東急電車の事故についての報道の仕方が変わってきて、結局見習い運転手に落ち度がなかったようだ。本当に良かった。まあ、多少のスピードの出し過ぎが彼の責任かどうかはわからないけれど。
彼は多分地獄の数日間を味わったと思う。自分の運転で会社に莫大な損害を与えたとなったら、もう生きてはいけないくらい悩んだかもしれない。気の毒でたまらない。 今後運転手になる夢を諦めないといいけれど。
原因は初歩的な設定ミスだそうでなんと罪なことか。長年に渡って設定がされていたというから、今まで事故にならなかったのが不思議だけれど、わかってよかった。
最初の報道では見習い運転手ということで、いかにも彼が未熟な運転だったかのような印象を受けた。見習いという名称を真っ先に出していたから、報道を見聞きしたら彼が悪かったのかと思ってしまう。いかにも偏見で、私はなにか変だと思ったけれど、やはり彼自身に運転ミスか暴走があったのかと思ったのは仕方がなかった。彼はこの2日間は地獄にいるかのような気持ちで指導員も同じだったと思う。
東急線はかつてはのんびりした私達の足だった。それがいつの間にか巨大な網の目のような運行が広がって、今や埼玉県まで乗り入れて行けるようになった。わたしたちのスキークラブは練馬区や西東京市などに住むメンバーがいて、それぞれの家に行くのに東急線に乗ってのんびり寝ていれば直行できて大いに便利になったけれど、そのかわり遠いところで起きた事故にも影響されることになった。
便利さと引き換えに事故も背負うことになる。今や世界がネットや交通網の便利さによって他国の影響を被るようになったのと同じように、東急線も最近交通の乱れが多くなった。それが飯能や川越などの東京をまたいでいるような都市であっても影響するのに驚く。ちょっとした踏切内侵入とか急病人の発生などであっても神奈川県まで遅延の影響があって、やれやれと思う。緻密な運行のリスクがこういうところに出てしまうのだ。
あまりにも便利なので、それに慣れてしまうと僅かな遅延も許せなくなる。結果、カリカリした社会になる。私は特別せっかちなので遅刻はほとんどしない。それでも不可抗力で、副都心線の開通日に事故があってお通夜に出られなかったことも。今では私はお葬式にはいかないことにしている。まもなく自分が死ぬことになるけれど、葬式はしないと決めている。だから内心早く私の葬式に出たいと思っている方々は、申し訳ないけれど楽しみは他の方のお葬式に期待してください。
明日は友人に誘われてコンサートを聞くことにしていた。けれど台風が関東地方に接近するというのでしばらく考えた末、断りの電話をした。「申し訳ないけれど、足が痛くて雨でも降ると悪化しそうなので」というと、「私もやめようと思っていたのよ」と友人からの思いがけない返事。「お誘いしたのにやめようとは言えなくてどうしようかと思っていたところだから助かったわ」というわけでコンサート行きは中止。お互いホッとして笑いあった。
自分のコンサートの時なら雨がふろうが槍がふろうがお客様に会場に来ていただきたい。けれど、コンサートを聴くのは意外とエネルギーが要るのだ。大変に疲れる。連続すると体力がもたないこともある。今月は聽きたいコンサートが沢山あってやや息切れがしている。それで中休みをとることにした。円山応挙も先延ばし。何処かでユトリロ展もやっているらしいけれどそれもコンサートも先延ばし。コツコツと練習に勤しむことに。
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