2023年7月7日金曜日

痴呆街道まっしぐら

ぼんやりとテレビのチャンネルを回していたら・・・今どき回すとは言わないか。いや古い古い、昭和の生まれよ。 知ってる?昔はテレビのチャンネルは回して合わせていたのよ。

クイズ番組をやっていた。若者世代とシニア世代を対抗させて当てさせる。昭和、平成、令和の時代の人や歌などから出題するのだが、私はそれが当たらない。若い頃、私は非常に物知りで生意気だった。活字中毒。一日中と言ってもよいほど本を読んでいたので大学時代は当時の友人から「せっかく音大に入ったのになんで本ばっかり読んでるの」とバカにされていたくらいで、一日でも読まないと夢の中で、新聞読んだりするくらいの活字中毒だった。

それで何でもよく知っていたし、できない大人を鼻で笑っていたくらいだから嫌なやつだった。ところが今日は全く答えがわからない。確かに今まで生きてきた時代の話だから映像に覚えがあるけれど、それが誰なのか、名前が出ない。例えば松田聖子とか美空ひばりすら名前が出ない。

ついに来たか!いよいよお仲間に入れてもらえますかね。でもこれでは困るのだ。まだ運転免許は必要だし2匹の野良猫と1匹の化け猫に近い老猫を養わなければならないからぼんやりしてはいられない。なんでこんなになってしまったのかと考えたら、このところ久しぶりに新しい曲に取り組んでいたせいかもしれない。

オーケストラ時代に音楽的な相棒としてHさんという人がいた。相性が良いというか私がぼんやりで彼女がバリバリやる気の人で、コンビを組むとちょうどよい。10年ほどオーケストラのファーストヴァイオリンを弾いていた私にとって、セカンドヴァイオリンは憧れの的だった。私から見るとセカンドパートはいつも陰で面白そうなことをしている。滅多に表に出ないのに「第九」で急に飛び出してきてえも言われぬ美しい旋律を奏でる。それが弾きたくて、そこはファーストが休みだからこっそりと一緒に弾いていた。もちろん本番ではそんなことができないので練習のときだけ。

10年もいるとレパートリーはかなり増えて、同じ曲を何回も弾くことになる。それでマンネリになってきたところで意を決してインスぺクターに直訴した。「セカンドヴァイオリンを弾かせてほしい」するとコンサートマスターの許可がでないと一蹴されて約一年ほど待たされた。それならやめると脅してやっと変わることができて、その時のセカンドヴァイオリンのトップがHさんだった。二人そろうとなんでも面白すぎて毎日冗談みたいな日が続いた。

ふたりとも他の話をしながらちゃんと指揮者の言葉を聞いている。だから喋っていても言われたことはできる。特に故朝比奈隆先生には大変失礼なことをしていたらしい。朝比奈先生は目の前でおしゃべりをして自分の言葉を全く聞いていないらしい二人が、注意されたことをすぐに楽譜に書き込んだり言われたとおりに弾くのに驚かれたらしい。練習後「あの二人が怖くて怖くて」とおっしゃたそうだ。いつも先生はセカンドの二人をチラチラと見ても注意をなさることはなかった。ご遠慮なく怒っていただけば良かったのに。今思えばなんて失礼なことだったかと冷や汗が出る。先生ごめんなさい。

やめるはずの私が面白くてやめられなくなってその後しばらくいたけれど、またファーストヴァイオリンに引き戻されてしまい私はその後オーケストラをやめた。ファーストヴァイオリンはいわばオーケストラの花形だけれど、アンサンブルの好きな私にとってはセカンドやヴィオラのほうがずっと魅力があった。内側から音楽を作る面白さはたまらない魅力だった。Hさんとはやたら馬があったし。

その生意気な二人が何十年ぶりでデュオをしたのは5年ほど前だったか。Hさんのヴィオラと私のヴァイオリンでヘンデルの「パッサカリア」本番ではなく楽しみだけの合わせ。それで次回は1年後などと言っていたのにあっという間に月日が経って、今回は・・・あら、作曲家の名前が出ない。数日後に合わせることになっているのに。

そうそう(この間10分ほど)やっと思い出した。シュポアのデュオ、これはヴァイオリン2本の短い曲だけれど、今の私にはちと荷が重い。それでも新しい曲を初めて弾くのは面白い。ところが今回は他のグループの演奏会の練習と重なって2日続きの新曲弾きとなってしまった。それで頭がクラクラしてクイズがさっぱり分からなかったと、ここに持っていきたかったのはほんの言い訳。若い日々にはこんなことはなかった。結構難しい曲の初見が続いてもなんなく乗り越えられた。今は脳が疲れているらしい。それとも・・・いよいよ

私の7歳上の姉が初めてスマホを持ったので色々やってくれる。他の人に電話したはずがどうしても私にかかってしまうというから点検したら電話帳に他の人と並べて二重に登録されていた。器械音痴の私が他人の面倒見るなんて!

明日は我が身。二人で嘆きあった。ちゃんと生きていなければ長寿はめでたくないわよね。

点滴の管や機械で生かされているならそれは生きていると言えない。それでも生きていてほしいというのは周りの人のエゴだと。私は無駄な延命は望まないからちゃんと保険証の裏に意思表示してある。それでも、もしそんな状態でも自分の意識があって口がきけないから表明できないときはどうするのかと考えると恐ろしい。痴呆はそういうときのために神様がくれたプレゼントかもしれない。






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