3日間の五重奏合宿、行ってまいりました。
地獄の暑さを逃れて北軽井沢の森にこもって練習に勤しもうという目論見で集まったのは、ヴァイオリンのnekotama、ヴィオラは追分の住人Iさん、チェロは初参加のKさん、コントラバスはHさん、ピアノはHさんの友人Mさん。
コントラバス奏者Hさんが見つけたのはゲッツという作曲家の五重奏曲。普通ピアノ五重奏曲といえばピアノ、ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ各1。ヴァイオリンが一人でコントラバスが入る曲といえば有名なシューベルト「マス」この編成は珍しく、それと同じ編成の曲は私はいままで知らなかった。ゲッツという人の名前すら知らなかった。解説によればシューベルトと同じ頃、ドイツで人気のあった作曲家だという。その人の「マス」と同じ編成の曲を演奏してみようという目論見で譜読みを始めた。
コントラバスは今でこそソロや様々な演奏形態で出番が多いけれど、私が若い頃はまだそれほど目立つ楽器ではなく裏方に徹することのほうが多かった。日本の女流コンバス奏者もその頃は本当に数少なく、そのうちの一人がHさん。私はいつもキャアキャアと高い音を出しているので、低音楽器はとても魅力的に思える。ヴァイオリンよりヴィオラ、もっと低いチェロ、もっともっと低いコンバスというように。だからディッタースドルフのヴィオラとコンバスの二重奏曲などは、私の大のお気に入りでコンサートを計画するときには真っ先に曲目に入れたくなる。コントラバスが入ることによって響きに深みが出る。
先日のカルテットのモーツァルト初見6曲弾きで疲れ果てて寝込んだこともまだ記憶にあたらしいのに、今回は北軽井沢のミュージックホールを借りての3日間連続リハーサル、果たして体力がもつかどうか。早朝チェロのKさんと待ち合わせて関越道をひた走る。
私達フリーの演奏家はコロナ以前は忙しかった。特にチェロは引っ張りだこだったので、今回チェリストが参加してくれるのは本当にありがたい。コロナのおかげ?かもしれない。ホールの貸出しもコロナ禍の今、難しいところもあったけれど町役場の好意でなんとか使わせてもらえた。特に私のように北軽井沢の家は森の中、ドアからドアへの車移動、他県から来ても接触感染拡大の心配はない。演奏者全員ワクチンは4回済、観客なしだから。
昼食時に集合して我が家でカレーを食べる。ゴロゴロ野菜いっぱい、トマトの入ったカレーは到着と同時に作り始め、30分ほどで出来上がり。14時からの練習に備えて、たらふくお腹に詰め込んだ。
ゲッツの曲は今まで2回練習したものの、なにか馴染めない。構造が複雑というか雑というか納得がいかないことがあって、あまり演奏されないのもわかるような気がする。しかし、全体としてはロマンチックで劇伴のようにドラマチック、悪くはない。その午後はゲッツの練習で終わり、一日目解散。夕飯はチェロのKさんと二人で昼間のカレーの残りにチーズをかけて食べる。他の人は追分のIさんの家へ分宿。静かな森に包まれて食後すぐにふたりとも深い眠りに落ちた。私にしては本当によく眠った。Kさんも熟睡したという。
次の日は午前午後通して、ゲッツとシューベルトの練習に入った。マスは皆演奏経験があるので合わせることに問題はないけれど、さすがシューベルト、なんとも言えず難しい。私にはどうもシューベルト弾きのセンスが無いらしい。いつも手こずっている。昼ごはんはコンビニ弁当。
練習後は皆でホール近くの地蔵川温泉に。この温泉は私の毎日の入浴場所。我が家のお風呂が巨大で、私が溺れる心配があるというのは大げさではない。大きいからお湯がたまるのが遅い。48度くらいに設定しておいても溜まった頃にお湯がぬるくなっていて不愉快。なぜなら浴槽がタイルで冷たいから。大きいうえに深い。それで一人のときは毎日この温泉に入りに行く。
宿は大正ロマンの雰囲気で、ピカピカに磨かれた床、竹久夢二の絵や細かい細工の置物、玄関には水琴窟が涼やかな音を立てている。浴槽は小さめで5、6人も入ればいっぱいになってしまうくらいだけれど、大きな旅館ではないのでいつもゆっくり入れる。温泉から出てきれいな庭の見えるロビーで水分補給して、ゆっくりと帰宅するのが私の日課になっている。
最終日は本番。と言ってもお客さんなし。本番のつもりでの通し稽古。しかしゲッツはやはりなんとも理解し難いところや音があって時々止まってしまうので、シューベルトにかける時間がなくなった。「マス」の繰り返しすべて省略して終わったのは12時50分。これで解散ということなのだけれど、皆で食事したのは最初の日のお昼だけだから、近くのレストランのランチで打ち上げにした。
家のチェックを済ませてすぐに出発。3日間涼しく暮らしていたのに途中で立ち寄ったサービスエリアで車を降りたら、途端にめまいがするほどの暑さ!クラクラっとした。
しかし暑い!!夏中森に居たいけれど、先日信号無視して捕まったので、8月3日に免許証センターで認知機能検査を受けなければならないから渋々帰ってきた。姉に面倒見てもらった猫の様子が心配だったけれど、猫は平然としている。なんだ、私がいなくても大丈夫じゃないの。
高齢者の免許を取り上げようと様々にプレッシャーをかけてくるけれど、私たちは車の運転ができなければ自由に動けない。年齢でなく知能検査と反射神経で判断してほしい。私は毎日のように運転しているけれど、56年間無事故。軽微な違反は3回くらい。スピード違反で免停一回。更新時の検査はいつも満点。視力に問題なし。これでも年齢だけで免許を取り上げられるの?
最近車を替えた。同じ車種だけれど、ここ3年で安全性が抜群に向上した。北軽井沢で冬に車で近所のスキー場に行きたい。4WD、雪道での横滑り防止装置付き、緊急時に使える非常連絡装置と事故現場の特定装置、自分がもし意識がなくてもそれが働く、山道で白線からはみ出すと軌道修正してくれる。多少お金はかるけれど、安全を買えるなら多少の出費はやむを得ない。それなのに、もし今度の検査で悪い結果が出たら運転を諦めないといけなくなる。頑張らないと!