2010年11月30日火曜日

バッハ無伴奏

久しぶりにバッハのシャコンヌを弾いてみた。だいぶ体力が戻ってきているらしく、殆どつかれずに数回弾ける。それならとパルティータ2番を頭から通してみると、かつてはあれほど大変だったこの曲が、わりとすんなり通せるではないか。ここ数年の働きすぎのツケもそろそろ払い終わって、体調が整ってきたのかもしれない。けっこう最近難しい曲にも挑戦してきたし、新しい曲の譜読みもしてきたけれど、やはり究極はバッハ。音程、右手のボウイング共に難しい。腱鞘炎や腰痛に悩まされて度々中断しそうになった演奏生活も、又希望の光がさしてきたかな?これからはコツコツと練習するしかない。それもピアニスト達のホームコンサートに参加させてもらったおかげで、公の場では無いけれど人に聴かせる大切さを身にしみて感じる。特に優秀な音楽家の前で弾くとなると、楽器が違っても油断はならない。明後日又例会があるけれど、ここ数日ヴィオラを弾いたせいで大変疲れた。昨日はずる休みを決めこんで、ウダウダしていたのも良かったかも知れない。以前なら歯を食いしばって練習し、散歩も決めたら最後一万歩を絶対に歩き通す、みたいな無理をすることが多かった。それが逆に自分を追い詰めるのが分かっていても、歯車が回り続けてやめられない。赤い靴を履いてしまった女の子のように、踊り続けてしまう。でも体力は年々落ちてゆくし、無理をしてどこかをこわしてしまったら、もう弾けなくなってしまう。気持ちが落ち着いてきたら、自分をコントロール出来るようになってきた。相変わらず短気はなおらないけれど。数年後にコンサートが開けるかなあ。もう絶対引退の気持ちが、ソロソロ虫が騒ぎ始めて揺らいできている。なんとかの冷水(ひやみず)になるかもしれないのに。

2010年11月29日月曜日

美肌大作戦

すっかり歳をとってしまって、かつての輝く白い肌はダルネシアン状態。ゴマフアザラシとも言える。シミが浮き出て特に手は自分で目につくので、耐えられないほど汚く見える。そこでエステに行ってみたけれど、結果が出るのは相当長く待たなければならないので、いっそのことレーザーで取ってしまおう・・北里研究所病院が良いというので、さっそく出かけてみた。診察室の奥まった一角に、そこだけピンク色のちょっと浮いた感じの診察室がある。看護婦さんも受付も美人揃いで、エステの雰囲気がする。担当は女医さんで、これも美人。そうだよね。美容センターに私のようなおばさんがいたら、クライアントはみんなガッカリするに違いないものね。まず洗顔指導から始まる。私は不精にかけては人後に落ちない。洗顔もぬるま湯でチョット洗うだけ。洗顔料も使わない。それは正解だそうで、おやおや、とんだところで役立つ不精もあるのだなあ。しかし、もしも石鹸で洗うならおそろしく泡立てなければいけない。看護婦さんが泡立てた石鹸は、もはや石鹸以外のもの、マシュマロみたいに弾力があって、ほんの少し暖かい。全く水でやっているのに。それを顔にペタリ、ペタリと貼りつけるように押し付ける。洗い流すと普段の石鹸洗顔と違って、つっぱった感じがない。ふーん。診察室に入って肌チェック。肌は丈夫な方で、大抵年齢の割にはと但し書きがつくけれど、ほめられることが多い。今日もちゃんと肌理があって良いとのこと。でもその上に、憎っくきシミが居座っている。こいつを追い出さないと夜も眠れない。昨日も友人から、いびきかいてよく寝ていたわよ、よ言われたばかりだけど。一番ショックだったのは、一切化粧品は塗ってはいけないと言われたこと。まあ、不精してしょっちゅうスッピンですが、でも、コンサートに行く時やステージにあがるときには多少塗らないと恥ずかしい。それから、日焼け止めを塗らないようにとも言われた。おおい、スキーのシーズンどうするの。今全くスッピンだけど、なんだか気持ちがいい。とすると、今までどれだけ無駄なお金を使っていたことか。高い化粧品、エステ、ああ勿体無い。この結果が吉とでるか、凶とでるか、半年位かかるらしい。半年後シワシワになっていたらどうしよう。

2010年11月28日日曜日

横須賀市文化会館にて

今日は関東学院大学のオーケストラのコンサート。エキストラで参加した。
「劇場支配人序曲」       モーツァルト
「ピアノ協奏曲」         ショパン
「交響曲8番」          ドヴォルザーク

アンコールに「スラブ舞曲」    ドヴォルザーク

今年初めて楽器を手にしたような学生が何人もいて、本当に訳もわからず夢中で練習したと思うけれど、ビックリするほどハーモニーが綺麗。指導の先生方の実力と思われる。練習の時に度々どこを弾いているのかわからなくなっていた学生に「迷子になっちゃたね」と声をかけたら、気にしていたらしく、次の練習ではちゃんと必死でついていった。わざわざ、指揮者が私のところまで来て、「今年始めたばかりですから」と彼のために弁護した。ショパンは調性も難しい上に、ソロはロマンチックに歌うような曲なので、初心者にはついていくのは難しい。それをどうにかクリアして、嬉しそうにしていたのがとても可愛いらしい。私はヴィオラを弾かされて手がもげそうなほど疲れた。今朝は練習が早い時間からあったので、昨日のうちに横須賀まで行って、ウイークリーマンションに友人2人と泊まりこみ。渋谷での仕事が終えてから大急ぎでうちにあったクリームシチューをタッパーに詰め、サラダやパン、ビールなどを買って車に載せて、横須賀へ到着。ちょうど、オーケストラの練習を終えた二人と合流して、その夜は楽しいおしゃべりと食事で過ごした。仲が良くて遊びも仕事も一緒なので、気心がしれていて疲れない、得難い友人達です。オーケストラは私にとっては音楽上の「ふるさと」でも、気を使うから終わるとドッとつかれてしまう。そんな時は帰りのドライブが最高の気分転換になる。日曜日の高速道路の上りはおそろしくい混むと覚悟していたけれど、第三京浜はがらがら。鼻歌まじりに運転していると緊張感から開放されて、中々良い二日間であったと楽しい気分で帰路についた。

2010年11月26日金曜日

秋雨

小春日和の投稿した途端、雨模様になってきた。低気圧がくると血管が収縮するそうで、それでいろいろな症状が、例えば頭痛や憂うつ感などが起きるそうで、納得。子供の頃から「私ってお天気屋さん」と思っていたから。天候で気分がものすごく左右されることを実感していた。他の人達はいつ見ても冷静なように見えて、自分だけ特殊なのかと思っていたけれどそうではなく、私のようにスグに表に出さないだけなのだとこの頃ようやくわかってきた。熟慮する脳の持ち合わせがなく、アッという間に顔や言葉に現れてしまうので、内心の隠しようがない。偶然お目にかかった人に「わあ、暫くね。お元気?」と言われて絶句。でも悪いから「本当に暫くね。元気よ。」と言ったら、「私のことわからないでしょう。顔に書いてあるわ」と言われてしまったこともある。ずいぶん以前のこと、北海道にスキーに行くために羽田空港で札幌行の出発便を待っていた。その日は大雪でいつ飛ぶかわからないので、ぼんやり腰掛けてごった返す人たちを見ていた。突然頭の上から声がして「もしかしたら**さん?僕**です」と言われた。背の高い男性が上から見下ろしている。ジッと見ていると、かすかにかつての小学校の、クラス一のヤンチャ小僧の面影がよみがえってきた。「ああ、**君ね。まあ、何十年ぶりかしら」本当に懐かしくうれしく、暫く話をして彼は行ってしまった。
ちょっと考えると、彼のことは向こうから言われなければ全くわからなかったのに、どうしてアチラは私のことがわかったのか。ということは小学校以来なんにも変わってないってこと?普通大人になると、見違えるように美しく洗練されたりするのに?彼は当時のいがぐり頭の悪戯小僧が、堂々と立派になっていたというのに。複雑な思いでした。

2010年11月25日木曜日

小春日和

このところ晴れた日が続く。こんな長閑な日差しを小春日和というのか。いえの前の桜並木も赤く色づいた葉が散って、見通しがよくなった。これからが本格的な寒さとなる。寒いのは好きだから、うれしい。猫たちが私の布団に潜り込んでくる。両腕に柔らかく温かい動物を抱えると、実に至福の時となる。鼻をグズグズ言わせフニャフニャ寄り添ってくるのがたまらなく可愛い。でも、私の寝相はかなり動的なものらしく、次に目が覚めると、彼らは枕の上に避難している。呼んでも2度とこないところをみると、ひどい目にあったらしい。ほとぼりがさめるまでは、中々来てくれなくなる。電気代のいらないアンカがわりに使うのは無理らしい。やはりネコはなんの役にも立たない、と思うのは間違い。ひどく忙しく働いていた頃、毎日緊張で動悸が治まらない事が多かった。このままでは突然死だぞ、と思っていたときに役に立ったのが彼ら。眠れないときそっと寄り添ってくれる。その毛を撫でていると、あれほど激しかった動悸がいつの間におさまり、すーっと眠りに入っていける。どれだけ彼らに助けられたことか。今こうして穏やかでいられるのもニャンさんたちのおかげと感謝している。よくうちに来てくれましたね。時々話しかけるとフンといって逃げて行く。ちょっと一句。

柿熟し 黒き仔猫の 陽に溶けて          お粗末さま。

2010年11月24日水曜日

粘菌でイグノーベル賞

イグノーベル賞はノーベル賞のパロディ。人々を笑わせ、考えさせる研究に贈られる。今年で20周年になるが、日本人の中垣俊之さんが受賞された。今朝の新聞からの情報では、粘菌が実際の鉄道網よりも効率よくネットワークを作り出す研究で、交通計画賞を受賞した。2008年、粘菌が迷路をとく研究で「認知科学賞」を受けてからの2度目の受賞となる。粘菌がエサに接触すると、その周囲にアメーバ状の体を集める。迷路の中に入れると見事最短経路を見つけたというので、なんだかよくわからないけれど、この研究を始めるきっかけがなんだったのか知りたい。そもそも、粘菌というのはなんぞや?例えば納豆菌のようなものなのか。カビの菌か?ちょっと調べてみたら、中々面白いものであることがわかった。まず、初めは他の星から地球に降ってきたと考えられ、地球上の動植物の原型となる。動物と植物の両方の性質をそなえている。森の枯葉などの中に住み、細菌などの有機物を食べて成長する。細胞壁のない一個の細胞で、分裂はせず巨大アメーバとなる。手のひらほどの大きさに何億個の核を持つ。これが動物的性格。光を嫌い湿気を好むが成長とともにより明るく乾いた方へ移動する。キノコやカビのような胞子の袋を作り、胞子をばらまいて仲間を増やす。これが植物的性質。胞子が発芽すると水の量が多ければ精子のような、少なければアメーバのような細胞が生まれ、これが精子と卵子にあたる。オスとメスの細胞が接合して接合体となり、エサを食べながら成長する。とまあ、このような物らしい。どうやらカビではないらしいが、例として「タマホコリカビ」というのがあげられいたので、近いものなのだと思う。この名前なんだかいやだなあ。nekotamaの家のホコリに住むカビみたいで。誇りは無いがホコリはたっぷりある我が家を象徴している名前みたい。人はいろいろなことに興味を持つものだと思いますね。その存在すら知らない私のような者もいるし、それにひかれて研究する人もいるし、世の中にさがせばゴマンと面白い事があるのに、なにもせず、道端でしゃがんでいる人もいる。でも、私の理想はしゃがんでいる人なのです。これも面白いでしょう?

2010年11月23日火曜日

秋の日のヴィオロンのため息の・・・

秋です。我が家の前は桜並木。今は落ち葉の季節。毎朝落ち葉掃き。別に当番が決まっているわけではなく、気が向いた人が気が向いた時間にしている。ここは2丁目と4丁目の境目。うちは4丁目。今から14年前、ここを2丁目がゴミ置き場と決め手からごみ戦争が勃発した。事の始まりは今まで自宅の前にゴミをおかせていた家が新築した。それで、もうそろそろとなりの家にゴミ置き場を移してて欲しいと言ったところ、その家は拒否。そして、わざわざ自分たちの家の前ではない、我が家の前の川っ縁をゴミ置き場にしてしまった。私の家からものの3メートルと離れていない。でも、自分たちは関係なく綺麗にしていられる。こんな理不尽なことってありますか?カラスが荒らし放題でも、自分の家の前ではないから、気がつかない。夜中にゴミ出し。収集されない物を出して、置いていかれればそのまま放置。そのたびにこの私が怒鳴りり込む。10件ほどの家を相手に孤軍奮闘、一人で立ち向かい町内会長を巻き込んで大騒ぎとなった。度重なる不始末に私は胃潰瘍寸前。だいたい責任の所在がはっきりしないから、誰が管理するかもわからない。呆れるほどの杜撰さに、こちらは切れっぱなし。自覚をしてもらうのに13年かかりました。散らかり放題の状態を2丁目の町内会長をひっぱってきて見せたのです。それまで、住人たちから私の悪評を聞いていたらしく、初めはケンもホロロだったのが、あまりの酷さに絶句して黙々と自分で掃除を初め、それからやっと事態は変わり始めた。きちんと掃除をする。残されたゴミは片付ける。カラスの散らかしたものは片付ける。それまで驚くべきことに、カラスの散らかしを無視して、「あら、大変」等と言って、踏みつけて自分のゴミを置いていた。風が吹くとこちらにゴミの残骸が舞ってくる。最近は見事にきれいになっている。私とて文句は言いたかないさ。たかが、週3日。2時間ほどゴミがあっても我慢するさ。でも、あまりの自覚の無さにあきれ返っていた。最近朝ふと外を見たら、2丁目の人が私の家の前を掃除してくれていた。向こうから挨拶もする。それで桜の落ち葉も毎朝だれかしらが掃除するので、道はいつもきれいになっている。しかし、もっと早く、文句を言われる前にそう出来なかったのか、そこが未だに腹の立つ所以です。ロマンチックでないため息が出ますよ、ヴェルレーヌさん。

ノロウイルス

最近ノロウイルスで発病する人が多いようで、今日もテレビで幼稚園のノロウイルス対策を放送していた。園児たちがテーブルの前であそんでいると、先生が来てテーブルを消毒用アルコールをかけて消毒する。なんだかいやだなあ、そういうのって。過剰に清潔、過剰反応。実は昨日は私もお腹の調子が悪くて、これは?と思ったけれど、様子を見ていたら治ってしまった。かるく風邪をひいたか、疲労がたまったせいか、気にもしないでいれば殆どの場合なおってしまう。テレビコマーシャルなどもやたらに消臭剤を振りまいたり、家中を消毒したり、やたら手をゴシゴシ洗ったりするものばかり。時には体の常在菌の話でもしたら、どうでしょうか。可哀想にせっかく働き者の善良な菌まで抹殺して薬に頼っていると、ろくなことはない。もし、薬が手に入らないところに不本意に行かされたら、どうしましょう。先日抗生物質のきかない耐性菌の記事を読んだけれど、あまりにも安易に使い過ぎるのが原因らしい。ちょっと怪我しただけですぐ抗生物質を調合される。先日耳鼻科で軽い手術をしたあと、出された薬の多さにびっくりして、殆どすててしまった。医師に薬の説明をしてもらったけれど、ほとんど必要のないものばかり。薬を出さないと儲からないのかも知れないが、もう、そこへは二度と行きたくないので、結局患者を取り逃がしたことになる。お気の毒に。あまりにも神経質だと、私みたいに行きたいところにも行けないでしょう。私はそうとう辺鄙なところでも、殆どお腹を壊さない。世界中で一番我が家が汚いから、なんて言うと、誰も遊びに来てくれなくなる。そんなことはありません。青蔵鉄道のトイレよりはましですから、遊びに来て下さい。

2010年11月20日土曜日

国際基督教大学

ICUのキャンパス内にあるホールで、古典音楽協会のコンサートがひらかれた。今回はコンサートマスターのゆかりの方や、日ごろ定期演奏会を聴きに来てくださる方たちのご尽力によるもので、バロックの名曲を演奏した。三鷹の天文台のちかくの高台にある広い敷地が、大学構内。元はブッシュの生えた荒地をやく50年ほどで立派な森にして、そこに点在する建物も落ち着いた佇まいを見せている。学生たちもゆったりと学園生活を楽しんでいるようだ。このところ、学校に行くことが多く、それぞれの大学の雰囲気がとても違うことに驚かされる。ここはとりわけ物静かで、深まり行く秋の景色のせいか、土曜日で生徒数がすくないせいか、落ち着きが感じられた。曲目はヘンデルの合奏協奏曲、ヴィヴァルディの2本のヴァイオリンのための協奏曲、バストンのリコーダー協奏曲、コレッリのクリスマスコンチェルト、バッハのカンタータ、パッヘルベルのカノン、アンコールにバッハのアリア。バロック好きなら涎のたれそうなプログラムだと思う。古い小さなホールでも音響がよく、とても弾きやすい。皆さんがとても喜んでくださったのがうれしかった。終演後代々木のオリンピック記念青少年ホールに駆けつけ、(それも、5時開演ぎりぎりセーフ)すぐステージに上り、フィガロの結婚序曲、カルメン組曲、ベートーヴェン「英雄」というプログラムでリハーサルなしの本番。明日はドヴォルザークの8番の交響曲、ショパンのピアノ協奏曲、などのリハーサルがあって、このところ、オーケストラが続く。ところで今日は私の大厄日だったみたい。まず、古典音楽協会のステージでは間違えてばかり、挙句に転んだり、眼鏡をこわしたり、なにもかもついていなくて落ち込んで帰ってきた。こんな日がたまにあるのです。もう、演奏やめようかな、なんて愚痴をこぼしながら帰ってきた。ああ、やんなっちゃうな、もう。

2010年11月17日水曜日

やったね!はやぶさ

「はやぶさ」が「イトカワ」から岩石ーと言ってもチリみたいなものらしいーを持ち帰ったニュースを聞いて、なんだかホッとした。7年もかけてやっと宇宙の果てから帰ってきて、お土産なしとわかったら、世間の目はどれほど厳しいものになることか。もとは搭載されたイオンエンジンがうまく動けば、目標は達成された。でも、その上岩石の回収があれば百点満点の五百点だそうで、新聞に掲載されたはやぶさプロジェクトの研究者たちのうれしそうな笑顔は、地道にこつこつと研究を続けてきた人たちの最大級の喜びの表現と思える。これで事業仕分けを免れるかどうか。学問、芸術などはお金がかかる上に結果が出るのは時間がかかる。今、すぐに手っ取り早く成果を求めるのが、世界的な傾向だと思う。宇宙のことなどでなく、若者の雇用が先決、子育て支援が優先と考えられがちだが、それだけでなく遠い将来を見る目も大切。研究には将来役に立つかどうか不安なものもあるとおもうけれど、結果として必ずどこかで役にたつのではないか。当初の目的とは別のところで役にたっている研究結果もたくさんあるでしょう。この頃周り中からいじめられているかわいそうな日本。でも、まだこんなに素晴らしいいことが出来るのさ、世界中にアピールしたい。裁判員裁判のいやなニュースと、この喜ばしいニュースのあった日でした。

裁判員裁判

ついに死刑判決、下した裁判員の胸中はいかばかりか。自分だったらどうする?犯行の残虐さから言ったら死刑は免れないとは思った。でも、自分だったら果たして決められただろうか。被告が徐々に改悛の情を見せて変ってゆくのを見て、人情としたら死刑は言い渡せない。初めに戻って残忍なやりかたを思い出さないと、つい情が働いてしまうのは無理もないことだと思う。人がある行為をした場合、いくら後で反省しても取り返しのつかないことがある。これはその例だと思う。私の持論は後で反省しようとしまいと、やってしまった行為にたいする償いはしなければならない、と思う。それはどんなに理屈をつけようと、やられた人の方からすれば、殺されたり傷つけられたりしたことは償ってもらう権利があるということ。反省するくらいなら、初めからしなければいい。自分が殺されるのはいやなら、人も殺してはいけないことくらい、子供にだってわかるのだから。しかも、あまりにも残酷なやりかたは、反省したとしても許されないのでは?と思うけれど、もし、自分が裁判員に選ばれてしまったら、と思うとゾッとする。死刑を決めるのはやはり一種の人殺し、なんて考えたら夜も眠れなかっただろうと、今回の裁判員の方たちに同情してしまう。本当にいやな思いを生涯抱き通していかなければならないのだから。ひたすら選ばれないよう、祈ります。でも、なぜ?民間の、法律の知識も裁判の訓練も受けていない人たちに裁判をさせるのか、それが一番の疑問です。

2010年11月15日月曜日

酔っ払いからの電話

スキー仲間で、飲み友達の青ちゃんから電話があった。背後のうるさいこと。また酒盛りの最中らしい。すっかり忘れていたけれど、そういえばスキーの先生がスキー用具を選んで、その流れで宴会に突入する、毎年恒例の飲み会だったけ。ここ数年の忙しさから、スキーはおざなりになっていた。今シーズンは暇もできたし、何回かでかけよう。ちゃんとレッスンも受けることにしよう。「先生が寂しがってたぞ」うそばっかり。私が現れないのでどんなにホッとしているか、目に浮かぶ。先生は源ちゃん先生と呼ばれている。熱心さの余り、少し煙たがられてはいるが、おかげでみんな年をとっても、安全で、きれいなスキーができるようになった。その中で反抗的な何人かも、次第に効果が顕れるのを見て、納得していく過程が面白い。私たちのグループでお願いして、毎年講習を開く。初めのころ先生はまだ若く、頑固でいこじで分からず屋で、手に負えなかった。私たちのグループは山田会長率いるところの、雪雀連。いい加減をモットーとするアウトローの集まりだから、先生もカリカリ、こちらも突っ張っていて、丁々発止と火花が飛んだ。とにかくスキーの話以外絶対にしないという、堅物というか変人だった。食事の時も寝る前まで、スキーだけ。朝おはようというなり、今日はどんな内容でレッスンをするか、延々とはじまるので本当に辟易した。コースに出れば、いわれたことが出来ないうちは、昼食もたべさせてもらえない。でも、最近皆が上手になったせいか、くたびれてきたせいか、ずいぶんおとなしくなってしまった。やはり源ちゃんは仁王立ちになり、ゲレンデ中に響き渡る声で私たちを怒鳴りつけていた、あのころのイメージでいてほしいなあ。でないと、こちらも反抗のしがいがない。

2010年11月14日日曜日

学生オケ

関東学院の学生オーケストラのお手伝いにはせ参じた。曲目はモーツァルト「劇場支配人序曲」ショパン「ピアノ協奏曲1番」ドヴォルザーク「交響曲8番」とアンコール用は「スラブ舞曲1番」今日は学校でリハーサル。関東学院は友人が講師をしているので、なにかとなじみが深い。去年まで毎年、ヘンデル「メサイア」をクリスマスシーズンに演奏させていただいた。この学校のカラーなのだろうか。学生たちが本当に元気でかわいい。学校にはそれぞれカラーがあって、いろいろな学生たちと付き合ってきたが、関東の子達はとりわけ無邪気で明るいのが目に付く。今日も行ったとたん、明るい渦に巻き込まれ、私もすぐにノリノリの学生気分。階段に大勢で座って物をたべているので、小鳥の集団みたいだね、と言ったらワッと笑い声が起きる。箸が転んでもおかしい年頃。私の母校の国立音大に雰囲気が似ているかもしれない。国立も底抜けに明るく自由な校風で、当時の学長の有馬大五郎先生の羽の下でぬくぬくと育ったために、傑出した音楽家は輩出しなかった。そのかわり、周りとの強調性が育ち、助け合っていける友人がたくさんできたのは得がたい財産となった。関東の子たちもきっと円満な社会人になるのだろう。28日15時開演 横須賀市文化会館で演奏会。前の日から会場近くに友人2人と泊り込んで、コンサートに備えることにしたので、これも楽しみ。おしゃべりが過ぎて夜更かししないようにがんばります。

2010年11月13日土曜日

トカゲの戦略

週刊文春に面白い記事があった。竹内久美子さん(動物行動学)の「イキモノローグ」という欄。
北米西海岸に住むワキモンユタという小さなトカゲ。オスの繁殖戦略が3種ある。それぞれ喉の色を変えて自分の戦略をしめしている。オレンジのオスは一夫多妻、ブルーのオスは一夫一妻、イエローのオスは妻がなくフリー(発情したメスに擬態)  オレンジは妻の数ではブルーに勝っている。ブルーは妻を持たないイエローに勝っている。ところがイエローは、沢山の妻を持っているため防衛の行き渡らないオレンジの隙をついて、その妻と交尾をしてしまう。メスに擬態しているから、隙をつきやすい。それで、一見最強のオレンジに勝ってしまう。ブルーは一人の妻を守るので、イエローに勝っている。ある年オレンジの数が多いなら、それをカモにするイエローがよく繁殖する。その効果は翌年または翌々年に表れる。すると、今度はイエローをカモにするブルーが繁殖。すると今度はブルーをカモにするオレンジが繁殖・・・・5年間で一巡するそうだ。この3つの勢力は数年ずつずれながら、栄枯盛衰を繰り返すとまあ、こんな話です。面白いですねえ。この3つの繁殖戦略をジャンケンのグー、チョキ、パーに例えて、「トカゲのジャンケン」   私から見ると、イエローが最強。フリーでいて充分楽しんでいるのだから、これは不謹慎か、はたまた願望か・・・ニャ?

ゲームは終わった。

というわけで、手こずりまくった24のゲームは完全に制覇した。それでも信用できず、昨夜もう一度初めからやり直し。又てこずって、とうとう11番目で頭が痛くなって寝てしまった。何かに夢中になっている時は、他のことも調子に乗ってしまい、昨日は一日中ヴァイオリンやピアノを弾き、散歩の距離もいつもより多くなり、今朝はボンヤリ。物事を程々にすることが出来ないのは、一種の性格的欠陥といえる。ピアノといえば、ピアニスト達のホームコンサートに混ぜてもらっているうちに、なんだかピアノが弾きたくなってきた。私の大好きなモーツァルトの幻想曲をそのうちものにしたいと思っている。その他はシューマンの子供の情景、Amazonから楽譜を送ってもらった。デームスの素敵な演奏を聴いて以来のお気に入り。楽譜が届いて、さて、鍵盤に指を置いても中々音が出ない。楽譜はスグに読めるほうだから、頭ではわかっていても、指が所定の位置に行くのに時間がかかる。それもそう、もう、何十年もピアノはちゃんと弾いていないのだから。気がついたのは和音で書いてあるところはサッととれる。かたまりで見るのが得意だから。でもバラバラだと指使いがわからない。幸い音大の先生たちが一緒だから、あわよくばこの際教わってしまおう。ピアノはヴァイオリンと違って、フタを開ければすぐ弾けるところがいい。ヴァイオリンは絶えず楽器のご機嫌を伺っていなければならない。気候が悪い日など、一日中調弦していることもある。気難しい楽器です。両方やっていた若い頃、ピアノの先生が私をピアニストにしたくて、強力に説得してきたけれど、私はなぜか、ヴァイオリンを選んだのは、その気難しさが魅力だったのかもしれない。私の性格からすれば、やはりヴァイオリンを選んで正解だった・・・かなあ?

2010年11月11日木曜日

ああ、恥ずかしい

10月の投稿、ショパンコンクールをチャイコフスキーコンクールと間違えて、気がつかなかったのです。その前に、実況中継を見られるようにしていただいたので、みていたくせに。ショパンと食パンとかなら、語感がにているから仕方がない。(えーっ、もっとひどいよ)でも、何回も自分でもショパンと言いながら、何故いつの間にチャイコフスキーになっちゃうの?昨日一緒に音楽会に行って友人からの指摘で発覚。そうでなければ、ずっと恥をさらすことだったでしょう。そろそろ物忘れ外来の診察を受けたほうがよさそう。テレビで認知症の簡単なテストをやっていて、私はなんとかクリア。でも、スタジオでテストを受けていた未だ若いタレントさん。殆ど重症の出来の悪さ。ゲストの医師が、これはちゃんとしたテストではないからなどとフォローしていたけれど、それも視聴者をバカにした言葉で、それならやるなよ、と言いたい。やはり、そのタレントさんに問題あり。なにか、質問の意味すらわかっていないようで、綺麗な顔してるのに悲しいね。脳の中にシミが出来ると、時間がたつとその部分が機能しなくなってくるそうだ。顔に嫌なシミがあるので取りたいといったら、昨日会った友人がお医者さんを紹介してくれた。でも、顔よりも真っ先に脳の中のシミを取ったほうがいいのではないかと、只今思案中。脳トレにとやっているゲーム。24問中23問目にとりかかったら、これが難しくてクリア出来ない。悔しくて夜中までやっていて寝不足になってしまった。それで、昨日のコンサートで爆睡したというわけです。あと2問が出来なかったら、悔しくてパソコンで爪とぎしちゃうぞ。

2010年11月10日水曜日

北川暁子ピアノリサイタル

文化会館小ホールにて。

モーツァルト     ソナタK284
ベートーヴェン   ソナタ作品109

レーガー       バッハの主題による変奏曲とフーガ
バッハ~ブゾーニ  シャコンヌ

いつもこの人は淡々といとも簡単そうに弾いてのける。でも、今日は少し手ごわかったようで、レーガーは楽譜を見てひいていた。こんなすごい曲を暗譜するのは、この人をもってしても至難の業なのか。分厚い音。まるで、オーケストラのような音の多さ。
数年前ベートーヴェンの連続演奏会を開いて、世間を驚かせた。たまたま、お目にかかったときに「なんてすごい」と驚嘆したら、「引き出しに全部はいっているのよ。開けると出てくるの」とアッサリと言ってのけた。なにを弾いても危なげのない、ハラハラしない演奏なので、今日は前半の2曲は心地良くぐっすりと眠らせていただいた。後半はさすがに眠ってなんかいられない。ピアノが唸る。微笑む。穏やかに、ある時はライオンの咆哮のように、鳴り響く。このプログラムを一晩で弾くのは、どれほど練習をしなければならないか、考えると気が遠くなりそう。こんな時、リサイタルを開ける位才能がなくって良かった、と思ってしまう。人生すべて遊びの人は私です。

遊び?仕事?

私たちは普通のお勤めに行く人達とは生活形態がだいぶ違うので、周りの住人の目には遊んでいるようにみえるらしい。午前中に家にいるし、楽器ぶら下げて出ていっても、おそらく趣味のお稽古と取られているらしいのは想像がつく。なくなった母もいつも言っていた。「今日は仕事なの?遊びなの?」自転車置き場のおじさんも「ヴァイオリン。ほう、いい趣味だねえ」絶対に仕事と思う人はいない。ステージで血相変えて演奏しているのを見ている人でさえ、「好きな事が出来ていいですねえ。楽しみで。」冗談でしょう。お宅のご主人と同じく、腸がよじれる思いで仕事してるのに。とは云え、どうも自分自身でも仕事が遊び感覚、いや、人生そのものが遊び。苦労は勿論あるけれど、好きな事だけやっていたら、こうなってしまった。今朝、友人から電話があって、次の仕事に行く時に「前の日から近くに泊まらない?」との提案。場所は家からそう遠くはないけれど、「時間が9時半と早いから大変でしょう」そういわれればそうね。賛成。もう一人誘って三人部屋に泊まる相談は、即座に議決された。泊まるのはいいけど、前の夜おしゃべりをして夜更かしすると、次の日の仕事は悲惨なことになるから、眠らないと。でも、せっかく3人揃ったのだから・・・ウフフ、楽しそうだなあ。これだから、仕事か遊びか傍目にも自分でも区別がつかなくなる。わが雪雀連というスキー愛好グループの忘年会を兼ねたコンサートが毎年行われる。殆どの人は音楽以外の仕事だけれど、楽器演奏や歌を披露してから宴会に移る。そこでも、昼間さんざん仕事してきた私たちが、飽きること無く演奏するのを見て会長の山田氏曰く。「本当に好きなんだねえ。あんなに毎日弾いているのに、まだ弾いて。」はい、本当に好きです。

2010年11月8日月曜日

昨日の今日

寄る年波でなにかイベントがあった後は、非常に疲れる。昨日のコンサートでは、小柄な私がヴィオラを弾いたため、体にえらく負担がかかって、事の外つかれた。夜、指圧に行くと、右肩の付け根がバリバリになっていて、でもこれは昨日今日の疲れ方では無いと言われた。長年の疲れで筋肉がグチャグチャになっているので、修復は不可能だけど、柔らかくすることは出来るそうだ。筋肉も、他の部品も古くなっているのだから、仕方がないけれど、もう少しヴァイオリンを弾いていたいから、大事にしないと。大体、楽器を弾こうなどという人種は一種の偏執狂だから、何をやっても度が過ぎる。始めると歯を食いしばって追求する。私が今年の初めに毎日一万歩を目標にしてから、膝は痛む、疲れて他の事は一切できなくなる等の障害が生じているにも拘わらず、むきになって歩いたために疲れはててしまったのも、そのいい例。聞けば、そんなに歩くのは一週間に一日くらいでいいそうだから、完璧にオーバーワーク。それでこの頃は、カラスの家族に会ったら帰ってくることにしている。ちょうど半分くらいで、これなら気分よく一日が過ごせる。かえって元気が出る。私の友人が水泳をやっていて、ある年の初泳ぎの時に、手はどうなりますか?足は?とインストラクターに詰め寄ったら、「マアマアまだお正月ですから、ゆっくりやりましょう」と言われたそうで、彼女は「私たちって何でもストレスになっちゃうのよね」と笑っていた。いつも楽しみで始めたはずの遊びが、いつのまにかストレスになることはよく経験する。これは自分だけでなく、日本人全般の傾向かもしれない。

2010年11月7日日曜日

オーケストラ・アンサンブル西湘

今日は私たちのオーケストラ・アンサンブル西湘の第一回目の定期公演。デビューしました。

指揮        松元宏康
ピアノ独奏    水野魁政

曲目       フィンランディア            シベリウス
          ピアノ協奏曲第一番         メンデルスゾーン
          交響曲第九番「新世界より」    ドヴォルザーク

場所          秦野市文化会館大ホール

ポピュラーな曲で幕開け。初めてオーケストラを弾く人もいて、緊張は極度に高まっていたけれど、日頃の訓練のたまもので、見事にデビューを飾った。素敵なコンサートでした。たった1年数カ月の訓練で、ここまで出来るとは思えなかったけれど、本当にみんな良く練習し、気持ちが一つになって素晴らしい出来栄えでした。日頃自分の仕事をしながら、練習を重ねた努力は大したもの。アマチュアのオケはエキストラが大半で、ようやく格好が付いているところが多い中で、メンバーが大半を占めているのも大変な強み。音が違う。はじめから曲だけを練習するのでなく、基礎練習を取り入れて、音の出し方から、音程のあわせかたなどを厳しく反復したのが功を奏して、今日のこのステージにつながったと言える。指揮者の松元氏の指導も素晴らしかった。これから第二回に向けて、心を引き締めていかなければならない。ピアノの水野君はまだ中学生。見事な演奏で将来が楽しみです。

オーケストラアンサンブル西湘

去年の夏、新しいアマチュアオーケストラを立ち上げる話しに乗って、秦野市に通い始めて約1年余り。初めての定期演奏会にこぎつけた。ヴァイオリンほんの数人。トロンボーン、トランペット、フルート、クラリネットなど、管楽器数人。それが11月には初めて人前で「ペルシャの市場」を演奏してから、あれよあれよという間にメンバーが揃い始めた。初めて練習に立会ったときは、バケツをひっくり返したような音がして、これからどうやって指導したらいいものか、頭を悩ましたものだった。しかし、毎回人数が増えてゆき、熱心に練習するので、あれっと思うと、ばかに良い音が出る。
人の言うことをジッと聴く耳をもつと、これほどに進歩するものなのか。指揮者にも恵まれた。まだ若いけれど、非常に理性的な松元氏。練習のやり方も上手いし、人をひきつける要素もあり、まだ初心者マークのこのオーケストラにはうってつけの人材で、本番がどうなるか、楽しみ。あら、もう今日のことになってしまったので、早く寝なければ。結果については、今夜のブログでご報告します。今後どのように伸びていくか、暖かく見守ってください。詳細はオーケストラのホームぺージを御覧ください。

2010年11月5日金曜日

月例 弾く会

毎月ピアニスト集団に混じって演奏する月一回の怖い日。なんだってピアニストという人種はこう真面目なのか。ベートーヴェンの後期のソナタに真っ向から挑戦して、ものにしてくる。私はといえば、一向に進歩のないバッハ。今日はパルティータ2番・・・の途中まで。チベットで少し体調を崩したと言い訳しながら、もそもそと弾き始めてみると、さすがに曲が素晴らしいので興にのってきた。こんなことなら、全曲弾くんだったな、なんてちょっぴり後悔する。間に合わなかったくせに。それはさておき、ピアノという楽器は一人でオーケストラができる。ヴァイオリンその他の弦楽器、管楽器は、もちろん無伴奏もあるが、曲が少ない。一つの曲として成り立つのには、どうしても伴奏がいる。ピアノはコンチェルトでない限り、それ自身で完成される。それが羨ましい。なんとなく、みんなの演奏を聴いているうちに、そうか、ピアノ弾いてみたいな、と思った。私のピアノは可哀想に、ピアニストが来た時だけしか弾いてもらえない。実はある調律師の渾身の作品で、フレーム(と言っていいのだろうか)要するに周りの黒い木の部分はヤマハの古ーいピアノをもらってきて、それにベヒシュタイン、ヤマハなどの倉庫に眠っている部品を組み合わせ、ピカピカに磨いてくれたもの。みごとに蘇って我が家にお輿入れ。柔らかい素敵な音がする。高校生まではピアノもずいぶん弾いたけれど、大学になるとそれどころではなくヴァイオリンに邁進して、卒業すれば忙しいオーケストラでピアノどころではない。それからウン十年、生徒の簡単な伴奏をつかえながら弾くだけだった。なんかピアノもいいな。若い頃のようにはいかなくても、少しずつ弾いてみよう。でも、楽譜は散逸して又取り寄せねばならない。うちのピアノも泣いて喜ぶに違いないと思って、帰宅して顔を見たら、白い歯を剥きだして「おかえりなさい」とニヤリとした。おや、ところどころ、黒いのは虫歯?タバコのヤニ?

2010年11月3日水曜日

高速道路の休日料金反対

土日に東名高速道路を使って仕事に行くことが多い。民主党の目玉商品、休日の高速の無料化、又は1000円、はなはだ迷惑している。大体、土日には働く人がいないと思うのは大間違いで、遊ぶ人からお金をとるのは当たり前。道路使うのだから。むしろ、職業ドライバーにこそ、恩恵は行くべきであって、運送費用が少なくなれば、多くの人が(運転しないひとにも、年齢を問わず)還元されると思う。まったく何考えているのか。人気取りでもの考えず、生活の根底の一番土台から考えて欲しい。自民党が敗退して、やれやれやっとと思ったけれど、現政権のあまりの浮き足立った政策に口がアングリ。アングリーですぞ。物を使ったら料金払うのは、物を買ったら料金はらうのと一緒。買わない人からお金は取れない。買った人は払うの当たり前。今日のように秋晴れの行楽日和に高速が安ければ、ぞろぞろ車が出てくる。しかも日曜ドライバーで運転不慣れ。ちょっとしたところでブレーキを踏み速度が一瞬遅くなっただけで、たちまち渋滞するという。しかも、事故を起こす。目も当てられないほどの混雑で、時間が無駄になる。CO2はふえる。削減25%を約束したはず。これでは、とても約束は守れない。そう言っても、私も休日に出かけるから恩恵を被っているとお思いでしょうが、私は時間のほうが大事。スッキリと運転したい。でも今日は、真正面に白い富士山が見えて、最高のドライブ日和。こんな日に出かけないわけにはいかないかな。

2010年11月1日月曜日

音楽嗜好症  オリバー サックス著  太田直子訳   早川書房

Musicophilia という神経症があるらしい。私が昨日のnekotama の投稿で、(音楽が頭の中で鳴りつずけるが神経症ではなさそうだ)と言っているのはそのこと。この症状の中の一つの例は、絶え間なくリズムやメロディーが繰り返され、日常生活にも支障がでる。それを逆手にとると、モーツアルトになれるかもしれない。数列を音に置き換えると覚えられる人や、絶えずリズムをとっていないといられないとか、言語障害の幼児に発音訓練を音楽にすると、正しく言葉を答えるようになった例とか、興味深い症例が沢山ある。音楽にとりつかれたり、音楽によって障害が出たり、様々な例がとりあげられているが、音楽により障害から立ち直る人もいる。アスペルガー症候群の人が、生涯で一番役に立った治療が音楽だったと言っている例もある。彼は他人と心を通わせる手段として、ギターや歌を使う。脳による言語と音楽の処理は非常に似ているらしい。足の手術のあと歩く手段を忘れてしまった人が、音楽を聞いてリズムを取ることで、立ち上がれるようになった例もある。トゥレット症候群で体が自分の意志と関係なく動いてしまう症状(チック)、それも音楽は引き起こすときもあれば、沈静化させることもある。ジャズの演奏者には、何かを抑えられないというトゥレット症候群によって、類まれな才能を開花させたひともいる。ジャズやロックの音楽家も多い。ジャズドラマーのディビィッド アルドリッジは「自分の発作的な身体の動きをリズムを叩くことで隠し、押えきれないエネルギーをきちんとした流れに向かわせた」と言う。「私はリズムマンになる運命だった」とも。もちろんクラシックの演奏家にもいるそうだけれど。    
オリバー サックスはコロンビア大学メディカルセンターの教授。「妻を帽子とまちがえた男」はベストセラー。私もそれしか読んでいないが、ほかにも「レナードの朝」が映画化されアカデミー賞受賞するなど、沢山の著書があるらしい。「妻をぼうしと・・・」を読んだあと、私は自分の鼻を手で触っても、どうしても顔の真ん中にあると思えない時期があって、自分の影響の受けやすさに苦笑することがあった。いまでも、時々さわってみるが・・・真ん中であろうとなかろうと、どうでもいいじゃないに変化してきた。人生開き直ると、たいがいのものは怖くなくなる。私のように「少し変わっている」と言われる人より、ものすごく変わっているといわれる人のほうが才能豊かなのかもしれない。それを正しい方向にむかわせる、周囲と本人の努力や運があればですけど。