同級生たちとの「鱒」はとても楽しかった。老後にこんな良い時間が持てるとは夢にも思わなかった。少し時代が前ならもう楽器は弾けないで 施設に入るという年回り。健康年齢が伸びたのか、もの好きが増えたからなのか、私の仲良したちは一向に演奏をやめない。昔むかし、私がオーケストラに入団したときには40歳以上の人は引退寸前だった。大抵の人は50代にも届かずやめていった。それで私はヴァイオリンはそれ以上の年齢を待たないでやめるものだと思っていた。
それが今やほとんどの友人たちも未だに現役!大したものだ。
数日前の「鱒」の次は我が家のホームコンサートでの演奏。メンバーはガラッと変わっていつも明るいおばんグループ。平均年齢は数日前とほとんど変わらず。大きなコントラバスがのっしのっしと家の階段を登ってくる気配がすると、これが登れるのはあと何年かと数えてしまう。コンバス用にエレベーターをつけたいのだが設置場所が2メートル四方必要というので、しかも値段が少々お高いからウーン、考えてしまう。
今回の集まりに私の兄に声をかけたら「僕は今ぎっくり腰で動けないんだよ」歩くだけならいいけど階段が登れないというのでいよいよ早急に考えないといけなくなった。階段につけるリフトがあるとか。調べてみようかと思うけれど、すぐには行動せずこの先数年はかかると思うので殆ど諦めの境地。早く調べれば?と思うでしょうが、私がそういう性格ならもう20年も前に設置しているさ。
開演前に怖いもの見たさの人たちが続々と集まってきた。お化け屋敷に来た心境では?今回はほとんど声をかけなかったのに、なんだかあっという間に我が家の狭いスタジオは満杯になってしまった。集まってくださったのはありがたいけれど、まだ予断を許さないコロナ、インフルエンザ、肺炎などなどが恐ろしい。
前日まですったもんだした練習、さて無事に最後までいけるかどうかお慰み。可哀想なのはこの人たちでござい!にならなければいいけれど。一曲めのボーン・ウイリアムスの5重奏曲は一応うまく行ったということにしておきましょう。だれもほとんど聴いたことのない曲だから。
昔当時の東響のコンサートマスターの鳩山寛さんがコンサートのメンバー紹介で私のことをこうおっしゃった。「この人はステージで何が起きても大丈夫な人です」と。火事場の馬鹿力がすごいと言いたいらしい。演奏に混乱が生じたとき慌てる人が多いけれど、私は逆に冷静になる。なんとか活路を見出そうと面白がってゲーム感覚になって出口を見つける。ひょいと元の位置に収まって何食わぬ態度で終わる。図々しいのもあるけれど、その混乱を楽しむ性格でもある。たいてい聞いている人には分からないで終わる。
今回も初めて弾く曲でまだ練習途上、混乱が数回あったけれど何もなく終われた。とまあ、こんな裏話をしてしまうと信用なくすけれど、これもテクニックのうち。どこで行き違いを修正できるかというので目まぐるしく脳みそが動く。律儀な人だとそうはいかない。自分の持ち場をしっかりと貫いてしまうので、なかなか修正できず破綻することも。
昔ドボルザークの弦楽四重奏曲「アメリカ」のセカンドヴァイオリンを弾いていたらファーストヴァイオリンが1小節早く出てしまったことがあった。気がついたチェロと私はすぐにファーストヴァイオリンに合わせて1小節飛ばして先へ、ヴィオラ奏者だけ何も気がつかずゆうゆうと元の譜面にかじりついて弾いていた。音が濁っているにもかかわらず。さあどうするかなと思っていたらおしまいの方でやっと気がついて慌てていた。こういうところがヴィオラ弾きの面白いところ。私にヴィオラ弾きの友人が多いのも私がヴィオラを弾くのが好きなのもおわかりでしょう?なに、わからない?あなた人生の面白みを知らず損していますよ。
というわけで第一回ホームコンサートは盛況のうちに和気あいあいと終わった。私達はなんとか練習の成果を聴いてもらえたし、聞いてくださった方の中には「かつてのサロンで聞くようでしあわせ、シューベルトの時代でも同じだったのでは」うれしいコメントがあったとか。演奏の良し悪しはともかくとしてと後書きはなかったのかな?