2017年9月28日木曜日

女性の鑑

何回もこのブログに書いているけれど、今日も思い出したので。

かつての仕事仲間に「女性の鑑」がいた。
静かな歩き方、柔らかい言葉遣い、仕事が終わってヴァイオリンをケースにしまう時などそれはそれは丁寧に楽器を拭いてきちんとしまう。
ケースを閉じるとササッと両手で表面を拭く。
それを見て、私たちは「ほら、みてごらん!あの人は本当に女性の鑑よね、ああいう風にしないといけないわよね」と、ひそひそ。

猫好きな人で、沢山飼っていたらしい。
夕暮れ時に宅配便の配達に来た人が、薄暗がりに光るなん十個もの目玉を発見して、腰を抜かしたとかなんとか。
家(豪邸らしい)には猫専用の部屋があって、猫はほかの部屋には入らせない。
お掃除はマメに、外出から帰ったら玄関前で、服や楽器のケースのほこりを掃う。
そして最初の部屋に入ると、ケースの消毒、服を全とっかえ、そしてやっとメインルームへ。
聞くだけで失神する。

私は今でもポッチャリだけど、当時はもっとデブだった。
すると「nekotamaちゃん、それ以上太ってはだめよ、テレビに映るともっと太ってみえるから」と有り難い助言をいただいた。
リハーサルの時、練習が終わった楽譜をどうするか訊かれた。
「終わった楽譜は下に置く?それとも譜面台に置いておく?」
私は全く気にしないから「そんなことどうでもいいじゃない」と言うと「どうでもいいじゃないわよ」と怒られた。

テレビや録音の仕事では、床にたくさんの電気コードが這っている。
足元はイヤホンのコード、モニターのコード、譜面台照明のコードの他にも、太いコード類がぐちゃぐちゃ。
すると「ちょっと待って、今きれいにしてあげるからね」と言って、コード類を一方の端によせて、椅子がそれを踏んでガタついたりしないように整理してくれる。
きれいになると私が「ありがとう」と横柄に座る。
これも毎度のこと。

そして彼は・・・えっ!彼?と思われたかもしれないけれど、れっきとした男性・・・ある日忽然と姿を消した。
仕事でもそれ以来会っていない。
ちょっとミステリーでしょう?
今頃どこにいるのかしら、思い出しては、涙ぐ・・・まないけれど、時々思い出す。

仕事を始めた時からの付き合いだから、若い頃の私も知っている。

ある時彼が「nekotamaちゃんは若い頃はほっそりしていて、バンビちゃんみたいだったわよね」と言った。
私とは息子ほど年の離れた若者(彼のお母さんと私が同い年)がそばにいて、それを聞くなりすかさず
「今はゾンビですよね」
周り中が凍り付いたように固まった。
「おい、お前、そんなことよく言えるなあ」
慌てふためく周囲の人たち。
でも一番受けていたのが言われた本人の私。
お腹抱えて笑った。
若者は本当に頭の回転が良い。

女性の鑑はその後の目撃情報では、新宿2丁目あたりにいたらしい。
女性の鑑だったから恋愛感情などお互いにないけれど、とても優しくしてもらったので時々こうして懐かしんでいる。
鑑よ鑑よカガミさん、あれから十数年、元気にしているかなあ。























2017年9月27日水曜日

nekotama豊田真由子になる

時々開かれる女子会。
なぜか私が幹事になっている。
もう何回も幹事はヤダ!と言っているのに。
あなたが1番良く知っているでしょう?とかなんとか言ってみんな平然としているから、嫌々やっているのだけれど、今回はとんでもないことになった。

夏の頃から集まろうという掛け声はあった。
私はこの夏から秋は猛烈に忙しく、それどころじゃない。
しかも、皆のスケージュールが絶望的に合わないときている。
何回ものやり取りの結果、ようやく決まった日がつい先日の月曜日。
それでお店探しをすぐにすれば良かったものの、私も古典音楽協会の定期演奏会などが続いて、女子会は後回し。

やっと本番が終わって次の本番まで1ヶ月以上あるから、ほっと一息ついたところで店探し。
それが予約日2日前。
ネットで色々見ていたら良さそうな中華料理のお店が目についた。
もう真夜中近く、まだ予約フォームは空いている。
予約の変更は11時59分までにと書いてあったから時計を見ると、まだ時間はある。
他のお店はもう予約が詰まっていて、そこのお店だけは予約可能だったから、気にはなったけれどラッキーと思って予約すると、すぐに予約を受け付けたと返信があった。

銀座4丁目付近でランチ、スパークリングワイン付きで2900円、北京ダックが付くと3500円とは破格のお値段。
これでまだ予約が出来たとは本当に信じられない気持ちだった。
店の名前は中華料理の「CHINESE CUISINE SON」
お店の写真も綺麗!
ああ、良かった。すごく楽しみ。
ちょっと不安でもあったので、念のため(その日は店は休みではなかった)電話をしてみたけれど、だれも出ない。

次の日は定休日だったけれど、何回か電話してみた。
誰も出ないし留守電にもなっていない。
休みでは仕方がないか。

当日朝、銀座に向けて出発と思って靴を履いていたら、店からの電話だった。
「今日は席が一杯で6人は無理ですからキャンセルしてください」
はあ、なにを言ってるの?
2日前に予約したのに。
そうしたら「時間が遅かったから店は知らなかった」とか「この時間だと銀座で6人の予約を受け付けるところはないだろう」とか無責任極まるお言葉。
「一応電話したほうが良いと思って」と言うではないか。
「あったりまえでしょう!」
時間内の予約だったはずだから、店がチェックを怠ったということでしょう。

私は逆上した。
もう久しぶりに怒ったのなんのって。
なぜ予約フォームが受け付けられるようになっていたのか?
他のお店は全部フォームが予約がいっぱいとなっていたのにお宅だけは受け付けられるようになっていた。
しかも留守電にもなっていないから、確認の電話を何回もしたのに、それも出来ない。
すると「ああ、休みだったからね」
あまりにも杜撰で対応も悪いから言い募っているうちに、だんだん豊田真由子状態に。

私はめったに怒らないけれど、怒ったららもうおしまいというところがある。
怒髪天を衝くとはこのこと。
ようやく実現する女子会を皆楽しみにしていた。
せっかちな人たちだから、もう銀座駅に向かってとっくに家を出ていることだろう。
どうしよう。
「とにかくお宅でお店を探してちょうだい!」と怒鳴って電話を切った。
まさかあんなことを言っていたから、探してはくれないだろうと思って自分で探すことにした。
銀座は無理だったけれど、日本橋なら空いていたから予約を入れた。

しばらくしたら前のお店から電話があって「他のお店が見つかった」とのこと。
なんだ、言葉が横柄だからあまり信用していなかったけど、ちゃんとやってくれたのだ。
もうほかを予約したからと断って銀座駅の待ち合わせ場所に行った。

何が起きても駘蕩としている人たちだから、私のイライラはやんわりと慰められて、日本橋に移動。
「さっきねえ、私は『ちーがーうーだろう、このハゲー』状態だったのよ」と言ったら可笑しそうに笑う彼女たちを見ていたら、あんなに怒るのではなかったと反省しきり。
しかもちゃんと代わりの店を見つけてくれたのに。

















2017年9月23日土曜日

トスカ

知人がスカルピアを歌うというから聴きにいった。
江戸川文化センター。
第34回東京オペラ、34回というから随分以前からのシリーズらしい。
私はとんと知識がないから、深川あたりでオペラが上演されているとは知らなかった。

知人というのはバリトンの村田孝高さん。
都内某所でのサロンで小さなコンサートをするときにお目にかかった。
そのサロンはマンションの一部屋。
広いリビングルームで、楽器の演奏や彼の歌などを聴いて楽しむ。
広いと言ってもマンションの一室だから、大ホールとは違う。
そこで彼の声は朗々と壁を揺るがすほどの声量で響く。

今日のホールはそれほど広くはないから、オペラと言ってもコンサート形式でするかと思ったら、ちゃんとオーケストピットまで出来ていた。
オペラほどお金のかかる芸術はないと思うので、これをシリーズとして取り上げる人たちのご苦労が忍ばれる。

オーケストラは江東オペラ管弦楽団と銘打ってあるから、このオペラのために集められたものかもしれない。
時々音が濁り音程に難があったけれど、上手く歌手との連携もできているのは指揮者の腕?
最後の方でのチェロのソリ、そこはとても良かった。
指揮は諸遊耕史さん。
経歴を見るとオペラの指揮者として随分経験が豊富でいらっしゃる。
私は残念ながら世代が違って、存じ上げなかったけれど。

いまや日本人も本場のイタリアなどで活躍できる時代になってきた。
日本人のオペラと言えば私達の世代では、喉を潰すような唱法。
喉に力が入ってガチョウが絞めころ・・・いえいえ、悪口はいけません。
私達の時代は、ヴァイオリンでもピアノでも力任せに演奏することが多かった。
しばらくすると日本人がミラノで「人知れぬ涙」を歌うというのでビックリしたことがあった。
それを聞いたらあんまり上手いので二度ビックリ。
日本人の歌い手もここまで来たかと、感激した。

村田さんの風采も声も貫禄たっぷりで、まさにスカルピアは、はまり役。
実際の彼は穏やかでこのオペラの話をするときに「役はなんですか」と訊くと「それが・・・スカルピアなんです」と気弱そうに答えた。
ところが舞台を見ると、いかにも悪辣そうで圧倒的な存在感だった。

カヴァラドッシ役の歌手は少し喉の調子が悪かったのか、声がかすれたり潰れたり。
もっとも役の上での彼の置かれた立場からすれば、平常ではいられないわけだから、これはこれで臨場感ありとしよう。
最近オペラの字幕が出るので、昔のように歌だけ聞かないで歌詞の意味もわかるけど・・・それも良し悪し。
オペラって筋書きから言うとひどすぎる。
筋はどうでも良くて歌が素晴らしければ良いのだけれど、字幕を見るとそりゃ、あんまりだろうと突っ込みたくなる。

トスカがスカルピアを殺したとカヴァラドッシに告白。
すると人殺しをした手を、清められた手と賞賛する。
いくら相手が悪辣な人間でも殺してはいけないと、子供の頃注意されませんでした?

故芥川也寸志さんがよく言っていたけれど「僕はオペラがきらいです。何を言うのもあんなに大げさに言うのはおかしい」と。
そう言われりゃ、歌舞伎などもその類ということ?




















ドメスティック・ニャイオレンス

生傷が絶えない。
朝目が覚めて又新しい傷があるのを確認する。
時々とんでもないところにまで。
実は家庭内暴力を受けているのですよ。

タマサブロウが死んでから生傷の数は少し減ったけれど、相変わらず毎日新しい傷ができている。
タマサブロウは私が大好きで、力のあるオス猫だったから私は傷だらけ。
私の睡眠は深いから、一旦眠るとなにをされてもめったに目が覚めない。
顔の上を歩いたりするらしく、目の付近にまで引っかき傷が。
お腹が空くと引っ掻いて催促するらしく、いたるところに傷跡がある。
危ない危な~い!

最後に残ったのはコチャ。
推定16歳くらいのメス猫。
この子は多頭飼いの最後の入居者だったから、ずっと他の猫の陰に隠れていたけれど、去年他の子がいなくなってようやく日の目を見るようになった。
今までは押入れ住まいだったのが、晴れて私のベッドへ来るように。
運動不足で体はコチコチだから、ジャンプ力に欠けて早歩きもしない。
ドタドタと歩く姿は、どう見てもツチノコ。
最近まで抱っこされるのを嫌がっていたけれど、一人になったら抱っこ大好きの甘えん坊に変身!
それは良いけれど、椅子に座っている私の膝に乗ろうとやってくると恐怖。

ジャンプ出来ないから私の膝に手をかけて、そのまま体を引っ張り上げる。
全体重は彼女の爪に。
バリバリと私の腿は傷がつくという次第。
だから私を真っ直ぐに見ながら近付いてくると、先に手を出して抱っこすることにしているけれど、気がつかないでいきなりやられると悲鳴を上げることに。
私を木かなんかと思っているらしい。

寝ているといきなりドスドス載ってきて、胸を踏みつけて顔の近くで香箱座り。
胸は狙いすましたかのようにポイントを的確に踏みつける。
その痛さったら・・・・
それに重たい。
このまま寝たら悪夢にうなされると思うけれど、幸いあまり居心地が良くないらしく、しばらく私の顔と対面した後、去っていく。
いったい何をしにくるのかしら。

毎日の暴力沙汰で私は傷だらけだけど、膝によじ登ってきた彼女が満足そうに私を見上げてくるとメロメロ。
その目のきれいなことったら。
幸せそうにうっとりと見つめてくる。
こんな愛情に溢れた表情で私を見つめてくれる者は、世界広しと言えども他にいないから、それだけでも私の胸はキュンとする。
トラやライオンみたいな大型動物ではないから、傷といってもかすかなもの。

1番最初に飼った茶トラ。
すごく凶暴でかみつくは引っ掻くはで、私の掌には無数の傷跡があった。
周囲の人たちに「うちの子が凶暴でねえ」と自慢げに見せていたけれど、ある時電車で座っている私の前に立った女性の手にも同じような傷があった。
吹き出しそうになった。
目が合わないように気が付かないふり。
うっかりおしゃべりが始まると猫自慢大会になりそうで。
チェロのケースに猫の爪とぎ跡があるのを見つけた人が「まあ、可愛い!」と言ったのを聞いて、本当に人間は猫に飼いならされていると思った。
猫は魔物。





















アクセサリーを付けない理由

昨夜の東京文化会館小ホールでの本番でのこと。
ブランデンブルク協奏曲4番の1楽章を弾き始めて半ば頃に差し掛かったときに、耳からスーッと何かが落ちる気配。
それがドレスの肩付近に止まったことに気がついた。
その日のドレスは銀白色で、全体にキラキラしたものだった。
13年前にコンサートで着て、それ以来着たことがなかったもの。
その後は太って入らなくなってしまったのが、久しぶりに試着したら入った!

ドレスの色に合わせてシルバーのライトストーンのイヤリングを付けた。
私は常日頃めったにアクセサリーをつけない。
指輪、イヤリング、ブローチなどは殆ど持っていない。
持っていたとしても良い物から次々に失くす。
真珠のお気に入りのイヤリング、黒サンゴの母が買ってくれたイヤリング、母が海外旅行のお土産にくれた時計等々は、すぐに落としたり失くしたり。
それで、大事なものは身につけないでしまっておいた方が安全となった。
それでもインドで買ったサファイヤの素敵な指輪が行方知れず。
家の中でベッドの下辺りが怪しいと思ってはいるけれど。

というわけでめったにイヤリングも付けないのに、ドレスが薄い色なので少しさびしいからと小さい軽いイヤリングをつけることにした。

演奏中だったので耳から滑り落ちる気配を感じても、それがイヤリングだと気が付かない。
袖が少し張りのあるシフォンだったから、ふんわりとそのあたりに着地したのを感じたときに、初めてイヤリングだとわかったけれど、どうしようもないから弾き続けた。
金属だから床に落ちたら音がする。
それだけはなんとか免れたい。
そのあたりから休みの小節に入るまで、慎重に腕を動かす。
数小節休みがあったので、肩から袖にかけて探るとあった。
落とさないように手にとって譜面台に置いた。

客席から見て、気がついた人がいたかもしれない。
その後は何食わぬ顔で弾き続けた。
そういうときに慌てないのが私の性格。
ここに至るまでの数々の修羅場があって、いつの間にか何があっても驚かなくなっていた。

以前は今のようにお肉のだぶついた体型ではなかったから、細身の肩紐だけのドレスを好んできていた。
デコルテの周辺に何かがあると、色々不祥事が起きることがある。
楽器がヴァイオリンなので、首周りにビーズなどがあるとチリチリ音がすることも。
腕が上がりにくい袖(日本のドレスはたいていこれ)が付いていては動くのにじゃま。
ウエスト付近にリボンなどあると、弓が引っかかる。
レースは調弦のためのアジャスターが引っかかることもある。
それで大抵はあっさりした装飾のないドレス。

それだけでは寂しいから、大きめのイヤリングをつけるのが私の定番だった。
それが年のせいで腕を隠さないといけなくなって袖が付く。
お腹周りのためにスカートはフレアに。
アクセサリーを付けなくても装飾過剰になるから、最近はあまりつけなくなった。

随分若い日のこと、ラヴェルのピアノ三重奏曲を弾いていた。
黒の肩紐だけのタイトドレス。
キラキラ光る大きなイヤリング。
私のお気に入りのスタイルだったのだけれど・・・
ラヴェルのトリオは忙しい。
なん楽章だったか忘れたけれど、休みなく弾いているときにそれは起きた。
重い大きなイヤリングが微妙に耳から落ちそうな気配。
しかも動きが大きいから肩紐がじわじわと外れ始めた。
休みがない。
ほんの数拍の間に肩紐はなんとか戻す。
けれど、イヤリングは不気味に垂れ下がって、生きた心地がしない。

結局最後まで外れなかったけれど、あの時の焦ったことは忘れられない。
その頃からアクセサリーはあまりつけなくなった。
演奏に指輪やブローチは邪魔、ネックレスは以ての外。
唯一許されるのがイヤリングだけれど、危険なこともある。
緊張する本番中に他のことで集中を妨げられたくはないので、だんだん付けなくなったしだい。
私がアクセサリーをつけないことを軽く非難されたこともあった。
アクセサリーでなく宝石のような輝く音でお許しをなんて!・・・一度でいいから言ってみたい。
言えるようになったら良いなあ。

今回の銀白色のドレスはすごく評判が良く、背中に天使の羽のように流れるシフォンの布。
実は私が自分でつけたもので、もともと肩紐だけのデザインに付いてきたストールを肩周りから背中にかけてあしらってみた。
次兄嫁が聴きにきてくれたのでお礼の電話をしたら「nekotamaちゃんって可愛いのねえ」

何十年来の親戚なのに今更なにを!
もちろん褒めたのはドレスのことなんだけど。












2017年9月22日金曜日

古典音楽協会 第155回 定期演奏会

東京文化会館小ホールは相変わらず大勢のお客様。
感謝感激です。
いつもありがとうございます。
皆様のお陰で私たちは頑張ってこられました。
コンサートマスターの角道氏は間もなく、傘寿を迎えるようです。
メンバーの平均年齢は・・・今回は少し若返りました。

なぜなら、コントラバスに、以前メンバーだった冨永岳夫さんの遺児の八峰さんがお手伝いにきて一緒に演奏したから。
岳夫さんはかつてのメンバーだったけれど、若くして亡くなってしまい、私たちは悲嘆にくれた。
その時の悲しかったことは今でも鮮明に覚えています。
意識のない彼の枕元で、皆で涙したときから何年経ったことか。

その頃はまだ年若かった八峰くんが、お父さんの楽器を立派に活かして活躍している。
彼はコントラバスでなくヴァイオリンを習っていたけれど、せっかくの名器をムダにすること無く、お父様の遺志をついでコントラバスを猛勉強。
芸大に見事合格、現在オーケストラでプロとして立派に活躍中。
今回メンバーの大西さんの都合が悪く、代わりに弾いてくれたのです。
終演後楽屋を出ると、駐車場で故岳夫さんの奥様からご挨拶を頂いた。
二人で手を取り合って涙した。
それは岳夫さんを喪った悲しさと、八峰さんが立派に成長して私達を助けてくれたということへの感謝の念が混じった涙だった。

岳夫さんと私たちはスキー仲間で、よく一緒にスキーにでかけた。
早朝待ち合わせて、車であっという間にスキー場到着。
え、もう来ちゃったんですかと、スキー宿のご主人が呆れ返るほど。
夢中になってスキーを楽しむ彼の姿は、子供のように無邪気に見えた。
その時私たちは一緒ではなかったけれど、もともと心臓が悪く、寒いゲレンデで意識を失ったらしい。
間もなく40才台の若さで先に逝ってしまった。
本当に残念な思いで胸が塞がれた。

今日も又大勢のお客様。
最近客席が勢いが良い。
曲が終わると沸き立つように拍手とブラボーをいただく。
ステージだけ頑張ってもいけないし、客席だけ元気でもいけないし、客席とステージが一緒に盛り上がるのが1番嬉しい。
これも長い年月かけて培った絆がものを言うのだろう。
演奏者と聴衆が共に作り上げてきて、はじめて音楽が完成するのだと思う。

さて今回のブランデンブルク協奏曲4番はというと、最後の練習では散々だった。
テンポ感があわずギクシャクして、私はふくれっ面。
もう少し早く弾きたいのにと口を尖らせるのを、周りがまあまあとなだめるの図。
どうも前日にプロコフィエフを練習したせいで、速さが加速してしまったらしい。
本番では落ち着いて、全員が心を一つにして素敵なバッハになったと思うと自画自賛。

私たちはもう先が見えている。
いつまでも元気で演奏できるとは限らない。
それでも私達の「古典」をずっと支えてきて下さった方々が聞いてくださる限り、努力を惜しまないつもりでいますので、どうぞこれからも「古典」をよろしくおねがいします。






2017年9月18日月曜日

親指の怪我

メバルが美味しそうに見えたので買ってきた。
小ぶりのものでちゃんとワタは取り除いてあるけれど、ラップを外したら鱗が付いたまま。
今この鱗という言葉が出てくるまで、数十秒かかった。
最初にエラという言葉が頭に浮かんだらもうだめで、皮、こけらなど色々浮かんできて本体に近付けない。
やれやれ。
やっと出た鱗。
家に帰ってから気がついたので、自分で取ることにした。
ウロコ取りは家の何処かに潜んでいるはずだけれど、探すのも面倒なので包丁でゴシゴシ。

その前に茹で栗を包丁で皮むきしていた。
外側の硬い皮に切れ目を入れて上下に押すと、クルッと皮が剥ける・・・はずだったけれど、天津甘栗とは違うことに気がついて包丁で慎重に剥く。
中の渋皮は多少付いていても食べられるけれど、やはり渋いから取ることに。
結構硬いから包丁で指を怪我しないように慎重に。
今怪我をしたら大変だから、それはそれは気を遣った。

クリが剥けたところでメバルにとりかかる。
こちらは鱗をこそげ取るのだから、怪我の心配はないと思ったのが間違いのもとだった。
胴体は簡単に取れるけれど、両方のヒレ下の部分が取りにくい。
そのあたりはヌルヌルしていてヒレの下は特に包丁が滑る。
滑るけれど包丁で怪我をしたわけでは無くて、手が滑ったときに硬いヒレの骨が刺さった。
ちょうど右手親指の爪の間に刺さって痛いのなんの。
しまった!

とんだことになった。

その後ヴァイオリンの練習を始めたら、右手親指は弓を持つ要だから激しく痛い。
ちょっと弾いたら我慢できないほどの痛み。
さあどうしよう。
しかし、人間万事塞翁が馬ですなあ。

最近弓の持ち方で悩んでいた。
いや、私のことだからそれほど悩むことはないけれど、うまく弓が持てない。
指が、特に親指が曲がったせいかもしれないけれど、今までどうやって持っていたか気にしたことがなかったから思い浮かばない。
それは、ほんの些細なことから始まる。
スケートの選手が突然3回転ができなくなるとか、ゴルフのパターが決まらなくなるとか、まあ、それと同じような。
どうしても親指に力が入ってしまうので、力の抜き方を考えていた。

そうしたら今回のメバルの棘。
痛いので親指の頭に力が入らない。
なんと!!!うまい具合ではないか。
力が抜けると言うより入らない。
しかも絆創膏を貼ったので滑らない。
怪我の功名とはこのこと。

怪我は数日で治ってしまうけれど、このまま指の力が抜けてくれるのではないかと。
メバルさんが天から降臨してきて、親指の力を抜いてくれたものと思われる。
魚さんだから天からではなく、海から昇天?
食べてしまうのは失礼かもしれませんが、あなたの棘が立派に人の役に立ったのですよ。

明日になって痛みが消えたら、元の木阿弥?















2017年9月17日日曜日

台風はどこへ

GROUP"Largo"のピアノコンサートはすこし雨模様だったものの、台風雨の影響もなく無事終了。
国立音大並びに大学院の元教授の芝治子門下生によるこのコンサートは、毎年代々木上原のムジカーザで行われる。
この門下生たちが皆、とても美しい女性たちで、しかもすごく上手い。
長く艶やかな黒髪を背中までさげて、プルンプルンしない引き締まった二の腕を惜しげもなく見せて・・・若さっていいなあ。
揃いも揃って美人ばかり。

その中に毎年混じって弾くのは相当勇気が必要です。
今日も持っていったドレスがついこの間まで緩かったのに、楽屋で着てみたらお腹周りに皺が寄る。
あらま、僅かな間に又太ったんだわ。
私は二の腕が振り袖状なのでいつも長袖。
かつてはストラップだけのドレスで思いっきり腕も背中も出していたのに。
お腹だってピッタリしたタイトのドレスを着ても気にならなかった。
背中も弛んだ肉がはみ出したりしなかった。
ああ、残念。
青春を返せ!!

昨日までは随分心配した。
台風が関東地方に上陸した頃、コンサートが始まったら遠くから来る出演者が帰れなくなる。
下手したら、私だって危ない。
今日終演後大きなトランクを持って帰る人がいた。
どこから来たのかと尋ねたら、岡山からだそうで、無事に新幹線が動いて帰れたのかしら。
台風はと言えば、途中で少し雨脚が強くなったものの、終演時には小止みになっていた。

音大卒業後、演奏家として活躍できる人は数少ない。
まして地方の実家に帰ったり、結婚して転勤があったりして東京を離れてしまい先生稼業が忙しくなると、演奏活動もままならない。
それなのに、このグループのメンバーがとても水準が高いのはどうしてなのか。
それは指導者が率先して演奏しているからなのかもしれない。

実際私だって彼女に引きずられて、コンサートをやめないでいるのだから。
もう限界だと思っているのに、同級生が現役でいるのではやめる言い訳がない。
彼女がやめようよといえば、明日にだって私は楽器を放り投げてしまう。
しかし敵はしぶとい!
やめる気配すらない。
それどころか、練習したら弾けるようになったわと言って、猛烈な速さで弾くから、私はよろよろと後を追う。
もう年なんだからいい加減にしなさい。

とりあえず、今年の夏の予定は21日の古典音楽協会の定期演奏会で終わる。
今年前半は私にとって大変な日々だった。
友人たち、猫たちとの悲しい別れや、夏のコンサートのための準備、その間にまだ縁が切れない仕事、そして又親族、友人の逝去等々、次々に襲ってくる波に飲まれそうになる。
悲しいことが沢山あって、さすがの私も笑ってばかりいられないことも多かった。
しかし、年をとるということは中々うまくしたもので、若い頃のように感情に溺れないでいられるようになった。
猫を沢山飼っていたので、猫の死にも真正面から向き合えるようになった。
ひいては自分の未来にも同じことが当てはめられる。
自分の終末を心配していたけれど、最近は好きなことを目一杯やってから、あとのことは考えようという覚悟ができた。

今年後半は11月に2つのコンサート。
苦労でもあり楽しみでもある。

とりあえず来年、もう一度コンサートをやったら気が済むのではないかと思う。
全部モーツアルトのプログラムなんて計画がムラムラと湧いてきて・・・
私の人生にモーツアルトがいてくれて良かった。
彼のお陰で世の中が輝いて見える。



















2017年9月16日土曜日

台風

今週末、大型の台風が上陸するかもしれないという。
日曜日は代々木上原のムジカーザで演奏する予定なのに、ちょうどその頃に風雨宴たけなわらしい。
さて、どうしよう。
車で行く予定だったけれど、ムジカーザの駐車場は坂道の途中から地下に降りていく。
そこにゲリラ豪雨が襲ってきて水浸しにならないかしら。

私の出番は遅い午後。
リハーサルは早い午後。
出番までの時間は、元いた渋谷の音楽教室に行ってコーヒーを飲ませてもらうのが毎年のことだったけれど、辞めた講師がノコノコ現れても歓迎してくれる良い教室。
でも今回は猛風雨の中を歩いていくようではずぶ濡れ。
昨日美容院に行って綺麗にカラーを入れてきた甲斐もなく、ザンバラ髪になってしまう。
化粧は剥げ落ち・・・もっとも化粧はほとんどしない。
美貌に自信があるからではなく、なにをしてもどっちみち綺麗にはならないから。
口紅もしょっちゅう行方知れず。

ある時テレビ局に行って、本番前に口紅を忘れたことに気がついて、売店に買いに行った。
化粧品売場の女性に「口紅ください」と言ったら「色はどうします?」
「何でもいいの、ついていれば」と言ったら血相変えて怒られた。
「何でもいいじゃありません」息を弾ませているのでびっくり。

お化粧にこれだけ入れ込める人もいるのかと感心した。
それでも最近のネット動画で化粧で化ける過程を撮ったものを見ると、なるほど。
最初と最後では全く別人になる。
こんなに綺麗になるなら、命がけでお化粧する気持ちもよくわかる。
化粧で騙されて結婚したら、次の朝別人がいたという書き込みも時々見るけれど、動画を見る限り大げさでもなんでもなく、本当のことかなあと思う。

仕事仲間にそれはそれは美しい人がいた。
彼女はテレビ局に来ると、真っ先に洗面所へ直行。
中々出てこない。
たぶん髪の毛の具合、お化粧直しなど入念にチェックしているに違いない。
化粧でごまかすのではなく骨格が綺麗で、いつ見ても完璧!
それでも彼女は単に顔がきれいというだけではなく、廊下などで知り合いに出会ったときにきちんと立ち止まってお辞儀をするという。
私のように通りすがりに「やあ」などとは決して言わない。
そういう礼儀正しさがおじさんたちのハートをギュッと鷲掴みにしているようだ。

ある時、コンサートマスターが楽器のケースをあけて「あ、楽器が入ってない」と間の抜けた声を上げたことがあった。
家を出る直前まで練習をしていて、しまい忘れて出てきたらしい。
私は彼の隣でお腹を抱えて大笑いした。
テレビ局は幸いにもヴァイオリン工房のたくさんあるエリアだったから、楽器屋さんに借りて仕事は事なきを得た。
あとで私はさんざんコンマスに責められた。
礼儀正しく美しい人はSさんというのだけれど「あの時Sさんだったら優しく慰めてくれただろうにnekotamaさんはあんなに笑ってひどい」
「しかもみんなに告げ口したでしょう?休憩時間にロビーに出たらもうみんな知っていて恥をかいた」とも。
言っておきますが、私は休憩時間まで笑っていて、他の人とは口をきいていませんよ。
あの時の彼のなんか気の抜けた声を思い出すと、いまだに笑いがこみ上げてくる。

あらら、台風の話がとんでもない方に逸れてしまって・・・
明日、台風の方が逸れてくれるのを祈るばかり。












2017年9月12日火曜日

キンチョーの夏・緊張の秋

今どきキンチョーの蚊取り線香でもないけれど、懐かしい夏の定番。
すだれ、打ち水、スイカ・・・縁側の夕涼みなんて、もう殆ど見かけない。
見かけないどころか、縁側のある家は少なくなった。

子供のときに住んでいた家は、近所の悪ガキたちがお化け屋敷と呼ぶような荒れ果てた家だった。
生け垣はところどころ破れ、前庭よりも広い裏庭は竹やぶ、びわの木の林で、戦後の一時期にはどこの誰とも知らない人がテントを張って住み着いていたそうだ。
生け垣の破れは居住者に責任があって、あまりにもだだっ広いから駅から来たら西側の生け垣の隙間から無理やり入る。
それでだんだんとそこが通り道になる。
正式の門は南側にあるけれど、駅の方から帰ってくると遠回りだから生け垣のまばらなところをこじ開ける。

西側の縁側は風の通り道となっていて涼しい上にひと目につかないから、そこで私達姉妹はシュミーズ一枚となってゴロゴロ昼寝をしていた。
もちろんキンチョーの蚊取り線香はいつも燻っていた。
ある日、西側の生け垣の破れ目からおまわりさんが入って来て、驚いた私たちは「ヒエ~!キャー!」と騒いで蜘蛛の子を散らすように逃げた。
おまわりさんも驚いて「あー、逃げないで大丈夫ですよ」
なぜ警察官なのにちゃんとした門から入らないのかと、あとで腹を立てながらも大笑い。
おまわりさんもびっくりしたことだろう。
その後は警戒して、下着で昼寝をすることは避けるようになった。

その西側の廊下は昼寝の場所でもあり、父がなにやら機械の開発をしていて、その実験場所でもあった。
洗濯機の開発をしていた頃は、ゴトゴト音がして、数人の男の人達がなにか相談しながら
器械を動かしていた。
学校の勉強はおよそしたことがなかったけれど、日記をつけ、工作や読書するのもその縁側で。
子供時代の懐かしい夏の思い出。

今は夏中クーラーつけっぱなしで窓を開けないから、蚊も入ってこない。
蚊取り線香の出番はなくなって、日本の夏も随分変わった。

合宿が終わってやれやれと思うと、この9月に本番が2つ。
それで私は非常に緊張している。
もう若者と遊んでいる暇はないのだ。
17日に1つ終わるとその次は21日。
間が4日間しかないのはちょっときつい。
自分でできると思ってそうしたのが、今頃になって心配になってきた。
こんなに緊張していると体にわるいと思うのだけれど、緊張しないでいられるときは、なんだかだるくていけない。
多少ストレスがあったほうが面白い。
これはもう修羅場を好む性格のせいなのか、前世からの因縁なのか。
それでも最近は、もう、ヤダ!そろそろ止めたほうが良い、と毎日考えている。
と言いながら、すでに来年の予定もはいっているのが恐ろしい。

すみませんが、もう私をおだてたり励ましたりしないでくださいな。
おだてりゃすぐに木に登るから。
励まされると頑張らなきゃと、すぐに調子に乗る方なので。

9月17日(日)GROUP"Largo"15時開演 ムジカーザ(代々木上原)
ピアノの芝治子門下生の優秀な若手に混じって、ヨボヨボの私、肩身がせまい。
私の出番は最後だから時間が読めないけれど・・・17時30分過ぎるかも。
 
9月21日(木)古典音楽協会定期演奏会 19時開演 東京文化会館小ホール
       ~ドイツの巨匠テレマンとJ.S.バッハ~

        テレマン:2つのヴァイオリンの協奏曲
        テレマン:オーボエ・ダモーレ協奏曲
        テレマン:組曲「ラ・リラ」
        J.S.バッハ:チェンバロ協奏曲
        J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲第4番

書いているだけでクラクラする。ああ、しんど!!!
そういえばアルシンドというサッカー選手がいて、私は彼の大ファンだった。
サッカーのファンでもないのに。






















2017年9月10日日曜日

合宿

音楽教室「ルフォスタ」の弦楽アンサンブルはメンバーも定着して、水準が上がってきた。
今年も合宿。
なんでもそうだけど、長年続けるのが1番難しく、大抵は途中で内輪もめが起きて崩壊するのが常なのだが、今のところこのアンサンブルは非常にうまくいっていて、メンバーが変わらない。
それが最大の強みと言える。
やっとまとまってきたところに誰かがやめて新しい人が入ってくると、最悪最初からやり直しとなるけれど、その点はとても恵まれている。
なにが良いかというと、メンバーそれぞれは強烈な個性を持ちながら、うまくバランスが取れていること。
家族の中で両親、兄弟などがそれぞれの居場所があると同様、この集まりも分担が自然と決まっていて、絶妙に配置されている。

このアンサンブルの生みの親はGさん。
某大学でも最難関の学部の出身なので、頭の良さ・・・特に記憶力に優れ、生真面目でメンバーの信頼を一身に集めて「兄貴」と慕われている。
メンバーの束ね役。

ヴァイオリンとチェロのYサン夫婦は主に宴会に関するまとめ役。
練習後の飲み会の場所の決定、合宿のときに飲むお酒の選定、食物の手配。
いかに場を楽しく盛りたてるかに命がけの二人。
今回も結婚したてのメンバーを喜ばすために、飲み会の演出に奔走した。
新婚さんは満面の笑顔。

コンサートマスターはのんびり屋のSさん。
なにが起ころうと自分のペースを守るから、遅刻の常習犯。
それでも私に毎回チクチクと怒られて、だいぶ遅刻が減った。
彼の1番の特徴は音の美しさ。
これを聴くと私の怒りは静まってしまう。

このメンバーの他は優しく優雅なご婦人たち。
彼女たちが絶妙な緩衝材となって、問題が大ごとにならない。
よくもこれだけうまく人が集まったものだと、感心する。
今回は去年結婚したメンバーに赤ちゃんが出来て、心配したご主人が奥さんのサポートで参加。
家族ぐるみのお付き合いも盛んで、全体がファミリーのような集合体になってきた。

毎年秋の発表会の前に、石打丸山スキー場の中にあるマンションで総仕上げの合宿をするのが恒例となっている。
今年も昨日から今日の昼まで、練習に次ぐ練習。
今年の演しものはチャイコフスキーの弦楽セレナーデからフィナーレ。
チャイコの弦セレと呼ばれるこの曲を弾きたいと言って来たときには、断固拒否した。
まだあなた達には無理!
もう少し易しいものをしっかりまとめた方が基礎的な力がつくから、高望みはしないでと言ったものの、アマチュアのアンサンブルにとってこの曲は、究極の憧れらしい。
結局決定権は彼らにあって、トレーナーはその都度変わるから彼らに任せるしかない。

発表会で全曲弾くことは出来ないから、一つの楽章ずつ、一歩一歩。
今年はついにフィナーレにたどり着いた。
そしてその間の彼らも目に見えて進歩してきた。

アンサンブルを始めた頃は、アンサンブルの何たるかもわからず、ただ集まって一緒に弾いて一緒に終わって、さあ、飲みに行こう。
わーい、楽しいなあ。
そんなノリだった。
練習中におしゃべりをする、練習時間に遅刻するのは当たり前。
全く周りの音を聞かないから、ずれているのにも気がつかない。
注意しようとして止めているのに、それすら気がつかず、いつまでも弾いている。
あんまり頭にきたから「上手いオーケストラと下手クソの違いはね」と話した。
1流は指揮者が棒を振るのをやめると同時に音が止んで指示をまつ、2流は指揮者が棒を振るのをやめても気が付かず弾いている。
3流になると周りが弾くのをやめても気が付かないでいつまでも弾いている。
あなた達はそれよ!
言われてもかれらはどこ吹く風。
いつも楽しそうに集まってくる。

土曜日、越後湯沢駅に集合して釜飯屋さんで昼食。
そこから石打丸山にある巨大なマンションへ向かう。
このマンションは一時期スキー場にニョキニョキと建てられたバブルの遺産。
プール、温泉、コンベンションホール、ヴィップルームなど、広い敷地にゆったりとした間取りで贅沢に設計されている。
9月に入ったので、土日と言っても宿泊客の姿は少なく閑散としている。
ここに居住するNさんはこのアンサンブルのメンバーで、スキーの名手。
スキーを極めたいために早々と仕事をやめ、もっぱら旅行とスキーに明け暮れるという結構なご身分。
世の中にはこういう幸せな人もいるのだと、羨ましく思う。
彼がマンションのヴィップルームを提供してくれるおかげで、毎年の合宿ができる。
なんでもそうだけど、一つのことが極められる人は全てにおいて努力を惜しまない。
アンサンブルではチェロを弾いているけれど、最初の頃は心もとなかった彼が今や堂々たるチェロ弾きに成長。

午後から地獄の特訓が始まって、たっぷりしごかれたメンバーは練習後、駅近くの店に繰り出して乾杯。
練習の後のビールは特別な味がする。
その後は部屋に戻って話が弾む。
ここからが飲み会本番。
夜中いっぱい騒いで飲んで翌朝9時から2日目の練習。
仕上げはとても満足のいく出来栄えで、皆本当にうまくなったものと教師はウルウル。
努力も惜しまないけれど、楽しむこともとことん出来る彼らと一緒にいると、青春が一瞬戻った気がする。



















2017年9月6日水曜日

チラシができました

秋の日のヴィオロンのため息の・・・・
少し早いけれど宣伝です。

川崎駅西口改札を出て左へ。
すぐにミューザ川崎への通路が左手に現れます。
通路の先はコンサートホールを含むミューザ川崎。
建物に入ると目の先に柔らかな光の通路があります。
それを渡りきってエスカレーターで4階へ。
左手はコンサートホール入り口、反対側が音楽工房の入り口。
受付をすぎて中に入るとすぐに左手にあるのが、市民交流室です。
そこでささやかなコンサートを開きます。

大好きなモーツァルト。
そして一番手強いのもモーツァルト。
ヴァイオリンとピアノのソナタの中でも唯一の短調のこの曲は、母親の命の終わりを予感させる緊張感に包まれています。
普段のはじけるような軽やかさは影を潜め、モーツァルトの曲の底に、いつもは隠されている深い悲しみが表に現れています。
2楽章までの短い曲ながら、名曲です。
ヴァイオリン・ソナタと言われますが、ヴァイオリン伴奏付きのピアノソナタとモーツァルトは考えていたらしいです。
ちなみにベートーヴェン「クロイツェル・ソナタ」もベートーヴェンはそのように言っています。

モーツァルトの同類とも言えると私は考えていますが、プロコフィエフは才気煥発。
人を驚かせるのが好きだったと言うのも頷ける、明快洒脱なソナタ。
フルートのために書かれたものを後にD・オイストラフの助言を受けてヴァイオリン用に書き換えたもの。
特にフルートという楽器の持つ伸びやかさが最初のフレーズに感じ取れます。
私はピエール・ランパルの演奏でこの曲を聴きましたが、それ以前にヴァイオリンのレオニード・コーガンの演奏も聴いているので、どちらかと言うとヴァイオリンで演奏したほうが面白いと思っています。(フルーティストの皆さん、ごめんなさい)
これは身びいきかもしれませんが・・・
コーガンの音を聞いたときに、全身鳥肌が経つほどの感動を受けたのが、このソナタ。
思えばまだヴァイオリニストを目指してもいなかった若い頃に、コーガンの音を聴いてしまったのが何かの導きだったかもしれません。

フランクのソナタは、室内楽の頂点とも言えます。
骨組みのしっかりしたドイツ的な構成が当時のフランスでは歓迎されなかったそうで、晩年に書いた弦楽四重奏曲によって初めて高い評価を受けました。
この弦楽四重奏曲はフランク最後の年に書かれたというのだから、こんな名曲を書いた人にしては実に不遇なことだと思います。
今ではあらゆるソナタの最高峰に燦然と君臨しております。

チラシの画像は紅葉。
はじめは枯れ葉をアレンジしたほうがと思ったのですが、製作者が、それではそのものズバリになってしまってあんまりだと、紅葉にしてくれました。
チラシばかり華やかにならないように、頑張ります。
でも、枯れ葉の下には新しい生命の息吹が隠れている。
虫たちが暖かく冬ごもり。
春になれば下に落ちた木の実が芽吹く。
なんかほっこりしますね。














2017年9月4日月曜日

悲しみの連鎖

友人に占い師がいる。
ピアニストだけれど、本格的に占いの修行をして本物になってしまった。
本来有料のはずの占いを、私たちは長年のお付き合いの誼でこっそりと教えてもらう。
ちょっとアドバイスとか今後の運勢を軽く教えてもらう程度でも、大変参考になる。
先日私は彼女から言われた。
あなた!今年は悪いわよ。そうね来年もだわね。

当たってるったら、もうビックリ。
去年から今年にかけて、たくさんの身内とか友人とかを失くした。
この数年、年賀状より喪中のハガキを出すことの方が多い。
今年も、ショックなことに義兄が亡くなって、又喪中のハガキを印刷することになる。

今日は高校からの同級生だった人のお通夜に行ってきた。
元東京フィルハーモニーのメンバーだった藤本利子さん。
病院への御見舞もお通夜お葬式の参列もしてほしくないというのが、本人の希望だった。
しかし、入院を知って御見舞に行かないのは、私的には気が済まない。
どうして来てほしくないかというと、本人がとても周りに気を遣う人だったから。
私なら来たくないと言っても来てほしい。
仕事が忙しい?あなた!私と仕事のどちらが大切なの?なんて逆上しかねない。

でも利子さんは違って、他の人が忙しいのに気を遣わせてはいけないというスタンスだった。
ずっとそうだった。
そんなに気を遣わなくても、そんなに遠慮しなくてもいいんじゃない?

つい先日病院へお見舞いに行った。
ピンク色のパジャマを着てベッドに横たわっていたけれど、顔色も良く元気そうに見えた。

なぜ彼女の入院を私が知ったかというと、毎年北杜市高根町のやまびこホールで開かれる「八ヶ岳音楽祭」の常連だった彼女から、今年は体調を崩して行かれなくなったという電話がかかってきたから。
代わりに行ってもらえないだろうかという問い合わせだった。
引き受けて練習も2回出てしまったのにキャンセルするとは、よくよくのことに違いないと思ったので、私は行かないけれど必ず誰か代わりの人を入れるから、安心して休んで頂戴と返事をしておいた。

そして代わってくれる人が見つかったと連絡しても、返信はなかった。
それで少し遠いところに住んでいる妹さんに連絡。
とにかく安心するようにと伝言した。
いかにも彼女らしいのは、妹さんにも迷惑をかけまいとして病院には来ないようにと言っていたらしい。
そのときに妹さんからむりやり病院を聞き出して、御見舞に行くことにした。
友人と二人で顔を見せると、いやだ、なんで來たのーと言ったものの、嬉しそうだった。
八ヶ岳音楽祭で代わってくれる人が見つかったから安心して、と言うと、パアーッと顔が明るくなってニッコリした。
点滴やパジャマでいる姿を他人に見られたくないのよねと言う。
え、なんで?
すごく身ぎれいにしていて、病人とは見えないくらい。
言葉もはっきりしていて、私たちは安心して帰ったのに・・・
2日後に訃報が届いた。

ほんとうにあっけなかった。
彼女は4年前にご主人をなくしている。
仲の良い夫婦だったから、ご主人が呼びにきたのかな。
彼女はご主人が本当に好きで、頼りにしていた。
だから彼女の方から、あちらに行ってしまったのかもしれない。

彼女はオーケストラではセカンドヴァイオリンのトップを弾くことが多かった。
それはプロに徹した名プレーヤーだったから、メンバーからの信頼は厚く、どんな難しい場面でも落ちないので有名だった。
落ちるというのは楽譜を見誤って、演奏しているところがわからなくなってしまうことで、彼女に限ってそんなことは一度もなかったと思う。
ある時、現代の作曲家のオペラを上演したことがあった。
古典の作品と違って、拍子が変拍子だったりするから数えるのも大変だった。
数を間違えて撃沈なんてこともママある。
しかし、彼女は落ちないで有名な人だから、皆が彼女に注目する。
彼女が出たら一緒にでようと待ち構えていると「いやだー、みんな見ないでよー」
気配を察した彼女が悲鳴を上げた。
ヴァイオリン勢がみんなで注目するから、それは視線を感じるのはあたりまえ。

なにかおもしろい演奏ができるとあれば、どんなところへでも行ったし、ノーギャラでも頼めば引き受けてくれた。
本当に弾くことが好きだった。
去年一昨年の奥州市でのチェロフェスタにも、快く参加してくれた。

どんなきつい練習でも文句は言わない。
誰にも甘えないで毅然と生きた彼女は、最後までその姿勢を貫いた。
とっとと一人で逝ってしまった。

私の大事な友人が続けて亡くなって、私の悲しみは只今無限大。
大切な人が目の前から去っていく。
今年は本当に良くない。

















2017年9月3日日曜日

デナリ大滑降に挑むスキーヤー

テレビは殆ど見ない。
どこにチャンネルを合わせても同じ顔同じ大騒ぎ。
騒げば人は面白いと思うと思っているのかしら。
しかし、今日偶々食事をしているときに見たのが「デナリ大滑降」
日本人スキーヤーの佐々木大輔さんが、かつてマッキンリーと呼ばれたデナリに挑戦するドキュメンタリー。
こちらの記事を読んで下さい。

かつてアラスカに行ったとき、帰りの飛行機の窓から見たマッキンリーの真っ白な姿が目に焼き付いている。
あそこに冒険家の植村直己さんが眠っているのかと感無量だった。
私は植村さんのお葬式で、弦楽四重奏を弾いた。
バッハ「アリア」ヘンデル「ラルゴ」グノー「アヴェ・マリア」など。
冒険家らしい簡素なお葬式で、故人の奥様はとても素敵な方だった。
こんな人を置いて亡くなってしまうなんて。
冒険とは生きて帰ること・・・とは彼の言葉。
亡くなるときはさぞ無念だったことだろうと思う。

デナリでの佐々木さんの滑降。
恐ろしくて見ていられないほどの急斜面。
しかも一番狭いところはたったの2mしかない。
そこをどうやってターンをするのか、見ているこちらも息がハアハアした。
斜度は55度、氷点下30度、秒速30m、そして標高は6190m。
どの数字も殆ど理解不能な世界なのだ。

私がチベットへ行ったときに登った山が、5000mを超えていた。
その時の恐ろしい空気の希薄さは一生涯忘れられないと思う。
すぐ目の前、ほんの5m位歩くのに、息が切れて度々立ち止まった。
前日私は高山病で倒れたのに、中国人のガイドが「大丈夫大丈夫」と言って連れて行かれてしまったのだ。
呼吸困難で息が吸えない。
下手すれば死んでいたかもしれない。
出発前に伝染病の予防注射を受けた医師から「日本人は高山病で何人も死んでいるのだから、風邪をひかないよう気を付けなさい」と言われたのに、風邪から高山病になってしまった。
そこを遥かに超える6190m。
どんな世界なのか想像を絶する。

なぜこのように危険に立ち向かうのか。
男の性なのか、理解不能。
そこに山があるから、という名言があった。
佐々木さんは40歳で油が乗り切っているし、この年令をすぎると体力は下降する。
ここでやらなければ後はないとみたのか。
かつて三浦雄一郎さんが最高齢記録でエベレストを滑降。
その後記録を越えられたけれど、又取り返すなど次々に挑戦していた。

私のスキー歴は長いけれど、仕事を優先していたから怪我をしないことが絶対条件だった。
例えば指や腕を怪我したら、完治するまで数ヶ月ヴァイオリンが弾けない。
もはや若くはないから、それでは復帰できる見込みはない。
スキーに出かけるというと友人たちは「足はいいけど手は怪我しないように」と言うけれど、演奏するときには全身を使うから足だって怪我してはいけない。
それで絶対に自分の能力を超えるような危険なところへは、行かないようにしていた。
雪の状態が悪ければ無理せずにやめた。
仲間たちは私を臆病者と考えていたと思う。
もちろん臆病者だけど、それはとても大事なことだった。
ステージに穴を開ける、他人に交代してもらうなどは演奏する者にとっては恥だと思うので。
でも長い年月の中で1度や2度はそういう残念さを味わった。
病気で周りにも迷惑をかけたこともあった。

仕事もだいぶ整理したし、このへんで少しむちゃしても構わないかな。
来年は北海道へ。
サホロへ行く予定が入っている。
少しは無理と思える斜面にも挑戦したい。
涼しくなるとそわそわして、ああ、もう山が呼んでいる。
おっと!その前に幾つかのステージをこなさないといけない。
これが先でしょうが。
どこまでも遊びたいnekotamaなんですが。

それでもなあ、55度とは・・・
蔵王の横倉の壁だって38度だっていうのに。
ある年、今を去るうん十年前、一大決心をして横倉に挑戦しようと思った。
胸はドキドキ。
「私の腕(足?)では無理でしょう?」と言うと無責任な男どもが「大丈夫大丈夫、行こうとと決めれば行けるから」と煽られた。
でも幸いなことに・・・その年は雪が少なくて危険だというので横倉の壁は滑降禁止となって綱がはられていた。
ああ、助かった!
佐々木さんのようなスキーヤーは絶対そんなことは考えないのでしょうね。
「助かった!」なんて。