2025年10月18日土曜日

若冲・応挙

円山応挙展 は11月半ばくらいまではやっていると思うのでゆっくりしているけれど、うっかりすると終わっていることもあるから確かめておかないと見逃すかも。今までそうやって忙しさにかまけて見逃すことが多かったから、ここは確認が大事。

絵画についての知識もないし自分で描くこともないから、特に日本画には非常に疎かった。それが後に飛行機や新幹線に乗って見に行くなど若冲に関しては熱狂的なファンになってしまった。

ずっと以前、週刊新潮を見ていたら極彩色の変わった絵が目に飛び込んできた。

構図の大胆さや、色彩の鮮やかさ、動物や植物の描写の正確さ、エキゾチックな想像上の生き物たち、どことなくユーモラスでいながら、観察力の天才的な鋭さなどなど。名前を見れば伊藤若冲。一目惚れとはこのことか。興奮状態で絵かきの友人に電話した。「若冲って知ってる?」もちろん知っていた。どうやら知らなかったのは自分だけだったらしい。

絵を見ること自体はとても好きだけれど、せいぜい日本なら大原美術館とか熱海のMOA,上野の森を散歩しながらちょっと覗いたりするくらい。モナリザがやってきたときには混んでいるからみにいかない、など、その程度の興味しかなかった。

若冲キチガイになった私はその友人と四国の琴平神社までえっさえっさとでかけた。このときは私の勘違いからとんでもないことになって、結局百年に一度のご開帳の襖絵はようやく見られたけれど、暗くてよく見えない。体力と気力を振り絞っていったことはいったけど、空振りみたいな終わり方だった。

京都の美術館ではあまりの人の多さで、隣の人とピッタリ体をくっつけて横歩きで見なければならなかったし、もう若冲は体力的に無理ということになった。せっかくの上野の美術館では暑いさなか連日の凄まじい行列にめげて見逃す羽目になった。その後時々思いがけないところで若冲さんに遭遇することもあったけれど、せいぜい1・2枚。それでも単純に喜んだけれど。

若冲に夢中になったおかげで他の日本画にも目覚め、徐々に若冲離れが始まったけれど、やはり彼の絵の強烈さには心を揺さぶられるものがある。応挙という人は若冲の先生クラス?の方らしい。これはぜひお知り合いになっておきたい。もうとっくに見ているのだとは思うけれど、私の日本画入門が若冲だったために、他の絵が目に入らなかった。これからはこころして応挙さんにも敬意を払うためにきちんと向き合いに行こうと思うのです。

去年軽井沢の藤田美術館でフジタの絵を見てえらく感激したので、足腰の弱りをものともせず美術館巡りも始めようかと思う。

どこぞではユトリロ展もやっているらしい。これも見逃せないなあ。コンサートは目白押しだし、忙しいのなんのって。絵のいいところは専門外なので呑気に見られるということ。音楽会だと精魂込めて聞き入ってしまうので疲れるのなんのって。絵描きさんは他人の絵を見ると疲れるのでしょうか。














2025年10月17日金曜日

Proms

 アルバート・ホールの夏のコンサートはBBCプロムスでした。正式にはヘンリー・ウッド・プロムナード・コンサート

1895年より7~9月の8週間にわたり100以上のイベントが催される。気軽に散歩をするように立見席でも聞けるようになっている。

私達がチケット売のおじさん(実は合唱またはオーケストラのメンバーかも)から買ったのは指定席だったけれど、後ろの中央辺りには立ち見の人たちがあつまっていて本当に楽しそうに聴いていました。

夏のコンサートで多分旅行者も多いかとおもうので、ほとんどの人はラフな服装で気軽に楽しめる。近所の人達がちょっと立ち寄った風の人たちが目が会うとにっこりとする。シャイなイギリス人というより、一仕事終わったあとの夕涼みみたいな。それでも演奏は超一流、これは夏にイギリスに行ったら見逃すことのできない楽しみですぞ。

イギリスには工場で働く人たちのブラスバンドがたくさんあるときくけれど、仕事を終えた人たちがブラスアンサンブルを楽しむらしい。以前アメリカに住んでいたチェリストの友人から聞いたのは、オーケストラの練習が終わったあとで、メンバーが楽しくサンドイッチをつまんだりしながらカルテットを演奏すると聞いてすごく羨ましかった。「サンドイッチパーティーというのよ」と。

日本ではあまりに過酷なスケジュールでオケマンたちはいつもヘトヘト、夜、自宅でカルテットなんか弾いたら騒音問題で警察に通報されちゃう。このあたりからもうかなわないなと思う。余裕のある生活。大きな住宅が必要ですね。

20代のころ、カルテットの練習を練馬区の畑の真ん中にぽつんと一軒家で、そこの家は不動産屋さんの事務所で夜中は誰もいない、よる10時から12時くらいまで練習を何回かやらせてもらったことはあった。その時には誰にも遠慮することなく思い切り弾けて嬉しかった。オーケストラの練習が終わってからだったので、体力的には非常に厳しかったけれど。本当に好きなことだから嬉嬉として何回かそこをお借りして真夜中の練習を楽しんだ。皆若かったなあ。

家に帰ってろくに寝ないで次の朝からのオーケストラの練習にも出たのだから、驚異的な体力だった。若さよ、戻れ!

アメリカでのサンドイッチパーティーではないけれど、一時期我が家では生徒たちが集まって演奏する会を催した。発表会のように出来上がったものを演奏するのではなく、誰でも一小節でも弾けば飲んだり食べたりできるけれど、演奏なしだと食べられないという条件だった。おもむろに楽器を弾き始めて突然「ここまで」といってやめてお酒に走る人もいれば、いつまでも弾き続けてやめない人もいる。勝手に盛り上がっているグループやひたすらソファで寝ている企業戦士もいる。これは面白かった。

若い生徒たちと付き合えるほどの体力は今はないけれど、時々付き合ってくれる旧友たちも集まってアンサンブルをしたあと、ちょっとつまんで飲んでなんて、この瞬間が言いようもなくしあわせなのです。来年に向けてこれから始まる練習はちょっと小難しい曲。私は初めて弾く曲だから只今ウンウン言いながらスコアとにらめっこ。変拍子がこれでもかと続く。これで少しは脳トレになるかしら。なってほしい。


















2025年10月16日木曜日

アルバートホール

今朝のニュースで、大相撲のロンドン場所がロイヤル・アルバート・ホールで始まるというニュース。懐かしいなあ。吾が友、美智子さんとロンドンアンサンブルのメンバーたち。

もう、10年以上前にもなるかしら、ロンドンアンサンブルのピアニストの美智子さんが 「イギリスに遊びにいらっしゃいよ」と誘ってくれたので、ホイホイと遊びに行った。散々ロンドン市内はもとより、コツオルズやイングリッシュガーデンなど遊び歩いて最後の夜はかの有名なロイヤル・アルバート・ホールで夏のコンサート、なんと言ったかなあ、なんか名称があったのだけれど・・・

アルバート・ホールはやはりコンサートの殿堂として有名なので、行かないで帰るわけにはいかない。帰国前夜の当日の演し物はイギリスの作曲家の作品、例えばマックス・レーガーの合唱曲など、日本ではとんと聞かない曲だから非常に面白かった。素晴らしい曲が並んでいたので申し分なく楽しめた。

散々道に迷ってホールにたどり着いたのは開演時間間近だった。さてチケットはどこで?アチラコチラに行列ができている。ここに並んでいて開演に間に合うのかどうか心配ではあったけれど末端にならんでいると、ニコニコしながら近寄ってきた男性、いかにも人が良さそうだけど海外では油断大敵。チケットを二枚見せながら売りたいと。ラッキーだけどなんで私達に?友人と二人にこりともしないで身構える。海外では日本人女性はとても若く見えるし騙されやすいし。(わかくみえたかどうか、無理だったかも)

それはどうでもいいけれど、おじさんが持っているチケットは果たして本物?差し出しているチケットを受け取って、別の行列に行って並んでいる人にチケットを見せてもらった。やはり本物みたい。値段も同じ。チケットはどうやら何も問題はなさそう。しっかりと二枚のチケットを離さないで値段の交渉。値段はプレミアムなしでいいという。なおも迷っていると、おじさんは交渉を諦めてチケットを取り戻そうとする。そうはさせじと私達。ついに両者ともに笑いだしてしまった。

日本人女性は慎ましく遠慮深いとでも思っていたかもしれない。けれど中年すぎると美徳は影を潜め太っ腹になる。どこへ行っても遠慮しない。交渉成立、チケットを手に入れた私達は入場客の行列にならぼうとした。チケット売のおじさんはこちらへ来いと私達をいざなって建物の脇に連れて行ってくれた。そこは出演者たちがたむろする場所で、楽屋口?だったのかもしれない。するとこちらへ来いとおじさん。なんのストレスもなく会場に入ってしまった。

おじさんおじさんと書いたけれど、もしかしたら出演者だったのかもしれない。もしかしたら私達より20歳くらい若かったのかもしれない。それならお友達になっておけば良かったかも。オーケストラはBBC管弦楽団だったから、美智子さんのお連れ合いのリチャードさんの古巣。あんなに疑わなければもう少し友好的になったかも。でもおじさんも笑って楽しんでいたようだから、ま、いいか。

大変素晴らしいコンサートで大喜びでの帰り道。良さげなレストランというかパブというか、違いがわからないのだけれど、イギリス最後の晩餐を楽しんだ。帰りのバスでまたすったもんだに巻き込まれる。美智子さんは私達がよほどしっかりしていると思っていたのか、はたまた、本人はわかりきったことなので私達もそうだと思ったのか、バス停の名前をいい加減に教えてくれたので、途中で乗ったり降りたり、乗り越して帰りのバスに戻ったりと散々苦労して家にたどり着いた。

夜中だったのに美智子さん夫妻と下宿している女性と3人で起きて待っていてくれたのだった。今日は最後の晩餐だったから美味しいラム肉を用意して待っていたのよと言われ、私達はひたすらあやまった。すでに美味しい食事を済ませてきたし、そのラム肉が果たして残されているかどうかもわからないので、その日は遅くまでお話をして過ごした。

楽しい思い出は後に美智子さんとのお別れという悲しい結果になったけれど、今でもイギリスでの楽しかった日々をなつかしく思い出す。

コツオルズの金曜日の夜のパブで出されたステーキが噛み切れないで食べられなかったこととか、本当に靴底のようなお肉を体験したり、イングリッシュ・ガーデンの素敵だったこと、何よりもコツオルズの田園風景がすばらしかったことととか。寂しいお墓のそばのパブで寒さに震えながら開店を待ったり、やっと温かい飲み物にありついて幸せになったりしたこととか。私はホットブランデーに蜂蜜を入れてもらったこととか。

本当に自然に振る舞える不思議な外国でした。車の運転も左側通行で楽だったし。もう一度行きたい国。私はイギリスの映画や小説が好き。

そのアルバート・ホールでの相撲の初日は大入りだったそうで、考えたら私は外国のオペラやコンサートはよく行くのに相撲を見たことがない。これはやはり多少外国かぶれかも。日本の素晴らしさをもう少し認めないと。やはり応挙と若冲を早く見に行こうと思う。


















2025年10月8日水曜日

見習いという言葉

東急電車の事故についての報道の仕方が変わってきて、結局見習い運転手に落ち度がなかったようだ。本当に良かった。まあ、多少のスピードの出し過ぎが彼の責任かどうかはわからないけれど。

彼は多分地獄の数日間を味わったと思う。自分の運転で会社に莫大な損害を与えたとなったら、もう生きてはいけないくらい悩んだかもしれない。気の毒でたまらない。 今後運転手になる夢を諦めないといいけれど。

原因は初歩的な設定ミスだそうでなんと罪なことか。長年に渡って設定がされていたというから、今まで事故にならなかったのが不思議だけれど、わかってよかった。

最初の報道では見習い運転手ということで、いかにも彼が未熟な運転だったかのような印象を受けた。見習いという名称を真っ先に出していたから、報道を見聞きしたら彼が悪かったのかと思ってしまう。いかにも偏見で、私はなにか変だと思ったけれど、やはり彼自身に運転ミスか暴走があったのかと思ったのは仕方がなかった。彼はこの2日間は地獄にいるかのような気持ちで指導員も同じだったと思う。

東急線はかつてはのんびりした私達の足だった。それがいつの間にか巨大な網の目のような運行が広がって、今や埼玉県まで乗り入れて行けるようになった。わたしたちのスキークラブは練馬区や西東京市などに住むメンバーがいて、それぞれの家に行くのに東急線に乗ってのんびり寝ていれば直行できて大いに便利になったけれど、そのかわり遠いところで起きた事故にも影響されることになった。

便利さと引き換えに事故も背負うことになる。今や世界がネットや交通網の便利さによって他国の影響を被るようになったのと同じように、東急線も最近交通の乱れが多くなった。それが飯能や川越などの東京をまたいでいるような都市であっても影響するのに驚く。ちょっとした踏切内侵入とか急病人の発生などであっても神奈川県まで遅延の影響があって、やれやれと思う。緻密な運行のリスクがこういうところに出てしまうのだ。

あまりにも便利なので、それに慣れてしまうと僅かな遅延も許せなくなる。結果、カリカリした社会になる。私は特別せっかちなので遅刻はほとんどしない。それでも不可抗力で、副都心線の開通日に事故があってお通夜に出られなかったことも。今では私はお葬式にはいかないことにしている。まもなく自分が死ぬことになるけれど、葬式はしないと決めている。だから内心早く私の葬式に出たいと思っている方々は、申し訳ないけれど楽しみは他の方のお葬式に期待してください。

明日は友人に誘われてコンサートを聞くことにしていた。けれど台風が関東地方に接近するというのでしばらく考えた末、断りの電話をした。「申し訳ないけれど、足が痛くて雨でも降ると悪化しそうなので」というと、「私もやめようと思っていたのよ」と友人からの思いがけない返事。「お誘いしたのにやめようとは言えなくてどうしようかと思っていたところだから助かったわ」というわけでコンサート行きは中止。お互いホッとして笑いあった。

自分のコンサートの時なら雨がふろうが槍がふろうがお客様に会場に来ていただきたい。けれど、コンサートを聴くのは意外とエネルギーが要るのだ。大変に疲れる。連続すると体力がもたないこともある。今月は聽きたいコンサートが沢山あってやや息切れがしている。それで中休みをとることにした。円山応挙も先延ばし。何処かでユトリロ展もやっているらしいけれどそれもコンサートも先延ばし。コツコツと練習に勤しむことに。






















2025年10月7日火曜日

とっても痛い話し

 今日は円山応挙展覧に行く予定だったけれど、昨日の東急線の事故の後遺症を考えて少し先延ばしにすることにした。しかも踝が腫れているし・・・

事故は見習いの運転手がスピードを出しすぎて制御する信号に引っかかって指定の場所より前でとまり、車両が後ろにはみ出して止まってしまったらしい。そこに別の電車が突っ込んでしまったということらしい。らしいらしいのことばかりで私にはよくわからないけれど、単純な疑問としては、オーバーランが運転中のスピードの出しすぎだったなら、指導員がなぜ気が付かなかったのかということ。それと前方に障害物があるのを後続の電車にわからなかったということ。停止信号は出ていなかった? あまりにも距離が近くてブレーキが間に合わなかった?そういうことを自動的にできるようなシステムが働かなかった?

最初にニュースを聞いた時、見習い運転手と聞いて技術が未熟だから起きた事故かと思ったけれど、どうもそれよりもシステム自体が問題なのかもしれない。この運転手さん今後は免許が取れるのだろうか?子供のころから電車の運転がしたくて一生懸命勉強してきたのではないのかしら。こういう事故の時にとっさに働くシステムと機敏な指導員がいればどうだったかと気の毒に思えてきた。こんな恐ろしい目にあったら二度と運転したくなくなるのではないかと思う。

事故のせいでもあるけれど、今日、出歩かないことにしたのは足首が腫れてしまって歩くと痛いので、丸山応挙を見るよりも病院へ行かないといけないから。足首が腫れるのは一年半前に始まった。そのころ私は体調不良で肺炎で入院していた。病院へ行くには自宅から歩ける距離だったので、ひどい咳をしながら荷物を持っての入院。ほんの5、6分くらいの徒歩が足にきて、くるぶしがはれ上がった。そこの病院はスポーツ外来が有名なのでこの際肺炎とくるぶしを治療してしまおうと思った。

多分その外科にはこんなおばあさんが来ることはめったにないのだろうと思った。暇そうなスタッフ。くるぶしを見た医師は「これはくるぶしに石灰がたまっているのでその治療をしたいのですが痛いですよ」くるぶしの出っ張ったところを指さして「ここから器具を入れて石灰を粉砕します。痛いですよ。どうしますか」私は一気に痛いなら構わないと思ったので「お願いします」覚悟をしたけれど、それはもう痛いなんてものではない。本当に今まで生きてきた中でも一番痛かった。麻酔なしだったので。

その治療を受けに行くのはいささか気が重いけれど、今後のためには今のうちにやっておいたほうがいいと思っている。毎日ずきずきと軽く痛むのも気が滅入るので一気にやってしまおうかと。

心の痛みのほうがずっと耐え難い。足首がずきずきは地味に嫌だけれど、思い切り痛くてもそれでよくなれば覚悟はできる。でも、本当に痛いので決心がつかない。覚悟しても決心がつかないならば、それは無駄な覚悟。気が向いたらということにしておこう。

そこの病院の診察券を探し出したから、ああ、出てこなけりゃ行かなくても済むのになあとグジグジ考えている。いつもなら必要なものはうちでは探しても出てこないことになっているのに、こんな時に限ってすぐに出てくるのよね。さてどうする?行くか行かないかそれが問題だあ!診察券を探したということは行く気があるってこと?ねえ、そうなの?ああ、めんどくさい人ねえ。さっさと行きなさいよ。



2025年10月5日日曜日

芸術の秋はたいへん!

 

引退したと思ったら急に忙しくなって、疲労困憊しておりますぞ。ヘトヘトなのよ。

今年は知人のコンサートが目白押しで、ブログに投稿する暇がない。まだ9月のコンサートの感想も書いていない。そのうち忘れてしまうといけないので簡単に書き留めておくことに。

混声合唱団フェブリエの第6回目の演奏会

スキーの仲間のHさんは化学者ながらスキーもたしなみ歌も歌うという才女であるけれど、その中でもお酒が少々弱くなったようで、最近はあまり酔っ払った姿を見せてくれないのが物足りない。しかし、合唱の方は老いてもなお盛ん。増田順平さんと林光さんの編曲で日本の歌、雪やコンコン、叱られて等から始まった。

その後中田喜直作品「アビと漁師」男声合唱のステージ.最後はオペラの合唱曲とこれほど多くの曲を皆さんしっかりと歌いこなしておられる。シャッポを脱ぎますぞ。最後に行くほど声も出てきて楽しそうに歌い尽くす。これは本当に立派な健康法、いやいや生きがい、とでも。あとになるほど声の調子が良くなってくるのは本当にご立派なのだ。なかなかおしゃれな演出もあり、しっかり楽しませていただいた。

その前日は我が「古典音楽協会」の定期演奏会だった。新メンバーで継続が決まったときから会を重ね、今回も無事に大変盛会だった。新しいお客様もたくさん来てくださったようでこのまま発展してくれることを祈った。本当に皆さまありがとうございました。

その後も梯剛之さんのピアノ・リサイタルは今日。上野の東京文化会館小ホールにて。

モーツァルト「ロンドニ長調」バッハ「イタリア協奏曲」ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ10番」ブラームス「3つの間奏曲 Op.117」ドッビュシー「子供の領分」

梯剛之さんの音は多彩で軽々と鍵盤の上を指が走る。本当に魅力的な音は彼のたゆまない努力の賜物ということを長年聞かせて頂いた私はよく知っている。最近は熟練の域に達して落ち着いた風格が魅力となってきた。12月15日にはヴァイオリンのヴォルフガング・ダヴィッドさんとデュオ・リサイタルがあります。14:00より 上野の東京文化会館小ホール いつも見事なアンサンブルを聞かせてもらえるので楽しみにしている。

「古典」の演奏会の数日後、映画を見た。「国宝」今評判のすごい映画でありました。私はもう忙しくてたまらない。引退すると忙しくなるのが不思議。でも体が動く限り様々なことを吸収したいと思っている。

「国宝」の二人の主人公はハンサムな青年。この人たちを見ると今の日本人は縄文時代から脈々と伝わった遺伝子を脱ぎ捨てたようで、もはや宇宙的なスケールでみないといけないようだ。すると私はもう同国人とはいえないかもしれない。私は人の顔の認証ができないので、話が進むうちにどの人が誰なのかわからなくなった。どちらにしても二人の青年は美しいお顔でした。

やや長すぎて「ああ、終わった」と感動にうるうるしていると再度話が継続、また「ああ、終わった」と感動していると、まだ終わらない。それが何回もあって、今度こそ騙されないぞ、ここで終わりではないのだ、と思ったら本当に終わりで拍子抜けした。これ、ちょっとカットしたほうが良いのではないかしら。感動がオオカミ少年のようになっては困るから。

円山応挙展が三井一号館ビルで開催中と知って、急遽、ヴァイオリンの調整に行く予定を変更。そちらに行こうと思ったら電車の事故で混乱しているらしい。これはやはり絵を見るより練習を優先しろということと思って諦めた。絵を見るのは明日に変更。

明日もまたてくてく東京まで行くのか。少し疲れ気味のnekotamaであります。