2025年12月17日水曜日

体を動かす

ニュースを見ていたら元バレーボール選手の川合俊一さんがエコノミー症候群になったという。今でもスポーツ番組に欠かせない存在で、各地を飛び回っている人がどうして?と思ったけれど、だんだん現場から離れてスポーツ界の重鎮としての事務的な座り仕事のほうが多くなった結果かと思われる。

私は子供の頃から体を動かすのが大嫌いだった。学齢児童のころはほとんど家で本を読んでいたし、レコードを聴いていた。同じ年頃の子供と遊ばなかった結果肥満児になり、遊ぶことを知らなかったから仲間にも入れず。逆上がりできず、走れば遅い。

おとなになってからスキーなど始めてあちこちに飛び回っていることを自慢たらたら書いていたけれど、それは生活の中のほんの一部、普段は狭い部屋でなんでも手を伸ばせばすぐに取れるので、室内では基本動き回らないことが多い。
仕事を引退したのも元々あまり活動的ではないから、これで思い切りゆっくりできると喜んでいたのに・・・

ある時、急に狭心症のような症状が頻発した。これはいかん、狭心症は水分不足と血流の滞りで、河合さんのようにエコノミー症候群が心臓に起こるようなものだから、運動大事。そこで早朝の散歩をはじめ、軽い筋トレ、ヴァイオリンの練習も始めた。
結果、症状は収まった。が、しかし、私の場合はやりすぎるのだ。歩けば、昨日よりももう少し歩数を伸ばしたい、筋トレもスクワットの沈み込みをより深くすれば効果抜群であろう、と。そのスクワットが命取りで、病院へ行く羽目になった。

4年ほど前、膝を痛めてスキーができなくなったときに治療してもらった病院へ行くと、なんだか歓迎の雰囲気。喜んでよく周りを見ると、特に私だけでなく誰にでも優しいスタッフが多いだけだった。患者数が減って経営困難なので歓迎してくれたのかと思ったら、先生も看護士も気軽で受付のスタッフは近所のおばちゃんタイプ。こんなに患者が多いなら経営困難でもないだろう。要するに手際が良く患者のさばき方がうまいだけだったのだ。明るい病院はめったにないからホッとする気分だった。

出戻ってきた私を診たのは前回より若い先生だった。名札を見ると苗字は同じ、息子さんの代になったのかもしれない。前の先生は私の足をいきなり持ち上げてひどく痛い目に遭わされたから警戒していったのに、今度の先生は穏やかで騒ぐ必要がなく肩透かし。同じことをやられたら大声で「いたーい!」と叫ぶつもりだったのに。
膝から抜いた水には血が混じっていた。いつになく痛かったのは何処かに傷があったから?あまり気にしない私も見せられて血色の濃さにびっくりした。

最近は心を入れ替えて毎日ヴァイオリンの練習を欠かさない。大人しくスキーも諦めてお家で読書、すっかりいい子になってしまった。思うのは、私が長年健康でいられたのはヴァイオリンのおかげだということ。楽器を弾くのはかなりの運動量になる。今は座っての練習をやめて立って弾いている。1度の練習は2時間。余裕があれば休憩の後ちょっとお菓子をつまみ食いしたら1時間か2時間。

不思議なことにあれほど曲がった指がお互い牽制し合いながら超絶技巧のピッチカート奏法をしていたのが、だんだん矯正されつつある。指がまっすぐになったわけではない。相変わらず左手の薬指と小指が仲良く寄り添っているものの、素早く回避する技術が自然に身について来たものと思われる。

そうか、私はずっとこの曲がった指で弾いていたのか。毎日毎日苦労させたね、君たち。気が付かなくてごめん。薬指と小指の健気な振る舞いは長年の無意識の鍛錬の賜物だったのか。

モーツァルトを弾ける日が近づいてきたようだ。まだ少々おぼつかないところがあるから、来年には本気で取り掛かろうと。幸い近所に上手いヴィオリストが。しめしめ、モーツァルトにはヴァイオリンとヴィオラのために書いた二重奏曲がある。ウフフ・・

































2025年12月11日木曜日

足だけではなく手も

 左足の痛みが和らいだので気を良くしてお風呂に浸かった。ぬるめの温度でゆっくり時間をかけて、さて湯船から出ようと思ったら・・・出られない。左足が猛烈に痛くて湯船から出られない。どうしようかと思ったけれど一晩中お風呂で過ごすのもつまらないから、思い切って片足を抜くと衝撃的な痛さ。しかし温めれば良いと思ったのが想定外に痛いのはなぜ?

その後も長い時間痛みは治らなかった。今朝やっと小康状態になって一安心。

ヴァイオリンの練習は日々コツコツと行っている。もう一年ほど楽器はケースにぬくぬくと入って寝ていたものを引っ張り出してきたので、すこぶるご機嫌が悪い。いや、楽器のせいでなく自分のコンディションが悪いのだけど。それでも今は2時間は休憩無しで弾けるようになった。

最初は20分も弾くと息も絶え絶えになった。指は絡まり、現役時代でも一度として故障したことのない肩や腕に痛みが走る。それでも体の柔らかさが幸いしてそれはしばらくしてクリア。しかし、左手の指の方はそうはいかない。第1関節から外側に見事に曲がった薬指。それとは逆に薬指側に寄りかかるようになっている小指。要するに両方の指がお互いに寄り添いながら動くのだ。

中指は真っ直ぐなので薬指と先の方で別れ別れ、手全体として眺めていればさほどの違和感なく普通の手に見えるけれど、左手の中指と薬指の先は約5ミリほどの隙間が空く。これはもうヴァイオリン弾きにとって致命的。ゆっくりの動きならなんとか修正できるけれど、早いパッセージは薬指と小指がお互いに邪魔し合って時々とんでもない事になる。

ヴァイオリンの音程は、ほんの少し指が傾くだけでも音程が合うか合わないか、日頃ドキドキで調整をしながらの作業。指自体が曲がってしまうとは思いも寄らない出来事だった。それでも最近は調整しながらの音程もやや安定してきたと思っていたけれど、それはモーツァルトを弾かなければという条件がつく。

あのモーツァルトの明快、単純な音楽は音程のズレは許されない。こんなに難しい作曲家は他にいない。特に早いパッセージであっても途中の音程が悪ければ絶対バレる。何よりも自分が気持ち悪い。何回も何回も練習して、指の動きのほうが多少改善したけれど、音程はまだまだ。

毎日の練習のお陰でだんだんモーツァルトも慣れてきたけれど、16分音符の連続では小指と薬指がお互いに触れ合っているため邪魔し合う。薬指の下に小指が潜り込んでしまい、動きが取れないときもある。小指を持ち上げようと思うと薬指が上に乗っかっていてどいてくれなかったりもする。それを無理に跳ね上げると、反動で薬指が指板を叩いてしまうことも。

小指がどいた途端に薬指が指板を叩き、その勢いで弦が弾かれてピッィカートが鳴ってしまう。特に早いパッセージでは思いもかけず左手のピッツィカートの連続という超絶技巧ができることも。もうどうしようもなく笑うっきゃない。普段そんなことはやろうと思ってもできないのに、必要でないところでできてしまうのはありがた迷惑。

途中で諦めて自分だけで弾いているときには指に勝手にさせておくけれど、もしコンサートでモーツァルトの入ったプログラムだと困ったことになりそう。もう人前でモーツアルトは弾けないのかなあ、頑張ってみるけど。

今から20年前、国立劇場のリサイタルホールで自分の還暦記念のコンサートでモーツァルトのK.334のディヴェルティメントを第一曲目に載せたことがあった。一時間におよぶ長大な曲でお客様にはさぞ迷惑だったかと思うが、どうしても好きな曲なので聴いていただいた。今思えばあのとき弾いておいてよかったと思う。その後あと2回弾く機会があった。あわよくばもう一回弾きたいけれど、おそらくもう一生弾けないと思う。左手のピッツカート入バージョンは新解釈として世の中に出してもいいけれど、最悪のレッテルを貼られる。でも面白いかも。

夢よもう一度。来年9月23日、ピアノ五重奏の演奏会を三鷹「風のホール」にて開催します。ドボルーザーク、シューベルトなどですが、モーツァルトは入っておりません。左手の超絶技巧をお聴かせできず残念ではありますが、気が向かれましたらぜひお聞きいただきたいと思います。















2025年12月10日水曜日

四股を踏む

相撲エクササイズ、力士の訓練に使う動作をエクササイズに取り入れたもの。今朝テレビで見てこれは良いとさっそくトレーニングに取り入れようと思う。昨日起き抜けに筋トレをやりすぎて左足の筋肉を傷めた。そろそろ危ないなと思っていたけれど、やはり期待どうりの筋書きになった。

私は何をやっても気がはやってやりすぎる。わかっているくせに生来のせっかちで、もう少しもう少しと焦り、結局やりすぎてすべておじゃんになるというパターン。わかっているのに毎回の失敗は本当に馬鹿である証拠なのだ。

最後にもう一回というときが一番危ない。昨日の午後は足を引きずって歩いた。甥が先日アメリカのおみやげと言って持ってきてくれたステッキが役に立つとは。甥はサッカーの女子チームのトレーナー?というのか、選手たちの健康管理やトレーニングの指導とか、私にはちっともわからない世界の仕事をしている。その試合に付いて行ったらしい。真っ黒な顔してぬーっと現れるとぎょっとする。

急に現れて「ほら、これアメリカの土産」と言って差し出したのがステッキ。甥に期待することはないけれど、せっかくアメリカまで行って杖を買ってくるなよと言いたい。わたしゃそんなもの無用だと言いたいが、せっかくだからともらっておいたのがすぐに役に立つとは!年は取りたくないもの。

今朝テレビで相撲の動作を取り入れたエクササイズを見て、これはいいのではとやってみたら、その後頗る調子がいい。これから先たった一人で世の荒波を乗り越えていかねばならぬ身、健康こそ一番の宝なのだ。

地震や津波、火事、戦争、いつ何が起きても不思議ではない世の中だから、老人であっても一人で生き抜いていく覚悟はできている。それでも足腰が立たなければ他人様のお世話にならなければいけない。それはもしかしたら他の人の命を奪うようなことにもなりかねない。私を助けることで若者が犠牲になってはいけない。そう思っているので今は筋トレに励んでいる。

その励むという言葉が私には最も危険なことであることも重々承知で、とかくやりすぎず現状維持。さきほどしこを踏んでみたら足の痛みが緩和されて解放に向かっているようだ。これでまた午後にもう一回と言ってやりすぎて逆戻りしないように頑張る(?)この言葉がいけないのかなあ。

目の状態もかなり改善されて、この先呑気に暮らせれば私の老後は安泰なのに、またなにかあたらしいものをやりたくなるのが常のこと、まったく自分自身がよくわからない。安定を嫌うというか、落ち着かないというか。

熊の騒ぎはまだ収まっていない。毎日映像を見せられるともうたまらない。それは危険を世間に知らしめることは重要だけれど、くまさんの親子が柿の木に登って美味しそうに柿の実を食べている映像を見ていると、この子達はもうすぐ駆除されてしまうのだなあと悲しい気持ちになる。共存できたらどんなにいいかとも。

動物の世界では人も含めて、共存すること必要だけれど、それぞれの立場からいえば、殆どのものが敵になる。同じようなものを奪い合いながらの生存をかけた戦いなのだから。しかも、もうすぐに終わろうとしている今年は例年にない猛暑で、野菜や果物、魚介類にまでその影響が及び、不作を招いている。乏しい食料を巡っての争いが起こって、動物も人も大変な思いをしている。

私は仕事をやめたら猫と一緒にのんびりと暮らすつもりだったのに、まだなにか自分にできることがあれば社会奉仕に駆けつけないといけないかもしれないと思っている。でも足がすぐにだめになるようでは役立たずの上に足手まとい、知恵もないし、人を動かすような人徳もない。残念至極だなあ。










2025年12月5日金曜日

動物と人

 朝の散歩に出るのに、どのジャケットを着るか、ニット帽をかぶろうか、マフラーはどうしようなどと考える季節がやってきた。まだ手袋まではいらないけれど、一昨日お気に入りのニット帽を紛失してがっくり来ていたので帽子はいらない!と強がりで被らず表に出た。

いつものコース、家から500メートルほどで公園に出る。公園の周囲を一周すると500メートルあるそうで、そこで1キロ。帰りは自宅までまた500メートル、やく1.5キロの日課もつい最近までは全部回ることができなかった。それで考えたのがジムなどに行くのは面倒だから自己流の筋トレをやって鍛えようと。

朝、目が覚めるとまず、手足の上げ下げ、全身をブルブルと蒟蒻のように揺すって血流を促す。一回ずつの動作を数えて100回。それからスクワット、踵落としなど、その日の体調に合わせて時間も決めず気持ち良いところでストップ。朝食後は散歩というパターンが出来上がった。決して無理をしないように。この筋トレが効いて歩くことが楽になった。

楽器を演奏する人種はどうもやりすぎるというのが欠点で、根を詰めると際限なくなるので気をつけないといけない。練習のときに数小節を数時間繰り返し練習するようなクセがついている、いわば偏執狂的な性格のものが多い。私はそこまで根気はないけれど、それでも傍から聞いている人はうんざりすると思う。筋トレも迂闊にのめり込むとかえって害になる。今はうまくいっているようだ。

今日は本当に穏やかな木々の葉が輝く美しい朝、風もなく、足を早めて歩く人達も思いなしか生き生きとしている。暑かった地獄のような今年の夏は記憶から振り落として初冬を楽しんだ。

いつものコースに犬のいる家があって、そこの奥さんは快活で話好き。いつも犬を連れた人たちが屯している。しかもその傍らには猫もカラスも一緒にいる。みな穏やかにおしゃべりや毛づくろいやぼーっとしているものや・・・何だここは。

以前ここで私はカラスの集団がよそ者のカラスをいじめているのを助けたことがあった。息も絶え絶えに悲しそうに鳴く一羽のからす。そのいじめの輪の周りには見物の野良猫集団が取り囲み、どうしようというのか、おこぼれにあずかろうと思っているのかわからないけれど、やはり見過ごすわけにはいかない。

結果、助けたカラスは一晩入院してから近くの小さな動物公園に引き取られ、治療を継続した。園長さんが鳥の専門家らしい。良かった!

今朝、この家の近くのゴミ箱にうずくまっている2匹の明らかに野良と思える猫発見。帰り道にまだいたら保護すべきかどうか考えた。また多頭飼育が始まったら困るなあと思っていたけれど、帰り道、彼らは犬の飼い主さんたちとその家の奥さんからご飯をもらっていた。そばには餌の入った容器を持ってきた女性もいる。ああ、良かった。とりあえず餌はもらえているんだ。私の出る幕ではない。

ここまで長くなったけれど、今読んでいる本は「僕には鳥の言葉がわかる」鈴木俊貴著と「熊になったわたし」ナスターシャ・マルタン著の二冊を交互に。どちらも動物と人との関わりがかんがえさせられる。鈴木さんの方は観察による考察であるけれど、フランス女性の人類学者マルタンさんは、熊との格闘でお互いにひどく傷つき合いながら、彼女の中にくまの一部が残り、熊もまた彼女を体内に取り込んで共同体となる。人と動物の関わり合いをこれほど強烈に、感じさせられるものは読んだことがない。

まだはじめの方しか読んでいないので、読後感はいずれまた。今の日本のくま騒動、人と動物の関わり合いを深く考えてみようかと取り上げた次第です。生易しい理解では熊との共存はできないし、感情や同情だけで批判はできない。要は地球は人間だけのものではないけれど、熊に襲われたら身を守る権利はある。襲われるかもしれないからと言って、罠や鉄砲で熊を殺すというのは熊に言わせれば理不尽なこと。どう折り合いをつけるかはすごく難しい。人は数々の戦争でへいきで殺し合うけれど、動物たちは生きるための最小限の争いで済ますのでは・・・書き始めたらものすごく難しい。答えは簡単にはでない。こまった!