2026年10月3日土曜日

睡眠期に突入

まだまだ眠れる。ずっと眠っている。よほど疲れたらしい。今日も夕方までにすでに二日分くらいの夢の中。

気が付けば夕焼けの最後の光がかすれ行く時間。カラスが鳴いている。目が覚めた時は体が重く沈んで猫たちも飼い主に倣ってドタッと眠っている。彼らは半野良生活で数軒の飼い主を持つリッチな野良となり、今や食べ放題。眼光の鋭さは消えてツチノコの体型を維持している。飼い主がこんなだから彼らも眠りたい放題なのだ。

眠りたい放題眠れるのはありがたい。これでまた面白いことができるようになる。願わくば死ぬ直前まで好きなことをする体力と気力を持っていたい。今私は理想的な状態にあるのかもしれない。体調は悪くない。多少足元が覚束ないけれど、口は達者で言いたい放題、毎日病院へ行ってもらう薬もない。お薬手帳というものは持ったことがない。飲まなければならない薬や、治療を受けるケガや傷もない。

実際は右手の親指の曲がり方がひどくなって、右手に持つ弓を持て余すようなことはあるけれど、なに、引退済みなんだからもういつでも覚悟はできているさ。

実を言えば、数年前までは老後の暮らしにたいそう不安を持っていた。体が利かなくなって好きなことがだんだんできなくなったらいやだなあ、とか。でもコンサートが終わってみたら、もう怖いものはない状態になってきた。ステージで二時間演奏をすることがどれほど大変なことか。実際にやり遂げてみると、できるじゃない。これで体力と気力は保証済み。

楽器を鳴らすことはどんどん難しくなっている。音が細い。特に低音がならせない。私の楽器は気難しいお爺さんだから、本気で向かわないと応えてくれない。これは予想できたことだから一種のあきらめの現在。右手の親指の変形がひどいので、もう矯正は無理だと思う。どんなに練習しても、すればするほど、肩に負担がかかってきて途中で練習を中止することもしばしばなので。これはもうあきらめるしかない。そうやってどんどんできないことが増えてくるけれど、今までやりたい放題だったから、自分の残っている能力でできる範囲のことをやればいい。

今一番やりたいのは馬に乗ること。馬が走ってくれれば私の足が曲がっていようが弱っていようが関係ない。先日のコンサートの時に楽屋でモンゴルの話になった。「あなたモンゴルで馬に乗ったのよね」と友人が言うから、急にモンゴルの景色が目の前に広がって懐かしさに泣きそうになった。スキーも好きだったけれど、乗馬は格別。その楽しさは口で言い表せない。

スキーはもちろん私の最高の友だったけれど、馬との人馬一体ほど胸躍るものはない。そしてモンゴルの馬は賢く、数日一緒にいるともう心が通って私の意図を何でもわかってくれる。飛行機に乗せて連れて帰りたかった。そのわりには落馬させられたけど(笑)

日本に帰ってからも乗馬クラブに行っていたけれど、そこには高年齢の私を気使って、抑え込むインストラクターが待ち構えていて、一気に面白くなくなった。私は馬と仲良し。でもインストラクターは事故を心配して馬を抑え込むことばかり。見てください、私は落馬の女王なんだから。馬の頭上を越えて空高く飛ぶこともできるのに。ちゃんと背中で着地して一切けがはしないのに。スキーだってどんなに派手な転び方をしても、60年近く、指一本もけがをしたことがないのに。

私は前世猫だったからね。にゃ~!








2026年10月2日金曜日

やっと疲労感

コンサートの後、1週間ほどでやっと眠れるようになった。

長い練習の後は普段なら達成感があるのだが、今回はあまり良い出来ではなかったのでむなしさがあるのみ。あれほど時間を重ねたのにというむなしさが。それはいつも出来がいいわけではないから、たまにがっかりすることはあったけれど、普段は終わればニコニコできる。やるだけのことはやったという満足感があったけれど、今回はもう一度・・・いやいや、もう無理。

テニスの錦織選手が現役引退の試合で負けた。まだ若い。彼はこれから様々な形で日本のテニス界に貢献できるけれど、やはり勝って引退したかっただろう。私も勝ってやめたかった。

ヴァイオリンを始めたのがほかの人たちよりもだいぶ遅かった。そこは家庭環境があるし自分がヴァイオリンを知らなかったから仕方がない。レコードで聞いているだけで楽器そのものが家に無かったし。ピアノとお琴は家にあって時々触って楽しんでいたけれど、言い訳すると、もう少し早くヴァイオリンに出会っていれば、もう少し早くヴァイオリンを生涯の友にできていればという愚痴が出てくる。

でもヴァイオリンを手にしてからは本当に楽しかった。下手であることは少しも苦にならない。自分のペースと才能の限界をわきまえていたし。それで楽しく弾いていると、時々とんでもない人から助けられる。これが私の幸運のおかげ。周りからたくさんの助言を受けて、その助言を素直に聞く性格もあって、たいそうかわいがられた。だからうまくなったとは言えないけれど、何とかしてやろうという周りの人たちによって、押し上げられていた部分がある。

だから私の才能の一部はそうした先生や友人、共演者からいただいたものだった。かつてあこがれのもとだったような人たちと共演できる、夢のようなチャンスに恵まれることも多かった。野育ちの私は臆することなく、知識の欠如による無知のおかげで、平然として自分を出せるようなところが逆に気に入られることもあった。

自分を出す、アンサンブルにおいて最もダメなのは、自分を持たない人。周りの顔色を窺って合わせてばかりいる人。これが一番ダメで帳尻合わせにきゅうきゅうとしている人。逆に時間合わせばかりうまくてすべてわれ関せずの人。心が通じ合わない。音で会話ができないと苦しい。何のために集まっているの?

さて、今年は「ふくろう」で時間の大半が費やされたので他の曲に目が届かなかった。これは大変な時間の損失。メインのシュ-ベルトが散々で悔しい。「ふくろう」に「ます」が食われてしまった。その後、客席で聴いていた変な曲好きなピアニストが来て「また何か面白い曲をやりましょうよ」と言ってくれたのが唯一うれしかった。もう一度なにか合わせようかと、また病気が始まる。

今月半ばにはバッハのクラヴィ-ア伴奏付きのヴァイオリンソナタを弾くことになっている。それは長年の相棒と。譜読みを始めると心洗われる気がした。音楽に何が正しいとか悪いとかいうことはいえないけれど、これぞ王道であるという気持ちが沸き上がる。結局引退と騒ぎながらまだやめられない。猫と音楽は魔物なので。

昨日初めて疲労感が出てきて、10時間以上眠った。疲れすぎると切れ切れに3時間くらいしか眠れない。まず疲労克服の第一関門突破ができた。