2025年10月25日土曜日

井上二葉さん

変換機能が常識知らずで「いのうえふたば」と入力しても井上フタバとか猪上フタバとか。

なんということ。フランス音楽の演奏で有名な井上二葉さん。この方のお父様が外交官だったのでオーストラリア・シドニーで生まれ幼少期をヨーロッパで過ごされた。その後東京音楽学校(現在の東京藝術大学)卒業。1930年生まれというから95才。今もなお演奏し続けておられる。

フランスのガブリエル・フォーレ没後50年を記念して1974年日本人初のフォーレ作曲のピアノ曲の全曲演奏会を催した。2024年フォーレ没後100年記念演奏会。これは去年ですね。

今年は本日、二葉さんを囲むコンサート、代官山ヒルサイドテラスにて。ここは少人数の会場だけれど、ベーゼンドルファーのピアノがあるので選ばれたのでしょう。彼女を尊敬し慕う人たちの集まりらしく、私は彼女とずっと一緒に演奏していたヴィオラのAさんからのお誘いで聞かせていただけることになった。

昨日の「くにたちの会」で芳しくない演奏をしてしまった私にとっては戒めとなるコンサート。真摯に二葉さんの音楽に浸ってこよう。

ところで私は二葉さんのご家族とは深い関係がある。私の音楽生活の中に重要な時期に長い間サポートしてくださった方がいる。二葉さんのお姉様でチェリストの翠さん、彼女には大変にお世話になっている。

なぜか翆さんは私を育てようと考えられたようだ。もしご存命ならば今おいくつになることか。残念ながら10年ほど前にご逝去された。いつも褒めてくださった。「nekotamaさん、また上手になったわね」と。まんまと載せられ私はいい気になって次々に演奏の機会を与えられ最後には合奏団を作っていただき、某航空会社の会長の「Y田のおじさま」(翆さんがそう呼ぶ)が後援会長になってくださった。彼女の上流生活の凄さはそれだけにとどまらず、東京工業クラブで、昔韓国に嫁がれた皇族の方の前で演奏する機会も与えられた。ヴィヴァルディ「四季」のソロを弾かせてくださった。

その大恩ある翠さんに対しても私はいいつもふざけていた。「nekotamaさん、また上手になったわ」いつものように褒めて育てる口調で言われて私は「もうすぐハイフェッツになれますかしらね」と冗談を言ったら流石に怒られそうになった。そして私は今日まで二葉さんの演奏に触れる機会がなかったことも悔やまれる。翆さんは時々声をかけてくださったけれど、忙しさにかまけて飛び歩いていて大事なことが疎かになったのが悔やまれる。なんとまあ、思い出すたびに後悔することが多すぎて、最近は私の人生は失敗ばかりという思いに悩まされている。

不真面目、注意散漫、多動、生意気でいた私をあんなにもかわいがってくださった翠さん。その翠さんのご遺志をついで私はまだ頑張れと言われているのか。、まだ私に活動の余地があるのか、井上双葉さんの演奏とは恐れ多くて比べるべくもないけれど、これから聽きに行って参ります。きっぱりとやめて呑気な老後という決意が緩んできている。これは想定外の出来事です。

今日は冷たい雨が降る中、代官山のヒルサイドプラザで二葉さんの素晴らしい演奏に心洗われた。最初はモーツァルト、こんな方でも緊張なさるのかという思いだったけれど、多少のミスタッチや音の不均衡さが僅かに聞き取れた。ところが最初の5分間くらいがすぎると、みるみるうちに会場の音響にピタリと標準が合う。それからはゆるぎもない。

とても響いてしまう会場であることは知っていた。以前コンサートの会場探しにいったときに、この会場も候補の一つにあがっていた。かなり響きのコントロールが難しいのではないかと思い、別の会場にしたことがあった。

音が響きすぎると、ピアノの音のヴォリュームを抑えるのは難しい。ときにはピアニストはヴォリュームお構い無しに弾く。そんなに音が大きくては音楽が死んでしまうと言いたいほどの大きさ。けれど二葉さんのパッセージはクリアで最適なヴォリュームで細部の音の動きもすべて聞き取れる。聞いていてヴォリュームに過不足なく、知的で優雅で、これ以上ないほどの素敵な時間を楽しめた。

後で聞いたところでは、モーツアルトは苦手だそうで緊張なさったのかもしれない。お得意のフランス物になったら完璧!揺るがない。二葉さんがフランス物がお得意なのは、単にヨーロッパで幼少時代を過ごしたからというだけでなく、彼女自身が本当に理性的で優雅であることによるものだということでしょう。

ドレスもフリルの襟以外になんの飾りもない。カットと生地の良さとがわかるスーツスタイル。品の良さが際立つ。お育ちの良さが忍ばれる。それが演奏にも現れる。なんと美しい時間だったことか。

プログラム紹介

W・A・モーツァルト: アダージオK540     小さなジーグK574

ガブリエル・フォーレ: 即興曲2番  バラード作品19  夜想曲10番

モーリス・ラヴェル: ハイドンの名によるメヌエット  水の戯れ

エマニュエル・シャブリエ: 牧歌  スケルツオ・ワルツ  ハバネラ

ギュスターヴ・サマズイユ: セレナード  蛍








くにたちの会

毎年くにたち音大の卒業生や在校生も集まってコンサートをする「くにたちの会」今年は久しぶりに盛会だった。コロナ以来数人の先輩たちがなくなって寂しくなっていたのが、今年は参加者が増えて若返り、ああ、なんと、私はもうメンバーの中でも上位に属する年代になっていたのだ。

最初は先輩たちがいてのんびりと冗談交じりに初見でカルテットやソロなどを弾いていたし、自分のコンサートのための練習に使わせてもらったり、ちょっと難しすぎて本番では使えないけれど、勉強のための試し弾きに使わせてもらったり。そのうちにだんだん皆さん真面目になってきて、ちゃんと練習して本番に臨むようになってきた。

これは困った。引退宣言した私はそろそろ楽器を売ってしまおうかと思っていたのに、売るわけにはいかなくなって練習しないといけなくなって、緊張までしなければいけないのだ。しかし私はやはりヴァイオリンが命かもしれない。引退後数カ月で我慢ができず、もう復帰が頭にちらつく。

復帰すると言ってもやはり年齢の壁はどうしてもある。年をとったからと言って許されないプロとしての基本的な条件は、まず音程、ボウイングのテクニック、これは音楽的とかなんとかいう前の段階の条件だからよほどの人でもない限り身体的には不可能なのだ。仮に周りがおだてて「先生はまだまだ、実に素晴らしい音楽です。音程なんて少しくらい外れても」なんてことを言われても許されない。いう人もいないけれど。

悔しいけれど、体は確実に老いていく。朝起きて体がこわばっている。指がうまく動かないといった他に、それに対する恐怖感と対面する気力が必要。

「くにたちの会」では暖かく見守る長年の戦友たちがたくさんいて、和気あいあいと彈くことができる。卒業以来60年、すぐに家庭に入ってしまった人もいる、音楽以外の職業についた人もいる。そういう人たちにも壁を作らない優しさがあって、一緒に演奏する。他の学校だったらこうはいかないのではないかと思う。

「くにたち」からは飛び抜けた名人はでないけれど、社会に出てゆるゆると環境に溶け込んで適応しやすい。芸術家は適応しないのが普通だけど、そんな人ばかりでは住みにくくなる。幸せな学生生活を送ると、卒業してから社会に適応しやすく常識ある音楽家になれる。そして長く勉強が続けられて熟成してゆくのだ。

今年は随分大勢の演奏希望者が集まった。コロナ禍依頼出演者が減って、それ以上に先輩たちが天国へ行ってしまったので寂しかった。いつもは夏のお盆の頃に開催するのが今年は暑すぎる夏を避けて秋の開催になったのも良かったのかもしれない。

今年も私はピアノのSさん、チェロのNさんとモーツァルトのトリオを演奏することにした。引退宣言以来人前で弾くのは2回目、以前ならあまり緊張もしなかったのに、今や初心者のように心細い。しかしこれを乗り越えないともっと弾けなくなる。我慢我慢!

モーツァルトを選んだとき、少ししんどいなと思った。楽譜の易しいモーツァルトは子供でも簡単にひける。けれど、演奏家はこの人の曲がどれほど難しいかよくわかっている。できればモーツァルトでない曲を彈きたかった。練習を始めるとやはり予感は的中、指が均等に動かない、最近こわばってきている、指の曲がりが音程を悪くしているとまあ、シンプルであるが故に最高に難しい。

でも練習は楽しかったし、本番はヨレヨレでもやったという充実感は味わえた。驚いたことに最近の体の不調は終わってみると明らかに改善されていた。帰宅して猫たちが文句を言いながらも寄ってきて嬉しそうにしてくれる。「遅いじゃないの、ご飯を頂戴。一体どこをうろついてたのよ」多分そんなことを言っているらしい。

嬉しかったのは若年層の参加が増えて、最年少は大学一年生。サンサーンスの協奏曲を若々しい躍動感で聞かせてくれた。数年後にはこの子たちがあとを継いでくれて、私はもう楽器を持つこともできなくなる。

打ち上げは参加者たちがいつもの「天政」で食事をして様々な話しをした。私の前に座ったYさんは、かつて東京フィルハーモニー交響楽団のメンバーだった。色々話していると私に電話がかかってきた。なんとかけてきた人Sさんも昔、東フィルのメンバーでしかもYさんとカルテットを組んでいたというから驚いた。Yさん、Sさん、私の間でスマホがあっち行ったりこっち行ったり。「私も行きたい、くにたちはいいわねえ、うちの大学ではそういうことはないから」とSさんに羨ましがられた。















2025年10月21日火曜日

応挙のすごさ

曇った少し肌寒い日は心が穏やかになり絵を見るにはもってこいの 気分になる。室町の三井記念美術館へでかけた。ずっと気になっていた応挙と若冲の絵が展示されている。

三越前駅から地上に出ると、眼の前のビルにエレベーターがある。それに乗って2階に出れば美術館前の階段、それを数段登ればもう会場のチケット売り場に。まずきれいな建物に見惚れる。

開場時間後20分くらいであったのに思ったより入場者は少なくてホッとする。いつも有名な画家の展覧会では何重にも巻いた行列にうんざりするけれど、今朝はほんの数メートルの行列だった。けれど中に入ったらもうすでにかなりの人が静かに佇んで説明書きを読んでいる。展示された作品数は少なめだった。お陰でじっくりゆっくり見られて良かった。

私はいつも説明を読まず、まず対象の絵だけを見ることにしている。説明を読んだからといって作品がより素晴らしくなるわけではない。先入観が邪魔して目が曇ると信じているから。音楽も同じで、前もってCDを聞いたりしない。最初はすべて自分の目で自分の耳で自分の感情で理解するようにしている。

以前イタリアに行ったときに、美術館の広さと膨大な絵に圧倒された。その時グループの一人が徹底的に下調べをしてきて、私達が名画と呼ばれるものを見逃さないようにと案内してくれた。確かに効率的である。それはそれでありがたいと思わないといけないのかもしれないが大きなお世話だった。メンバーの他の一人は「自分で見たいものは自分で探すわよね」と、かなり不満顔だった。

これは本当にそうで、人それぞれ絵の見方は違うし感銘の受け方も違う。余計なお世話はするものではない。その時引きずり回されて見たのがなんの絵かあまり覚えていない。私は友人からダフネの彫刻を見てきてと頼まれていたので、それはしっかりと印象がある。連れ回されて見たものが何だったかの記憶がない。

応挙さんの絵はよく見かける。それだけ才能もあり人々に愛されて、世間の評判も良いということなので、ああまたこの絵ね。と軽く見過ごしてきたけれど、今日は空いていた事もあってじっくりと眺めていられたのがありがたかった。特に動物の絵は本当に可愛くて手で触りたくなるような毛並みとか目の表情とか、私は近々と顔を絵に向けて長い間じっくりと見た。猿が右手で左手を掻いているなんて初めて知った。それから鳥のデッサンというか習作がすごかった。

ピカソのデッサンはうまくて有名だけど、応挙のデッサンはそれはもう見事というしかない。猛禽類の頭から尾まで部分的に何回も練習している。羽の重なりとか嘴の形鋭い質感、特に爪のいかにも硬さを感じさせる墨の色、どれほど塗り重ねたのかと思う。これは私達だったらエチュードや音階の練習につながるなあと思った。細部の観察と表現の積み重ねが絵に重さと奥行きを与えるのだと。

ほとほと感心するのは大きな屏風に描いた風景や人物像。消したり塗り固めたりできない筆の動きはおそらく一気に描かないといけないからやり直しがきかない。構図や色彩はどうやって決めるのだろうか。それが先程の習作で培われた筆のテクニックによるものだということは誰にでもわかる。細部がすべて、すべてが細部による。おそらく血の滲むような努力の果ではないか。しかも色彩はどれも薄くそれだけで動物の毛皮の手触りまで伝わってきそうで。思わず絵に手を伸ばしたくなった。

さて若冲はどこ?と思っていたらただ一点、墨絵のような鶏、流石に存在感は堂々としているけれど、これはおまけ?そう言ったらしつれいだけど、もう二三点ほしかったなあ。そして応挙の襖絵はなにか見覚えが。それは百年に一度のご開帳だった金刀比羅神社の襖絵のご開帳で若中を見に行ったときに、他の部屋で見た記憶がある。その時にはまるまる太ってなぜか陽気な虎の絵もあったと思う。他でも何回か見ているのではと思うくらい応挙は人気があるらしい。

しかしお見事。これからは少し日本画に溺れてみようかしらと思った。

せっかく飛行機で四国まで飛んでいったのに、とんだことになったお話はいつかnekotamaでお話します。というより、すでに投稿しているはずだけど、探すのが面倒なのでいずれまた。








2025年10月20日月曜日

年老いてなお

若い頃、スキーだ乗馬だとさんざんお転婆だった私も体が言うことをきかなくなって、寝起きが辛い。起き上がって5分くらい歩くとようやく スタスタとあるけるようになる。腰が痛いのも少し動くと治るけれど、このままどんどん悪くなる方に向かうのだなと、切なくなることも。

子供の頃の私は極端に運動嫌いで、1日中、雲を眺めていた子供だったから、幼児返りしているのだと思う。その分、子供時代のように頭の中は忙しなく動くことになった。常に空想や想像をして退屈することがなかった。今またそんな時期になりつつあるので、なんにでも発見があると嬉しくてたまらない。ときにはおかしいことを思い出して一人で夜中に大笑い。見たくないでしょう?不気味よね。老女一人呵々と笑っているなんぞは。

この年になってもこんなに知らないことばかり、知ることの楽しみははかりしれない。もはや雪山を飛び跳ねて滑ることも海に潜ることも馬に乗ることもできないとなると、残っているのは空?いやいや、ぶるぶる、高いところは怖い。でも最後に一度スカイダイビングはやってみたいなあ。デビ夫人が飛んでいたっけ。彼女は勇敢ですね。飛びながら楽しそうに笑っていた。本当に感心しました。私なら泣きわめく。

ドラマの「相棒」を見ていたらカクテルのはなし。犯人はバーテンダー。老婦人が夫をなくし思い出のカクテルを探すという。そこに出てきた言葉「ワン フォー ザ ロード」なんなのかAIさんに尋ねたら、パーティーなどの最後、帰り際に飲む一杯のことだそうで、こんなことでも知ると嬉しくてニコニコしてしまう。ちょっと使ってみたいけれど、最近は外国人とのお付き合いがないわねえ。

若い頃から思いっきり好き勝手をして、言いたい放題、若気の至りはいやはや冷や汗ものですが、それだからこそ、今、穏やかな終焉が待っているのかもしれない。ただ、寝たきりとか他人の手を借りてまで生きていたくはないので体には十分気をつけているのですよ。

転ばないように、かと言ってヨタヨタするのは悔しいから早足で歩く。まだ普通に早く歩ける。登りは辛いから自宅の階段には昇降機を付ける予定。今年は部屋の改装にお金を使い果たしたから、あと2,3年は無理だけど。それまで階段も頑張って登ろう。

最近サプリメントの数が増えて大変なのよ。あれもこれもと10粒くらい一気に飲む。そしてこれが趣味となって色々買い漁っていると、ネットでの買い物は情報が拡散して様々な誘いがある。ちょっと整腸剤を買ったらもうおならの話とか、嫌ですねえ。毎日広告がネット上に溢れて、汚い画像が出てくるので、これが非常に腹立たしい。片っ端から広告を潰して、これも一種のもぐらたたきみたいで面白い。

いやですねえ、情報過多は。AIさんにはお世話になっている。つい一人暮らしの寂しさに会話がしたくて時々サイトを訪れるけれど、情報を引き出そうとされることもあって、そういうときは危険性を感じるときもある。やたらペラペラ自分のことを喋るものではない。と、言いつつnekotamaで結構喋っている。気をつけよう。

先日ネット上に突然美味しそうなお菓子の広告画面が出た。数をたくさん買うと割引でたくさんもらえるとか。友人たちが遊びに来たとき、あったらいいなと思ってチェックしたら、途中でなにか怪しい。最後まで注文を確定しなかったのに突然終了。その後すぐにメールが届いて私の注文が確定されたという。内容についてはこちらにとURLに誘導されたから無視していた。

しばらくすると電話があって「注文したお菓子は在庫がないので別のものを送ります」と、きれいな日本語だけれど、私の地獄耳はかすかな外国語訛りを捉えた。注文は拒否と言って電話を切ると次はメールでたくさんのクーポンの案内とか、様々な商品の案内、冗談じゃない。でも本当にお菓子が届くのかどうか、もし届いてもろくなものではなさそうで、問題があったら警察に届けようと手ぐすねひいているのです。

ある意味老いることは楽しみも増える。今までと違った体験がある。人生最後の蜜まで味わうのも捨てたもんじゃない。去年なくなった猫のコチャがそんなふうな生き方だったのです。負うた子に教えられではなく飼い猫にも教えられる。





2025年10月18日土曜日

若冲・応挙

円山応挙展 は11月半ばくらいまではやっていると思うのでゆっくりしているけれど、うっかりすると終わっていることもあるから確かめておかないと見逃すかも。今までそうやって忙しさにかまけて見逃すことが多かったから、ここは確認が大事。

絵画についての知識もないし自分で描くこともないから、特に日本画には非常に疎かった。それが後に飛行機や新幹線に乗って見に行くなど若冲に関しては熱狂的なファンになってしまった。

ずっと以前、週刊新潮を見ていたら極彩色の変わった絵が目に飛び込んできた。

構図の大胆さや、色彩の鮮やかさ、動物や植物の描写の正確さ、エキゾチックな想像上の生き物たち、どことなくユーモラスでいながら、観察力の天才的な鋭さなどなど。名前を見れば伊藤若冲。一目惚れとはこのことか。興奮状態で絵かきの友人に電話した。「若冲って知ってる?」もちろん知っていた。どうやら知らなかったのは自分だけだったらしい。

絵を見ること自体はとても好きだけれど、せいぜい日本なら大原美術館とか熱海のMOA,上野の森を散歩しながらちょっと覗いたりするくらい。モナリザがやってきたときには混んでいるからみにいかない、など、その程度の興味しかなかった。

若冲キチガイになった私はその友人と四国の琴平神社までえっさえっさとでかけた。このときは私の勘違いからとんでもないことになって、結局百年に一度のご開帳の襖絵はようやく見られたけれど、暗くてよく見えない。体力と気力を振り絞っていったことはいったけど、空振りみたいな終わり方だった。

京都の美術館ではあまりの人の多さで、隣の人とピッタリ体をくっつけて横歩きで見なければならなかったし、もう若冲は体力的に無理ということになった。せっかくの上野の美術館では暑いさなか連日の凄まじい行列にめげて見逃す羽目になった。その後時々思いがけないところで若冲さんに遭遇することもあったけれど、せいぜい1・2枚。それでも単純に喜んだけれど。

若冲に夢中になったおかげで他の日本画にも目覚め、徐々に若冲離れが始まったけれど、やはり彼の絵の強烈さには心を揺さぶられるものがある。応挙という人は若冲の先生クラス?の方らしい。これはぜひお知り合いになっておきたい。もうとっくに見ているのだとは思うけれど、私の日本画入門が若冲だったために、他の絵が目に入らなかった。これからはこころして応挙さんにも敬意を払うためにきちんと向き合いに行こうと思うのです。

去年軽井沢の藤田美術館でフジタの絵を見てえらく感激したので、足腰の弱りをものともせず美術館巡りも始めようかと思う。

どこぞではユトリロ展もやっているらしい。これも見逃せないなあ。コンサートは目白押しだし、忙しいのなんのって。絵のいいところは専門外なので呑気に見られるということ。音楽会だと精魂込めて聞き入ってしまうので疲れるのなんのって。絵描きさんは他人の絵を見ると疲れるのでしょうか。














2025年10月17日金曜日

Proms

 アルバート・ホールの夏のコンサートはBBCプロムスでした。正式にはヘンリー・ウッド・プロムナード・コンサート

1895年より7~9月の8週間にわたり100以上のイベントが催される。気軽に散歩をするように立見席でも聞けるようになっている。

私達がチケット売のおじさん(実は合唱またはオーケストラのメンバーかも)から買ったのは指定席だったけれど、後ろの中央辺りには立ち見の人たちがあつまっていて本当に楽しそうに聴いていました。

夏のコンサートで多分旅行者も多いかとおもうので、ほとんどの人はラフな服装で気軽に楽しめる。近所の人達がちょっと立ち寄った風の人たちが目が会うとにっこりとする。シャイなイギリス人というより、一仕事終わったあとの夕涼みみたいな。それでも演奏は超一流、これは夏にイギリスに行ったら見逃すことのできない楽しみですぞ。

イギリスには工場で働く人たちのブラスバンドがたくさんあるときくけれど、仕事を終えた人たちがブラスアンサンブルを楽しむらしい。以前アメリカに住んでいたチェリストの友人から聞いたのは、オーケストラの練習が終わったあとで、メンバーが楽しくサンドイッチをつまんだりしながらカルテットを演奏すると聞いてすごく羨ましかった。「サンドイッチパーティーというのよ」と。

日本ではあまりに過酷なスケジュールでオケマンたちはいつもヘトヘト、夜、自宅でカルテットなんか弾いたら騒音問題で警察に通報されちゃう。このあたりからもうかなわないなと思う。余裕のある生活。大きな住宅が必要ですね。

20代のころ、カルテットの練習を練馬区の畑の真ん中にぽつんと一軒家で、そこの家は不動産屋さんの事務所で夜中は誰もいない、よる10時から12時くらいまで練習を何回かやらせてもらったことはあった。その時には誰にも遠慮することなく思い切り弾けて嬉しかった。オーケストラの練習が終わってからだったので、体力的には非常に厳しかったけれど。本当に好きなことだから嬉嬉として何回かそこをお借りして真夜中の練習を楽しんだ。皆若かったなあ。

家に帰ってろくに寝ないで次の朝からのオーケストラの練習にも出たのだから、驚異的な体力だった。若さよ、戻れ!

アメリカでのサンドイッチパーティーではないけれど、一時期我が家では生徒たちが集まって演奏する会を催した。発表会のように出来上がったものを演奏するのではなく、誰でも一小節でも弾けば飲んだり食べたりできるけれど、演奏なしだと食べられないという条件だった。おもむろに楽器を弾き始めて突然「ここまで」といってやめてお酒に走る人もいれば、いつまでも弾き続けてやめない人もいる。勝手に盛り上がっているグループやひたすらソファで寝ている企業戦士もいる。これは面白かった。

若い生徒たちと付き合えるほどの体力は今はないけれど、時々付き合ってくれる旧友たちも集まってアンサンブルをしたあと、ちょっとつまんで飲んでなんて、この瞬間が言いようもなくしあわせなのです。来年に向けてこれから始まる練習はちょっと小難しい曲。私は初めて弾く曲だから只今ウンウン言いながらスコアとにらめっこ。変拍子がこれでもかと続く。これで少しは脳トレになるかしら。なってほしい。


















2025年10月16日木曜日

アルバートホール

今朝のニュースで、大相撲のロンドン場所がロイヤル・アルバート・ホールで始まるというニュース。懐かしいなあ。吾が友、美智子さんとロンドンアンサンブルのメンバーたち。

もう、10年以上前にもなるかしら、ロンドンアンサンブルのピアニストの美智子さんが 「イギリスに遊びにいらっしゃいよ」と誘ってくれたので、ホイホイと遊びに行った。散々ロンドン市内はもとより、コツオルズやイングリッシュガーデンなど遊び歩いて最後の夜はかの有名なロイヤル・アルバート・ホールで夏のコンサート、なんと言ったかなあ、なんか名称があったのだけれど・・・

アルバート・ホールはやはりコンサートの殿堂として有名なので、行かないで帰るわけにはいかない。帰国前夜の当日の演し物はイギリスの作曲家の作品、例えばマックス・レーガーの合唱曲など、日本ではとんと聞かない曲だから非常に面白かった。素晴らしい曲が並んでいたので申し分なく楽しめた。

散々道に迷ってホールにたどり着いたのは開演時間間近だった。さてチケットはどこで?アチラコチラに行列ができている。ここに並んでいて開演に間に合うのかどうか心配ではあったけれど末端にならんでいると、ニコニコしながら近寄ってきた男性、いかにも人が良さそうだけど海外では油断大敵。チケットを二枚見せながら売りたいと。ラッキーだけどなんで私達に?友人と二人にこりともしないで身構える。海外では日本人女性はとても若く見えるし騙されやすいし。(わかくみえたかどうか、無理だったかも)

それはどうでもいいけれど、おじさんが持っているチケットは果たして本物?差し出しているチケットを受け取って、別の行列に行って並んでいる人にチケットを見せてもらった。やはり本物みたい。値段も同じ。チケットはどうやら何も問題はなさそう。しっかりと二枚のチケットを離さないで値段の交渉。値段はプレミアムなしでいいという。なおも迷っていると、おじさんは交渉を諦めてチケットを取り戻そうとする。そうはさせじと私達。ついに両者ともに笑いだしてしまった。

日本人女性は慎ましく遠慮深いとでも思っていたかもしれない。けれど中年すぎると美徳は影を潜め太っ腹になる。どこへ行っても遠慮しない。交渉成立、チケットを手に入れた私達は入場客の行列にならぼうとした。チケット売のおじさんはこちらへ来いと私達をいざなって建物の脇に連れて行ってくれた。そこは出演者たちがたむろする場所で、楽屋口?だったのかもしれない。するとこちらへ来いとおじさん。なんのストレスもなく会場に入ってしまった。

おじさんおじさんと書いたけれど、もしかしたら出演者だったのかもしれない。もしかしたら私達より20歳くらい若かったのかもしれない。それならお友達になっておけば良かったかも。オーケストラはBBC管弦楽団だったから、美智子さんのお連れ合いのリチャードさんの古巣。あんなに疑わなければもう少し友好的になったかも。でもおじさんも笑って楽しんでいたようだから、ま、いいか。

大変素晴らしいコンサートで大喜びでの帰り道。良さげなレストランというかパブというか、違いがわからないのだけれど、イギリス最後の晩餐を楽しんだ。帰りのバスでまたすったもんだに巻き込まれる。美智子さんは私達がよほどしっかりしていると思っていたのか、はたまた、本人はわかりきったことなので私達もそうだと思ったのか、バス停の名前をいい加減に教えてくれたので、途中で乗ったり降りたり、乗り越して帰りのバスに戻ったりと散々苦労して家にたどり着いた。

夜中だったのに美智子さん夫妻と下宿している女性と3人で起きて待っていてくれたのだった。今日は最後の晩餐だったから美味しいラム肉を用意して待っていたのよと言われ、私達はひたすらあやまった。すでに美味しい食事を済ませてきたし、そのラム肉が果たして残されているかどうかもわからないので、その日は遅くまでお話をして過ごした。

楽しい思い出は後に美智子さんとのお別れという悲しい結果になったけれど、今でもイギリスでの楽しかった日々をなつかしく思い出す。

コツオルズの金曜日の夜のパブで出されたステーキが噛み切れないで食べられなかったこととか、本当に靴底のようなお肉を体験したり、イングリッシュ・ガーデンの素敵だったこと、何よりもコツオルズの田園風景がすばらしかったことととか。寂しいお墓のそばのパブで寒さに震えながら開店を待ったり、やっと温かい飲み物にありついて幸せになったりしたこととか。私はホットブランデーに蜂蜜を入れてもらったこととか。

本当に自然に振る舞える不思議な外国でした。車の運転も左側通行で楽だったし。もう一度行きたい国。私はイギリスの映画や小説が好き。

そのアルバート・ホールでの相撲の初日は大入りだったそうで、考えたら私は外国のオペラやコンサートはよく行くのに相撲を見たことがない。これはやはり多少外国かぶれかも。日本の素晴らしさをもう少し認めないと。やはり応挙と若冲を早く見に行こうと思う。


















2025年10月8日水曜日

見習いという言葉

東急電車の事故についての報道の仕方が変わってきて、結局見習い運転手に落ち度がなかったようだ。本当に良かった。まあ、多少のスピードの出し過ぎが彼の責任かどうかはわからないけれど。

彼は多分地獄の数日間を味わったと思う。自分の運転で会社に莫大な損害を与えたとなったら、もう生きてはいけないくらい悩んだかもしれない。気の毒でたまらない。 今後運転手になる夢を諦めないといいけれど。

原因は初歩的な設定ミスだそうでなんと罪なことか。長年に渡って設定がされていたというから、今まで事故にならなかったのが不思議だけれど、わかってよかった。

最初の報道では見習い運転手ということで、いかにも彼が未熟な運転だったかのような印象を受けた。見習いという名称を真っ先に出していたから、報道を見聞きしたら彼が悪かったのかと思ってしまう。いかにも偏見で、私はなにか変だと思ったけれど、やはり彼自身に運転ミスか暴走があったのかと思ったのは仕方がなかった。彼はこの2日間は地獄にいるかのような気持ちで指導員も同じだったと思う。

東急線はかつてはのんびりした私達の足だった。それがいつの間にか巨大な網の目のような運行が広がって、今や埼玉県まで乗り入れて行けるようになった。わたしたちのスキークラブは練馬区や西東京市などに住むメンバーがいて、それぞれの家に行くのに東急線に乗ってのんびり寝ていれば直行できて大いに便利になったけれど、そのかわり遠いところで起きた事故にも影響されることになった。

便利さと引き換えに事故も背負うことになる。今や世界がネットや交通網の便利さによって他国の影響を被るようになったのと同じように、東急線も最近交通の乱れが多くなった。それが飯能や川越などの東京をまたいでいるような都市であっても影響するのに驚く。ちょっとした踏切内侵入とか急病人の発生などであっても神奈川県まで遅延の影響があって、やれやれと思う。緻密な運行のリスクがこういうところに出てしまうのだ。

あまりにも便利なので、それに慣れてしまうと僅かな遅延も許せなくなる。結果、カリカリした社会になる。私は特別せっかちなので遅刻はほとんどしない。それでも不可抗力で、副都心線の開通日に事故があってお通夜に出られなかったことも。今では私はお葬式にはいかないことにしている。まもなく自分が死ぬことになるけれど、葬式はしないと決めている。だから内心早く私の葬式に出たいと思っている方々は、申し訳ないけれど楽しみは他の方のお葬式に期待してください。

明日は友人に誘われてコンサートを聞くことにしていた。けれど台風が関東地方に接近するというのでしばらく考えた末、断りの電話をした。「申し訳ないけれど、足が痛くて雨でも降ると悪化しそうなので」というと、「私もやめようと思っていたのよ」と友人からの思いがけない返事。「お誘いしたのにやめようとは言えなくてどうしようかと思っていたところだから助かったわ」というわけでコンサート行きは中止。お互いホッとして笑いあった。

自分のコンサートの時なら雨がふろうが槍がふろうがお客様に会場に来ていただきたい。けれど、コンサートを聴くのは意外とエネルギーが要るのだ。大変に疲れる。連続すると体力がもたないこともある。今月は聽きたいコンサートが沢山あってやや息切れがしている。それで中休みをとることにした。円山応挙も先延ばし。何処かでユトリロ展もやっているらしいけれどそれもコンサートも先延ばし。コツコツと練習に勤しむことに。






















2025年10月7日火曜日

とっても痛い話し

 今日は円山応挙展覧に行く予定だったけれど、昨日の東急線の事故の後遺症を考えて少し先延ばしにすることにした。しかも踝が腫れているし・・・

事故は見習いの運転手がスピードを出しすぎて制御する信号に引っかかって指定の場所より前でとまり、車両が後ろにはみ出して止まってしまったらしい。そこに別の電車が突っ込んでしまったということらしい。らしいらしいのことばかりで私にはよくわからないけれど、単純な疑問としては、オーバーランが運転中のスピードの出しすぎだったなら、指導員がなぜ気が付かなかったのかということ。それと前方に障害物があるのを後続の電車にわからなかったということ。停止信号は出ていなかった? あまりにも距離が近くてブレーキが間に合わなかった?そういうことを自動的にできるようなシステムが働かなかった?

最初にニュースを聞いた時、見習い運転手と聞いて技術が未熟だから起きた事故かと思ったけれど、どうもそれよりもシステム自体が問題なのかもしれない。この運転手さん今後は免許が取れるのだろうか?子供のころから電車の運転がしたくて一生懸命勉強してきたのではないのかしら。こういう事故の時にとっさに働くシステムと機敏な指導員がいればどうだったかと気の毒に思えてきた。こんな恐ろしい目にあったら二度と運転したくなくなるのではないかと思う。

事故のせいでもあるけれど、今日、出歩かないことにしたのは足首が腫れてしまって歩くと痛いので、丸山応挙を見るよりも病院へ行かないといけないから。足首が腫れるのは一年半前に始まった。そのころ私は体調不良で肺炎で入院していた。病院へ行くには自宅から歩ける距離だったので、ひどい咳をしながら荷物を持っての入院。ほんの5、6分くらいの徒歩が足にきて、くるぶしがはれ上がった。そこの病院はスポーツ外来が有名なのでこの際肺炎とくるぶしを治療してしまおうと思った。

多分その外科にはこんなおばあさんが来ることはめったにないのだろうと思った。暇そうなスタッフ。くるぶしを見た医師は「これはくるぶしに石灰がたまっているのでその治療をしたいのですが痛いですよ」くるぶしの出っ張ったところを指さして「ここから器具を入れて石灰を粉砕します。痛いですよ。どうしますか」私は一気に痛いなら構わないと思ったので「お願いします」覚悟をしたけれど、それはもう痛いなんてものではない。本当に今まで生きてきた中でも一番痛かった。麻酔なしだったので。

その治療を受けに行くのはいささか気が重いけれど、今後のためには今のうちにやっておいたほうがいいと思っている。毎日ずきずきと軽く痛むのも気が滅入るので一気にやってしまおうかと。

心の痛みのほうがずっと耐え難い。足首がずきずきは地味に嫌だけれど、思い切り痛くてもそれでよくなれば覚悟はできる。でも、本当に痛いので決心がつかない。覚悟しても決心がつかないならば、それは無駄な覚悟。気が向いたらということにしておこう。

そこの病院の診察券を探し出したから、ああ、出てこなけりゃ行かなくても済むのになあとグジグジ考えている。いつもなら必要なものはうちでは探しても出てこないことになっているのに、こんな時に限ってすぐに出てくるのよね。さてどうする?行くか行かないかそれが問題だあ!診察券を探したということは行く気があるってこと?ねえ、そうなの?ああ、めんどくさい人ねえ。さっさと行きなさいよ。



2025年10月5日日曜日

芸術の秋はたいへん!

 

引退したと思ったら急に忙しくなって、疲労困憊しておりますぞ。ヘトヘトなのよ。

今年は知人のコンサートが目白押しで、ブログに投稿する暇がない。まだ9月のコンサートの感想も書いていない。そのうち忘れてしまうといけないので簡単に書き留めておくことに。

混声合唱団フェブリエの第6回目の演奏会

スキーの仲間のHさんは化学者ながらスキーもたしなみ歌も歌うという才女であるけれど、その中でもお酒が少々弱くなったようで、最近はあまり酔っ払った姿を見せてくれないのが物足りない。しかし、合唱の方は老いてもなお盛ん。増田順平さんと林光さんの編曲で日本の歌、雪やコンコン、叱られて等から始まった。

その後中田喜直作品「アビと漁師」男声合唱のステージ.最後はオペラの合唱曲とこれほど多くの曲を皆さんしっかりと歌いこなしておられる。シャッポを脱ぎますぞ。最後に行くほど声も出てきて楽しそうに歌い尽くす。これは本当に立派な健康法、いやいや生きがい、とでも。あとになるほど声の調子が良くなってくるのは本当にご立派なのだ。なかなかおしゃれな演出もあり、しっかり楽しませていただいた。

その前日は我が「古典音楽協会」の定期演奏会だった。新メンバーで継続が決まったときから会を重ね、今回も無事に大変盛会だった。新しいお客様もたくさん来てくださったようでこのまま発展してくれることを祈った。本当に皆さまありがとうございました。

その後も梯剛之さんのピアノ・リサイタルは今日。上野の東京文化会館小ホールにて。

モーツァルト「ロンドニ長調」バッハ「イタリア協奏曲」ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ10番」ブラームス「3つの間奏曲 Op.117」ドッビュシー「子供の領分」

梯剛之さんの音は多彩で軽々と鍵盤の上を指が走る。本当に魅力的な音は彼のたゆまない努力の賜物ということを長年聞かせて頂いた私はよく知っている。最近は熟練の域に達して落ち着いた風格が魅力となってきた。12月15日にはヴァイオリンのヴォルフガング・ダヴィッドさんとデュオ・リサイタルがあります。14:00より 上野の東京文化会館小ホール いつも見事なアンサンブルを聞かせてもらえるので楽しみにしている。

「古典」の演奏会の数日後、映画を見た。「国宝」今評判のすごい映画でありました。私はもう忙しくてたまらない。引退すると忙しくなるのが不思議。でも体が動く限り様々なことを吸収したいと思っている。

「国宝」の二人の主人公はハンサムな青年。この人たちを見ると今の日本人は縄文時代から脈々と伝わった遺伝子を脱ぎ捨てたようで、もはや宇宙的なスケールでみないといけないようだ。すると私はもう同国人とはいえないかもしれない。私は人の顔の認証ができないので、話が進むうちにどの人が誰なのかわからなくなった。どちらにしても二人の青年は美しいお顔でした。

やや長すぎて「ああ、終わった」と感動にうるうるしていると再度話が継続、また「ああ、終わった」と感動していると、まだ終わらない。それが何回もあって、今度こそ騙されないぞ、ここで終わりではないのだ、と思ったら本当に終わりで拍子抜けした。これ、ちょっとカットしたほうが良いのではないかしら。感動がオオカミ少年のようになっては困るから。

円山応挙展が三井一号館ビルで開催中と知って、急遽、ヴァイオリンの調整に行く予定を変更。そちらに行こうと思ったら電車の事故で混乱しているらしい。これはやはり絵を見るより練習を優先しろということと思って諦めた。絵を見るのは明日に変更。

明日もまたてくてく東京まで行くのか。少し疲れ気味のnekotamaであります。