2022年7月18日月曜日

乗っ取られたfecebook

私が柄にもなくfecebookを始めたのは人から勧められたからで、自分で始めたかったわけでもなくメールが便利だったため。fecebookまみれの人がいて、普段メールの返事がなかなかこないけれどfecebookに連絡すると即返事が来るということもあった。fecebook友達と連絡するときに 、写真などの感想もこちらからの写真も送れるという手軽さが良かった。

けれど根っからの無精者、すぐに入ったのを後悔した。どんどん友達申請が送られてくる。fecebookからもお友達になりませんかとかなんとか余計なことを言ってくる。私は交友サイトには全く興味がないし、現実の友達だけでも手に負えない。多士済々、変わり者揃い、危険人物数知れずなのでもうこれ以上お腹がいっぱいで入りません。ホストのような男性から友達申請が来て無視していたら絡まれてたいそう嫌な思いをしたことがあったのでもう懲り懲り。それでも便利なことは便利、友人たちの活躍ぶりを知ったり、懐かしい顔が見つかったり、それなりの利用価値もあった。友達申請はそれ以後ほとんど無視が続いて、来てくださった方たちごめんなさい。

ところが今日、自分のページを開けて驚いた。様子が全く違う。友達にも知らない顔がずらり。もっとも知らない人とも友達になれるのがfecebookの売りだからありうることだけれど、広告まで出ていてすごくにぎやかなことになっていた。慌ててパスワードを変えたら本来のしょぼい私のページが出てきた。あまりに更新しないので見かねた演奏仲間が私の写った写真やコメントを寄せてくれて、なんとか体裁がつくといった感じ。

実は随分前から乗っ取りのことは指摘されていた。それでもほったらかしにしておいた。別に犯罪に加担しているわけではなく、害が及ばないなら放っておこうという私自身への無関心さがあって。facebookからも更新したのはあなた自身ですかという問い合わせのメールが来ていたけれど、これ何?。しかし今回見たらだいぶ品のないページになっていて、なによりも広告なんて出すな!

下品なのは私の取り柄?だけれど、できるなら私の好みの下品さにしてほしい。

こうやって放り出してあるアカウントを見つけて自分のものとして広告収入を得ようというさもしい御仁がいるのだ。ネットで買い物することが多いので、私の情報がどこからか流れ出ているということなのだ。そろそろ潮時と心得て今後新しいことを始めるのもやめて、大人しくしたいと思っている。ただ友人の中にはユニークで面白い人がたくさんいる。その人達の動向を探るのもたいそう面白く捨てがたい。さて、どうしたものか。寄生虫のような、ここまでみみっちいお金に対する執着を見るとなさけなくなる。

今話題の統一教会。神様がなぜお金がほしいのか、その辺考えてみればすぐに答えは出るはずなのに大金を献金する人。家族を地獄に追い込んでもなお反省しない。狂人としか思えない。結局宗教は最大のエゴ。本気で信じている人には申し訳ないけれど、一言、言わせてもらうなら「森の中で一人ひざまずいてお祈りをするのが好き」これです。

これは「赤毛のアン」の中に出てきた言葉であまりにも昔のことだったからうろ覚えだけれど、本当にそうだと感動したことがあった。

私はまだ子供で(信じられないでしょうが私にもそういう時期があったので)たぶん小学生だった。けれど、いつも思っていたのはなんでお祈りするのにきらびやかな装飾や偉そうなお坊さんが必要なの?だった。神佛は森の木のように真っ直ぐで爽やかなものでないといけない。決して人の手で作り出すものではないと。実は私も神様はいると考えているのですよ。でもそれはお金やある形を取るものではなく自分の心にだけ存在するものと。

面白いのは無神論の考え方。ある哲学者、多分カント。間違っていたらご指摘ください。彼は最初神はこの世にあまねく存在すると考えた。しかし、あまねく存在するならその存在を抜いても万物が存在するなら神はいらないとも。算数みたい。

それがお金にまみれて不幸を作り出すなんて言語道断。安倍元総理が国葬なんてのも言語道断。そうしたければ自民党さんは税金を使わずご自分たちの懐からお出しくださいませ。森友、加計問題どうなっているの。あの事件で周りの人がどれほど苦しんだかを皆さんお忘れなく。まして昭恵夫人を後継者にという動きも言語道断です。






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