2023年7月30日日曜日

お墓ブーム

 先日M子さんとお墓を見に行った。

彼女は以前飼っていたワンちゃんと猫さん二匹と一緒に入れるお墓がほしいというから、神奈川県と東京都の境目にある一山で墓地として売り出されており、私も死んだら入れるように買っておいた樹木葬を紹介した。小高い丘の上は様々な形の墓地に分けられていて、私は庭園になっている一区画が気に入って購入した。春先に訪れたときに全山桜色に染まっていてその美しさに圧倒されてここに決めたのだった。うぐいすが鳴き、様々な種類の桜が咲き誇っていた。即決したのは桜のせいだった。

山の一部の区画は小さな庭園に別れていて、私の墓は涼風という一角。名の通り山の上は下から風が吹き上げてくる。なんとも自由で明るい墓。墓石はなく、芝生の地面に遺骨を納める穴しかない。その一角を囲むように樹木が植えられている。私が買ったときは春爛漫だった。今回見に行った日は暑さで焼け焦げるような地面からの照り返しが強烈だった。ただでさえ痩せているM子さんは地面に溶けてしまうのではないかと思ったけれど、そこはしぶとくヴァイオリンを弾いて生きてきた逞しい根性の持ち主だから日傘をさして涼し気に佇んでいる。

夏の日差しは強烈でも流石に丘の上は風が吹き渡り、気持ちが良い。こんな土地に墓場というのはいかがなものか。生きている人間に明け渡してやりたいけれど、以前この場所はお墓と森しかなかったものと思われる。商魂たくましい経営上手のお寺さんが流行りの樹木葬という形に目をつけて小綺麗に整備した結果人気になったというわけ。Hさんは私の入る区画を希望したけれど残念ながら完売で、少し離れた場所に良さげな穴を見つけてかわいがっていたワンちゃんと猫さんに囲まれて安らかにお休みになる予定となった。

この庭園墓地には私のものと旧友のHさんの穴が隣り合わせにならんでいる。直ぐ側にM子さんの区画、それに少し離れた昔からのお寺のお墓にヴィオリストのKさんのご両親が安らかにお休みになっている。そしてM子さんから話を聞いたO家の方が興味を示していらっしゃるようだ。それに私達の友人のY子さんもぜひ見たいというので、次回は墓巡りツアーを開催しようかと思っている。お墓を選んだあとにイタリアンのフルコースを食べる、なかなか魅力的なツアーになりそう。

墓地の近所に素敵に美味しいイタリアンレストランがあるのですよ。けしからん事にそこは定休日以外にも不定期に休むので油断がならない。先日行ったときも休まれて、そこでランチをと思っていた私達はお腹をすかせてさまよう羽目となった。

お墓など死にまつわる話題になると私達は厳粛にならざるを得ないとなるけれど、私はあの重たい墓石が自分の上にあるなんて考えられない。死は人生を全うしようとする人たちの通過点と考えるとまだまだその先がありそうな気がする。肉体が滅んだあとになにか素敵な境遇が待っているとしたらワクワクするではないか。足が痛むこともない。涙を流さなければならないような悲痛なこともない。もちろん戦争ははるか彼方の出来事・・・なんて素敵な世界が存在しないだろうか。

ともあれ、私のお墓の周りは急速ににぎやかになる模様。夜中に隣の穴からコンコンとノックがあって「今なにしてるの、飲みに来ない?」と、それを聞きつけた少し先の方からなにやら白いものがふわふわと飛んできて「えっ、飲み会始めるの?」なんて。すると他の穴からも声がして「カルテットでもはじめない?」なんて。さぞにぎやかなは墓場になることでしょう。やっと安住の地を見つけた他の人達は「うるさくてやっていられない」と逃げ出すものも。それを引き止めておしゃべりをするものも。うわー、大丈夫かしら。

人の生き死にに対してこういう冗談は不謹慎と思われる方も多いと思う。それで私はよく失敗するけれど、死に対して人はなぜクソ真面目になるのか。今日は義兄の七回忌で親族が集まった。お坊さんはグレーに黄色い花の刺繍のある涼し気な薄物の衣と袈裟を身にまとい早口でお経を詠む。お仕事だけど、これで亡くなった人が喜ぶのかな?法事などはなくなった人より残された者たちの満足なのでとやかく言うこともないけれど。

なぜか私は本当に幼い頃から死というものに関心があって、布団を頭からかぶって気が遠くなるまで息を止めてみたり。苦しくなると、この先が死ぬということなんだと疑死体験をよくしたものだった。今思うとあと一歩で本当に死んでいたかもしれない。危ない危ない。死にたいとは思わないが死ぬときはどうなんだろうと興味津々で怖くないかといえば嘘になるからなるべく冗談めかして考える。

たくさんの猫を飼ってきた。私の人生に猫がいなかったのはほんの数年。あとはずっと多数の猫に囲まれて今、最後の猫を送り出そうとしている。歩けない、見えない、聞こえないほどの年齢なのにしっかりと生きているうちの化け猫の姿を見ると勇気が出る。苦しくとも生きることがどれほど素晴らしいことか、だからこそ死がつまらない形として示されるのは、しかもそれが金儲けのための空虚な形となって表されるのが苦々しい。だからつい冗談にしたくなって周囲の人たちからふざけていると思われるのですよ。





















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2023年7月25日火曜日

新しい曲

 私とアンサンブルの仲間は世間的には引退寸前だけれど、いまだに集まってはなにか企んでいる。

毎年地元のサポーターズが主催する北軽井沢ミュージックホールフェスティバルは今年は開催されないらしいので、自主的にアンサンブルのコンサートを行うことにした。それで候補に上った曲はボーン・ウイリアムズのピアノ五重奏曲。この曲の楽器編成はヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバス・ピアノ。有名なシューベルト「鱒」と編成が同じ。コントラバスの入ったピアノ五重奏曲は通常のピアノ五重奏曲とは編成が異なってヴァイオリンが一本、コントラバスが入る。普通はヴァイオリンが2本でコントラバスははいらない。私達の仲間は女性コントラバス奏者のHさんが中心的な存在なので、ぜひコンバスの入る曲をということで今その「変わった」編成の方の五重奏曲を数曲練習中。

昨年はゲッツというドイツの作曲家の五重奏曲を弾いた。そして今度はウイリアムズの五重奏、8月に北軽井沢で本番をと思ったけれど、練習合宿を北軽井沢でやってから自宅に戻ってミニコンサートを開くことになった。時々自宅でも簡単な集まりをすることがあるけれど部屋が狭く、あまりたくさんの人には聞いていただけない。ただし、音の条件は自宅のほうがずっと良いので演奏は楽になる。それで北軽井沢で毎年聴いてくださる方々には申し訳ないけれど、もし来年フェスティバルが開催されるならまたそのときにお目にかかりたいと思っています。

その他には私のオーケストラ時代の相棒とのシュポアのヴァイオリン二重奏曲。これもただいま練習中ということでいつ本番でひけるかわからないけれど、いつか弾いてねと言われて時々練習している。年をとっても嬉しいことに新しい曲に挑戦するときにはワクワク感がはんぱない。これは本当に幸せなことだと思う。

北軽井沢のミュージックホールは前面のシャッターを開けるとほとんど屋外と一緒で、その分蝉の声や雷が演奏に参加してくれるから愉快ではあるけれど、楽器の湿度管理などが難しく苦労する。でもみんなはこの自然と一緒の環境がとても好き。青空や雨や何ものにも代えがたい清浄な空気、本当に爽やかで美しい。ときには雷鳴がコンサート開始のベルのかわりだったりして笑える。

音楽教室のアンサンブルのメンバーが今年も北軽にやってくる。よくこんな交通の不便なところまで来てくれるものと感謝している。コロナでホール使用の不許可など練習場所の不便さを味あわせてしまって申し訳ないと思うのに、彼らは凝りもせず毎年ニコニコとこの地にやってきて本当に集中して練習に励んでいく。素敵な毎年の行事なのだ。

その北軽井沢が開発の波に乗っている。新しいカフェやレストランなどがどんどんできている。私とししてはあまりにぎやかになるのはわざわざこの地に来た甲斐がないと思うけれど、ひと気があるのは安心感につながる。シーズンオフには夜の森の中で周囲の家のどこにも明かりがついていないときが多い。それはそれで静かで良いのではあるけれど、多少の緊張感は常にある。夜中に窓のシャッターにドンッと音がして、多分リスやムササビだとおもうけれどかなりビックリすることもある。

一軒でも明かりがついているとホッとするけれど、晩秋や早春の時期にはほとんどの家は都会に退去してしまって真っ暗闇。私の家は敷地入り口に外燈がついている上、玄関ドアも夜になれば明かりがつく。真っ暗な中で一軒だけかなり目につくらしい。それで始まったのがちょっとしたイタズラ。イングリッシュガーデンを目指して花を植え始めたのが嫌がらせの始まり。なに、大した花なんか植えていないのですよ。

先日はダリアとひまわりと夾竹桃がやられた。次のときはひまわりをもう一度植えたら根っこごと引き抜いてわざとだという証拠にその辺に捨てていく。非常に腹立たしかった。こんなところには花の好きな人が多いはずだと思っていたけれど、そうではない人もいるらしい。私が毎日楽しそうに庭仕事をしているからかも。庭仕事が体に良いということがよくわかった。全身運動なので本当に元気になれる。お陰で足腰のしっかりしてきたことは数年前以上のコンディションに戻った。最近は小走りもできる。嫌がらせはともかく気にしないことで乗り切ろうと思っている。










2023年7月16日日曜日

来年までは

 最近また私の周りには若者が集ってきている。一時期、ずっとレッスンに通ってきてくれる人はシニア世代がほとんど。若者が減って少し落ち着いた雰囲気になっていたのが、新しい生徒と昔の生徒たちが集まってくるようになった。それは主に私の「やめやめ詐欺」の被害者だと思う。

「古典音楽協会」を今年の9月の定期演奏会を最後にやめるはずだった。私は今まであまりにも多くの本番をこなしてきて些か疲れ気味。もうこの辺でおしまいにしたいと言うのが本音なのだが、そうは問屋が卸さない。コンサートマスターが変わりそれにつれてヴァイオリンが一度に半分ほど変わってしまうのは困るというので、引き止められている。私もまだ弾いていたいという思いも少し残っているから優柔不断にグズグズしている。

今の「古典」は長年一緒に演奏を続けて何が起きてもお互いにカバーできるというレベルまで来ているから、私だって残る方に回ったらなるべく今のメンバーで続けたいと思うのは当然。しかし私としては激動の人生だったのだから、これからは静かに余生を送りたいというのも無理なことではないでしょう?

超多忙な仕事にも関わらず、ずっとアンサンブルの勉強は怠らなかったと自負しているけれど体力はほぼ限界に達していることもわかっている。自分の実力はそう大したことがないことも重々承知している。年齢とともに練習時間が減りつつあって楽器の鳴らし方も衰えていることも、譜読みがめっきり遅くなったことも自覚している。手のこわばりも自覚するようになった。それでも引き止めていただくのは本当にありがたいと思う。

去年から私は「古典は秋の定期にコンサートマスターと一緒にやめる」と宣言していた。するとそれを聞きつけた昔の生徒たちからの連絡が増えて、今年の春の定期演奏会は主にそういう人たちが来てくれた。皆さん私が最後なら引退を見守ってやろうじゃないのという気持ちで馳せ参じてくれて、メールもも古い生徒たちからたくさんもらった。けれど、ここまで言っておきながら本当に申し訳ないけれど、やめるのは一年先延ばしになった。

人数が少ない(15人ほど)アンサンブルだから急激なメンバー移動は音にどのように影響するかわからない。変化に戸惑うかもしれない。私はオッチョコチョイだからそういうときの修羅場も結構平気で新しい人と組むのはわりと好きな方なのだけれど、変化を好まない人たちがいるのも確か。私はガラリとメンバーが変わればそれもまた面白いと思う方だが、お客様が戸惑ってしまうのが一番怖い。履き慣れた靴を履くときは足が痛くならなくても、新しい靴はどこが痛くなるか履いてみないとわからない。

「古典」のお客様は特に私達のコンサートを長年に亘り共に作り上げてきてくださった方々なので、あまりにも急激な変化をしてはいけないという気持ちもある。もちろん新メンバーは最上級の腕の持ち主ばかり。楽器も名器揃い。それでも聴く方は今までの多少ゆっくりめで穏やかな音が好きな方が多いのも事実。若い人のパリッと爽やかな演奏もいいかもしれないけれど、あのゆったりとしたテンポが私達にはちょうどいいのと言う方も多い。

もう出来上がっているイメージを変えるというのは勇気がいる。本来音楽家は変化を好む人種だと思っているけれど、メンバーと聴いてくださるお客様のことを考えると同じような世代になっていて、急な変化に追いつけないかもしれないと思うこともある。

聴く人たちの顔色を窺ってばかりいるわけではなく、自分たちの演奏したいという欲求を優先したにしても、演奏会は自分たちのためばかりではないということを長年の経験から知っている。聴く側が納得しなければ成功したとは言えないのだ。自分たちだけが満足しても演奏会としては失敗。演奏とそれを聴く人たちが一体となってこそ良い演奏が成り立つということを私達は嫌というほど経験してきた。(くどい言い方ですがこれは本音なのでお許しを)

特に「古典」は古くからのお客様がずっと聴いてくださるという幸せな団体であると思う。常に席を探すのが大変と言われるように、たくさんの方々が毎回集まってくださるのだ。だから今再建するに当たりいい加減なことはできない責任をひしひしと感じる。それが私のもう限界の体力と気力をなんとか奮い立たせて来年につなげるまで頑張る気持ちの原動力になっている。しかし年齢は容赦なく私を追いかけてくる。そして最後を見届けてくれようという私の周りの若者たちがいる。先生の最後はひどかったと言われないように気を張り詰めてあと一年頑張るぞう!


















2023年7月11日火曜日

失敗は繰り返される

目が覚めても胃が痛まない。やはり質の良い食物は体に良いのだ。そして昨日は肉を食べたのに胃もたれもない。それどころか恐ろしいことに食欲が目覚めてしまった感があって、お肉の次はお魚よと私にささやく声がする。お魚?それならお寿司よね。隣町のショッピングビルに世田谷で有名な寿司屋の出店の回転寿司がある。美味しいお肉の次はしょぼいものは食べられないから、回転寿司といえどもこの辺で一番美味しいところにしよう。出かけるのは面倒だけれど運動もしないとね。

歩いて約20分、腹ごなしにはちょうどよい。目的の店はいつも混んでいて私は敬遠しているけれど暇だから行列覚悟ででかけた。すると午後4時という時間のせいか、この店が始まって以来初めてすんなりと入れた。客席も一人客が多く座れるように用意されていた。左隣はカップル、右には一人客の男性が静かにお酒を飲んでいた。

私の生活水準では銀座の有名寿司店でカウンターに座り注文することなどめったにチャンスはないから回転寿司は勝手知ったるもの。粉茶を湯呑に入れてお湯を注ぐ。一口味わってからタブレットで注文を始めた。これも手なれたもので、いちいち面倒だから一気にまとめて注文してしまい次々とお寿司が届いたのでやおら食べ始めようとお醤油の小皿を探すと、無い!

以前はこういうところでは湯呑や小皿はその辺にたくさん置いてあったけれど、迷惑動画が公開されて以来様子が変わった。私は他の客の様子を窺った。最初はお寿司の皿に直接お醤油をかけるのかと思ったけれど、そんなことはない。ちゃんとお醤油の皿があるようだ。それなら小皿もタブレットで注文するのかしら?店員さんを呼んで持ってきてもらうのかな?

しばらく考えたけれど周りの人に訊いてみよう。左側はカップルで仲良しの会話の邪魔をしては悪いから右隣の男性に声をかけた。「お醤油のお皿はどこにあるんですか?」すると彼は黙って指をさす。さされた方向を見るとお茶の缶を指している。「え、これ?」すると「お茶の下」お茶の缶の下には確かに小皿が敷いてある。だって缶の下なんて汚いじゃないの。「どうしてこんなところに置くのかしら、汚いじゃない」すると彼は吹き出しそうな半笑いの声で「自分でそこに置いたと思うけど」

うっそー、私が?やったの?見ていたら教えてくれればいいのに。せっかく教えていただいたのに悪いけれど、私はぶすっとしてそれから猛烈にお寿司を平らげて帰ってきた。歳を重ねて普通なら品よく若者の手本となる食べ方をするはずが、教えてくれた親切な男性には礼も言わずに店を出た。氏より育ちというけれど、ここでお里が知れてしまった。なにも笑いながら言うことないじゃない。それより黙って見られていたのが腹が立つ。その後おかしくなって一人笑い。プンプンあはは!

帝国ホテルへ間違えて前日に行ってしまったとき、ロビーで出会った男性もすごく嬉しそうに笑っていた。私もおかしかったけれど、その人はもっと笑っていた。回転寿司のお客さんもなにがそんなに嬉しいのかわからないけれどお酒を吹き出しそうな感じで笑っていた。

他人の不幸は蜜の味とはよく言ったものだわ。笑わば笑え!たかがお醤油の皿にお茶の缶を載せたくらいでこんなに笑われるとは。きっとその後私がどうするか見ていたのでしょうね。店員さんに文句を言わなくて良かった。





2023年7月10日月曜日

七夕メモリアルコンサート

胃腸の調子が良くないので出席をためらっていたけれど、七回忌の大切な節目の集まりなので今日もまた昨日と同じ帝国ホテルへでかけた。どなたの七回忌かというと主人公は軽井沢のY子さんのお父様。元弁護士で穏やかでユーモアがあって素敵な銀髪の紳士だった。

Y子さんと知り合ってから彼に初めてお目にかかったと思っていたけれど、実は私が所属していた頃の東京交響楽団に定期会員として来てくださっていたらしい。ということは新人だった私が顔を赤くしたり青くしたりして奮闘していた姿をご覧になっていたということで、それもつい最近わかったことで、なにか深いご縁を感じた。

会場に入ると入り口付近にY子さんのご両親の写真とともにチワワのすみれこちゃんの写真も飾ってあった。すみれこちゃんは賢く感情豊かなそれはそれは可愛いワンちゃんだった。軽井沢で散歩していたとき、私の姉の足が遅く少しでも皆から離れてしまうとすみれこちゃんが気遣って姉をじっと待っている。今でも姉はその可愛らしい姿を「あの子は優しい子だった」と思い出しているのだ。残念なことに大変病弱で数年前に虹の彼方に行ってしまったすみれこちゃん。

会場の受付で席を自分で選択してくださいというから裏返しの番号札を引いたら、ちょうど会場の真ん中のテーブルが当たった。今日の演奏のステージの真ん前、元日航のパイロットだった人と今日の演奏者の谷康一さんたちと相席だった。今日私は演奏はしなくて良いはずだったのに、谷さんと共演するヴァイオリンの美智子さんの一言でご一緒に弾くことになった。ヴァイオリンを持ってきてくださいねとY子さんに言われて逆らえず、楽器だけ持っていった。弾くかどうかは会場の雰囲気で決めようと。ヴァイオリンの美智子さんはなぜか髪の毛が緑色、「おや、梅雨時で髪の毛もカビた?」と最初のパンチを繰り出すと「そちらこそ、その髪の色はどうしたの」と反撃を受ける。私もひと様があまり染めないような金髪。どっこいどっこいですな。

胃腸が不具合なので少しだけにしておこうと思っても料理の美味しさはさすがで、しかもいつもより多めに食べても胸焼けもしない。日常的にどれほど質の悪い食生活をしているかわかるというもの。毎日ここに来て食べれば胸焼けはしない。そんな生活をしてみたい。テノール歌手の藤原義江さんはこの帝国ホテルに住んでいたというから、毎日こんな上等なものをたべていたのだろう。

Y子さんのお父様は常に楽しく華やかなことがお好きだったので、今日の演奏はうってつけの楽しいものだった。皆さんノリノリで手拍子。ルート66、聖者がまちにやってきた、虹の彼方になどおなじみの曲が矢継ぎ早に演奏されて会場は手拍子と歓声で沸き返った。私は2曲初見で参加させてもらった。やはりこういう曲を弾くのはすごく楽しい。こちらのジャンルに転向しようかしら。他のお客様たちは世間の常識圏内にいるからそれぞれ年齢にふさわしい落ち着きがあるけれど、バンドの男性たちのなんて若々しいこと、ダンディでいたずらっ子のよう。

谷さんと元日航のパイロットさんたちは幼馴染で同じ中学だったそうで、それがお互いしばらく別の道を過ごしてから再びY子さんの元で再会したという。これもご縁の深さを感じる話だった。人はみなどこかで繋がっていることを実感させられた。私はあまり食べられないといった手前食べ過ぎは禁物、でも結局デザート3つとコーヒー3杯まで平らげてしまった。今夜眠れるか、はたまた胃痛でウンウン泣くか、怖い!










2023年7月8日土曜日

まっしぐら2

 やっちまった!!

今日は手帳を見たら日曜日。帝国ホテルでバイキングをごちそうになる日。えっと、なにか着るものあったかしら。ずっと以前から着ている一張羅しかないけれど、ま、いいか。バブルの頃に買ったライオンのイヤリング。あれをつけよう。などと準備万端、雲の様子が怪しいから車で出かけよう。アルコールは飲めないけれど、最近はノンアルコールのシャンパンまであるからお酒でなくても楽しめる。

時間の読みが的中してホテルには開宴の15分前に到着。日曜日だから駐車場が混んでいるかと思ったけれど、すんなりと停められた。宴会場の建物に入ると人気があまりなく、随分静かで、でも宴会の時間が迫っているからみなさんもう会場に入っているのかな?

帝国ホテルはかつて私の仕事場だった。結婚式の音楽を担当、大抵は弦楽四重奏での注文が多かった。こういう老舗のホテルだから品の良い方たちが結婚するとなると、弦楽四重奏の調べに合わせて新郎新婦登場、最後の参加者が会場からいなくなるまで演奏する。ときには乾杯の音頭をとる主賓の話が長すぎて披露宴が延びに延びるということもあった。一番ひどかったのは4時間過ぎてまだ終わらない。チェロが次の仕事に間に合わないので途中から他の人に来てもらうなどということもあった。

その頃はいつも宴会場は次々に披露宴に訪れる人達で沸き返るようだった。花嫁がロビーで何人も見かけられた。それが今日は日曜日だと言うのに静かすぎる。しかも会場の前まで行っても扉も開いていない。時間間違えたかしら?ドアのそばにいた男性に尋ねたら今日はこの部屋ではイべントの予定はないというではないか。

はい?だって今日は軽井沢在住のY子さんのお父様の思い出の会が開かれる日。私の手帳にはちゃんと書き込みがあるのよ。ごちそうが食べられるからお昼も抜いてちょうどお腹が空いてきているのよ。オロオロして先程の男性にもう一度尋ねる。「今日は9日ですよね?」返ってきたのは「いいえ、8日です」「8日?土曜日ですか?」連絡されていたのは9日の日曜日。どうしてこんなことになったのか、ツラツラ考えるにすぐに原因はわかった。

私の手帳は週の頭が月曜日から始まるようになっていて日曜日が尻尾。レッスン室においてあるカレンダーは日曜日が週の頭で土曜日が尻尾。一瞥したときに確認しないと時々間違えることがある。やっちまった!!

言っておきますが仕事で日付や時間を間違えることはなかった。もとより遅刻も絶対にしなかった。季節の変わり目にステージ衣装の色が変わったりするときも間違えなかった。それなのに今こうして間違えるようになったのは緊張感がないから。やはり仕事は死ぬまでやらないといけないらしい。

がっかりしたかというとそうでもなかった。帰る前に帝国ホテルの食品売り場に行って買い物をしようと思って廊下を歩き始めたら、今日新しくおろした靴がわずかに指の曲がったところに当たって痛い。我慢できるかな?ところが昔の記憶でホテル内の売り場「ガルガンチュア」に向かうと移転していて距離がわからないから諦めた。行ったはいいけれど、帰りに指の皮がむけたりしたら歩けなくなる。

それにせっかく明日は本当にごちそうが食べられるから、今日は食べなくてもいいじゃない。それで車を走らせていると、なんだかドライブが楽しい。コロナ感染で仕事もなくなって都心へ車で行くことも減った。車は主に北軽井沢に行くときに高速道路で使うだけ。

都心のドライブは仕事で出かけるときには渋滞されるとイライラするけれど、こうしてなんの縛りもなく走るのはすごく楽しい。都心の道は長年仕事で走り回っていたから事情はよく知っている。時間が来ると、突然中央ラインが変わったり右折車が多いと信号のいくつも前から左によっていないといけないとか。それに合わせて車線変更の予測をしたりする。時々予想が外れることもあるけれど、あたると、してやったりと思う。ゲーム感覚で走っている。

ふと去年から今年はじめのうつ状態がなくなっているのに気がついた。昨年一年間すごく不快な年だった。人間不信になった。膝が酷く痛み始めたのもその頃から。胃腸の具合が悪く、絶えず胸焼けがするのにドカ食いが止まらず肥満になった。肥満するとますます足が痛い。肌の色が時々嫌な灰色になった。それを見てまた落ち込んだ。

まだ問題解決はしていないけれど、何かが変わってきた。風向きか自分の意識かわからないけれど。随分長い間笑顔が消えていたような気がする。田舎ののんびりした生活もいいけれど、都心のこの気忙しさも捨てたもんじゃない。蘇ってきた楽しさは大事にしよう。元々私は楽天的で陽気。それが眉を顰め周りの人に敬遠されて、それでますます落ち込んでいやなやつになっていた。一昨日、昨日と古い仲間とアンサンブルをやったのも気分転換になったらしい。まだ脆弱だけれど、蘇ったぞ、私を不死猫と呼んでください。











2023年7月7日金曜日

痴呆街道まっしぐら

ぼんやりとテレビのチャンネルを回していたら・・・今どき回すとは言わないか。いや古い古い、昭和の生まれよ。 知ってる?昔はテレビのチャンネルは回して合わせていたのよ。

クイズ番組をやっていた。若者世代とシニア世代を対抗させて当てさせる。昭和、平成、令和の時代の人や歌などから出題するのだが、私はそれが当たらない。若い頃、私は非常に物知りで生意気だった。活字中毒。一日中と言ってもよいほど本を読んでいたので大学時代は当時の友人から「せっかく音大に入ったのになんで本ばっかり読んでるの」とバカにされていたくらいで、一日でも読まないと夢の中で、新聞読んだりするくらいの活字中毒だった。

それで何でもよく知っていたし、できない大人を鼻で笑っていたくらいだから嫌なやつだった。ところが今日は全く答えがわからない。確かに今まで生きてきた時代の話だから映像に覚えがあるけれど、それが誰なのか、名前が出ない。例えば松田聖子とか美空ひばりすら名前が出ない。

ついに来たか!いよいよお仲間に入れてもらえますかね。でもこれでは困るのだ。まだ運転免許は必要だし2匹の野良猫と1匹の化け猫に近い老猫を養わなければならないからぼんやりしてはいられない。なんでこんなになってしまったのかと考えたら、このところ久しぶりに新しい曲に取り組んでいたせいかもしれない。

オーケストラ時代に音楽的な相棒としてHさんという人がいた。相性が良いというか私がぼんやりで彼女がバリバリやる気の人で、コンビを組むとちょうどよい。10年ほどオーケストラのファーストヴァイオリンを弾いていた私にとって、セカンドヴァイオリンは憧れの的だった。私から見るとセカンドパートはいつも陰で面白そうなことをしている。滅多に表に出ないのに「第九」で急に飛び出してきてえも言われぬ美しい旋律を奏でる。それが弾きたくて、そこはファーストが休みだからこっそりと一緒に弾いていた。もちろん本番ではそんなことができないので練習のときだけ。

10年もいるとレパートリーはかなり増えて、同じ曲を何回も弾くことになる。それでマンネリになってきたところで意を決してインスぺクターに直訴した。「セカンドヴァイオリンを弾かせてほしい」するとコンサートマスターの許可がでないと一蹴されて約一年ほど待たされた。それならやめると脅してやっと変わることができて、その時のセカンドヴァイオリンのトップがHさんだった。二人そろうとなんでも面白すぎて毎日冗談みたいな日が続いた。

ふたりとも他の話をしながらちゃんと指揮者の言葉を聞いている。だから喋っていても言われたことはできる。特に故朝比奈隆先生には大変失礼なことをしていたらしい。朝比奈先生は目の前でおしゃべりをして自分の言葉を全く聞いていないらしい二人が、注意されたことをすぐに楽譜に書き込んだり言われたとおりに弾くのに驚かれたらしい。練習後「あの二人が怖くて怖くて」とおっしゃたそうだ。いつも先生はセカンドの二人をチラチラと見ても注意をなさることはなかった。ご遠慮なく怒っていただけば良かったのに。今思えばなんて失礼なことだったかと冷や汗が出る。先生ごめんなさい。

やめるはずの私が面白くてやめられなくなってその後しばらくいたけれど、またファーストヴァイオリンに引き戻されてしまい私はその後オーケストラをやめた。ファーストヴァイオリンはいわばオーケストラの花形だけれど、アンサンブルの好きな私にとってはセカンドやヴィオラのほうがずっと魅力があった。内側から音楽を作る面白さはたまらない魅力だった。Hさんとはやたら馬があったし。

その生意気な二人が何十年ぶりでデュオをしたのは5年ほど前だったか。Hさんのヴィオラと私のヴァイオリンでヘンデルの「パッサカリア」本番ではなく楽しみだけの合わせ。それで次回は1年後などと言っていたのにあっという間に月日が経って、今回は・・・あら、作曲家の名前が出ない。数日後に合わせることになっているのに。

そうそう(この間10分ほど)やっと思い出した。シュポアのデュオ、これはヴァイオリン2本の短い曲だけれど、今の私にはちと荷が重い。それでも新しい曲を初めて弾くのは面白い。ところが今回は他のグループの演奏会の練習と重なって2日続きの新曲弾きとなってしまった。それで頭がクラクラしてクイズがさっぱり分からなかったと、ここに持っていきたかったのはほんの言い訳。若い日々にはこんなことはなかった。結構難しい曲の初見が続いてもなんなく乗り越えられた。今は脳が疲れているらしい。それとも・・・いよいよ

私の7歳上の姉が初めてスマホを持ったので色々やってくれる。他の人に電話したはずがどうしても私にかかってしまうというから点検したら電話帳に他の人と並べて二重に登録されていた。器械音痴の私が他人の面倒見るなんて!

明日は我が身。二人で嘆きあった。ちゃんと生きていなければ長寿はめでたくないわよね。

点滴の管や機械で生かされているならそれは生きていると言えない。それでも生きていてほしいというのは周りの人のエゴだと。私は無駄な延命は望まないからちゃんと保険証の裏に意思表示してある。それでも、もしそんな状態でも自分の意識があって口がきけないから表明できないときはどうするのかと考えると恐ろしい。痴呆はそういうときのために神様がくれたプレゼントかもしれない。






2023年7月3日月曜日

悪いことばかりでもないけれど

 最近私の姪が暇になったらしく声をかけてきた。コンサートの予定はないの?それで今年の春の古典音楽協会の定期演奏会に誘った。

彼女は聾学校の教師。まだ小学生だった彼女が「私は将来福祉の仕事をする」と言ったのにびっくりした。彼女の気持ちをそうさせたのは何だったのか。私の姪にしては出来すぎの子だった。芯が強く穏やかで無口。私にないものばかり。初志を貫いて大学で福祉を専攻してその後イギリスに留学。もったいないことにダイアナ妃の結婚式の数日前に帰国。ずっと仕事をしていたのが最近定年になったらしい。

らしいというのは私の家族はお互いに相手が何をしているのか深く詮索しない。姪は私の一番上の姉の子で、姉と私は13歳違いだから私と姪はさほど歳は離れていない。家中が彼女の誕生に沸き立った。私は一番下だったからなおさらのこと、それまで可愛がれるものは猫や犬ばかり、人の赤ん坊みたいには面白くはない。彼女は特に聡明でおむつが取れたのはなんと生後半年ほどだったし、幼児期の語彙の数も半端なく多かった。からかうと本気で反応するのが面白い。私達は学校が夏休みになると姪を彼女の両親の元から拉致してきて、姉妹で面倒を見た。

時々パパが情けなさそうに「うちの子返して」と来るのを追い払って、姪も皆からチヤホヤされるので帰りたがらない。人格形成の大事な幼児期を変わり者揃いのおじ、おばを相手に過ごしたから、長じてどんな変人が来ようが動じない性格になれたのではないかと密かに自負するところではある。

その姪の子供・・・何という関係になるのかしら、やはり孫とでも?が母親とともに古典音楽協会のコンサートを聴きに来て、その後弟子入りしてきた。大学で食に関わる勉強をしていたらしい。これもらしいと言うばかりで説明聞いてもわからないけれど。最初に「傍目ではわからないかもしれないけどすごく忍耐のいる楽器だけど我慢できる?」と訊いたら即座に「はい」と力強い返事があって、彼女の自信のほどが伺えた。

始めてみると実に忍耐強い。同じことの繰り返し、何度も何度も同じことを言われても嫌そうではないから、見どころがあるかも。会社では大学で専攻した食とは関係ない半導体を使う機械?の仕事をしているとか。何をしているのか訊こうと思ったけれど、聞いてもどうせわからないからやめた。機械の方がヴァイオリンより難しそう、でも楽器の多様性、音楽の底なしの難しさは限りない。だから終わりのない泥沼。子供の頃声をかけたけれど、誰もが私の下手なヴァイオリンを聴いてあんな音出してと眉をひそめていたのかもしれない、誰一人誘いに乗ってこなかった。

それが今頃になって、年齢的にプロになるのは手遅れだけどというと惜しかったなどとぬかしおる。子供の頃からやっていればなんて言う、今頃になって。まあ、でも大人の手ほどきには慣れているから今後の楽しみが増えた。

教えてみると最初から音がいい。指導者のおかげと言いたいところだけど、素直に真剣に取り組む姿を見ているとやはり本人次第。今どきの若者が超アナログな300年以上も前の楽器を習ってどこが面白いのかと思う。たった一つの音を出すだけでこれほど手間がかかる楽器も珍しいでしょうに。そのうちにわかるけれど、自分の出した音の中に、ある時急にキラリと光る音を聞いたときは何事にも代えがたい喜びとなる。その瞬間が聞きたくて毎日汗水垂らしているようなもので。

毎回同じボウイングの練習ばかりだから気晴らしに「カエルの歌」を教えて輪唱してやったらえらく喜んで・・・こんなことで喜んで行く手にどんな試練が待ち受けてるとも知らずに。最初に念をおしたときには、コレコレこのように難しいけど我慢できるかと訊いたら落ち着いて、大丈夫ですと答えたのを今頃後悔していないかな。今やっている仕事は面白いの?と訊いてみた。即座に「はい、すごく面白いです」と答えが返ってきてある意味期待が外れた。ヴァイオリンを始めようなんて言うから、仕事が面白くなくて自分磨きに走っているのかと思ったら、どうやら私同様好奇心の塊らしい。

仕事が面白いということは幸運なことだと思う。毎日会社に行くのが苦痛でという人が多い中、目をキラキラさせて仕事の話をする。その上、今チアリーディングをしているとも。びっくりした。我が家は私以外は実に地味なバリバリ理系、そういう体育会系の者はいなかった。その中でも私は異端児で訳の分からない音楽の道に進んで母を悩ませた。

しかし兄は音楽好き、その上どうも父も密かにヴァイオリンを弾いていたらしいというから、血の中に面白がりやの要素が多分に混じっているらしい。どうやらこの子も同類のようだ。レッスンが終わってから二人でビールを飲んで様々なことを話し合った。

なんでもやりたいことはやってみるがいい。人生がひときわ輝くから。面白いことになってきた。