2014年2月8日土曜日

雪の日に思い出すこと

今朝はヒラヒラとお空の彼方から白い涙が・・・・オリンピックの開会に合せるかのように、降りだした。
なんちゃって少女趣味な書き出し。
今朝は早くから雪、降り積もるそうだ。

いやー、昨日こそ早く寝ようと思っていたのに、オリンピックの開会式を見てしまった。
私はこういうイベントをたいして面白いと思わない質だから、ふ~ん、壮大な無駄遣いなんて思っているだけだが、無駄遣いしても余りあるほどの経済効果でもあるのかな。
これで経済が良くなって国民が潤うならそれもいいけれど、大抵は一部の業者かあるいは政治家あるいは・・・我々庶民はいつまでも清く(?)貧しく(うんうん)美しく(???)から脱却できるわけがない。
つつましく暮らしましょう。
選手の入場行進を見ていたら、スキー選手の中にヴァネッサ・メイという人が居て、なんとヴァイオリニスト!
ヴァイオリンを弾く人にスキーをこよなく愛する人が多いのは、なにか共通点でもあるのかと考える。
1)ヴァイオリンはピアノのように鍵盤がないから、指板の上を  自由に滑ることが出来る。ゲレンデ上のスキーの様に。
2)音程も規制されない。(平均律ではない)
3)反射神経を要求される。
4)弓の緩急自在な動きによって音色や表現が自由に変えられ   る。スキーの操作と似ている。  
5)刻々と変わる雪の状態と同じようにヴァイオリンも湿度・温  度・会場の反響などで演奏法が変わる。    等々
へりくつを並べてみました。
しかし、オリンピックに出るということはヴァイオリン同様、猛烈に練習しなければならない。
両立するのは大変難しいでしょうに、すごい人がいるものだ。
同等にはできないけれど、私などは怪我が怖くて本気で滑ったことがない。
いつも6割くらいでやめておく。
食欲もこれが出来れば痩せられるのに、食欲は120%満たしてしまう。
しかし、都会は大混乱となっても雪はうれしい。
忘れられない雪の日は今からもう20年も前だったか、横浜に小さな素敵なホールがあって、そこでシューベルトの「死と乙女」を演奏することになっていた。
ところが当日、大雪になった。
主宰者は中止をと言ったけれど、そんなこと考えても居なかったメンバーは時間になるとちゃんと集合した。
千葉の方から来る人もいて、何時間も前に家を出たという。
幸い私はそれほど遠くなかったので、バスを乗り継いで到着。
お客さんも岡山から来るはずだった人が、新幹線が動かないので来られなくなってしまったという。
それでゲネプロの時点で公演延期するかどうか話し合ったけれど、1人でも来てくれる人がいたらやりましょうということになった。
蓋を開けたらお客さんは結構来て下さって、それでもいつもよりは少なくて、外は雪だし、物静かな雰囲気は「死と乙女」にぴったり。
そして今までこの曲が苦手だった私も、その時は本当にゆったりと音楽の中に入っていけた。
私が弾いたカルテットの中でも、最も印象に残る演奏会だった。
しかし、その日を限りに長年続いたこの弦楽四重奏団は解散した。
やっと1つのまとまった音がし始めた四重奏団を、もっともっと良くしたいとドンドン厳しくなっていった私が、段々年をとって少しのんびりしたいというチェリストを追い詰めたらしい。
その後もしばらくは一緒に弾いていたけれど、覆水盆に返らず。
それ以後の飛躍に必要なことだったと今では思えるけれど、その時はせっかく磨き上げた4人の音が壊れてしまう、という複雑な心境だった。
「死と乙女」と大雪の日。
時々思い出す。
































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