2022年10月29日土曜日

蜃気楼

 北軽井沢の森は今頃が一番きれい。新芽の吹き出す春先もきれい。一体どちらが1番なのか訊かれても判定はつけがたい。朝日が木々の間から輝いて冷たい空気が肺の奥まできれいにしてくれる。猫も寒さをものともせずウッドデッキを歩き回る。

森の家は北国仕様に建てられていて暖房設備はばっちり。裸足でTシャツ1枚であるき回り、時には暑すぎて暖房を止めることもある。一度温まってしまうと外気が遮断されているので温かい空気が逃げ出さない。その代わり庭に出れば身震いする寒さ。そんなところから先程自宅に戻ったら、おお、寒い。今日は関東地方も寒気に襲われるそうなのだ。

自宅駐車場に私の車が入っていくと野良が飛び出してきた。数軒に保険がかかっていて食べ物には不自由しないようだが、よしよし、やっぱりうちのご飯が一番好きなのね。抱き上げると少し痩せたような気がする。うちの猫が許してくれるなら一緒に森の家に連れていけるのに、と恨めしい。

北軽井沢は気持ちの良いお天気が続いていたので新幹線で富山まで足を伸ばしてきた。当日の天候は無風快晴、流石にセーターは着たものの、ライナー付きの薄いコートで事足りるほどの暖かさ。山を下りたときに道路上の温度計はマイナス4度、しかし寒さはさほど感じない。日差しがあればコートを脱いでも大丈夫なくらいだった。浅間は冠雪したかと思えるくらい全身真っ白、しかし本当に雪なのか霜なのかは遠目ではよく分からない。

山を降りて軽井沢の駅前のコイン駐車場に車を停める。ここは列車の乗客の送迎用で短時間の駐車を主に扱うので、はじめの30分まで無料、30分を超えると駐車料金は一気に跳ね上がる。しかし夜帰ってきたときにすぐ車に乗れるのはありがたい。これは決して贅沢ではない。足が痛むのでこれは治療費と考えればいい・・・という屁理屈。

7時34分発金沢行の列車で1時間50分ほどで待ち合わせ場所へ。そこに待っていてくれたのは古い友人のKさん。じつは放送大学の学友なのだ。私が放送大学に入学したのは41歳のとき。高校から音大付属~音大だったのでひどく常識に欠けている。そこに出現したのが放送大学だった。最初はNHKかなにかの通信教育かと思ったら、これがれっきとした通信制の大学だった。入るのは条件を満たせば誰でも試験無しで入れる。しかし、出るのは難しかった。うちにあった教科書を見た某大学の数学科出身の人が「なんでこんなに難しいのか」と驚いたくらいだから、きっとそうなんでしょう。私は普通の大学をしらないからこんなものかと思っていたけれど。

学友同士お互いに年をとったものの健康で再会を喜びあった。私は仕事の関係で富山にはしばしば行くことがあった。時々連絡すると車で富山湾に連れて行ってもらったり地元の名所を案内してくれたりしたものだった。私はたいてい仕事が終わればさっさととんぼ返りで、数時間話しができるだけ。そんな希薄なお付き合いでも今まで続いたのは浮世の柵の少ない学友ということだからかもしれない。

富山の次の新高岡で下車、まず連れて行ったもらったのは国宝の瑞龍寺。https://zuiryuji.jp/

私が富山にしばしば仕事に行っていた頃国宝に指定されたと聞いて、その時から行ってみたいと思っていたところなのでまず見せていただいた。期待以上の素晴らしさで、前田家ゆかりの北国の名工が魂を込めて作り上げた迫力に圧倒された。建物はいずれも屋根が重々しい。雪に耐えるような設計がされているのだと思うけれど、分からないながら天井の木組みの装飾までもが計算されつくされた感じが見える。単に彫刻というだけではなく重たい屋根を支える役目も果たしている構造になっているに違いない。息を飲むほどの迫力だった。もう少しその方面に詳しければもっと興味深かったかもしれない。

次は高岡市万葉博物館

https://www.manreki.com/

大伴家持が今から1272年前に高岡に越中国守として在住したという。そんなことも知らなかったのでひどく感激した。かつて私の愛読書は斎藤茂吉の「万葉秀歌」だったのでそのくらいのことは知っていても良かったはず。しかし来てみないとわからないし覚えない。Kさんはすらすらと歌を諳んじている。地元は強い。こんな雅な土地に生まれ育った強み。

最後に富山湾に連れて行ってもらった。無風快晴温暖、もうこれ以上の条件はないと思える小春日和、海の深い青、空の柔らかい青、その境目に見えました、蜃気楼。

今年春、どうしても蜃気楼が見たいのでとKさんに尋ねると、色々教えてくれたから夏中魚津市役所からの情報を待っていた。しかし今ひとつ強力な出現情報もなく諦めていたらこんなところで!

海岸に高く伸び上がるエレベーター。それで上に登ると地球は丸い!と実感できるほど高いところまで到達する。その上の方から岬が左右に突き出ている場所を眺めていると「蜃気楼」とKさん。「どれ?」「ほら、右側の突き出た岬は本当はあんなに長くないから、その先に見えるのが蜃気楼ですよ」なんかもっとゆらゆらとして船が中空に浮かんでいるようなイメージの蜃気楼が案外地味に島の先みたいな顔をして居座っている。劇的な出会いではなかったけれど、これで蜃気楼にも出会えた。

海から戻り慌ただしく3時の新幹線で軽井沢に戻った。猫を森の中に一人ぼっちでおいてきたのでさぞや寂しがっていると思っていたら、息せき切って帰ってきたのにぐうすか眠っていて出迎えようともしない。私の気まぐれに快く付き合ってくれたKさんにも、ろくすっぽご挨拶もせずに戻ったというのに。その猫の姿はまさに私そのものかもしれない。













2022年10月18日火曜日

運動はじめようかなあ

左足の痛みで愚痴をこぼしていたら、急速に回復の兆し。やっぱりわたしゃ原始人だねえ。

痛みには強いほうだと思うけれどやはり毎日絶え間なく痛いのは気色が悪い。寝ているときは足を使わないからベッドの中だけは平和。目がさめるとさあ、どうやってベッドから降りようかと思案する。降りて歩き出すまでがひと仕事で、ようやく5,6歩歩くと正常な歩行になる。それまではギクシャクギクシャク。

病院へ行こうとおもっていたけれど、なんとなく毎日中途半端に用があってゆっくり診察も受けられない。やっとでかけて診療待合室に足を踏み入れてぎょっとした。すごい人の数なのだ。待つのは大嫌いだから午後の診療時間に出直すことにした。

出直して正解、すぐに診察を受けられて適切な治療が受けられて痛みは半減、未だに痛みは残るけれど歩行に支障はなくなった。それで少し距離があったけれど自宅まで乗り物に乗らないで歩いて帰った。これが良くないのは後で分かるけれど、久しぶりの普通の歩行に文字通り浮足立っていた。

医師のなぜ足が痛くなったのかという質問に考えてみた。痛みが出る前日、自宅駐車場のコンクリートの縁と道路の落差に半分左足が乗ってバランスを崩しかけた。転ぶかと思ったけれど、ひらりと体を半回転させてかろうじてバランスを取って転倒は免れた。けれどその時膝を少し捻ったかもしれない。原因はそれしか思いつかない。老人はこんな華麗な振る舞いをしてはならないという教訓。

上半身は職業柄鍛えられているけれど、下半身はひどく脆い。今後はあらゆることで鍛錬していかないと上質の老後は過ごせないからなにか始めることにした。手始めはまずリハビリ。ウオーキングだけでは間に合わない。年をとってからは健康に生きることにこんなにもエネルギーが必要だということを思い知らされた。

病院で山のような薬が処方されて、先日のかゆみ止めの悪夢が蘇った。痛くなければ飲まなくてもいいですね?と何回も看護師に念を押す。やっとかゆみ止めの薬の副作用が消えたと思っていたのに更に痛み止めを飲んだら多分認知症街道まっしぐら。痛みは生きている証拠と思ってがまん。

コロナ以前、カーブスに体験に行ったことがあった。その時は椅子に腰掛けて腕を前に組んで片足で椅子から立ち上がるという動作がなんなくできた。それでこんなことができるなら訓練しなくてもいいさと思ってしまったので、今更ながら後悔している。あそこで続けていればもう少し状態は良かったかもしれない。以前通っていたジムにもういちど戻ろうかと思っても見たけれど、格闘技のインストラクターの出す指示はけっこうきつい。どこかで「よしよし、よくきたねえ。お上手お上手」といって甘やかしてくれるジムはないものか。

以前通っていたジムは流石にプロ集団で、運動が筋肉にきちんと効いているかどうか姿勢のチェックが厳しかった。私としてはそういうほうが好きではあるけれど、最近はあまり努力するエネルギーもなくなっている。ヨガも考えたけれど大勢の人と一緒に同じ動作をするのは苦手。これでよくオーケストラに10年以上在籍できたものだと思う。

ふと思ったのはずいぶん長いこと泳いでいないこと。水は苦手だけれど水泳を基礎から習うのもいいなと。スキューバダイビングの楽しさも思い出した。ただ水との相性は最悪で、ダイビングに行ったあとは必ず体が冷えてしまって発熱するのがいつものことだった。プールで重たいボンベを背負って200メートル泳げと言われたときの悪夢のような体験も思い出した。これができなければライセンスは取れないと言われたから息も絶え絶えに泳いだけれど、最後の5メートルはほとんど溺れていた。

水泳かあ。始めてみようか。今まで我流で一応平泳ぎとクロールはできる。でも多分平泳ぎというより🐸カエル泳ぎ。クロールというより溺れかけて助けを求めている人。息継ぎだけは一応できる。これは習ったのではなく盗んだ技術。上手そうな人を見ると水に潜って観察する。足は?手は?一歩間違えれば変態と思われるかも。そうやって息継ぎも覚えた。

プールというところは変なおじさんがいる。これは本当の変態さん。ぶつかるはずのないところでわざとぶつかってくる。2度プールのど真ん中でそういうおじさんを捕まえてお説教したことがある。だから半分行きたくないのよね。と言ってプライベートでプールがある豪邸に住める身分でもなし。私はお金には執着しない性格だけれど、そういうときにはお金持ちだったら良かったのにと時々思う。


2022年10月15日土曜日

決して寝てはならぬ

この年になったら何があっても寝込んではいけない!

声高に叫んでいるのは現在寝たきりの一歩手前で頑張っている体験者からのメッセージですのにゃ。どれほどしんどくても頑張って立ち上がらないと大変なことになりますぞ。

先月前半、野良猫のノミにやられて痒さ止めの薬を飲んだら眠くて眠くてほとんど1週間眠り続けた。先月末の古典音楽協会の定期演奏会はかろうじて切り抜けたけれど、その後がよくない。全く体の自由がきかない。今は左足の膝関節が曲がらないので階段を降りるのが一苦労。膝の故障はいつからかといえば、最近、急に気温が下がったつい1週間ほど前から。それまでなんとか持ちこたえていた気力が我慢の限界を超えて今頃ガックリときたらしい。

思うに、やっと気力だけで保っていたものは気が抜けた途端に体力を奪っていったようだ。回復には時間がかかる。曲がらない左膝の屈伸運動からはじめて寝たきりになったときにすっかり衰えてしまった筋肉を取り戻す。もう一度ジムに通って辛い筋トレに励もうか、それともゆっくり散歩からやり直そうか思案中。

膝の痛みはかなりひどいけれど、薬は絶対にのまないようにした。痛みの我慢はなんとかなるけれど、かゆみは耐え難い。野良たちは首の後ろに強い薬を滴下されて今のところ蚤も静かにしているようだ。普段のわたしは限界まで薬を使わないけれど、かゆみにはめっぽう弱かったことがわかった。今後は鬼のようにノミ・ダニ退治に邁進する。

メス野良はいつも身ぎれいなんだけどオス野良は汚いところで寝ているようでしょっちゅう痒がっている。去年の冬はオス野良も家に入れていたけれど、もう入れてあげない。それでオスは少し僻みっぽくなっている。私を横目で見るようになった。懐いているときは目がウルウルしていて下から見上げてくる。けれど今は少し離れて横目で見る。悲しいけれど、私も自分を守らないといけない。部屋は煙で燻され猫には薬、箪笥の引き出しやクローゼットは防虫剤、これは人間にもあまり良いことではなく、私がそのうち除人されてしまいそう。

日常に緊張感がないと日がな一日寝ているようになるから、あえて難しいことに挑戦する。あたらしい曲を始めることにした。幸い「変な曲」が好きな仲間がいてピアノ・クラリネット・ヴァイオリンという編成のトリオを弾こうと相談がまとまった。ハチャトゥリアン、バルトーク、ストラヴィンスキーなどにそういう編成があるので。

ストラヴィンスキーは「兵士の物語」これは数年前に弾いたので一応やったことにして、今回はハチャトゥリアンのトリオに決まった。さっそく楽譜を取り寄せてみると思いの外きれいな曲で、あとは他のお二人さんのスケジュールが空くのを待っている。なんとか仕上げたら、我が家の狭いレッスン室で生き物に聞かせようという魂胆。猫でもいいけれど反応がイマイチでひっかかれるおそれがあるから、やはり人間が望ましい。私ののぞみは落語家とのコラボ。若手の落語家がうちで一席なんていいなあ。だがその後ハチャトゥリアンを弾いて落語よりももっと笑われたらまずい!そういう事態も起こりかねない。

冗談さておき、老後の楽しみは限りなく、旅にも行きたい。ヴァイオリンをひいているとコンディション作りが難しく、気難しくなる。旅に出れば練習が不足する。色々考えるとあっちもこっちもは体力的に無理。欲張りすぎ?

12月にはシューベルトの「ます」の編成での小さなコンサートが3回待っている。「ます」は普通のピアノ五重奏曲の編成と違って、通常はヴァイオリン2,ヴィオラ1,チェロ1のところがヴァイオリンが一人抜けて、ヴァイオリン1,ヴィオラ1、チェロ1,コントラバス1の編成。同じ編成はとても珍しくゲッツというドイツの作曲家が一曲書いている。それと「ます」を組み合わせ、他にそれぞれの楽器のソロが入る構成となっている。

練習は今日、ゲッツの五重奏曲は先月北軽井沢で合宿したのでもうすっかり出来上がったと言いたいところだけれど、ひと月も経てばすっかり頭から抜け落ちている。毎回初見で弾いている気がする。シューベルトの方は流石に長年の積み重ねで譜読みは大丈夫でも腕のほうが衰えているから、どちらも同じように心許ない。ゲッツの五重奏曲はやはり名曲と呼ばれるような作品ではなく、音の必然性に欠けるので覚えにくい。なかなか美しい曲なのにごちゃ混ぜの感があってそれだから弾き難いと言える。シューベルトとの才能の違いがわかってしまい気の毒に思える。話題作りで並べて弾かれてしまうとは彼にとってとんだ災難かもしれない。

私の足は時々僅かな筋トレでなんとか回復しそうな兆しが出てきた。使わないと一気に筋力が落ちるという恐ろしい現実があって、人はいつでも動いていないといけないことを思い知らされた。それでまた1から出直してウオーキングとダイエットに励むことに。老後はゆっくりなんていうのは夢だった。老後は寝るな!だなんて誰が想像していたことか。怠け者の儚い夢が壊れた昨今でありました。ヤレヤレ!









2022年10月11日火曜日

イワシておけばいい気になって!

 イワシを数日食べ続けたらすっかり賢くなった気がした。しかしこれが限界。青魚特有の匂い(私は嗅覚障害なのに)が鼻につき始めたら切り替え時。魚の匂いには果物が欲しくなる。私は肉には果物を入れて調理することが多い。例えば豚肉にはりんご、牛カツには梨を添える。生ハムは定番のメロンといきたいところだけれども高価だから洋梨を使ったり。いちじくも人気者、塩辛い生ハムも人気者、それでその両者を組み合わせる。カニカマにグレープフルーツ、甘酸っぱい果肉と一緒に食べる。本当は本物のカニを使いたいところだけど、年に一回くらいしか食べられないカニよりも安価でスーパーで買えるカニカマを使用する。

テレビで平野レミのレシピを紹介していた。大胆でなんて自由な発想なんだろう。最近の料理番組は私達が若い頃の内容とは隔世の感がある。もちろん私達の生きた時代はすでにはるか昔になっているので当たり前。

有名調理学校のDさんという調理師がテレビの料理番組を担当していたときがあった。それはそれは繊細ですべてきっちりと切りそろえられ立派な料理ができあがる。出汁のとり方も決まったやり方で盛り付けも素晴らしい。ですが言わせていただけるなら、それを毎日一般家庭でやれと?奥さんが子供をあやしたりしながら完璧な計算をしろとでも?

仕事で疲れて帰ってきたご主人が、料亭のようなもてなし料理を出されたら窮屈に思うのではないかといつも思っていた。ああ、カレーライスが食べたいなどと。しかもそのDさんは気難しくて、ある時アシスタントがお気に召さなかったらしく徹底的に無視する。メインのアナウンサーには話しかけるのだがもう一人の方は完全無視。泣き出しそうな顔で立ち尽くす女性。その時思った。こんな人の作った料理は食べたくないと。なんて嫌な親父なの!

本番前のアシスタントの言動になにか気に触るものがあったのかと思うけれど、一言も喋れずカメラの前にさらされているアシスタントが気の毒でならなかった。デリカシーの欠片もない人が立派な料理を作っても、ああ、美味しいと言って食べられる料理では絶対にないと思う。料理は焦げたり煮えすぎたとしても自分の愛する奥さんが作ったもののほうが絶対に美味しいと思う。いくら出汁のとり方が完璧でも、意地悪く箸の上げ下ろしにも文句つけられたら誰がしみじみ味わえるかしら。

と、ここまでの布石は私の料理話しへとつながる。およそ物事すべていい加減なので生煮え、焦げ付き数知れず、しかし速さだけは超一流。目の回るような生活の中で演奏会を終えて夜中に帰宅して、さてうちの夕飯を始めるというとき、1時間も手間をかけたら眠る時間がなくなる。それで帰宅するなりお湯を沸かす。冬ならホットウイスキーを作る。まず喉に温かい飲み物を入れる。すると急に愉快な気分になって仕事の悩みや人間関係の辛さも一気にお湯に流せる。

3分もすれば酒盛りが始められる。まずきゅうりか何かを適当に切ってお味噌を添えて一品。塩辛とかあれば最高!冷蔵庫を漁って残り物の野菜で一品炒め物など。溶けるチーズがあればトマトを温めてチーズをかければ完璧。それで仕事疲れも忘れてぐっすり眠れる。日々の食事はそんなものでよろしい。毎日料亭で出されるような立派な料理はいらない。多少塩辛くとも甘すぎても奥さんの愛情こもった料理が食べられたら、それが一番幸せ。

奥さんのいない人は?どうすればいいの。私も奥さんがいない。だから猫にやらせ・・・られない。一度でいいから猫に言ってみたい。

ねえ、私のご飯はまだ!










イワシを食す

 基本肉食でめったに魚を食べないけれど、ダイエットのために魚食に切り替えた。今年は秋刀魚が不漁で高い。我々庶民には贅沢な魚になってしまったサンマ、それでイワシを代替品にと言うわけではなく私はイワシが好きなのだ。

イワシは頭とワタを取ったら即、水できれいに洗う。これをやるかやらないかで生臭さが全く違う。特に骨の周りに溜まっている血を洗い流す。鍋に酒、みりん、生姜、梅干し、醤油を入れて落し蓋をしてコトコトと煮込む。一度にたくさん煮ておいて冷蔵庫で寝かせると長持ちするから、数匹ずつ取り出してそのまま食べるか、グリルで焼いて食べる。今回は煮汁にトマトを入れて煮込んでみた。トマトが入ると急にイタリアンに見えるから面白い。

魚にするとダイエット効果が何故あるかというと、付け合せのものがちがう。イワシには人参、れんこんやごぼうなどの根菜類が似合う。肉にはポテトなど少し重めの野菜がいい。今回のイワシの付け合せは、れんこん、人参、ごぼう、舞茸、牡蛎の炊き込みご飯。

普段は殆ど肉類、ところがある日突然無性に魚が食べたくなる日がある。そこで魚屋さんへ飛んでいく。鰺やイワシなどの青魚、牡蛎などの貝類、カニ、エビなどの甲殻類、酒のつまみのような塩辛とかひじきなどの海藻類。どっさり買い込んで飽きるまで食べる。すると突然肉が食べたくなる。その繰り返し。

人の体はちゃんと足りなくなった養分を知らせるようにできているらしい。魚を食べ飽きるとまたいつもの肉食に戻るというわけ。最近は肉でも牛肉に偏っている。今まで牛肉はあまり食べなかった。鶏肉メインでたまに豚肉。一番好きなのはラム肉。ラムは高いから今は殆ど我慢している。それが最近急に牛肉に取り憑かれている。いったい何が体に不足しているのだろうか。

人は食べたいと思ったものを食べればいいらしい。かと言ってお菓子などの甘いものはだめで体の声に耳を傾ければちゃんと栄養が取れるらしい。そう言っても私はある日突然お菓子を食べ始めてとどまるとことを知らなくなることもある。それは心が満たされないとき。最近の体重増加もその心の動きによるところが多いかと思う。今のところ私はイワシが美味しいからもしかしたらダイエットに成功するかも、いや成功しないと歩けなくなるからぜひとも!

でも明日からイワシは卒業、今冷蔵庫に大きな牛肉の塊が入っている。付け合せはそうするとじゃがいも、人参、ブロッコリーなど。ちょっと重たい。とまあ、一日中食べることを考えているわけで、食べられるということは何と言っても生命力に通じる大事な体の要求と考えると、足の痛みさえ収まれば元気なのかな?それとも無理に元気になろうとしているのかな?その辺は自分でもわからない。

友人の中に面倒見の良い人がいる。私が動きすぎて疲れるからもう少し休みなさいと常々言う。私がそれに反発するに「生きていれば疲れるのは当たり前。それでは私は椅子に座っていろとでも?居眠りしてればいいの?なんにもしないで生きていろとでも?」すると彼女は「なるほど」妙に納得したらしくそれからはあまり言葉で言わずにそっと協力してくれるようになった。

こういう心使いが心の栄養になる。食べることも大事だけれど、愛情、友情ほど大事なものはないと思う。それが壊れたときが一番悲しい。イワシを食べても治らない。














2022年10月10日月曜日

梯剛之さんピアノ・リサイタル

東京文化会館小ホールにて

ベートーヴェン「後期3大ピアノソナタ」 作品 109.110.111

梯剛之さんの演奏は彼がまだ若い頃からずっと聴かせてもらっている。

真正面から音楽に立ち向かい、あるときには迷い、あるときには朗らかに、悩み苦しむ姿も見続けてきた。彼の演奏の特徴は情緒に流されず、和声の中にフレーズが鮮明に現れること。一時期音作りにのめり込み、ややもすると音楽の流れが止まってしまうような実験的な時期もあった。それが吹っ切れると次のコンサートではモーツァルトを軽々と弾いたりするのも彼の様々な葛藤を表していた。

そして今、安定の領域に入ったと感じた。すっかり大人になったなんてまるで自分の子供みたいに思うのはずっと聴き続けたから。正確無比に弾く姿に感動を覚えた。フォルテからピアノまで音量の幅が素晴らしい。最大の音量のときには小ホールではキャパが足りないのではと思えるほど。ぜひ大ホールで聞きたいと思う。力強い音量の時にも繊細さが残っている。透明感のある彼の世界がいつでもすべての部分に行き渡っている。

ベートーヴェンの後期の作品だけのプログラムというからちょっと胃もたれするかなと警戒して行ったけれど、彼は見事な円熟の境地に達していた。ベートーヴェンの苦悩もここまで来ると浄化され未来への旅立ちが約束されているように見える。私はこれらのピアノソナタがすごく好きなのだ。弦楽四重奏の作品140以後はもはや人間の手を離れ宇宙的になってしまうけれど、その少し手前のまだ足元が地面についているこの頃の作品は身近に感じられて嬉しい。特に110のフーガは今日の演奏家の手で見事に旋律が浮き上がって心楽しかった。

車を上野駅の駐車場に停めて外に出ると、異常にたくさんの人出に驚いた。家族連れが多く家族でなにしに上野へ?と訊きたくなった。芸術の秋だから美術館?それともパンダのいる動物園?科学博物館もある。私たちは仕事を始めて以来50数年も通っている上野だから興味もないけれど、家族で楽しめる穴場でもあるのかしら。仕事一途できたので他に楽しみを知らないけれど、他の人生もあったのかもしれないと考えた。でももう一度生れても音楽やっているかもしれない。これはもはや業。

ホールで知人にあったので帰りにカフェでお茶を飲んだ。野良たちが足踏みしながら「めしまだかー」と叫んでいると思うと気が気ではないけれど、たまには我慢してもらおう。帰宅したら案の定ドタドタと車に駆け寄るデブ猫とほっそりした美人のら。この二匹はさくら猫だから男女とは言えないけれど、やはりカップルというのかしら。明日は動物病院で蚤よけの首輪を買ってこよう。なにしろ私が2キロも太って膝痛になったのも、強い薬の副作用であわや痴呆症になりかけたのも、目が霞んで困ったのも、この2匹の蚤が原因なのだから。

素敵なコンサートの後が蚤の話で失礼しました。

食べ過ぎは諸悪の根源

 痒み止めの薬で眠りすぎ太った話はもう読んでいただけましたか?

なーんちゃって、ちょっと皆さんを試してみました。

もう忘れた方!あなたは私達の同類同士です。

たった2週間で2キロも太るのは異常なことで「古典」の定期演奏会が終わって、やっと薬の副作用から開放されたので、ダイエットに入ろうと思っている。つい最近まで毎日眠くてたまらない。ご飯を食べれば即居眠り。椅子に座ったまま。やっと目が覚めれば早速食事を摂るか軽くひとつまみお菓子とか果物とか。それで太らないわけはなく、体重計に乗るたびに心のなかでギャー!とかウワー!とか叫んでいた。

かゆみ止めには神経を鈍くするはたきをする成分が入っているかと思う。そうでないとあの痒さは乗り越えられない。これも副作用の一つと思えるのが目のかすみ。元々乱視が強くて焦点が合わないのに、さらに周りが霧に包まれたかのようなかすみ方。ついに白内障になったかと思ったけれど、副作用が薄れていくにつれてそれも治ってきた。実は白内障になるのを手ぐすね引いて待っているのだけれど。

寄る年波には勝てず最近視力がガタ落ち。室内合奏団の弦楽器は二人で一緒の楽譜を見る。それで斜めから譜面を見ることになり、その視点が大変つらい。オーケストラや他のアンサンブルでも二人で同じ楽譜を見ることが普通。それはどうしてかというと、譜めくりの問題があるから。

フレーズの途中で次のページにいかなくてはならないときに、一斉に皆が譜めくりをすると大変不都合なことになる。そこで二人のうちの一人がめくる方を受け持ち、めくってもらう側の人はその間、責任を持って演奏を続けることになる。普通は並んで弾いている客席に近いほう(外側)が弾く側で客席から遠い方(内側)の人はめくる側。だからヴァイオリンと対面しているヴィオラ・チェロでは外側内側が逆になる。ヴァイオリンは右、ヴィオラ以下の低弦は左が外側。これはオーソドックスなオーケストラの弦楽器の配置で、編成によっては一人で楽譜を独占できたりもする。

楽譜共用が年々辛くなってきて、もう何年もオーケストラの仕事はお断りしてきた。自分に近い方のページはよく見えるけれど、遠い方のページはおたまじゃくしが踊りだす。五線が波打って見える。わが「古典」でも同じく、二人で一つの楽譜を共用してきたけれど、ついに私が音を上げた。

残念ながら私はまだ白内障を発症しない。残念と言うのは、白内障の手術をした人たちが「人生が変わった」というほど喜んでいるから。今まで見えなかったものが鮮明に見えたときの喜びを語っているからで。数回眼科で見てもらったけれど白内障の兆しもない。手術を受けたいと言ったら当然のことながら白内障でもない人に白内障の手術はできませんと断られた。それで今回目のかすみが出たときにやった~!と思ったけれど薬の効果が薄れるとまたかすみ目が治ってしまった。

色々あって「古典」では一人で楽譜を読む許可を頂いた。本来なら私がめくらなければならないのはコンサートマスターの楽譜。前回恐る恐るコンマスのK氏にお願いしたら快くお許しを得てホッとした。次の回からはMr.Kが拡大した楽譜と予備の楽譜を揃えて持ってきてくださった。「古典」のメンバーは限りなく優しい。一人で正面から読めば楽譜はそれほど難しくはない。それによってコンマス自身で譜めくりをするという結果となり大変申し訳無いことと恐縮している。

ところが最近高齢化してもなお演奏をする人が増えてきたので、このような形は珍しくはなくなってきたらしい。私と同年代くらいの人たちは一人で楽譜が見られないならお断りという演奏家が増えてきたようだ。見てくれはともかく間違えずに楽譜を弾くことが最優先、なによりも演奏者たちが安心して演奏に集中できる環境でなければいい音楽はできない。そして白内障の手術はもう少し先のこととなった。いつになることやら。私の兄は私より11歳年上。その兄が白内障になったのはつい最近だから私もあと11年くらい先にならないとならないかもしれない。

急激な体重増加は様々なリスクをもたらす。まず、足に来る。膝が痛いという人はほとんどは体重をへらすことで解決できる。私の場合、ここ3年ほどはなんとか膝痛を起こさないですんでいた。まず健康管理は体重から。私は毎朝目がさめると体重計に乗る。体重計は実に正直で最近食べたものが反映される。たった2キロと言うなかれ。太るのはあっという間に、減らすのは至難の業。体が自分を守る仕組みに阻まれて2週間でついた贅肉は2ヶ月経っても簡単に減るものではない。

太ると動くのが億劫になり膝を痛め、膝が痛ければ運動する意欲もなくなる。肌荒れが起こる。胃や腸も動きが鈍くなる。特に腸は脳と直結しているらしく、ストレスにめっぽう弱い。それでたった3日間だけど北軽井沢にこもった。

もう秋の気配濃く紅葉までは至っていないこの頃もなかなか風情があってよろしいものです。夏に、玄関前の大木に絡んで養分を吸い上げていた蔦を本体の古木から引き離した。その蔦が細くきれいな葉を出しているのに根本を見れば恐ろしく深く長い根が地中にはびこっているのを知ってゾッとした。こんな太い根でしっかりとしがみついてチュウチュウと本体から養分を吸っていたのだ。長い根が丸まってとぐろを巻いている。その塊が掘っても掘っても頑として動かない。ムキになってスコップやのこぎりを総動員して根を掘り出した。

ところがその先がまだ長く残っていてやっと細くなった先の方を引きずり出すと、ものすごく長い根がやっと最後まで出てくる。寄生された大木よりずっと元気に見える。大木はちょうど玄関の真ん前にあり、その枝は家の屋根のはるか上に広がっている。もしこの木が倒れたら屋根や壁に重大な損傷が生じる。

この家のもとの持ち主のノンちゃんは人形作家。自然を愛し庭木はあるがままにしておこうというロマンチストなので、やたらに切ったりはしなかった。けれど今の持ち主は現実派。私の考えからいくと無駄な木は伐採して日当たりを良くして花を植える。果樹を植えて実を食べるなど計画している。最初のうちはノンちゃんの考えに近かったけれど、木々がお互いに牽制しあっているのを見ると多少人間が手を入れたほうが良さそうだと気付き始めた。

帰宅するときにコスモスを数株植えてきた。次にあちらに行くときには大量の株を植えてこようと思っている。果たしてそのうちの中で厳しい北軽井沢の冬が越せるコスモスはいるだろうか。私はまだ未体験だけれど、地元民が言うには「それはそれは寒い」そうだから無理かもしれない。けれど、去年植えたヴィオラが冬を越して花が咲いていたことがすごく嬉しかった。

今ひどく足が痛い。2キロ増えた体重のせいで椅子から立ち上がれない。庭仕事が軽快にできるようにまずはダイエットから始めると宣言しないと実行できないかも。とにかく頑張ってみます。