高校時代の同級生にバレエ学校の校長先生がいる。S君という彼は高校~大学での専攻は作曲科。数年前の高校の同窓会で長い年月を経て再会した。
私は音大付属高校の器楽科で、いなかっぺの猿もどき、幼いころから庭のびわの木に登って実をかじり、枝の上に広げた座布団の上で昼寝をする毎日。しかし、わが母校には由緒正しいお家柄の子女があふれている。それで私はなんとなく浮いた存在。私の父母の関心は兄に集中し、私はなんのしつけも受けていない田舎娘。着ているのはお下がりの服、髪の毛もぼさぼさ。
高校の先輩には「あの」美輪明宏さんがいる。だから少し変わっているといっても皆さんエレガントで華やかな雰囲気だった。当時はやりのペチコートで膨らませたスカート履いて瞼が青い女子たち、当時は私はアイシャドウなるものも知らなかったのでびっくりした、そんな同級生がたくさんいて、でも私のようにダサい高校生もいじめられることなく楽しい学園生活を送っていたのだった。
それはわが母校の最高のところで、喧嘩はするかもしれないけれど、意地悪な人はまれだった。要するに陰湿さがなくて明るい校風に助けられて私ものびのびと通学していた。
それで授業の一つに社交ダンスがあったのだ。玉置先生という非常に有名な方が講師として指導されていた。一度に大勢の生徒の指導なのでわかりやすく「はい、大学のほうを向いて。ハイ、次は寮のほうに歩く」とか、そこいら辺の建物を利用したわかりやすいご指導。楽しくはあったけれど、私は手のひらが多汗症でいつもじっとりとしていた。
いつもペアで組んでくれるのは親友のM子さん。でも時々機嫌が悪いと「あなたの手のひらは濡れていて気持ち悪いのよ」と放り出されることがあった。それで相手を探す気力もないので壁の花になって皆のダンスを見ていると、必ず、すっと寄ってきて黙って手を差し伸べてくる人がいた。それがS君だった。
彼はすでにお父様のバレエ学校の後継ぎとして、ステージに立っていたのだと思う。身長差が多分40センチくらいあったかもしれないけれど、リードがうまいので非常に心地よく踊れた。
一番面白かったのは、ドッジボールをして遊ぶと、彼の球のよけ方が素晴らしかった。普通はどたどた走って逃げまわるのに、彼はボールがあたる寸前に両足開脚、まっすくに長い足を一直線に開き跳躍する。ボールは何事もなくかすりもしないで飛んで行ってしまう。それでみなはやんやの大喝采。卒業後かなり経ってから「引退するので最後のステージを見てほしい」というご案内をいただいた。
私は、そのころはオーケストラの仕事やスタジオプレーヤーだったりで目の回る忙しさだった。心惹かれても仕事第一。思えばそんなに仕事ばかりしないで、同級生の引退のステージを見に行くべきだったと悔やんでいる。それがずっと心残りだった。
そしてまた幾年月、80歳の記念同窓会で再会した時にそのことをわびたのだった。すると次のバレエ教室の舞台の招待券をいただいた。ご本人はもう踊らなくなっていたけれど、その生徒たちの踊る姿は、彼の指導の過程がわかるほど、きちんと踊る子供たち、大人たち、プロも交えての姿勢が垣間見られて非常にうれしかった。
そして数日前はバレエ学校の卒業コンサート。会場の駐車場がいっぱいで付近のコインパーキングをうろついて、やっと停められた時は開場時間をだいぶ過ぎてしまった。自分の座席に行かなかったので、ほかの同窓生や校長先生であるS君とも会えなかったけれど、すごくきれいなステージに満足して帰ってきた。
そして今ようやくわかったのは、私が踊れなくて独りぼっちだった時手を差し伸べてくれたように、ほかの学友にもそうしたのだろう。今でも彼は自分の生徒達にそうしているのだろうということ。無口であまり声を聞いたことはなかったけれど、必要な時には黙って手をさしのべる、ああ、すごく良い先生なんだなと初めて納得した。
高校時代の友人たちは私の長い人生の中でも特別な存在で、あの大きな有馬大五郎校長先生の教えが今でも生きているのではないかと思う。母校、大好き!
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