2022年6月27日月曜日

奇跡の生還不死猫こちゃ

 先日北軽井沢から戻ってからうちの老猫こちゃが全く食べなくなって日に日にやつれ、歩くこともおぼつかなくなってきた。やっとベッドの上り下りもしていたのが押し入れの自分の巣に篭もりっぱなし。時々覗いてもぐったりと猫ベッドの縁に首を乗せて動かない。排泄だけは感心にちゃんとトイレでするけれど、それすらほとんど量も減ってしまって、それは飲食しないから当然なんだけど尿毒症になってしまうので、私の中ではもう諦めが90%、このまま静かに逝かせてあげようとまで思っていた。覚悟はできたと。

ところが諦めてから数日、どう見ても毛の艶はいい。目は半分開かないし水すら飲まないけれど、なんだか生きる手応えを感じる。もちろんこのままなら多分一週間保たない。ベッドでは猫と私は大きい長枕を共有しているので、私の顔に冷たい鼻を寄せてくる。最後の決断は治療はしないだったけれど、どうにも我慢できずに動物病院へ連れて行った。

長年お世話になっている獣医さん、今の先生は3代目。最初は優しいおじいちゃん先生、2代目はその息子さん二人、そして今の先生の陽気なお孫さん先生に電話した。猫の状態を話していたら「香箱座りできる?」「できるの。だったら大丈夫だよ」この言葉に励まされて診てもらうことにした。一目見ると彼は「もうだめなら座っていられなくて口で呼吸するから」なるほど、そう言われてみると猫はまだ普通に呼吸。香箱も後ろ足は完璧ではないけれど、前だけはなんとか座れる。いつも具合が悪くなると点滴をしてもらう。今回も同じ治療をすると、いつもは嫌がって大鳴きするのに大人しくされるままにしている。きっと効果がわかっているのだろう、それとも騒ぐ元気もない?

そして翌日早くも治療の効果が見えて、治療用高カロリーのチャオちゅーるをほんの少しなめた。そこからの回復がめざましく、もとのようにはいかないけれど、普通に年相応に食べ飲み出しをしてくれる。しかしよほど生命力が強いのか、いまやしっかりと私を見つめる目の光は健康そのもの。つい昨日までは濁って視力も消えたと思っていたのが、きれいに澄んだ眼。私の判断ミスで危うく死なせてしまうところだった。最近は嚥下がうまくできなかったので粒の細かい高齢猫用の餌を上げていたけれど、食べなくなった。それも医師によれば「味がまずいんだよ。むしろ幼猫用の餌にしてやって」と。

これで私の相棒は健在になりました。またしばらく猫の長寿記録に挑戦ということに。

さて猫でホッとしたら次は猛烈な暑さ。悪いことにレッスン室のエアコンが壊れてうんともすんとも動かなくなってしまった。よりによってこの酷く暑いときにと腹立たしい。ネットでダイキンエアコンの修理と検索すると、迅速低料金を謳ったサイトが出たので早速電話をするとすぐに来てくれると。しかし時間を決めるときに「オタクはダイキンの会社の修理部門ですか」と聞くとモゴモゴと「いやー、あのー下請け業者です」と。

以前動かなくなったのでダイキンに直接電話したときはどんな状態かを詳しく聞かれ、アドバイスに従って操作してから修理を決めて来てもらった。それが一切なく変だなと思ったらやはり困ったところにつけ込む業者だったようだ。そこは断ったので2.3日が過ぎてしまった。うちで五重奏の練習予定があったのを急遽他の人の家で練習させてもらうことにした。その帰り道に近所に新しくできた家電量販店によってみた。

もう年数も経っているし今度は前回のようにガスが抜けただけではないようなので、新しいエアコンに変えることにした。新しい家電量販店は今開店キャンペーンの真っ最中。この暑さで忙しくまさかと思ったけれど、次の日届けてもらえることになった。それでも午後2時の約束が6時になってようやく現れた電気屋さん。夜になって大きなエアコンから涼風がびゅうびゅうと吹き出たときは心底ホッとした。猫とエアコン、心配したけれど解決。でもお財布はますます空っぽになって(泣)その分涼しい毎日を送っていられるけれどね(笑)






















2022年6月24日金曜日

猫の黄昏

 昨日から猫が眠り続けている。今年のはじめのこのブログで猫が激しく夜泣きするということを書いた。その夜泣きは後ろ足の故障が原因らしいとも。病院に連れて行くと原因はよくわからない。とりあえず痛み止めと軽い睡眠薬と処方してもらって、大泣きするときはそれを飲ませてしのいでいるうちに痛みが収まったようだ。

もう人間なら100歳を越えようかという年ではあるけれど、痛みさえなければ食欲も旺盛、気力充実、北軽井沢の山荘に行けば元気で落ち葉の上をカサカサとイグアナみたいに歩く。先日の北軽行きでも異常らしいことはなかった。帰宅して数日経った頃から急激に食欲が落ち始めた。涼しく空気の良いところから暑く湿度の多い場所に戻ってきたので体調を崩したかもしれない。そして数日前から水も餌もほとんど摂らなくなってしまった。

こうなったら治療もせずに静かに眠らせておくのが一番だと長年の猫飼いの経験が教えてくれる。もう彼女は半分、安らかな冥界へ入ろうとしているのだ。以前はなんとかして助けたいばかりに点滴をしたりして無理に食欲を呼び覚ましていたけれど、元気になってはまた弱ったりする姿が可愛そうで、最近は食べられなければそのままにするようになった。

前に飼っていた玉三郎はそうやって無理に生きながらえたけれど、結局力尽きて点滴をやめたら安らかに旅立っていった。今日、心がざわついていて平常心を失った私は、AMAZONに猫砂を3組も注文してしまった。急に、そうだ!猫砂がもうすぐ終わる・・・なんて思ってしまった。でもこの子がいなくなったら大量の猫砂は余ってしまう。昨日も18歳以上のシニア猫のための餌を沢山買ってしまった。これも、もう必要ないかもしれないのに。猫がいなくなったら猫砂抱いて泣くんだわ、きっと。

今猫はぐっすりと眠っているけれど、昨夜私の枕に登ってきた。グイグイと頭を擦り付けて来てからヨロヨロとあらぬ方向へ歩く。どうやら目が見えないらしい。今朝は食べやすいようにと水で薄めたフードにも口をつけない。口元に持っていっても食べないでずっと残ったまま。でもこうすると本当に苦しまずに逝けるので私も、もう覚悟はできた。

願わくば自分自身もやたらに管に繋がれて栄養を摂らされたりしないように、周囲にお願いしたい。私は自然児だから猫と同じように生き死にしたい。でも食べ物はキャッツフードでなくヒト用の美味しいものがいい。

そんなこんなで気持ちが落ち着かないところへもってきて、先日交通違反で捕まってしまった。東京駅付近で信号待ちしていたら赤信号が青色の矢印に変わった。すっと前に出てゆっくり左折。日曜日だったので人気がなく横断歩道を渡る人もいない。数メートル走ったらバックミラーにパトカーが写った。あとを付いてきてなにか言っているけれどまさか自分とは思わない。けれどピッタリと密着してくる。不審に思って車を止めて窓を開けると「信号を見落としていましたよ」ヘッ!そんな馬鹿な。「あそこの信号はまず直進の矢印が出てその後左折が出ます。あなたは直進の信号で左折しましたね」と。直進の矢印で左折したために減点2点、罰金9000円。

それはやってしまったことだし言い訳するのが嫌いだから黙って罰金を払い込んできたけれど、問題はそれだけではない。私は高齢者講習を終わったばかり。優良運転者だから令和7年まで更新しなくても良いことになっている。しかし、その間に違反をすると大変なことになる。次回の更新では新たに免許取得のための運転技能試験が課せられる。もし試験に受からなければ免許はもうもらえない。免許がなければ私は北軽井沢で暮らすことができなくなる。

日頃事故は起こさないように細心の注意をして運転してきたし違反もスピードで1回、50年間で軽微な違反(捕まったのは)3回、事故なしは立派なものでしょう?もし次回の免許取得試験に落ちたらもう二度と運転できないなんて、私から足を切り取るようなもの。田舎の生活に車は必要不可欠。どうしよう。無性に腹が立つ。まるで陥れるような問題ある信号機、しかも待ち伏せされてまんまと捕獲されてこんなことで自分の生活ができなくなるなんて。多分多くの人が引っかかってパトカーにとっては罰金稼ぎの穴場なのだ。

しかしもう取り返しはつかないから、ものの3分で諦めた。それなら試験に受かればいいだけの話じゃん!せっかくならとびっきり好成績で受かってやろう。今から準備を始めれば受からないわけはない。今まで車に関してはほぼ満点の成績だったから。

意気込みだけはいいけれどあと3年後に自分の脳みそが腐ってなければのはなし。腐ったら運転も危ないのだからそれはそれで運転をやめろというサインだと思えばいい。最近の頭の衰弱ぶりは甚だしく、3年後にどれほどの状態であるかは見当もつかない。とにかくまた一つ面白い目標ができたと思えばファイトが湧いてくる。それでも気弱になって本屋で占いの本を買う。3年後の運勢やいかに。

あらまあ、つまらないミスで試験に落ちるかもって、ずいぶんタイミングよく出てくるじゃない。これって本当のことかも。珍しく気弱な私。








2022年6月21日火曜日

若い友人たち

 北軽井沢に珍しくお客さん。

若い世代の女性二人。キャリアウーマンたちで一人は外資系、もうひとりは映画広告などのアート系のしごと。二人は中学時代からの親友だそうで、本当に仲が良い。私がどこで知り合ったかというと、外資系企業にお勤めの人は元私のアパートの店子さん。毎回借り手が変わるたびにいろいろなタイプの人が入ってくる。その中でもひときわユニークな人だった。

彼女Mさんが私の家に引っ越してきたときは4月、ちょうど我が家でお花見をしていたので誘ったらその友人Tさんが一緒に参加してもいいかと訊かれたのでもちろんオーケーした。華やかな美人さんがついてきた。Mさんはアメリカで学びドイツ企業に籍を置き今は、日本に出張?物怖じしないし自己主張もあるし、私はこういう人といると居心地がよい。日本人はとかく遠慮や気配りが多くこちらも気疲れするけれど、彼女ははっきりものをいうので。

猫が好きというところも共通していた。彼女が入居してからしばらくしたらコロナになって在宅勤務が増え、時々気晴らしにうちの駐車場でお茶会したり、野良猫の保護に奔走したり、どちらかというと引きずり回されたけれど楽しかった。私の家に入居したのは会社が近いためで、コロナ禍で在宅勤務が増えると会社が近い遠いは関係なくなった。それで自然の好きな彼女は緑の多い地域に家を買って引っ越していった。

店子さんとの関係は殆ど引っ越しによって終わるけれど、いまでも何人かの人たちとはつながっている。子供の写真つきの年賀状など見ると年月の経過がわかったりして大変おもしろい。夜泣きのひどい赤ちゃんがいて、ある時父親から謝られた。「泣き声がうるさくてすみません」と。「赤ちゃんは泣くのがお仕事なのよ、だから気にしないで」というと「お仕事しすぎるんですよ」これは笑った。自分だってお仕事し過ぎでしょうに。若い夫婦が一生懸命子育てをしている姿はちょっと感動的なのだ。

さて北軽井沢の森に来た女性たちは私同様自然と猫が好きな二人。アート系のTさんの車でやってきた。いつもしんとしている我が家は突然賑やかになって猫もびっくり。世代を超えて話が弾む。私は若い友人も多く多趣味なのが幸いして会話はほとんど違和感がない。初日は森の散歩から始まった。二人が本当に自然の中での散歩を楽しんでくれるので嬉しかった。散歩が本当に好きらしく、あれこれ観光するより鳥の声や太陽の光や路傍の花に興味を示すのがうれしい。

Mさんは北軽井沢に来るのはこれで2回め。また行ってもいいですかというからどうぞ、お友達もどうぞと云ったら、親友を連れて来てくれた。こんな何もないところ、ショップやカフェや名所もないところへ喜んで来てくれる。そのなにもないところが良くて私もここに住むことに決めたのに、最近雲行きが怪しい.

リモートで仕事ができるとわかったら移住する人が増えたときいたけれど、これほどとは思わなかった。なにか怪しいものが住んでいそうなこの北軽井沢の森に毎日工事が入る。私が頼んだ庭仕事なんかほったらかしにされて工務店さん大忙し。こんなに人口が増えたら森に住む怪しい者たちもさぞ栖みにくかろう。私の家の周囲の数軒は毎日明かりがついている。それはそれで安心感はあるけれど、私の好きな怪しさは薄れてしまう。周囲がものすごい勢いで開発されているのを見ると、もう少し辺鄙なところに引っ越したくなる。

でもある日の夕暮れ、ホラー感漂うことがあった。私は夕方になると近所の温泉旅館のお風呂に入りに行く。夕方薄明かりの中で森のなかの道端に若い女性が・・・こんな時間に一人佇んで散歩するでもなく。なんでこんなところに?

温泉からの帰り道、少し離れたところでさっきの女性発見。もう日は傾いて薄暗がりに立ち尽くす女性。私が車の窓を開けてじっと見ると軽く会釈をしたので、なにかお困りですか?と尋ねようかと思ったけれど事情がわからないからそのまま通り過ぎた。その後近所の食堂へ。さっきの女性はいないかと探したけれど見当たらないのでやや安心した。

ところが!もう日はとっぷりと暮れて真っ暗な中、またその女性を見つけた。もう全身鳥肌。その時は他所の家の外燈の下で後ろ向きに立っていた。どうやらその明かりでスマホを見ているらしい。暗くなるとこの辺は本当に真っ暗、一寸先は闇になる。なんでこんなところに女性が一人で?しかも段々わが家に近くなっている。一目散に家に帰った。

次の朝散歩にでかけると我が家近く、新しく建った小綺麗な家の前で家族らしい3人を見かけた。その一人が昨日の女性だった。見違えるような元気そうな笑顔。そうか、初めて来て家の所在がわからなくて立ち往生していたのか、家族が到着しなくて心配していたのか。それにしてもよく黄昏の薄暗い森で一人でいられたものだ。私ならビビって大泣きしているところだった。やはり声をかけてあげるべきだったかと反省。

その話をしたら客人の二人は途中からキャアキャア怖がってかわいいのなんのって。その夜は白ワインと赤ワインを開けて話題は尽きなかった。

楽しい夜が開けて次の朝、その家の前を通ったら、まだ新しいので花壇にはほんの少し花が咲いているだけ。数日経って前を通ったらかなり造園が進んでいた。ここに花が咲き乱れたらきれいだけど、でも私の好きな木はこのために何本も切られて、明るい北軽井沢というのもイメージが違うなあ。鬱蒼とした森や夜中に風が轟々吹きすさぶのも捨てたものではない。原始の声が聞こえるもの。

私の好きな北軽井沢が変わっていくのはもう少しあとにして欲しい。











2022年6月8日水曜日

美味しいものが食べたい

梅雨に入る前から体調は下降気味、老猫の老々介護がなかなか大変で自分の食事は野菜スープを大量に作り置きしてあとは魚と肉を 日替わりに。糖質は控えめにと太らない食事を心がけていたら「あ~あ、もうダメ!」無性に美味しいものが食べたくなった。

近所のイタリアンはコロナですっかり経営難。最初のうちはこんなに長引くとは思っていなかったらしく、超美味しいテイクアウトを提供してくれた。そのうちテイクアウトというと人手が足りなくてできませんと言われてがっかりした。結構な頻度で女子会をしていたのもすっかりご無沙汰で時々店の前を通るとまだ潰れていないとホッとしていた。

先日美味しいお肉が食べたくて久しぶりに店に行ったら、スタッフがすっかり変わっていた。以前のスタッフはちょっと陰のある感じのマネージャー、厨房にはがっしりした腕の良いシェフ、出てくる料理はとても美味しくセンスの良い食器と相まって目と口を楽しませてくれた。時々マネージャーが来てお話をする。街のイタリアンとしては上等なタヴェルナ。

故人になるけれど、芥川也寸志さんという作曲家がいた。才能ありハンサムでちょっと気難しく、ぴりりと辛口な冗談がお好きだった。その方が言う。スペインの居酒屋はタヴェルナっていうんですよ。店に入っても食べられない。それで覚えたこの言葉。前述の店は私の家の最寄り駅にあり、どちらかというとがさつなこの商店街には珍しいほどの上等な店だったけれど、根本的には居酒屋の延長。食べるなと言われても時々無性に食べたくなる良い店だった。

雨降りの夕方、どうしても美味しものが食べたい!それにはあの店。思い立って開店と同時に飛び込んだ。見知らぬスタッフ。あらあら、残念、多分味もすっかり代わってしまったと思える。けれど感じが良いからとりあえず席についた。おばあさんお一人様。メニューはやはり変わってしまった。肉が食べたい。赤ワインはキャンティ・クラシコ。なぜかというとキャンティは昔イタリアで道に迷って入り込んでしまったトスカーナ地方が産地で、楽しい思い出がいっぱい。山の中のぶどう畑の道を闇雲に車で走ってフィレンツェ到着。そのワクワク感ったら、もう!

鴨のロースト、グリーンサラダ、パンをとりあえず注文。突き出しとワインでゆっくりと始めると目についたのがメニューの生牡蠣。しまった辛口白ワインを頼むのだった。けれどお酒に弱い私はもう一杯ワインを飲む余力はない。でも牡蠣は食べたいから2つ注文する。大きな牡蠣が牡蠣殻にはいっていた。つるりと喉を通り過ぎていく。ああ、キーンと冷えた白ワインが飲みたい。

鴨にたどり着いた頃にはワインはグラスの底にわずかに残るのみ。おかわりを勧められたけど、2杯飲んだら家に帰れなくなると言ったら、それは困ると思ったらしくあっさりと引き下がった。鴨はちょっと硬くてトゥールダルジャンには遠いけれどまあまあ、粗食に耐えてきた今の私には久しぶりで食すちゃんとした肉料理、美味しい。本当のこと言うとトゥールダルジャンで食べたことがないから想像しただけ。店に仕事でいったことはある。この椅子は一脚30万円しますと聞いたのは覚えている。その椅子に座って音楽を奏でても、うちのボロ椅子で奏でても変わりはないけれど、目の前で番号の付いた鴨を食べるリッチな人々の姿を眺めて目の保養。

久しぶりのちゃんとした食事の効果はめざましかった。味がいいとか栄養価が高いとかそんなことでなく、ゆったりと味わって食べることの大事さ、食は文化、これからは一人でも美味しいものを食べようと考えた。でも今夜はこれから餌を食べます。栄養とお腹が満たされればいいといった程度のものを。猫と一緒に。



生きるのって大変ですね

 私のだいぶ年下の後輩から来た一通のメール。「生きて行くのって大変ですね」

彼女はK子ちゃん。ひまわりの花のようにいつも輝いていた。リサイタルを聴きにいったらスタッフもお客さんも皆彼女のファンのようで、中でもご主人とは曲の変わり目ごとにじっと見つめ合ってニッコリと微笑み合う・・・幸せにあふれていた。演奏も安定して音が輝いていた。私は彼女とは1年に一回だけ会うのだけれど、その笑顔が見られるのが毎年楽しみだった。

一昨年の暮届いたのは喪中のはがき。彼女の大好きなお兄さんの訃報だった。若い人の死は理不尽。彼女の悲しみが文面から溢れ出ていて私は涙した。今年で丸1年経っても悲しみが少しも癒やされていないことをメールから感じられて自分のことのように悲しく思った。メールに返信するとnekotamaさん優しいと。優しいというより共鳴なんだわ。

歳を重ねると若い頃の輝かしい未来はどんどん消費されてしまって、残滓には苦しみと悲しみが積もっている。でもそれが自分の人生に新たな光と影となって深く心のひだに降りていける。これはすごいことなのだと思う。体は上手く動かなくなるし頭は物忘れ、足が痛い、疲労困憊、散歩もままならない。ところがなんだか面白い。自分ってこんなに変な人だったかと再認識する。

元々すごくお転婆だった友人も最近足が弱り、生きて行くのは大変ねという。杖なんかついちゃって。私は息をするのも大変に思うことがある。別の友人と電話で話していたら「背筋を伸ばすでしょう?そうすると歩幅を広くしてさっさと歩かないと前のめりになって転びそうになるのよ。転ばないように大急ぎで歩くから、外見はすごく元気そうに見えるのね。本当は元気じゃないのに大変なの」「そうよね。本当はゆっくり歩きたいけど、ゆっくり歩くと地面の凸凹に影響されてふらついてしまうのよね」言い合って大笑い。老人がさっそうと歩いていると思うなかれ。実は止まれないだけのことなのだ。

本当はゆっくり歩きたい。でもゆっくり歩けるのは筋力があるうち。そのうち前のめりになってスッテン!去年~今年はずいぶん私も頑張った。毎日の筋トレ、高周波エネルギーの治療を受け、毎日の散歩は欠かさない。体重の管理もばっちり。だけど少しでもストレスがあると急に甘いものを食べあさり、夜中でも空腹に耐えかねて菓子パンを食べたりする。それで今は1キロ増量中。

私の人生設計にはこれはもう済んだことのはずだった。ヴァイオリンは売り払って森の中で優雅に過ごすはずだった。大好きな馬を飼って念願だったジャックラッセルテリアと一緒に散歩する・・・はずだった。ストレスとはもうサヨナラのはずだった。ハンモックがゆらゆら揺れて木漏れ日がチラチラ降り注ぐウッドデッキで昼寝。夕日が落ちると星が輝き夜の静寂からかすかな虫の声。

でも北軽井沢の春はまだ寒すぎて虫も鳴かない。木々が邪魔して星も見えない。右も左も真っ暗闇で怖くて外に出られない。

ところが森の中の生活は大忙し。毎日問題が起きるので山に来たときは働きすぎて疲労困憊。自宅に帰るとしばらく起き上がれない。その第一は森の木の管理。毎日様相が変わる。強風が吹けば枯れ枝がわんさか折れる。折れた木の始末をしようと思ってのこぎりを買ってきたら、1日使っただけでとんでもなく疲れた。リタイアした人たちがゆっくり田舎暮らしをしようとして移住しても、こんなに忙しい毎日になるとは思っても見ないだろう。これなら別荘(別名刑務所)で三食カロリー計算付き、適度な運動、家賃なしにいたほうが楽に暮らせそう。犬が飼えないとかの多少の不自由は我慢するっきゃない。

歩くことさえ不自由しなければ年を取るのは中々良い。歩くことにこんな努力が必要とは夢にも思わなかった。明日から筋トレとダイエット頑張ります、と、言っておけば頑張れるかもしれない。








2022年6月3日金曜日

ああ、恥ずかしい

 軽井沢の大賀ホールで弾いてみない?誘われてどんなステージなのか一度試してみようと思ったのでのこのこでかけた。ピアニストのMさんの関係者で地元の先生や、その生徒さんや声楽家たちの集まり。いうなればおさらい会。

先日三鷹の風のホールでヴァイオリニストOさんと共演したMさんはまだその演奏が手に入っていて、私はいわば土俵が出来上がっているところに乗り込んだという状態。すごく楽。曲はベートーヴェンOP.20-3。たいそう若いときの作品のなかでもこの20-3は、ベートーヴェンが急激に成長する様が見て取れる。1~3曲の中で最も優れた構成で、奇をてらわず堂々と正攻法で書かれているのが好ましい。明るく優雅で華やかで。

大賀ホールは軽井沢駅近くなので、軽井沢在住のY子さんに送迎をしていただいた。Y子さんの住まいはその近くにあって、北軽井沢から山を降りた私の薄汚れた黄色い車は彼女の家の駐車場に、私は彼女の運転する高級車で楽屋入り。年をとるとなかなかいいこともあるものだわ。若い人に大事にしてもらえるもの。

出演者が多いのでステージでのリハーサルはなしだそうで、いきなりぶっつけ本番。これは参った。音響は?照明は?ピアノとのバランスは?一本勝負!土俵に登っていきなり勝負するのは相撲取りと同じ。そういえば最近私の体型もアンコ型。違いは塩がないことと、衣装はまわしでなく服をちゃんと身につけていること。

北軽井沢から帰ると映像が届いた。なんとかして見ないようにしようと思ってああだこうだ屁理屈を付けて放っておいたけれど、あまりにも親切に色々送ってくるものだから見てしまいましたよ、世にも恥ずかしいものを。

まずステージにズカズカ登場した私は譜面台をガラガラとピアノ付近に引きずっていく。譜面台の傾きが悪く照明でテカって楽譜が見えない。譜面台の傾斜を直そうとするけれど、あまりにもネジが固く止められていて私の力ではびくとも動かない。なぜこんなに固くねじってあるの?演奏者が自分で角度の調整ができないほど固く閉めないで!

どうしても動かないから楽器をピアノに載せてノコノコ舞台裏へ。スタッフに来てもらって譜面台の角度調節をしてもらう。調節したスタッフは態度が悪く照明の具合を確かめようともせずさっさと引っ込んでいった。仕方がないから演奏開始。少ししか合わせていないのにアンサンブルはまあまあ。音も楽器の調整代金ケチって鼻詰りのまま弾いたにしては、きれいに鳴っている。でも舞台稽古なしのぶっつけ本番はやはりいけません。本当ならもっと鳴らせたはずの楽器がしょぼい。その点ピアノはいい。いつでも良く鳴る。音程も狂わない。

映像を見て気が付いてゾッとしたことは、弓が曲がる!私は弓が曲がらないことには自信があった。今までいつ写真を攝られても弓は常にまっすぐ写っていた。それがぐにゃぐにゃと曲がるようになってしまったのだ。いつの間にこんなになったのだろうか?関節が固くなってきて弓を振り回してしまっている。あらまあ、1からボウイングの練習やり直し。体が固くなっているのも見て取れる。体中が固くなってしまい、微妙な調節ができなくなっているのだ。特にヴァイオリンという楽器は柔軟性が重要で、体のコンディションが即音色に繋がる。これではだめ、ため息が出る。

演奏が終わった、と思ったら私は譜面台の楽譜をむんずとつかんで畳みもしないでぶら下げて舞台をあとにした。そのでかい態度たるや、ああ!

ああ!恥ずかしい!

送られてきた動画を見て一人で叫んだ。そして笑った、なんておかしいんだろう。傍から見たらベートーヴェンのソナタを聴きながら大笑いをしている図なんて、ホラーだあ。




2022年6月2日木曜日

だんだん近くなる

 田舎暮らしに憧れて都会から移住しても地元に馴染めず、尻尾を巻いて逃げ出す人も多いらしい。それはそうなのだ。私だって北軽井沢に通うこと10年、家を譲り受けてから4年、やっと地元のことが薄々わかってきた。

もっとも私は定住したわけでなく、自分の家と森の家との居住比率は3対1位。いつも忙しく行きつ戻りつ、これでは馴染むことも難しいと思っていたけれど、最近ようやく1週間ほど滞在できるようになったらだんだん町の顔が見えてきた。新しい環境に馴染もうと必死で交友関係を模索するのはやめたほうがいい。なんでも徐々にゆるゆるとが最良。

私の場合はお隣さんが古い知り合いというのが幸いして、最初から人間模様が見えていたのが良かったけれど、それでもなんだかテンポ感が違う。例えば工事を頼んでもなかなかことが進まない。見積もりを出さない、設計図がないなど、私の自宅に出入りするリフォーム業者の完璧な仕事ぶりになれていたのではじめはただただ驚いた。見積もりも、これをやったらいくらときちんと値段が決まっていれば計画が立てられるけれど、北軽井沢でいくら位になりますか?と訊いても返事がないと工事を頼みにくい。億万長者ならいざしらず、百万長者でもない私は野垂れ死にする覚悟でもない限り、危険を犯すことはできない。

そういう愚痴を別荘の管理事務所でしていたら紹介されたのはもと東京の人。地元の人は私とペースが違うだけでとても良い人達ばかりだけれど、テンポ感の違いは如何ともし難く最後に腹を立てて理不尽な罵詈雑言をはいて関係が悪化するのがいつものこと。元東京都民の木工業者はこれとこれをやるには丸2日かかります。助っ人も必要なのでこのくらいでいかがですか?と明快な予算を提示してくれて納得の上で庭仕事をお願いした。

庭仕事は楽しいけれど、漆にかぶれた経験者としては二度とごめん。聞けば軽井沢地帯には130~140とか漆の種類が繁殖しているらしい。おお、こわ!

北軽井沢は自然がいい。キャベツ畑ばかりの僻地というなかれ、けっこう文化人が住み着いており、先日訪れた自動車やさんのご主人が北軽井沢愛を熱く語るのを聞いていると私も共感するものが多い。私が腹を立てて牙を剥いても立ち向かってくる命知らずな人はいなくて、のんびりといなされてしまうので最近は腹も立たなくなってきた。今ではこちらに終の棲家を見つけようかとも思うようになってきた。住民票を移すとどんなメリット、デメリットが有るかなどとも考える。

なぜかというと、今コロナ禍の中で地元の施設の貸出しが限られていて中々貸してもらえない。住民票の持ち主に限るといわれても、なんとか疫病を食い止めたいという必死の努力があればこその事情だからこちらも文句は言えない。しかし、生徒たちがアンサンブルの練習に訪れてきても練習場所が確保できず、私の家の狭いリビングでひしめき合って練習するほうがよほど危険なのだ。これが3年続いていたのでいっその事住民票を移してしまおうかと考えている。私は喜んで北軽井沢人になろうかと。

どちらにしても北軽井沢は私の生まれ育った家の裏庭に似た風景なのだ。私の生家の前庭は造園されていたけれど裏庭は放ったらかし。崩れかけた葡萄棚や古井戸、群生の枇杷の木、竹藪、ぼうぼうと草が茂り生け垣の穴から近所の子供達が出入りした。私はこの裏庭が大好きで、ここで一人遊びをしていた。枇杷の木の張った枝に座布団を載せてその上で昼寝を楽しんだ。飾らないありのままの自然で、大山の峰々の上にそびえる富士山が全く遮られるものなく夕日に輝くのを眺めたものだった。今その頃の自分に足早に戻っている。

森の家をノンちゃんが譲ってくれたのも私を子供の頃に戻してくれるためだったのか。初めて彼女の家に入ったとき「うちの裏庭そっくり」といったものだった。これは非難したのではなく本当にきれいだと思ったからで。今その美しい季節になったので、先週滞在してきた。徐々に北軽井沢と私が近くなっていく。しかし開発の波が下から押し寄せてきている。家がどんどん建って10年後にはどんなになっているのか、願わくばこれ以上木を切らないでほしい。