2024年8月27日火曜日

虹の橋

 今朝西の空を何気なく見ると大きな虹がかかっていた。

虹を見るのは久しぶり、大きな台風が近づいていて昨夜は強い雨が降っていた。野良猫のんちゃんは珍しくご近所周りもせず家の中にいた。雨上がりのベランダへ出たら雲が切れたところに明るい空がのぞいていた。しばらくして少し雲が増えてそこに虹の4分の一がかかっているのが見えた。

コチャは命の途切れる寸前で、もう鳴き声もあげられない。静かにサークルの中でその時を待っている状態ながらまだまだ元気。すごく生命力の強いおばあさんなのだ。もう自力では歩けないから・・・立ち上がることもできないから時々ご機嫌伺いに覗くと、半濁した目でこちらを見上げる。瞬膜が目の殆どを蔽い視力は無いに等しいと思うのに正確に私の目を見つめ返す。

ごはんたべる?と訊くとその目が「もちろん!」と応える。口をモグモグさせるのが彼女の意思表示なのだ。ペースト状のフードを吸引して喉にピュッと発射!それを喉の奥まで通すのは彼女にとってすごく大変な作業であると思える。少し待って水を同じように喉に発射する。これは鼻洗いの薬についていたプラスティック製の器具が便利。水を入れてちょっと押すとわずかに水がぴゅっと発射される。これならむせないで飲み込める。

昨日はほとんど食べる元気がなくてもうこのままおしまいにと思っていたけれど、すごい生命力、おそれいりました。

ほんの少しでも気は心、食べてくれるのは嬉しい。そしてしばらく横になって眠る。体が汚れているので手で触るのはちょっと汚いけど、昨日はお風呂場の洗面台で汚れたところを洗ってブラシをかけたらまだまだ姥桜、これが22か23歳とはとても思えない。身びいきかしら?体重はもう無いに等しい。骨と皮だけ。

生きる気力、食べる欲望が少しも衰えていなくて恐れ入りました。なによりも彼女にとって私に抱っこされて餌をもらえるのが嬉しそう。私は子供がいないからあまり体験はないけれど、赤ちゃんに食べさせるのはこんな気分なのかなと。汚くて見るからに臭そうな猫を抱くのは最初はためらったけれど、嬉しそうに白い目で私の顔をじっと見られると、なに、後で洗えばいいじゃんと汚さを忘れられる。

獣医師がコチャの歳を教えてくれたけど、22年前にその病院で不妊手術をしているから年齢はそれ以上。たぶん23歳という。カルテを見て彼自身驚いていた。「ご立派!」と。コチャは猫が嫌いで人間が好き。うちは多頭飼いで常に他の猫がいて、他の猫と接触しないように四六時中おしいれにこもっていた。玉三郎やモヤが死んでやっと一人で私に甘えられると思ったのに、また野良猫のんちゃんが来たのはさぞや心外だった思う。

その後虹は大きな半円形になった。

今朝虹を見てコチャが今日この橋をわたって天国へ行ってしまうのではと思ったけれど、先程サークルを覗いたら穏やかに息をしていてホッとした。もう立つことができないから虹の橋を歩けないのね。まだいかなくていいよ。ずっとそこで横たわっていらっしゃい。

















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