2023年7月16日日曜日

来年までは

 最近また私の周りには若者が集ってきている。一時期、ずっとレッスンに通ってきてくれる人はシニア世代がほとんど。若者が減って少し落ち着いた雰囲気になっていたのが、新しい生徒と昔の生徒たちが集まってくるようになった。それは主に私の「やめやめ詐欺」の被害者だと思う。

「古典音楽協会」を今年の9月の定期演奏会を最後にやめるはずだった。私は今まであまりにも多くの本番をこなしてきて些か疲れ気味。もうこの辺でおしまいにしたいと言うのが本音なのだが、そうは問屋が卸さない。コンサートマスターが変わりそれにつれてヴァイオリンが一度に半分ほど変わってしまうのは困るというので、引き止められている。私もまだ弾いていたいという思いも少し残っているから優柔不断にグズグズしている。

今の「古典」は長年一緒に演奏を続けて何が起きてもお互いにカバーできるというレベルまで来ているから、私だって残る方に回ったらなるべく今のメンバーで続けたいと思うのは当然。しかし私としては激動の人生だったのだから、これからは静かに余生を送りたいというのも無理なことではないでしょう?

超多忙な仕事にも関わらず、ずっとアンサンブルの勉強は怠らなかったと自負しているけれど体力はほぼ限界に達していることもわかっている。自分の実力はそう大したことがないことも重々承知している。年齢とともに練習時間が減りつつあって楽器の鳴らし方も衰えていることも、譜読みがめっきり遅くなったことも自覚している。手のこわばりも自覚するようになった。それでも引き止めていただくのは本当にありがたいと思う。

去年から私は「古典は秋の定期にコンサートマスターと一緒にやめる」と宣言していた。するとそれを聞きつけた昔の生徒たちからの連絡が増えて、今年の春の定期演奏会は主にそういう人たちが来てくれた。皆さん私が最後なら引退を見守ってやろうじゃないのという気持ちで馳せ参じてくれて、メールもも古い生徒たちからたくさんもらった。けれど、ここまで言っておきながら本当に申し訳ないけれど、やめるのは一年先延ばしになった。

人数が少ない(15人ほど)アンサンブルだから急激なメンバー移動は音にどのように影響するかわからない。変化に戸惑うかもしれない。私はオッチョコチョイだからそういうときの修羅場も結構平気で新しい人と組むのはわりと好きな方なのだけれど、変化を好まない人たちがいるのも確か。私はガラリとメンバーが変わればそれもまた面白いと思う方だが、お客様が戸惑ってしまうのが一番怖い。履き慣れた靴を履くときは足が痛くならなくても、新しい靴はどこが痛くなるか履いてみないとわからない。

「古典」のお客様は特に私達のコンサートを長年に亘り共に作り上げてきてくださった方々なので、あまりにも急激な変化をしてはいけないという気持ちもある。もちろん新メンバーは最上級の腕の持ち主ばかり。楽器も名器揃い。それでも聴く方は今までの多少ゆっくりめで穏やかな音が好きな方が多いのも事実。若い人のパリッと爽やかな演奏もいいかもしれないけれど、あのゆったりとしたテンポが私達にはちょうどいいのと言う方も多い。

もう出来上がっているイメージを変えるというのは勇気がいる。本来音楽家は変化を好む人種だと思っているけれど、メンバーと聴いてくださるお客様のことを考えると同じような世代になっていて、急な変化に追いつけないかもしれないと思うこともある。

聴く人たちの顔色を窺ってばかりいるわけではなく、自分たちの演奏したいという欲求を優先したにしても、演奏会は自分たちのためばかりではないということを長年の経験から知っている。聴く側が納得しなければ成功したとは言えないのだ。自分たちだけが満足しても演奏会としては失敗。演奏とそれを聴く人たちが一体となってこそ良い演奏が成り立つということを私達は嫌というほど経験してきた。(くどい言い方ですがこれは本音なのでお許しを)

特に「古典」は古くからのお客様がずっと聴いてくださるという幸せな団体であると思う。常に席を探すのが大変と言われるように、たくさんの方々が毎回集まってくださるのだ。だから今再建するに当たりいい加減なことはできない責任をひしひしと感じる。それが私のもう限界の体力と気力をなんとか奮い立たせて来年につなげるまで頑張る気持ちの原動力になっている。しかし年齢は容赦なく私を追いかけてくる。そして最後を見届けてくれようという私の周りの若者たちがいる。先生の最後はひどかったと言われないように気を張り詰めてあと一年頑張るぞう!


















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