2023年11月15日水曜日

松村高夫さんとシューベルト「冬の旅」

松村氏はテノール歌手という隠れ蓑を持っておられるけれど、本職は慶応大学名誉教授。専門はイギリス社会史、労働史、日本労働史、音楽の才能は妹の松村美智子さんと共通する。

美智子さんはこのブログに度々登場したロンドンアンサンブルのみちこさんこと、ミチコ・スタッグさん。 才能あるピアニストで残念ながら先年日本で亡くなった。その後ミチコのいない家は廃墟だという夫のリチャード・スタッグ氏の言葉が表すように、明るく勝ち気でユーモアたっぷりの彼女の不在がいかに虚しいかというように、太陽のような存在だった。

美智子さんと一緒に過ごした時間は私にとっても太陽の輝きのような思い出になった。なくなる数時間前に枕辺に座ると彼女はそれがわかっていたようだった。かすかな反応で私達になにかメッセージを送っていたようだった。その2日ほど前、彼女が電話をしてきて「うちの玉ねぎに芽が出たから、あなたそれを絵にかいてみない?上げるから取りに来て」と。忙しかったので曖昧に口を濁して取りに行かなかったことが生涯の悔やみになるとは私は知る由もなかった。今でも思い出すと号泣しそうになる。

美智子さんがお兄様の高夫さんの伴奏をしたとき、私は譜めくりに駆り出されたことがあった。私はチビで目っかちで乾燥指でと差別用語満載で言うけれど、譜めくりに必要な条件を満たしていなかったけれど、冬の旅は私にとって特別な曲だったからお引き受けしたのだった。その時高夫さんがおっしゃった。「それはなんと三重苦ですな」本番直前なのに余裕のあるジョーク、いつもゆったりと穏やかでそれでいて美智子さんと同じように鋭い観察眼をお持ちのようで、美智子さんと私はお腹を抱えて笑った。

本番は大成功、美智子さんには「完璧!」と褒めていただいた。私の才能はヴァイオリンよりこういうところにあるらしい。プロの譜めくりニストといものがあったら、三重苦にもかかわらずやってみたいとおもうほど。

さて本題に戻る。シューベルトの「冬の旅」は歌い手にとってバイブルのようなものだと思う。シューベルトのすべての要素がここにあると言っても過言ではないと思う。全部で24曲あってそれぞれの曲は短い。最初から最後まで悲しみに打ちひしがれた心、ほんの一瞬の希望、怒りなどがこれほどの短い曲に込められているのだ。

私はフィッシャー・ディスカウのレコードを毎日のように聞いていた。ディスカウの日本公演、ペーター・シュライヤーの日本公演も、ジェラール・スゼーの日本公演も聞いて回った。スゼーのフランス風の歌い方はこの曲にそぐわなかったけれど、その美声には感激した。ディスカウの歌い方に慣れてしまって標準になってしまったのが問題ではあるけれど、好きでたまらない曲はいつでも聞いてみたいので今回も見逃すてはなかった。しかしご招待のお手紙を頂いて返信しなかったので、終演後ご挨拶すると「ああ、返事がこなかったから来ないかと思っていたよ」と言われてしまった。「来ますとも、とても良かった」と申し上げるとニヤリとして嬉しそうな表情に。

これは驚きだけれど、高音のほうがよく伸びていて音程もしっかりしている。低音はややピアノにかき消されて聞こえないし出しにくそうにしていらしたけれど。ピアニストは優れた演奏者ではあるが、リートの伴奏は非常に難しい。ピアニスト然とした演奏では歌を殺してしまう。ジェラルド・ムーアの伴奏をレコードでさんざん聞き慣れていたからその辺が残念なところだった。

ジェラルド・ームーアの伴奏法の講座が母校で開催されたとき私はまだ二十歳そこそこだった。今、彼の言うことが聞けたなら非常に良く理解できるだろうと思った。残念ながら若すぎたようだったので漫然と聞いていたけれど、生の演奏には数回触れている。もし私がピアノ専攻だったなら、リートの伴奏者を目指したかもしれない。

いつの頃か小林道夫先生の伴奏法の講座を聞いたとき、「自分の腕を相手に預ける」とおっしゃったことがあった。そのとおりだと思う。誰かと共演するとき、自分の腕からすっかり力を抜いて相手に委ねると面白いように共鳴するのだ。ピアニストは大抵の時間は一人で練習して一人で舞台に立つけれど、弦楽器奏者は完全なソリスト以外はたいていアンサンブルも練習するからその辺はよくわかって使い分けることができる。






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