2022年10月18日火曜日

運動はじめようかなあ

左足の痛みで愚痴をこぼしていたら、急速に回復の兆し。やっぱりわたしゃ原始人だねえ。

痛みには強いほうだと思うけれどやはり毎日絶え間なく痛いのは気色が悪い。寝ているときは足を使わないからベッドの中だけは平和。目がさめるとさあ、どうやってベッドから降りようかと思案する。降りて歩き出すまでがひと仕事で、ようやく5,6歩歩くと正常な歩行になる。それまではギクシャクギクシャク。

病院へ行こうとおもっていたけれど、なんとなく毎日中途半端に用があってゆっくり診察も受けられない。やっとでかけて診療待合室に足を踏み入れてぎょっとした。すごい人の数なのだ。待つのは大嫌いだから午後の診療時間に出直すことにした。

出直して正解、すぐに診察を受けられて適切な治療が受けられて痛みは半減、未だに痛みは残るけれど歩行に支障はなくなった。それで少し距離があったけれど自宅まで乗り物に乗らないで歩いて帰った。これが良くないのは後で分かるけれど、久しぶりの普通の歩行に文字通り浮足立っていた。

医師のなぜ足が痛くなったのかという質問に考えてみた。痛みが出る前日、自宅駐車場のコンクリートの縁と道路の落差に半分左足が乗ってバランスを崩しかけた。転ぶかと思ったけれど、ひらりと体を半回転させてかろうじてバランスを取って転倒は免れた。けれどその時膝を少し捻ったかもしれない。原因はそれしか思いつかない。老人はこんな華麗な振る舞いをしてはならないという教訓。

上半身は職業柄鍛えられているけれど、下半身はひどく脆い。今後はあらゆることで鍛錬していかないと上質の老後は過ごせないからなにか始めることにした。手始めはまずリハビリ。ウオーキングだけでは間に合わない。年をとってからは健康に生きることにこんなにもエネルギーが必要だということを思い知らされた。

病院で山のような薬が処方されて、先日のかゆみ止めの悪夢が蘇った。痛くなければ飲まなくてもいいですね?と何回も看護師に念を押す。やっとかゆみ止めの薬の副作用が消えたと思っていたのに更に痛み止めを飲んだら多分認知症街道まっしぐら。痛みは生きている証拠と思ってがまん。

コロナ以前、カーブスに体験に行ったことがあった。その時は椅子に腰掛けて腕を前に組んで片足で椅子から立ち上がるという動作がなんなくできた。それでこんなことができるなら訓練しなくてもいいさと思ってしまったので、今更ながら後悔している。あそこで続けていればもう少し状態は良かったかもしれない。以前通っていたジムにもういちど戻ろうかと思っても見たけれど、格闘技のインストラクターの出す指示はけっこうきつい。どこかで「よしよし、よくきたねえ。お上手お上手」といって甘やかしてくれるジムはないものか。

以前通っていたジムは流石にプロ集団で、運動が筋肉にきちんと効いているかどうか姿勢のチェックが厳しかった。私としてはそういうほうが好きではあるけれど、最近はあまり努力するエネルギーもなくなっている。ヨガも考えたけれど大勢の人と一緒に同じ動作をするのは苦手。これでよくオーケストラに10年以上在籍できたものだと思う。

ふと思ったのはずいぶん長いこと泳いでいないこと。水は苦手だけれど水泳を基礎から習うのもいいなと。スキューバダイビングの楽しさも思い出した。ただ水との相性は最悪で、ダイビングに行ったあとは必ず体が冷えてしまって発熱するのがいつものことだった。プールで重たいボンベを背負って200メートル泳げと言われたときの悪夢のような体験も思い出した。これができなければライセンスは取れないと言われたから息も絶え絶えに泳いだけれど、最後の5メートルはほとんど溺れていた。

水泳かあ。始めてみようか。今まで我流で一応平泳ぎとクロールはできる。でも多分平泳ぎというより🐸カエル泳ぎ。クロールというより溺れかけて助けを求めている人。息継ぎだけは一応できる。これは習ったのではなく盗んだ技術。上手そうな人を見ると水に潜って観察する。足は?手は?一歩間違えれば変態と思われるかも。そうやって息継ぎも覚えた。

プールというところは変なおじさんがいる。これは本当の変態さん。ぶつかるはずのないところでわざとぶつかってくる。2度プールのど真ん中でそういうおじさんを捕まえてお説教したことがある。だから半分行きたくないのよね。と言ってプライベートでプールがある豪邸に住める身分でもなし。私はお金には執着しない性格だけれど、そういうときにはお金持ちだったら良かったのにと時々思う。


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