Kさんの拠点である高岡に滞在してそこからそれぞれの目的地に通ってというゆっくりとした旅程で、この2年ほどの酷いストレスからやっと開放された。素晴らしく楽しい日々はもう年齢的にもこの先味わえないと思うので、尚更ありがたかった。すっかり心の洗濯をしてきました。
Kさんは放送大学で一緒に学んだ謂わば学友であるけれどかなりの年下。言ってみれば私とは母親程は年齢が離れていないけれど介護のつもりで付き合ってくれたのだと思う。でもこの母親もどきの元気な婆さんがここ数年来の足の痛みはどこへやら、しっかりと歩けたのには我ながら驚いた。本当にあなたは親切ねと言ったら「田舎の人は皆そうですよ。ほらテレビのぽつんと一軒家でよく道案内する人がいるでしょう。あれと一緒です」と、なるほどそうなんだ。それなら田舎はとてもいいところ、実際高岡の空は広く、大気は澄み渡っていた。
平泉寺は勝山市の一角にあり、というよりあったというべきで、一向一揆の騒動で寺社は焼かれ多くの人が亡くなったという。古文書の地図を見ると多数の寺や僧坊、参拝客の宿舎などの一大宗教遺跡で、今盛んに発掘が行われている。白山信仰の本拠地であるというので、恐れ多い気持ちが先立っていたけれど、明るい穏やかな日差しに石段の苔が輝き、深い杉木立は悠久の時を物語るようにひっそりと立っている。敬虔な気持ちが湧いてくる。
ずっと続く石畳はどこまでも上へ続く。ほとんど全山が遺跡の様相で静かな木立に時々参拝客とすれ違うのみ。鳥の声もしない、風音もしない、ひたすら静けさがあたりを支配している。今思い出しても心になにかの力がみなぎってくるように感じられた。強力なパワースポットであるとはここを勧めてくれた友人の言葉。ずっと心と身体に染み付いていた悪い気が拭い去ったように消えていた。帰路、コスモスの群生する原でしばらく見事な花を愛でた。
平泉寺の石畳
暑くも寒くもなく明るい一日。足元は丸みを帯びた石段が続く。
表面が苔むしているものもあり滑りそう。
0 件のコメント:
コメントを投稿