2025年10月25日土曜日

くにたちの会

毎年くにたち音大の卒業生や在校生も集まってコンサートをする「くにたちの会」今年は久しぶりに盛会だった。コロナ以来数人の先輩たちがなくなって寂しくなっていたのが、今年は参加者が増えて若返り、ああ、なんと、私はもうメンバーの中でも上位に属する年代になっていたのだ。

最初は先輩たちがいてのんびりと冗談交じりに初見でカルテットやソロなどを弾いていたし、自分のコンサートのための練習に使わせてもらったり、ちょっと難しすぎて本番では使えないけれど、勉強のための試し弾きに使わせてもらったり。そのうちにだんだん皆さん真面目になってきて、ちゃんと練習して本番に臨むようになってきた。

これは困った。引退宣言した私はそろそろ楽器を売ってしまおうかと思っていたのに、売るわけにはいかなくなって練習しないといけなくなって、緊張までしなければいけないのだ。しかし私はやはりヴァイオリンが命かもしれない。引退後数カ月で我慢ができず、もう復帰が頭にちらつく。

復帰すると言ってもやはり年齢の壁はどうしてもある。年をとったからと言って許されないプロとしての基本的な条件は、まず音程、ボウイングのテクニック、これは音楽的とかなんとかいう前の段階の条件だからよほどの人でもない限り身体的には不可能なのだ。仮に周りがおだてて「先生はまだまだ、実に素晴らしい音楽です。音程なんて少しくらい外れても」なんてことを言われても許されない。いう人もいないけれど。

悔しいけれど、体は確実に老いていく。朝起きて体がこわばっている。指がうまく動かないといった他に、それに対する恐怖感と対面する気力が必要。

「くにたちの会」では暖かく見守る長年の戦友たちがたくさんいて、和気あいあいと彈くことができる。卒業以来60年、すぐに家庭に入ってしまった人もいる、音楽以外の職業についた人もいる。そういう人たちにも壁を作らない優しさがあって、一緒に演奏する。他の学校だったらこうはいかないのではないかと思う。

「くにたち」からは飛び抜けた名人はでないけれど、社会に出てゆるゆると環境に溶け込んで適応しやすい。芸術家は適応しないのが普通だけど、そんな人ばかりでは住みにくくなる。幸せな学生生活を送ると、卒業してから社会に適応しやすく常識ある音楽家になれる。そして長く勉強が続けられて熟成してゆくのだ。

今年は随分大勢の演奏希望者が集まった。コロナ禍依頼出演者が減って、それ以上に先輩たちが天国へ行ってしまったので寂しかった。いつもは夏のお盆の頃に開催するのが今年は暑すぎる夏を避けて秋の開催になったのも良かったのかもしれない。

今年も私はピアノのSさん、チェロのNさんとモーツァルトのトリオを演奏することにした。引退宣言以来人前で弾くのは2回目、以前ならあまり緊張もしなかったのに、今や初心者のように心細い。しかしこれを乗り越えないともっと弾けなくなる。我慢我慢!

モーツァルトを選んだとき、少ししんどいなと思った。楽譜の易しいモーツァルトは子供でも簡単にひける。けれど、演奏家はこの人の曲がどれほど難しいかよくわかっている。できればモーツァルトでない曲を彈きたかった。練習を始めるとやはり予感は的中、指が均等に動かない、最近こわばってきている、指の曲がりが音程を悪くしているとまあ、シンプルであるが故に最高に難しい。

でも練習は楽しかったし、本番はヨレヨレでもやったという充実感は味わえた。驚いたことに最近の体の不調は終わってみると明らかに改善されていた。帰宅して猫たちが文句を言いながらも寄ってきて嬉しそうにしてくれる。「遅いじゃないの、ご飯を頂戴。一体どこをうろついてたのよ」多分そんなことを言っているらしい。

嬉しかったのは若年層の参加が増えて、最年少は大学一年生。サンサーンスの協奏曲を若々しい躍動感で聞かせてくれた。数年後にはこの子たちがあとを継いでくれて、私はもう楽器を持つこともできなくなる。

打ち上げは参加者たちがいつもの「天政」で食事をして様々な話しをした。私の前に座ったYさんは、かつて東京フィルハーモニー交響楽団のメンバーだった。色々話していると私に電話がかかってきた。なんとかけてきた人Sさんも昔、東フィルのメンバーでしかもYさんとカルテットを組んでいたというから驚いた。Yさん、Sさん、私の間でスマホがあっち行ったりこっち行ったり。「私も行きたい、くにたちはいいわねえ、うちの大学ではそういうことはないから」とSさんに羨ましがられた。















0 件のコメント:

コメントを投稿