曇った少し肌寒い日は心が穏やかになり絵を見るにはもってこいの 気分になる。室町の三井記念美術館へでかけた。ずっと気になっていた応挙と若冲の絵が展示されている。
三越前駅から地上に出ると、眼の前のビルにエレベーターがある。それに乗って2階に出れば美術館前の階段、それを数段登ればもう会場のチケット売り場に。まずきれいな建物に見惚れる。
開場時間後20分くらいであったのに思ったより入場者は少なくてホッとする。いつも有名な画家の展覧会では何重にも巻いた行列にうんざりするけれど、今朝はほんの数メートルの行列だった。けれど中に入ったらもうすでにかなりの人が静かに佇んで説明書きを読んでいる。展示された作品数は少なめだった。お陰でじっくりゆっくり見られて良かった。
私はいつも説明を読まず、まず対象の絵だけを見ることにしている。説明を読んだからといって作品がより素晴らしくなるわけではない。先入観が邪魔して目が曇ると信じているから。音楽も同じで、前もってCDを聞いたりしない。最初はすべて自分の目で自分の耳で自分の感情で理解するようにしている。
以前イタリアに行ったときに、美術館の広さと膨大な絵に圧倒された。その時グループの一人が徹底的に下調べをしてきて、私達が名画と呼ばれるものを見逃さないようにと案内してくれた。確かに効率的である。それはそれでありがたいと思わないといけないのかもしれないが大きなお世話だった。メンバーの他の一人は「自分で見たいものは自分で探すわよね」と、かなり不満顔だった。
これは本当にそうで、人それぞれ絵の見方は違うし感銘の受け方も違う。余計なお世話はするものではない。その時引きずり回されて見たのがなんの絵かあまり覚えていない。私は友人からダフネの彫刻を見てきてと頼まれていたので、それはしっかりと印象がある。連れ回されて見たものが何だったかの記憶がない。
応挙さんの絵はよく見かける。それだけ才能もあり人々に愛されて、世間の評判も良いということなので、ああまたこの絵ね。と軽く見過ごしてきたけれど、今日は空いていた事もあってじっくりと眺めていられたのがありがたかった。特に動物の絵は本当に可愛くて手で触りたくなるような毛並みとか目の表情とか、私は近々と顔を絵に向けて長い間じっくりと見た。猿が右手で左手を掻いているなんて初めて知った。それから鳥のデッサンというか習作がすごかった。
ピカソのデッサンはうまくて有名だけど、応挙のデッサンはそれはもう見事というしかない。猛禽類の頭から尾まで部分的に何回も練習している。羽の重なりとか嘴の形鋭い質感、特に爪のいかにも硬さを感じさせる墨の色、どれほど塗り重ねたのかと思う。これは私達だったらエチュードや音階の練習につながるなあと思った。細部の観察と表現の積み重ねが絵に重さと奥行きを与えるのだと。
ほとほと感心するのは大きな屏風に描いた風景や人物像。消したり塗り固めたりできない筆の動きはおそらく一気に描かないといけないからやり直しがきかない。構図や色彩はどうやって決めるのだろうか。それが先程の習作で培われた筆のテクニックによるものだということは誰にでもわかる。細部がすべて、すべてが細部による。おそらく血の滲むような努力の果ではないか。しかも色彩はどれも薄くそれだけで動物の毛皮の手触りまで伝わってきそうで。思わず絵に手を伸ばしたくなった。
さて若冲はどこ?と思っていたらただ一点、墨絵のような鶏、流石に存在感は堂々としているけれど、これはおまけ?そう言ったらしつれいだけど、もう二三点ほしかったなあ。そして応挙の襖絵はなにか見覚えが。それは百年に一度のご開帳だった金刀比羅神社の襖絵のご開帳で若中を見に行ったときに、他の部屋で見た記憶がある。その時にはまるまる太ってなぜか陽気な虎の絵もあったと思う。他でも何回か見ているのではと思うくらい応挙は人気があるらしい。
しかしお見事。これからは少し日本画に溺れてみようかしらと思った。
せっかく飛行機で四国まで飛んでいったのに、とんだことになったお話はいつかnekotamaでお話します。というより、すでに投稿しているはずだけど、探すのが面倒なのでいずれまた。
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