2020年12月から始まった展示会。場所は国立映画アーカイブ展示場。2021年3月28日まで開催。
岡本忠成さんはスキー愛好会の「雪雀連」のメンバーだったけれど、私はいつもすれ違いというか、私が一番忙しくて中々参加できない頃の常連さんだったので、たまにしかお目にかかれなかった。奥様のさと子さんには随分お世話になった。彼女はケーキ作りの名人でクリスマス用のフルーツケーキなどを焼いてくださったけれど岡本忠成さんとはほとんどお話をした記憶がない。
川本さんと岡本さんは日本のアニメーション映画のストップモーション撮影の分野で功績があった。人形作家の川本さんは東宝撮影所勤務からフリーになり飯沢匡らと人形芸術プロダクションを設立、その後チェコスロバキアに学んだ。NHKの人形劇「三国志」などを手掛けた。その後岡本忠成さんの遺作である「注文の多い料理店」を完成させた。
岡本さんは日本の人形アニメーションの礎を築いたMOMプロダクションに入社後、アメリカからの受注作品の制作に関わった。その後(株)エコーを設立、人形アニメーションの世界に新風を送った。木彫り・和紙・毛糸・皮・粘土などの素材を使い、フォークソング・童謡・義太夫・岩手弁などの語りを用いた多様な手法と表現で作品を作り続けた。文化庁芸術大賞を始めとして国内外での多数の受賞、没後は毎日映画コンクール特別賞が送られた。
この二人の歩んだ道は対照的で、川本さんは端正な人形に命を吹き込み、テレビの歴史的人形劇や外国との合作にも関わった。一方岡本さんは子どもたちに標準を合わせて、主に教育映画の分野で創造性を発揮した。1970年、お互いの作品上映と人形劇を併せた「パペットアニメーショウ」を6回企画、開催し、大きな話題を集めた。
国立映画アーカイブの展示室には、このお二人の制作過程をつぶさに見られる展示品がたくさんおいてあった。川本さんの制作した人形たちのなんと素晴らしいことか。気品のあるお顔、見事な衣装、制作メモの緻密なこと!ただただ感嘆した。
岡本さんのストップモーション撮影の制作過程は、見ているだけで気が遠くなるほど。先駆者となる人というのは只者ではない。岡本さんの制作過程の展示室には懐かしいノンちゃんの名前があった。ノンちゃんは世を忍ぶ仮の姿。
保坂純子(すみこ)さんが本名です。人形制作で日生バックステージ賞を受賞したノンちゃんは、私の大の仲良しだった。彼女と出会ったのは月山の夏スキーだった。初めて目があった瞬間、お陽さまのような笑顔で挨拶してくれた。
そのノンちゃんがディスプレイの画面に出てきたときは思わず泣き出しそうだった。いつもどおりの泰然自若ぶりだが、仕事中のキリッとした表情は今まで見たことがなかったノンちゃんの別の顔だった。北軽井沢でのんびり過ごす彼女の印象とは全く違う。やはりすごい人だったのだ。
ノンちゃんがアラスカで私の前を滑っていた。カーブを曲がったら直前を滑っていたはずのノンちゃんの姿はなく、ストックが地面に突き刺さり、持ち手には手袋が・・・ノンちゃーん!呼びかける私の声は震えていた。ゲレンデの片側は急な崖。滑落したのだった。幸い怪我もなく助けられて事なきを得たけれど、崖を上ってきたノンちゃんはいつもと同じ表情だった。落ちている間何を考えていたの?と聞いたら「ああ、私は今アラスカの大地を落ちているんだわと思ったの」
それは素敵な言葉だけれど、皆の心配をよそにのんびりと答えるところが本当にノンちゃんらしい。
展示の写真には若き頃の岡本夫人の姿もあった。写真の彼女からは当時のひたむきさが伝わってくるようで、一時代を駆け抜けた人たちの情熱を感じる。なにが幸せかといえば人生で自分のやりたいことが見つかることが最高、そういう意味でこの人達の人生は本当に豊かだったのだと思う。
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