は新横浜、海老名などなど、思いがけない名前が出てくるので一体これは何線なんだ。でも一段と便利になったことは確か。しかし一旦乗り間違えると恐ろしい未来が待っているような。

私はこの年の女性としてつい最近まで仕事をしてきたし、こうして他人の演奏を聞くのが好きでよく音楽会場に足を運ぶから、そこはかとない土地勘がある。知らない土地を歩くのが大好きだから迷子になってもうろたえない。むしろ好んで別の路線で行ったりもする。

しかしそれを人生でやるものだから一向に目が出ない。なんでも継続できればそこそこの成果が出るものを、途中でそれを捨てて別の路地を覗いてみたくなる。「古典」だって嫌いで辞めるのではなく、喧嘩別れするでもなく、ひたすら未来に別のものを追い求める。飽きやすいとかそういうわけでもない。好きなものはずっと好きだし努力は惜しまないけれど。今の私は逆走する運勢かな?

なに、すぐに戻りますよ。たとえヴァイオリンを弾かなくても音楽からは、はなれられないから。








2024年8月29日木曜日

逆走

4ヶ月ほど前に眼瞼下垂の手術を受けて後、運転時や楽譜を見るのがとても楽になった。以前はまぶたがいつも覆いかぶさったみたいに重くて、時々指で自分のまぶたを持ち上げると視界がひらけるから このたるみどうしてくれようと思っていた。身近に眼瞼下垂を手術した人がいて、楽譜が見えると喜んでいたから野次馬の私は興味津々、それなら私も。

北里研究所病院は以前からお世話になっていたけれど、あまり長い間通っていなかったため古い診察券を見て驚かれる存在になっていた。手術前後はコロナにかかったり肺炎で入院したりでてんやわんや、無事手術を受けてもまぶたが腫れ上がり、血だらけの顔はもとがもとだけにそれは凄まじい。このままお化け屋敷でアルバイトができると思っていたけれど、スカウトの声掛けはなかったのでひと稼ぎすることはできなかった。せっかくの顔を活かすこともできず、ヒリヒリしたり赤くなったりで残念!

それがやっと落ち着いてきたらなんと快適な。視力は年のこともあって良くはならないけれど運転時の見え方が違う。手術するときに目の下の皮膚のたるみもついでに取ってと言ったら、それは美容整形のほうで値段が高いと言われた。なぜ眼瞼下垂が安くてたるみ除去が高いのか?それは眼瞼下垂は日常生活に不便で目の下のたるみは別に不便ではないからだそうだ。なるほど、鼻が低いのも足が短いのも、日常的には不便ではなく、見てくれの問題だけだから保険がきかないのか。

今朝は手術後の経過観察日、もうすっかり安定しているので痛みもないし抜糸の残りもなくなっていた。すぐに終わって帰り道、都内から出る方だから道は空いている。中原街道の一箇所に朝の渋滞緩和のため中央ラインが一時的に変更になる箇所がある。それは道路の中央ラインがライトの点滅で移動したことを知らせるシステムになっている。道路標識もラインの移動を上から知らせている。

この道路を私はもう50年以上走っているからそんなことは百も承知。都内中心部に向かうほうが車線が増え、出る方は一時的に車線が減る。今朝はこちらが減る方を走っていた。最初はわかっていたけれど右折専用の箇所で他の車が右によっていったとき錯覚がおきた。そちらに車線が戻ったと勘違いしてそのまま直進、あっと思ってすぐに戻って事なきを得たけれど、その間5.6メートル。危なかった。

この区間は錯覚して逆走が多いと先日テレビでも取り上げていた場所なのだ。混雑時のほんの僅かな時間だけ変更するのは知っていたけれど、その区間が終わるときの対処がうまくできなかった。朝の時間帯にこの区間を自宅方面に戻ることはめったになく、慣れていないこともあったけれど、やはり注意散漫のお叱りを受けてもぐうの音も出ない。

台風の影響で雲が垂れ込めて頭が重い。ちょっと一眠りがずっと眠りこけ、電話の音で目が覚めた。

出てみたら音声ガイドでお宅の通信機器は間もなく使えなくなるとか、詳しく聞きたければダイヤル1をプッシュしてという。押すと男性が出てきてなんとかの某だが、お宅の携帯から大量の迷惑メールが送信されているけれど心当たりはないですか?と。まさか私が迷惑メールを撒き散らした覚えはないから「あなたどなた?」そんなことがあるなら文書でちゃんと送ってというとイライラしながら同じことを繰り返す。この電話番号に電話してくださいというから嫌だと断った。たぶんそこに電話するとなにかに巻き込まれそうだ。

そうしないとすべての通信ができなくなるそうで、世の中うるさすぎるから切れたほうがいいかも。それならあなたの会社の電話番号教えて、こちらから折り返し電話するからといったら、手を焼いたらしく突然ぷつんと通話が途絶えた。ご苦労さま、きっとフィリピンなどから電話しているのだろう。婆さん一人手玉に取るのは簡単なものさ。しかしもう少し頓珍漢なことを言って時間をムダ遣いさせてあげればよかった。こちらはどうせ暇だし。

その手の電話をしてくる輩は会社名を言っても役人を装おっても声で違うことがわかる。どこかやさぐれていて言葉遣いがおかしい。突っ込むとしどろもどろになる。そんなことで自分の大事な人生を一生暗く終わるか、努力してちゃんと生きて終わるかは自分しだい。もったいない、せっかく生まれてきたのに。
















2024年8月28日水曜日

フェにゃックス

不死鳥、不死猫 こちゃ。

今朝猫が私を呼んだ。「朝ご飯はまだ?」ん、のんちゃん?しかし声はサークルから聞こえたような。なにっ!コチャが立っている。前足を踏ん張ってしっかりとこちらを見てグラグラしながらも立っている。まさかの事態に私は口をあんぐり。

昨晩は「古典」の秋の定期演奏会のための練習が始まった。東京文化会館のリハーサル室に集まったメンバー一同。ヴァイオリンとチェロの新しいメンバーが二人、コントラバスのエキストラが一人、そして今回テレマンのヴィオラコンチェルトのソリストが急病のため、急遽代役を引き受けてくださったヴィオリスト。これだけの初顔合わせは以前の「古典」ではめったにないことなのに、滞りなく練習は進んだ。

非常に活発な意見の交換や質問や、コンマスの手際の良い対応に練習は滞りなく進んだ。今までの「古典」は前コンマスの意見ですべてが収まったけれど、これからは若いメンバーの意見も活発に出るような、そんな「古典」になってくれると思うのが喜ばしい。皆生き生きとテンポも一段階上がったようだ。隣の新人は私とは半世紀ちかくの年の差。しっかりとした技術と初めての参加なのに臆せず物言う活発なところが心地よい。こうでなくてはね。

私はこれで安心して「古典」を引退できる。

練習が終わり帰宅したときは22時は過ぎて、コチャの食事とトイレの限界。もう虹の橋はとっくに消えていたから安心していたものの、サークルの蔽いを取るのが怖い。しかしコチャはしっかりとした顔で私を迎えた。

目は瞬膜に覆われ足は立たないものの明らかに餌がもらえるのを期待している。まず猫介護用のエプロンをかけ、おむつの点検。そして大急ぎでペースト状の餌と水の噴射のためのプラスティック容器に餌と水を満タンにして、準備万端。猫もここまで生きると化け猫になる。コチャはすっかり心得て私の膝で満足気にくつろいでいる。夜更けの食事もだけれど、私に抱っこされることが殊の外嬉しいようだ。

そして今朝奇跡は起こった。たしか昨夜まで声が出なかったコチャが普通の声で私を呼んだのだ。これで何度目?しょっちゅうもうおしまいだと諦めることがあって、それでも未練たらしく今回もしばらく点滴をしてもらった。あまり効果は見られないからと諦めた矢先、気持ちの整理がついたと諦めていたのに。  もう餌は食べさせないようにしようと思ったのに。コチャにとって、私に抱っこされている時間は至福のときだったのだろう。白濁した目がこちらを見上げてくる。見えてはいないと思うのに、しっかりと視線が合う。

なんという生命力、痩せ細り 被毛はボロボロ、声も出せない状態なのに。おむつをされてサークルに寝かされて時々仕事で放置されても文句も言わず蘇ってくる。

不死鳥ならぬ不死猫コチャにエールを!

頑張れ!頑にゃれ!えいえいニャ~ン!









2024年8月27日火曜日

虹の橋

 今朝西の空を何気なく見ると大きな虹がかかっていた。

虹を見るのは久しぶり、大きな台風が近づいていて昨夜は強い雨が降っていた。野良猫のんちゃんは珍しくご近所周りもせず家の中にいた。雨上がりのベランダへ出たら雲が切れたところに明るい空がのぞいていた。しばらくして少し雲が増えてそこに虹の4分の一がかかっているのが見えた。

コチャは命の途切れる寸前で、もう鳴き声もあげられない。静かにサークルの中でその時を待っている状態ながらまだまだ元気。すごく生命力の強いおばあさんなのだ。もう自力では歩けないから・・・立ち上がることもできないから時々ご機嫌伺いに覗くと、半濁した目でこちらを見上げる。瞬膜が目の殆どを蔽い視力は無いに等しいと思うのに正確に私の目を見つめ返す。

ごはんたべる?と訊くとその目が「もちろん!」と応える。口をモグモグさせるのが彼女の意思表示なのだ。ペースト状のフードを吸引して喉にピュッと発射!それを喉の奥まで通すのは彼女にとってすごく大変な作業であると思える。少し待って水を同じように喉に発射する。これは鼻洗いの薬についていたプラスティック製の器具が便利。水を入れてちょっと押すとわずかに水がぴゅっと発射される。これならむせないで飲み込める。

昨日はほとんど食べる元気がなくてもうこのままおしまいにと思っていたけれど、すごい生命力、おそれいりました。

ほんの少しでも気は心、食べてくれるのは嬉しい。そしてしばらく横になって眠る。体が汚れているので手で触るのはちょっと汚いけど、昨日はお風呂場の洗面台で汚れたところを洗ってブラシをかけたらまだまだ姥桜、これが22か23歳とはとても思えない。身びいきかしら?体重はもう無いに等しい。骨と皮だけ。

生きる気力、食べる欲望が少しも衰えていなくて恐れ入りました。なによりも彼女にとって私に抱っこされて餌をもらえるのが嬉しそう。私は子供がいないからあまり体験はないけれど、赤ちゃんに食べさせるのはこんな気分なのかなと。汚くて見るからに臭そうな猫を抱くのは最初はためらったけれど、嬉しそうに白い目で私の顔をじっと見られると、なに、後で洗えばいいじゃんと汚さを忘れられる。

獣医師がコチャの歳を教えてくれたけど、22年前にその病院で不妊手術をしているから年齢はそれ以上。たぶん23歳という。カルテを見て彼自身驚いていた。「ご立派!」と。コチャは猫が嫌いで人間が好き。うちは多頭飼いで常に他の猫がいて、他の猫と接触しないように四六時中おしいれにこもっていた。玉三郎やモヤが死んでやっと一人で私に甘えられると思ったのに、また野良猫のんちゃんが来たのはさぞや心外だった思う。

その後虹は大きな半円形になった。

今朝虹を見てコチャが今日この橋をわたって天国へ行ってしまうのではと思ったけれど、先程サークルを覗いたら穏やかに息をしていてホッとした。もう立つことができないから虹の橋を歩けないのね。まだいかなくていいよ。ずっとそこで横たわっていらっしゃい。

















2024年8月22日木曜日

くにたちの会

毎年くにたち音大の オーケストラの仲間達が集まってコンサートをやっている。最初はそれぞれ楽器を持って集まってその場で組み合わせを決めてカルテットやソロを弾くという即興的な集まりだった。けれどいつもふざけていても根は真面目のオケマンたちは、そのうちちゃんと練習してくるようになって面白みが減った。

コンサートが終わって打ち上げ会場のくにたちの「天政」さんは数十年間私達にやりたい放題を許してくださった。大広間を開放、そこでも飲みながら食べながら誰かしら楽器を弾いているという楽しい集まりになった。むしろこちらが本番のようだった。

ところがコロナ以来参加者も減り、特に最初のこの会の言い出しっぺが亡くなって今年は演奏者も少なく、小部屋での食事となった。それはそれでまとまって全員と話ができて良いけれど、喪失感は否めない。つい数年前まで集まって昔話ができたおじさんたちが参加しなくなって、私達世代がそのおじさんおばさんの代になってしまった。最近参加を始めた若い世代は私達とは仕事上の接点もなく、ただひたすら若く可愛らしいお嬢さんたち。

はじめは今年の参加を見送ろうかと思っていたけれど、K子さんからお知らせを頂いたら気が変わった。K子さんは数年来の持病を押して幹事をしてくれているのだ。具合が悪いのに働いてくれているので、参加しないではいられない。相棒のピアノのSさんに連絡すると冷たく「あら、今年は出ないのかと思っていたのよ。連絡してこないから」言い放つ。自分はチェロの若い男性と組んで出るつもりだったらしい。悪かったわね割り込んで。

練習してある曲はシューマンのソナタ。それも第1楽章だけでごまかすことにした。毎年一人で数曲ずつ掛け持ちで彈いていた頃は大忙しだったのに、もう一つの楽章しか弾けない。けれどこの年で人前で弾けるというだけでも幸せなことかもしれない。大学で同じ先生の門下だった同級生も参加した。彼女はモーツァルトのソナタを演奏。年ごとに音に艶が増してくるのはご立派。

私は間もなく引退するつもりだからやめたら好き放題遊ぶつもりだけれど、雀百まで踊り忘れずというから、もし百歳になっても彈いているかも。今回参加した若いピアニストは私の相棒Sさんの教え子で、彼女は以前この会に参加したいと言ったらSさんから「まだ早い!」と言われたそうな。それを聞いて「わたしたちはもう遅い!だわね」と言ったのはこの私。もうなにもかも遅い?いやいやまだまだ遊びあきたらまたヴァイオリンに戻ってくるから、そのときにはちゃんとした曲をまとめたいという夢も持っておりますよ。コンサートを開くかもしれないし。

すごく恵まれた人生だったし人にも仕事にも十分楽しく接してこられたからもう良いかというと、まだまだなにか起こることを予想して待っている。人の欲望は終わることがないと痛感。それを実現するための努力ができる体力が残ってさえいれば・・・なんて、欲張りですねえ。

最近やっと体調が戻ってきたらしい。今年春の古典音楽協会の定期演奏会を終えた次の日から寝込んでしまった。眠って眠っていくら寝ても起きていられない。すぐまた眠る。それが10日間くらいか、そのくらいの時間だったと思うけれど眠り続けた。二年ほどの大変な時期に溜まった疲れや気苦労が私を眠り姫にしてくれた。そろそろ次の定期演奏会の準備の会合をという事になったけれど、その頃私にコロナ感染が見つかり隔離状態へ。姉が時々ドアの外においていってくれる食料で生き延びて2週間、やっと治癒したものの激しい倦怠感は続いた。

それでもなんとか生きていたけれど次に激しい咳が続いて入院、病名は肺炎だった。とても陰気な病院での耐えきれないほどの時間の生活、やっと退院を許されて家に戻っても微熱がつい最近まで続いた。ここ1週間くらい前から熱がやっと平熱に戻った。なんだかんだで六ヶ月絶不調。今までこんなに長く病んだことはなかった。

健康には自信があって、私の免疫力は強いと信じていたのも思い込みだと知ってすっかり気落ちした。それでもつい最近になってようやく以前の陽気さが戻ってきたのがありがたい。周りを見れば私の友人たちもなにかしら病気だらけ。悪天候やとんでもない暑さの続く最近の気候に悩まされ、半病人状態だった私。

久しぶりにくにたちの古い友人たちに会ったことがきっかけかもしれない。旧友たちはありがたい。コチャのことはもう自然に任せよう。無理やり口に食べ物を押し込まれてむせながら食事をしても状況が変わらないということは、もう治る見込みはないと。

私と暮らした22年間、結構幸せだったのではないかしら。私はもしかしたら医療関係の仕事も向いていたかもしれない。病人にはかぎりなく優しくなれる。いつもの頑固でドジな私は病人の前では天使になれるのよ。ね、コチャ?返事がない。

















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投稿遅延をお詫び申し上げます

前回の投稿からずいぶん時間がたつので心配する人から連絡を頂いた。 

今年春からずっと元気なく生きる気力もなくてダラダラしているうちにもうすぐ秋。nekotamaは尾籠な話で終わっちゃうの?と言われてなるほど、終わりよければすべて良し、終わりが悪いと胸糞悪い、てなわけでしてご心配くださる方々申し訳ない、私は元気に生きております。

しかし思うところが多すぎて処理しきれない感情が渦巻いていて、いっそのこと認知症になってしまったほうが楽だなあと思っていたのですが本当にそうなりそうで怖い!

テレビやネットの情報を見て、これは面白そうと思ったらすぐに話題にしていたのに、最近はその話題を書き留めようとパソコンの前に座ると「はて、何を書きに来たんだっけ」もう忘れているのですよ。困った困った。で、おぼえていることだけ書きますね。

私の相棒コチャは22歳あるいは23歳、せんじつ獣医師から「ご立派!」と褒められた。数日前から急激に食事をしなくなり、脱水症で点滴に通う毎日だった。しかし点滴だけで生きているのは意味がないから口から自分で食物を摂るようにしないといけない。そうでなければもう天国に行かせるか迷うところで、毎回猫の生き死にの決断は私にゆだねられている。この時期が一番つらい。

コチャは猫が嫌い。好きなのは人間。大好きな私が野良猫を家に入れて餌を与えているのが我慢出来ないらしい。私と野良はコソコソと物陰で食事をする。コチャは耳が良く勘が鋭いのでどんなにこっそりやってもすぐにバレる。野良に対抗するために私に猛アピール「私だってお腹空いているのよ」とばかりに。そして野良の食べ残しはコチャが平らげる。それが原因で体調を崩したコチャは数日前から食事が摂れなくなってしまった。

ある朝ぐったりとしたコチャを目の前にして私は考え込んだ。ここで治療を始めるといたずらに苦しみを長引かせることになる。けれど何もせずに放っておくのは自分の気がすまない。それが一番いけないことと知りながら動物病院を訪れた。

初めて私の猫を治療してもらいにここを訪れてから数十年、おじいちゃんの優しい先生、次の代の二人の息子先生、そして今孫の代の元気な先生ご夫妻、長いお付き合い。コチャはここに来ると気分が良くなると知っていて騒ぎもしない。点滴が始まって数日、気分が良くなったのかお腹が空いたらしいところを見計らってシリンダでペースト状の餌を口にいれる。その後すぐに水を飲ませる。

水は自分で飲むことができないので、人間用鼻洗いのプラスチックの器具を使う。水を入れてピュッと口に放射。少し食べるようになって元気になったコチャは口をもぐもぐさせてお腹すいたをアピールするようになった。時々よろよろと立ち上がる素振りも。しかし長くは続かなくなって、昨日食べさせすぎたか今朝はもう欲しがらない。

また余計なことをしたみたい。たぶん食事も排泄も今のコチャには多大なエネルギーの消費なのだ。ゆっくり静かに虹の橋を渡って猫の楽園に行かせてあげたい。けれど私はいかせたくない。揺れ動く気持ちは整理がつかない。