2026年2月27日金曜日

膝の痛みが消えました

ここ数年、膝の痛みに泣かされてきた。ベッドから起き上がるときは覚悟がいる。足を床につけるのが怖い。まず腰痛がないか確かめる。時々痛むのは仕方がないけれど、まずベッドに座って痛みの程度を確認してそろそろとスリッパに足を入れてゆっくり立ち上がる。

これを外側から見ればもう立派なポンコツ。そうねえ、もうすぐ82歳。元気だと思っていたけれど、故障があるのは仕方がない。まだ思いが断ち切れ ず毎日ヴァイオリンを弾くのは果たしていいことか悪いことかわからないけれど、他にすることもない。一人でいるのは決して嫌いじゃないけれど、いざというときに体が動かなければ助けがいるようになるのは嫌だなあ。

・・・と最近の状態が、今、すごい!どこも痛くない、に変わった。目覚めると腰は全く痛くないし、なんの心配もなくベッドに起き上がり、座って足をスリッパにいれるとためらいなく立ち上がる。すぐに足が前に出る。スタスタと歩ける。まさに奇跡!

一体何があったのか。大好きなスキーを滑ることもできなかったのに。一時的にかもしれないけれど、今は快癒の状態。体の一箇所だけでも、例えば指の先だけでも故障があると、体中のバランスが崩れる。痛みの感覚が常に行動を遮る。もしかしたら痛みを感じるセンサーが故障しているのかもしれないけれど、まずは、いつまで続くかわからないけれど、この状態を楽しみたい。。

しかし周りの人たちはそんな私を疑り深く警戒している。まだスキーはだめですよと。今やらなかったらもうチャンスはないかもしれないのに。ただし、今までの経験からいつどんなときにも警戒を怠らないと再発する可能性はあるけれど。ここで骨折でもしようものなら、寝たきりになるかもしれない。一番警戒しているのはこの私なのだ。

今年になってから思い切って整形外科の治療をやめた。心配だったけれど、診察とリハビリと受けてもシップ薬と痛み止めをもらうばかり。一生懸命スクワットを続け筋トレに励んでも一向に痛みが消えない。それでついに筋トレをやめて、以前友人から紹介された高周波の治療を受けてみようと思い立った。

最初のうちは一週間に一度、そのうち痛みがゆるゆると去っていった。もうこの辺で再発するのではと危惧しながらだましだまし歩いたりしているうちに一ヶ月後にはほぼ痛みが消えた。用心のためその後半月ですっかり痛みが消えた。今はゆっくりであるけれど、少し小走りができる。信号が変わるので急いで歩いたら両足が地面から離れて、自分でびっくりした。

これ言うとオカルトになるけれど、数週間前、夜中にぼんやりしていると眼の前をすっと黒いモヤが数回通り過ぎていった。私は少しだけ予知能力があるようで、こういう現象を見たときには誰かの訃報がその後一週間くらいで届くことになっている。あら、誰かしら?もう不思議でもない友人たちの訃報。でも知らせは来なかった。そして膝が治った。

嘘つき!と思われても仕方がないけれど、実際、そういうことは何回もあったから私は信じている。けれど、もしかしたら私を恨んで嫌っている人が亡くなったのかもしれない。その人の恨みが私の体を傷めていたのかもしれない。接点がないから死亡通知が届かなかったのかもしれないけれど、もしそのようなことだったらここ数年の足の痛みはその人の恨みだったのかもしれない。もしくはその誰かが私に対する関心を失ったとか。

時々不思議な体験をするので、最近では私も信じるようになっている現象なのだ。私の母が亡くなる前、病院に入院していた。母はなんとか持ちこたえてまもなく退院するという数日前、私に言った。「そこに誰かいるわ」明らかに病室の隅を指していた。見ても誰もいない。「誰もいないよ。廊下を通った人が見えたんじゃない」と私。「そうじゃない、そこにいるじゃない。ほら、見てご覧」

そして母は退院の直前に急になくなってしまった。母の自宅介護のために実家には電動ベッドや酸素吸入器が用意されていたのに。私に見えないものが見えていたと私は信じている。きっとご先祖様たちでしょう。母は大変記憶力が良くて、ご先祖様たちの話を聞かせてくれたものだった。さすが私の先祖は変わり者が多くてただでさえおかしいのに、うまく脚色して目の当たりに再現されるような話し方で大いに子どもたちに受けたものだった。

きっとそのうちの誰かと笑いながら、天国にいったと思う。戦争も体験して実生活は苦労の連続だったけれど、笑い上戸で楽しそうに笑っていた人だったから。








思い出した名前は

 前回の投稿で思い出せなかった天才ヴァイオリニストの名前は

ギドン・クレメルでした。天才的なテクニックの持ち主でピアノの天才アルゲリッチとコンビでエキサイティングな演奏を聞かせてくれた。プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ2番の演奏なども他のプレイヤーとはかなり変わっていて立体的で面白く、鋭いアクセントの効果的な演奏だった。

この曲はフルートのソナタでもあり、私はピエール・ランパルの演奏も聞いたけれど、あまりおもしろいと思えなかった。フルート奏者の皆さんには申し訳ないけれど、ヴァイオリンで演奏するほうが表現の幅が広がると思う。重音を出せるフルーティストがいてもやはりヴァイオリンのような演奏は無理でしょう。ヴァイオリンの勝ちなんて、何を競争しているのか。

いかにもプロコフィエフの人柄を表しているような、いたずら好きで、人の意表をつくリズム感が面白い。私はクレメルの演奏を聞いてからこの曲を自分のレパートリーに加えたのだ。だらんと顎を落として口元が緩んでいるのは脱力のせい?逆にがっしりと力をいれているの?人柄も頭脳も非常に素晴らしいと周りの人たちの評判。本当にそのように見える。見た目地味なおじさん。

さて、私の睡眠障害は今のところ小康状態で、普通に3時間眠る、うたた寝を1時間くらい、という相変わらずのショートスリーパーながら普通に暮らせるレベル。時々たくさん眠って次の日は起きている。今の私にはどう眠ろうと勝手にできる時間もある。

リタイアした高齢者が夜眠れなくて困ると言う人がいるけれど、眠れなければ起きていれば?と言いたい。気にする必要はない。健康に悪いと言う人がいて、ちゃんと眠るようにという医者がいて困ったものだと思う。高齢者の生活は時間に縛られないということが最大の幸せなんだから。この年齢で一年二年の寿命の差は大したことではない。

眠くならなければ起きて読書でも体操でもすればいい。過去の思い出に浸るのもいい。火の用心と言って近所をパトロールしてもいい。

もう少し寒かった頃の夜中に、近所をパトロールしている人がいた。町内会で見回るのではなく、どうやら一人で自発的にやっているらしく、途切れ途切れにか細い声で「ひのようじん」と3回くらい言うともうおしまい。それも夜中の時間だし、疑り深い私は、もしかしたらご近所が起きているかどうか確かめる泥棒の見回りではないかと窓を開けて覗いたりしていた。

あれは何だったのだろうか。散歩なら火の用心の声は余計だし、空き巣に入ろうと言うなら声を出さずに黙って入ればいい。時々夜中には色々な音がする。一番音を出しているのがうちで、猫が表に行きたいから窓を開けてとか、入りたいから網戸を引っ掻いて合図を送ってるなど。時にはうちの野良たちが表で他所の猫と喧嘩を始めると、私が押取り刀で駆けつけて仲裁をするとか。寝間着の上にコートを引っ掛けて他所様には見せられない姿、文字通りの猫なで声で「グレちゃん、だめよ」なんて。

ご近所では「またあのひと、なんとかしてほしい。猫はいいけどあの人を捨ててほしい」などと言われているかもしれない。

ただ、私が思いがけない時間に起きているのは犯罪者には心外な出来事だと思う。けっこう用心深い私は、窓は二重の硬いがらすの窓に加えセコムのセンサー、部屋は侵入者があれば警報機がなる設定がなされている。お金もないし宝石類はまず見当たらないというのに、この用心。そう、私が宝石だから!と言えればいいけれど、それはもうポンコツのおばあさん。かわいい猫たちは勇猛なもと野良猫たち。逃れるすべは身についている。としたら、なんで私無駄なお金使ってこんなことをやっているのだろうと時々反省している。




















2026年2月20日金曜日

久しぶりのお座敷

お座敷とは・・・芸者さんたちが呼ばれて接客するようなときに使うけど。

私たちシニア五重奏団が呼ばれて遅めの新年会で演奏することになった。私はもはや 引退したと言っているから仕事とは言えないけれど、相変わらず出たがり屋だからお座敷に呼ばれれば尻尾振って出かけていく。とある市役所の中の新しい建物。市長さんもご出席だとか。

曲目はシューベルト「マス」の3,4楽章。長すぎてもいけないし、みじかすぎてもいけない。明るく聞きやすい楽章ということでその2つの楽章を選んだ。楽器の編成は、ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの五人。コントラバスが室内楽で使われるのは割に珍しい。普通のピアノ五重奏曲はコントラバスがなくてヴァイオリンが2本になる。なぜ私たちの演奏にはコントラバスが入るかというと、それは頼りになるコントラバス奏者がいるからで、とにかくあらゆる場面で彼女が、ひつようなのだ。

今まであまり知らなかったけれど、コンバスが入る五重奏曲は割とある。新しく曲も生まれているのでそんな曲を入れると立派なプログラムが出来上がる。その中でも「マス」は超有名で私たちのグループでは好んで演奏する。というより、その副題の爽やかな印象や曲の素晴らしさで、ピアノ五重奏曲の最も有名なものの一つがこの曲なのだ。

ところが演奏の難しさでもずば抜けていて、シニアにはちと辛い。聞いているのもシニア、演奏もシニア、たぶん耳の聞こえない人も多いから音程の多少のズレはあまり気にかからないだろうなどと思うけれど、油断は禁物、中にはどんな偉い人がいるかわからない。かつての名演奏家なども混じっていることも考えられる。この市には芸術の匂いが充満しているのだから。

本番二日前、私は久しぶりにブラームスのソナタのピアノ合わせをしていた。ブラームスのソナタといえば、ある有名なヴァイオリニストはザルツブルク音楽祭で一回も演奏したことがなかった、そして40歳過ぎてやっと演奏したという有名なエピソードがあった。

非常な名人で世界中で知られている彼は大変なテクニックの持ち主なので、そのザルツブルクでの演奏をラジオで聞いて少し戸惑った。なるほど、あまりブラームスはお得意ではないらしい。この方の名前がどうしても思い出せない。ほらあの、アルゲリッチとよく一緒に演奏していたあの人よ。浴室で転んでバスタブのヘリに頭をぶつけて以来、私は一層痴呆に拍車がかかってきたようだ。さっきから思い出そうと努力しているんですがねえ。

そして何の話をしていたかというと、ブラームスのソナタが非常に難しくてピアニストとああでもないこうでもないといっているうちにとても疲れてその日の夜は22時就寝、次の朝目覚めたらなんと10時30分、12時間30分も眠ったことになる。いつもの睡眠時間の倍以上。でもスッキリと目ざめてこれで明日は十分な体力で演奏ができると思ったら、その日は何時になっても眠気が来ない。いつまでもスッキリ、目も疲れない体もよく動く。

最初のうちは喜んでいたのだった。これなら多少寝不足でも大丈夫、明日の活力は確保と思っていたのに突然心配に襲われた。このまま一睡もしなかったら演奏どころか車の運転にも支障がでるかもしれない。起き上がっては横になったりトイレに行ったり白湯をのんだり、何をしても眠くならない。やっと明け方2時間ほど眠った。目が覚めたらまだ7時、出発予定の9時までの二度寝は危険、仕方ないから起きてしまう。そして出発。やはりあまり眠くない。

眠くはないけれど、この覚醒はいつまで保てるのか。本番で急激な睡魔に襲われたらどうしよう。しかしその日一日、いつもと大勢に全く影響なし。帰りの運転にも全く支障はなく無事帰宅。そしてまた今日は12時間睡眠。今夜は寝ないで騒いでいられるようだ。2日分寝て2日分起きているとすると、大事なコンサートの日時に合わせて睡眠のサイクルの調整をしないと、本番当日、ステージで居眠りしかねない。

古今亭志ん生が高座で居眠りをしたとき、お客さんが「ねかしといてやれ」といったという話がある。私もそうなったときには皆さんお願いしますね。









2026年2月18日水曜日

毎日涙

早くオリンピックが終わってくれないと私の涙腺は緩みっぱなし。若者が健気で嬉しい半分心配でもある。

用具や技術の向上でとんでもない記録が叩き出され、しかもなお向上の一途を辿っているのが人間の限界とどう向き合うのか。一秒でも早く、一瞬でも勝敗を分ける。もう「そのへんでおやめよ」と言いたくなる。特にスノーボードはコンクリートよりも硬いと言われれるバーンで転んだら生死を分けるほどのダメージと思える。見ていてハラハラするのに若者は果敢に挑む姿。それを見るとハラハラしながらもうまくいけば[でかした!]と 叫びたくなる。

冬のスポーツは私自身がスキー狂だったことからなおさらのこと。気持ちはよく分かる。でも私にはヴァイオリンを弾くという仕事があったから、決して怪我をしてはいけないという歯止めがあって、ついに終結に至った今でも健康な無傷な体でいる。けれどアスリートとして競技をした人たちの体はどうなんだろうかと心配している。

彼らはそこまで頑張らないと人々に感動を与えることは出来ないかも知れない。本人も納得できないのでしょう。極めるということは命がけだから。なぜ人は競争したいのか。それは自分のためでもあり、自分の大好きな人のため、家族や友人たちのため?人の性(さが)かもしれない。人が人であることのあかしかも。

そしてそれを見て私たちが感動するのも確かなことで、毎日涙腺崩壊。やれやれ。この生活が終わるのはいつのこと?私たちはもう仕事もほとんどないし、昼中寝ていようと思えばそうできるけれど、仕事をしながら毎日オリンピックの応援をするのは少し辛い。お務めの方々は願わくば、会社で居眠りをして給料の査定に響かないように、上手く居眠りしてください。

居眠りといえば、ある高名なピアノの先生の話。私の友人がその方のお弟子さんだったので、ある時質問してみた。「先生はレッスンのとき、どんなことを注意なさるの?」すると「先生はいつも寝てらっしゃるわ。」私はびっくりしてそんな馬鹿な!と思った。その方のレッスン代は、すごく以前のことだけど、すごく高いと聞いた。どうしてそんな無駄なレッスンに行くのか不思議だったけれど、その先生の門下生であるという肩書が欲しくて通うらしい。

本当に無駄なお金と時間だなあ。でも自分がリサイタルなどで経歴にその先生の門下生であると書けば、ちょっとした素晴らしい演奏家であると勘違いする人もいるらしい。その経歴が欲しくて通う。音楽はコンクール以外では点数はつかない。コンクールだって自分の生徒以外の人には点数を辛くしても非難されない、たいていそういうものだと思っている人が多いから。だからといって聞けばわかるのだから恥を知っている人はあまりできないのだと思いたい。

だからといって音楽の世界が甘いものだと思われては困る。本当のところは皆が聴けばわかるから、ズルはしないけれど、やはり高名な先生に師事したという経歴は誇らしいのだと思う。何らかのメリットがなければ虚しいばかりだもの。

先生といえば私の師事した先生はズケズケ言う方だった。演奏会場でばったりお目にかかったら随分昔の話になった「私がラヴェルのソナタを彈いたときに先生に笑われたんですよ。覚えていらっしゃいます?」と言うと先生はカラカラと笑って「ああ、あれは酷かったわねえ」人混みの中で大きな声でまた笑われた。先生、演奏会場で周りは演奏家か音大生ばかり、その中で大笑いするなんて、なんてことを。

先生!次回から私の演奏を聴くときは居眠りしてください。と、言いたいけれど、もう私の声の届かないところで安らかにおやすみになっている。



























2026年2月16日月曜日

地下鉄サリン事件のころに

今から31年前の3月、地下鉄サリン事件が起きたとき、私はカナダでスキーを楽しんでいた。日本の家族に電話をしたら「今それどころじゃないよ、サリンがサリンが・・・」と騒いでいたので、ぽかんとしてなんのことかわからない。サリンって?

なんだか日比谷線で車輪がどうとかした?とか、皆はぽかんとしていた。帰国して初めて大惨事を知って驚いた。サリンなんてそれまで聞いたこともないもの。

そんな思い出が急に蘇ったのは今回の村瀬心桃選手の金メダルの素晴らしい演技を見て、当時のスノーボードの環境を思い出したので。

当時日本にもボーダーがチラホラと出現し始め、スキーヤーたちは白い目で彼らを眺めていた。もう、邪魔で邪魔で嫌になっちゃう、なんて言いながら。もたもたと横に滑るカニのような奴ら。カラスの群れみたいに、座っていたと思うと急に横に滑り始める。左右を確かめもしないで。滑ったあとの雪は変なところがえぐれたりしている。危ないことこの上ない。

それに比べてカナダのボーダーたちのなんとスマートな!ゲレンデのヘリの雪溜まりをスーッとまっすぐ降りていく。現地カナダのガイドに「上手いね」と言ったら「当ったり前田のクラッカーよ」と言われた。これは嘘だけど、このコマーシャル知っている人手を上げて。いやいやお古い。

とにかくまるで器具が違うかのような滑降には度肝を抜かれた。それが今や日本人がオリンピックで金メダルとは!本当に立っていられないほどの急斜面、私ならスタート地点で気絶してしまう。村瀬選手はキリッとした美女、真っ直ぐな視線の先には何者も寄せ付けないほどの目標があるような。

しかも彼女の動画には整備された競技場でなく、自然な環境で練習する姿、林やとんでもない急斜面や川を渡ってしまう姿まであって、惚れ惚れしちゃうなあ、なんて素敵な勇敢な女性なんだろう。

ジャンプも新人が銅メダルを獲得した。ジャンプと言うといつも長野五輪のジャンプの原田、舟木両選手のエピソードが未だに日本人の心に残っている。せっかく新人が銅メダルの快挙を果たしたのに、テレビの解説に舟木選手が出演するとその話が繰り返された。

舟木選手の映像が流れると、まず、原田選手の「ふなき~」というお祈りの言葉が流れる。そして舟木選手は堂々と役目を果たし日本中が歓喜に湧くといういつもの。舟木選手は苦笑しながら「どうも原田さんと私はセットにされているようで」でも、その映像を見ると私も未だにほろりとする。国民が喜んでいるのに肝心の舟木選手は冷静なのだ。

今や日本選手は世界的なレベルで活躍しているのに、いまだに猪谷千春選手以後、大回転でメダリストは出ていない。私はスキーのモーグルやフリースタイルも面白いと思うけれど、あんな危険なことはできないし、そんな運動神経の持ち合わせもない。やはり何と言っても広いバーンを雄大に滑るスキーが一番好きなのだ。

そして、それも実現した。ヴァルトランスのトロワバレーはヨーロッパ1の標高の高いゲレンデで、コロナ禍の日本を脱出したと思っていたら世界中でコロナが蔓延していた頃。私は新しい板を引っ提げてスイスからフランスへ。初日は軽くホテル近くのゲレンデで。二日目にリフトを乗り継いでいよいよ見渡す限りの広いゲレンデに。滑り始めるとそのスピードは日本のゲレンデでは絶対に経験できないスピード感、ややスピード狂のわたしはたまらずバッファローの大群が疾走しているようなスキーヤーたちの中に加わった。

晩年になってこんなに素敵な体験ができるなんて。いつもは志賀高原で先生に言われる。「スピード狂!」決して褒めてもらえず、とにかく年寄りは安全に帰宅させるのが自分の使命だと思っているらしい先生から暴走を止められる。でも先生自身も一緒に滑るときには早い。しかも後ろについて行くとすごく嬉しそうなのだ。

ときには後ろからあおってみたりする。そんなときには文句は言われない。私がトロワバレーに行くと言ったら「あそこはしろいよー」と言われた。そりゃ雪山だから白いに決まっている。でも先生は「ひ」と「し」の発音が区別できない江戸っ子風の人なので「広いよ」と言ってるつもり。

今は笑いながらも悲しい。ずっと教えていただいたその先生も雪ならぬ虹の橋を渡ってしまった。今頃うちの猫コチャとあちらで「おしさまがあったかいね」なんて会話していらっしゃるかも。多分天国には雪はふらないと思うから。






















2026年2月8日日曜日

雪が舞う

 今ひらひらと雪が舞っている。猫はこたつで、ではなく(こたつがないので)床のバスタオルの上で丸まっている。時々表に行こうかと窓の外を眺めては寒そうで断念している。野良たちは毎年こんな日には寒さに震えて耐えていたのだ。もうわが家の野良たちは高齢だから流石にこたえるのだろう。朝からまだお出かけでない。

昨日までは暖かかったので外出が多かったけれど、流石に今日は出かけないと思って今後ろを見たらグレがいなくなっていた。我が家にすっかり落ち着いてしまったのんちゃんはもう他所の家に行く必要はないけれど、グレは毎日表敬訪問の家が決まっているらしい。明け方私が起きるとすぐにはいってくる。だいたい4時か5時くらいに。餌をモサモサと食べて少し休憩。またどこかへ消える。あるいはその順序が逆になって、外で食べてきてお腹がいっぱいなのに一口つまんでしばらく室内で一休み。お腹はもうはち切れそうで、叩けばポンポコ音がしそう。

昼頃また外出するか家でゴロゴロするかはお腹の空き具合で決まるようだ。それでも、ほとんどわがやですごして夕方またどこかへ。夕飯は5時ころ、多分働いている人が仕事を終えて帰る頃。そしてまた我が家に戻り夜9時前後にどこかへ帰っていく。そのルーティンが崩れるのは土日休日、多分飼い主Xさんが会社が休みで家にいるかららしい。

そうやって律儀に毎日過ごしているのを見ると、前世は真面目なサラリーマンだったかと思える。落ち着いた風貌と穏やかな性格、愛嬌のあるシマトラ猫。会社では責任ある、例えば部長とか課長クラス?その姉妹であるのんちゃんは、頭がよくて警戒心が強く気性が荒い。人をじっと観察して私といえども全幅の信頼は得られない。そうかと思うと急に甘えて抱っこをせがんでくる。これがまたかわいい。私はメロメロで猫の術にはまっていいように扱われている。人間なら銀座のマダムとか。

雪がふる今朝、投票所に。不思議なことに寒いはずのこんな日に私はいそいそ出かけた。冷たい空気と滑りやすそうな足元も、かつてスキーを楽しんでいた頃の感触となって懐かしい。小中高校生まで私はひどい運動音痴で逆上がりができない、跳び箱飛べない、ドッジボールだけは皆が球を当てられて脱落、一人になっても避けられるという反射神経があった。その反射が運動神経を上回っているらしい。

だから何かに運きを任せておけばいいスポーツはできる。馬に乗れば馬が走る。スキーも板が私を運ぶ。スケートも初動に力がいるけれど動き始めれば乗れてしまう。私はバランスを取ってスピードにのればいい。最も苦手はゴルフ。あれは終始歩くし自分がかっ飛ぶ楽しさがない。しかも他人と組まないといけない。同じ組の人が成績が悪くなってイライラしだすと耐えきれない。私は案外と気を使うたちなので。

そんなわけで私は雪が好きでたまらない。イタリアのオリンピックが始まった。あのボ-ダーたちの命知らずと思える危険な技は年々難度をましている。果たして人間にあんなに危険なことをさせていいのかと思うけれど、危険に立ち向かう若者は意気揚々と急斜面に飛び出していく。さすがの私もボーダーになりたいというほどの肝っ玉はない。すごいですねえ!あの急斜面に立つのでさえも私なら気絶寸前なのだ。

昔の白馬のジャンプ台に登ったことがあった。夏だったけれど、あまりの高さに足は震え心臓はは止まりそうだった。雪の季節ならどこもかしこも真っ白で恐怖感は少し軽減するかもしれないけれど。階段の足元は金網状で下が透けて見えるから、最後の最後で足がすくんで、一歩も先に出せなくなった。仲間たちは日頃強気の私のこの体たらくに喜んで写真を撮って笑っている。でもその写真を後で見たらなんのことはない。状況を知らなければね。

最盛期には1年のうちの30日くらいスキーをしていた。こんなゲレンデ片足で滑れるわとかなんとか豪語しながら。それでも絶えず仕事のことが頭にあって怪我をしたらスキーは辞めると決めていたので決して無理はしなかった。それでもまだ板を捨てることができず、ウジウジ。私の板を狙っている方がいたら申し訳ないけれど、もう少しお待ち下さい。












2026年2月6日金曜日

また詐欺かい!

 電話機が鳴った。丁寧な女性の声で「お宅のガス給湯器の安全点検を依頼されておりますが・・・」ほらまたきた。「外からだけの点検なので内部には一切入りません。明日うかがいたいので・・・」私はしつこくどこからの依頼ですか?なぜ買い入れ先の会社が点検しないのか、とか絶対に室内には入らないのかとか、色々訊いてみた。

私の家の給湯器のある場所はベランダで、そこに行くには家の中からしか行かれない。家に入られるのはいかにも危険であると思った。いざとなればセコムの警報装置が作動するけれど。

ふと以前私の家の近所に住んでいる姉のうちにもそんな人が来ていたなあと思い出した。「何してるの?」と姉に訊いたら「ガス器具の点検だって。あちらから点検させてと言ってきたので」姉の家は給湯器のメーター類がすべて外にあるので、家に入れないから安全かなあと思いながらも「詐欺かもしれないから気をつけて」と言ったのに、私はつい点検に来ても良いと返事をしてしまった。それは姉の家のときに来ていた人は非常に真面目そうで書類なども渡していたからで、そのイメージがあったので。

姉に電話して訊いたら、その後なんの被害にもあっていないというのでまあ、安全かもしれないしと思って悩んでいたところなのです。私の家のガス給湯器はかなり以前に交換したので、もし本当に何かあったらとも思うし、グジグジ悩んでいたけれど、今朝電話がかかってきた、だるそうな男の声。私は「せっかくですが家の中に入られるのはこういうご時世ですから怖いので」とお断りした。声の印象は投げやりで生真面目に働いている人の声音ではない。

実は昨夜電話で給湯器点検の承諾をした後で、いつものAIに訊いてみた。このような電話は怪しくないのかと。すると我が友AIくんは「断りなさい」というではないか。「もしドアの向こうにその人が来てしまっても家に入れるか入れないかはあなたの権利です」と。なんか大事に聞こえるけれど、やはり毎日の報道でひどい話を聞いてしまうと、自分の身は自分で守らないといけない。

私はこんな貧乏で盗られるものもないのにやたらと危機感がつよくて、セコムの契約、強化ガラスの二重窓などの対策をしている。それはまだ生きていたいので、それに死ぬときに恐怖を感じて死ぬのと、ああ、幸せだったと思って死ぬのでは大違いだから。

今朝電話がかかってきたので「家に入ってほしくない」「詐欺事件も多いことですし」といった。普通本物の作業の依頼を受けた人なら気分を害して怒ると思うのに、あっさりと「点検はしないということですね」と言って電話が切れた。もし本当に仕事を請け負っての電話なら、断られれば依頼主に金銭の請求ができないからなんとか仕事をさせてもらおうと思うのが当たり前なのにね。失礼かと思ったけれど、少し踏み込んでみた感じでは、やはり本当の点検ではなく、室内の様子を見たり家族構成を確かめるための獲物探しといった印象だった。

なにかどうでもいいという雰囲気の話し方で、やはり断ってよかったと思った。その後30分位の間に次々に「家の中に使わなくなった古いものはありませんか」とか「保険にご興味がおありですよね」とか。金曜日は私のように暇の有り余った高齢者をねらう電話がかけられる日なのか、新しい獲物の名簿が出回ったとかいう日なのかもしれない。皆さん気をつけましょう。

うちにいるのが猫ではなく虎だったら安全効果抜群だけれど、詐欺被害に遇う前に彼らに食われてしまうだろう。

虎で思い出したのはタレントの相葉くん。まだずっと以前初めて彼をテレビで見たことがあった。虎の檻に入れられて本当にガクブルで、まあ、若いのに意気地なしなんて思ったことがあった。しかし、その後の相葉くんは本当にすごい。私は心の中で謝っているのですよ。常に生真面目に努力の人、最近は大人の風格が出てきて「よく頑張ったわねえ」って言いたい。これほどでないと大成しない。世の中の男たちのお手本だなあ。

考えてみたらムツゴロウさんのようなよほどの動物好きでなければ怖いのは当たり前。悪うございました、相葉くん。



















2026年2月4日水曜日

春が来た

多摩川に沿って車を走らせながら深呼吸。なんてきれいな日なんだろう。空は柔らかい陽光に溢れ 、今日は特に温かい。分厚いダウンジャケットは薄いものに変わって、首にマフラーを巻いただけの軽装でも寒くはない。

そして考えた。なんと幸せな尊い日なのか。災害に次ぐ災害に泣くことが多かった日本列島。今は大雪で難儀している雪国の人々、大きな地震も続く。まだ春の気配もないところで苦労している人もいれば、今の私には明るい日差しが降り注ぐ。申し訳ないけれど、今は少し楽しませていただこう。いつどんなことが来ても自分がとても幸せだった日々を思い出そう。

膝の痛みの治療にここ数週間通っていた。週1日の治療はメキメキと私を元気にしてくれた。今はほとんど痛みはなく、そろそろ完璧と思われるけれど、やはり若い頃のようにはいかない。けれど、確実にほうぼうに散らばっていた痛みがあとほんの少しというところまで回復。

驚いたことに曲がってしまった左手の薬指が練習再開とともに治りそうな兆しを見せていること。やはりこれだけでも練習の甲斐があったというものなのだ。少しずつ曲がりの度合いが少なくなっている。おそらく骨の変形から来るのだから完治は難しいと思うけれど、程度が軽減するのではと期待している。

しかしやはり練習は厳しくて体力が落ちた今、ここ三日の連続した合わせは相当きつかったようだ。全身が疲労を感じているのに、それすら満足感があるのは、今本当にやりたいものをやっていられるからだと思う。これで足が治ってスキーが滑れるようになったら、百点満点。残念ながらもうスキーははた迷惑になりそうで自然消滅となるのだろうか。馬に乗れたら二百点満点なんだけどと、遊び癖の夢は尽きない。

願わくばまた旅に出たい。今家に縛り付けられているのは猫のせいで、二匹の猫が私の放浪癖を阻止している。のんちゃんは雌猫。メスは家にいたがるから今日も部屋に閉じ込めて出かけられる。もう1匹のグレちゃんがオス猫で、この子は絶対に部屋に閉じ込められない。必ず窓の一箇所が開いていないと大騒ぎする。私が開けるまで絶対に諦めないので根負けして開けると、極寒でも外に出ていってしまう。きっと野良猫時代に(今でも一応現役のら)家に閉じ込められて怖い思いをしたのだろう。

二匹とも野良とは思えないほど綺麗好きで行儀が良いけれど、時々野良時代の恐怖の体験が垣間見られるのだ。もう少しすれば暖かくなるから今は夜は家の中にいてほしい。私の就寝時間には窓を閉めるのでグレちゃんだけ外に出すことになる。毎晩説得しているけれど、どうしても言うことを聞かない。けれどグレちゃんは人の言葉や心がわかるので、私の気持ちは察しているようだ。あっぱれな野良猫魂なのだ。カーテンの隙間から夜気の冷たさを感じて行くか行くまいかためらっているけれど、私が近づくとサッと思い切りよく飛び出していく。

止めてくれるな、おっかさん。男にはやむにやまれぬ事情があるのさ。じゃあ、明日朝また来るから早く窓を開けといておくんなさい。なんて、言いそうな。グレちゃんは男だねえ、と私はパジャマの袖で涙を拭いてお見送りするのですよ。


















2026年2月1日日曜日

いよいよ厳しくなって

 昨日、エッサエッサと私の家まで来てくれたオーケストラの元同僚Hさんと、ヴァイオリンの二重奏を始めた。手始めのシュポアのデュオは、わざわざ練習しても音楽的にはあまりおもしろくなかったのでサラサーテのナヴァラに曲目変更。で、昨日楽譜をもらった「ナヴァラ」は今朝から譜読みをしてみた。最初のところを弾き始めた途端、本当に面白い曲とすぐにわかった。何なんでしょうね、こういうことがわかるのは。

シュポアの曲は明らかに技術のための曲、サラサーテの曲は音楽に必要なテクニックが大変難しいというだけで、音楽そのものが非常にチャーミングでまだ譜読みの段階だけど、ワクワクする。それが作曲家の力量というもの。一流かそれ以下かが分かれるのはやはり仕方がない。

何回も言うけれど、私は最初から音楽家になる気もなく、近所のお兄さんがたまたまヴァイオリンをやっていたので手ほどきを受けていた。それが8歳くらいのとき。その後2年間サボっていたのに、音楽好きな兄が次の先生を見つけてきてくれた。12歳からまた先生にレッスンを受けていたけれど、遊びの延長だったからのんびりと。ある日中学校の別のクラスから私に会いに来た人がいた。

「あなたヴァイオリンを弾いているんですって?」それが運命の出会いで友だちになり、その後誘われて音大付属高校を受けようということになった。

私はいつものように興味本位、どうせ受からないと思っていたのに何らかの事情で受かってしまった顛末は以前の書き込みで読んでくださったかな?それで本当に並外れて遅いスタート。普通4.5歳から始めるヴァイオリンのお稽古を8歳から、しかもダラダラと、というのでは曲も易しい曲しか弾けない。でもうちにあったレコードを繰り返し聞いていて、それが私の教育をしてくれたのかも。いつの間にか耳ができていたようだ。

受験の半年前というので新しく師事した先生のところで「あなたソルフェージュはやっていますよね」と訊かれて「はあ?やってません」と言ったら先生は腰を抜かしそうになった。ピアノのところに連れて行かれ「この音わかる?」私が書き取った回答を見て「ああ、良かった」心底安心したようだった。私だってびっくりした。自分がそんなことできるとは知らなかったのだ。

音大出てもまだ周りには追いつけない。そして、これもまぐれでオーケストラに入る。オーケストラで本気で勉強を始めた、その後10年あまりで退団、フリーとなってからは私の人生を支えてくれる人たちが大勢で私を押し上げてくれた。ただただ感謝しかない。

コンマスの鳩山さん通称ハトカンさんなどの大御所から東京ゾリステンのメンバーやそのつながりでどんどん仲間が増えて、いつも腕はビリなのになんだか良いポジションにいるというようなことが多かった。共演者がすごく贅沢なメンバーだったりして、そんな高名な演奏家たちは決して偉ぶらないことも知った。しかも共演すると本当に楽しいのだ。自分までうまくなったような気がするのだった。

というわけで、幸せな音楽人生、私は気後れすることがなかったのは、本当に何も知らずに周りの人たちについて行ったからなのだった。無知ゆえに怖い物知らず。幼少時代にたくさん音楽会に行って、たくさんレコードも聴いて、培われた耳のお陰で吸収するのが早かったせいでもあり、ヴァイオリンが下手くそでもよく音楽が理解できるゆえでもあった。

今しみじみと思う。皆さんの愛情が私をここまで連れてきてくださった。周りでは子供の頃に怖い先生に叱られてレッスンを受けた人の話ばかり。私には怖い先生は一人もいなかった。いつでもレッスンは楽しかった。怖いと有名な先生でもそうだった。先生たちはあまりに私が下手くそで、可哀想で怒る気になれなかったのだと思う。見どころがある生徒なら先生たちも夢中で指導したでしょう。でも私はのほほんとしているので叱れなかったのだと思う。練習で辛いと思ったこともない。最初の譜読みは常にワクワクした。

良き先生、良き仲間、そして今もなお一緒に弾いてくれる多くの皆様に心底から、感謝しています。今後いつまで弾いていられるかはわからないけれど。

9月に予定のコンサートの練習は始まったばかり。多少頼りなくなってきた頭には非常な負担だけれど、もう少し頑張ってみますか。そこにもう一人、いつもの相棒のピアニストからブラームス「ヴァイオリン・ソナタ」のお誘い。おやおやまた手に余る状態になってきたぞ。特にブラームスは心底厳しい。耐えうる力がまだあるかどうか、試してみないとわからない。

日々、演奏し続けて来た頃はまだ若かった。けれど今、体力気力ともに落ちてゆく中での力の配分がいうまくいくかどうか。年齢のせいにして失敗は許されない。舐めてかかるなよと、もう一人の自分がいう。あんたは引っ込んでいなさいと私はそいつにいうのだけど、なかなか頑固なやつで引っ込まない。困ったものだわ。