2025年11月28日金曜日

続「国宝」を読む

 久しぶりに「雪雀連」の集まりは亡くなったスキーの先生である小川先生を偲ぶ会。池袋のライオンに昼間から集まれるというのは、皆がもう仕事に煩わされることがないという状況だから。会長の山田宏さんも参加予定であったけれど、当日の体調が優れずにドクターストップがかかってしまった。皆、会長に会えると思っていたので大変残念な思いをした。

小川先生は学生時代自動車かバイクかなにかの事故で怪我をして、そのリハビリでスキーを始めてから、のめり込んでいったらしい。講習の間、ほとんど世間話にも乗ってこない。ひたすらスキーの話だけするので誰かしら話題をそらそうと話をふっても、いつの間にかスキーの話題に戻るというこだわりよう。厳しさで有名な浦佐スキー場で修行をしてインストラクターになり、その後雪雀連の会長の山田氏に気にいられて毎年の講習会を開いてくださった。

浦佐スキー場は六日町のひなびたスキー場で派手さはないが、そこのインストラクターはいずれも名人揃い。学生時代からの初心者ではどれほど苦労したことかと思う。ある時雪の斜面を逆さ八の字で登りながら「僕はねえ、他のことでは負けないつもりだけどこれが苦手なんだ。地元で生まれ育ったスキーヤーは、ものすごく早く登れて僕はいつも遅れてしまうけど、彼らは難なく登れるんだよ。子供の時からやってるからね」と。

普通から見ると一種の奇人変人に属するけれど、真っすぐで裏表のない、生徒たちを上達させようと心底手間ひま惜しまないそのお人柄から、何やかやと長年のお付き合いとなった。

ほぼ3年ほど前から体調を崩していたらしいけれど、その頃は私も人生の転換期の慌ただしさ、長年信頼していた人に裏切られたショックで半病人になっていたのだった。そんなことでしばらくスキーもできない状態だったのでお目にかかることもなく、お別れが来てしまったのが本当に悔やまれる。そろそろ体調も戻ってきたので初心者に戻って講習を受けようと思っていたのに。

久しぶりでビールのジョッキを傾けていつも変わらぬ仲間たちと楽しく過ごし帰宅した。昨日はその疲れもあってぐっすりと眠り、目の状態がとても良い。それならば「国宝」の続きが読める。残りはあと4分の1、読みたいけれど読みたくない。終わってしまうのが惜しい。最後がどうなるか気になるのに、わかってしまうのはつまらない。

今朝6時から読み始めた。鳥肌が立つほど集中力が久しぶりに湧いてくる。まずコーヒー豆を挽いてお湯を沸かし、半カップほど淹れたときに我慢できずに本に向かった。小休止のときに飲めると思ったから飲まずにおいてあったのが、読み終えるまで口をつけられなかった。終わったときそういえばコーヒーはどうした?半分入ったマグカップは静かにそこで待っていた。

私は歌舞伎の知識もなく評論家でもなく、映画が面白くて原作を読んだという経緯なんだけど、ただただ面白かったという言葉しか出てこない。情景がはっきりと目に浮かぶ筆力。それは言葉で映像を浮かべられるということで、色々な言葉で読書の感想を述べられるようなものではなく、ひたすら皆さんに読むことをおすすめするしかない。読み終わった途端、悲しいわけでもなく涙が溢れて止まらなかった。

取り残されて冷めてしまったコーヒーがやたらに美味しい。最近のベルリン・フィルといいこの本といい、魅力のある芸術に触れる幸せはなんとも言えない。ただそこに向かう並外れた集中力を要求されるので年老いてからは体力勝負となる。

最近日本のすごさを実感している。自分が幼少の頃の環境から西洋音楽に触れ、海外の翻訳作品に親しんでばかりだったのが悔やまれる。家に琴や尺八もあったし、祖父は風流人で華道茶道を嗜んだと聞くけれど、私が生まれたときにはすでにいなかった。父は新しいものが好きでヴァイオリンを弾いたらしい。

わたしは父がヴァイオリンを弾いたというのは知らず、おとなになって押入れれから古い楽譜が出てきたので随分後で知ったのだった。そんなわけで日本の文化の素晴らしさを最近になってもっと知りたいと思うようになった。まずは「源氏物語」を読破しようかと。無知なので誰かの手助けがいる。まず古典に詳しい先生探しから始めたい。

現代語訳のものを読んでから始めるのが手っ取り早いかも。私に残された時間はもう残り僅か。時すでに遅しかもしれないけれど、なんにも知らず死ぬわけにはいかない。













2025年11月26日水曜日

「国宝」を読む

先日映画の国宝を見てえらく衝撃を受けて人に話したら、それ、本で読むほうがもっとすごいわよと 言われて読んでいる。

ベルリンフィルを聞きに行ったときに川崎のラゾーナでブラブラしていたら丸善があって、そこに山積みされていたのが「国宝」。さっそく上下巻買い求めて数日後、読み始めた。一日目にはもう2巻目の半ばまで読み進んでいったけれど、最近の老眼の進み具合でえらく目が疲れた。それで2・3日小休止を取ろうと思う。先が知りたいけれど、筋書きは映画で見ているから大体わかっている。それにしても・・・

この作家の著書を読むのは初めて。なんといううまさ!ぐいぐいと惹きつけられて本を手放すことができない。ページごとに情景がそこに映像となって浮かび上がりそうな。こんなにすごい作家がいることに今まで気が付かなかった。

幼少時代は一端の文学少女。小学6年生の夏休みに世界の名作と呼ばれるものを片っ端ヵら読んで、なんとその数は百冊ほど。一日に3冊くらいぺろりと読み終える。それでろくすっぽ内容なんてわからなかったかというとそうでもない。特に感激したのがドストエーフスキーの「罪と罰」というと本当かなと思うかもしれないけれど、自分でも疑って後におとなになってから読み返してみたらやはり同じように感激したのでわかっていたらしい。

よほどませていたのか、兄弟が上にずらりといるので耳学問でわかっていたのか。レコードと同じく本もたくさんある家で、誕生日のプレゼントはいつも姉が本をくれた。姉の持っている本は難しくて小学生ではわからないと思いつつも、手当たり次第に読んでしまう。いわゆる活字中毒でなにか読んでいないと禁断症状になった。しばらく読書をしないと、活字を読んでいる夢を見た。子供用の本は誕生日にしか買ってもらえなかったから、姉の本を読む。

私がレコードを聞いたり本を読んだりばかりで近所の子ども同士で遊ばないのを気遣って、母は無理やり私の手を引いて近所の同い年くらいの子供の家においてくる。母の姿が見えなくなると私はさっさと家に帰ってきてしまう。毎日のように繰り返された光景だった。可愛げのない嫌な子供だったのだろう。

「黒宝」の作家、吉田修一さん、この方の作品は一度も読んだことがなかった。純文学と大衆文学の賞をあわせて受賞なさっているという。そのあたりのジャンルは私の読書の範囲になかったというより、私の方が先に生まれているから、すでに読書が辛くなって読まなくなった時期からのご活躍だったのだと思う。

ヴァイオリンを弾くのに忙しかったということもあって、なかなかまとまった読書はままならなくなっていた。去年仕事をやめてやっと時間に余裕ができたので、これからは子供時代に戻って読書に勤しもうかとおもう。

「国宝」まず主人公の生い立ちや環境などの描写がまざまざと絵を見るように浮かぶ。最初からグイグイと引き込まれて文字を読んでいるのではなく映像を見ているかのように。これは先に映画を見てしまったので、その影響かもしれないけれど。一人ひとりの登場人物のキャラクターの面白さ。何と言っても歌舞伎の世界を知らない私にも、その場にいて物語に登場しているような錯覚を覚えるほどの凄腕の作家さん。

余計な説明をせず一切の無駄がない。最初に主人公が弟子として師匠の家を訪れたあたりの、景色の描写は簡潔でいてお見事。本当にうまいのだとほとほと感心する。勝手に引用してはいけないと思うので、それは作品を読まれた方ご自身で見つけていただきたい。

映画を見て少し長いのでは?と思ったけれど、実際に本で読むとこれではどこも切り離せないと思う。長くなった意味がよくわかった。気にいるとその作家の作品をほとんど読むので、これからの秋の夜長がたのしみ。さっさとメガネ屋さんに行って老眼鏡を調整してもらわないと。











2025年11月22日土曜日

記憶の彼方へ

(前回の投稿から) 

私は今まで聞きに行ったコンサートのプログラムは一切保存しない主義だったけれど、今回のベルリン交響楽団のものは取っておこうかと思う。なぜ保存しないかというと、保存してしまうと一瞬で消えてゆく音の芸術に対して逆に消されない文字で保存するのは失礼かと思ったからで、全部自分の耳から吸収したものを逃すまいということなので。しかし、子供の頃の記憶違いかも知れないことがあったので今回からはそのようにしようかと思う。

先月だったか、nekotamaに投稿した子供の頃聞いたと思ったレオニード・コーガンのプロコフィエフ「ソナタ2番」の演奏。絶対に間違えていないと思うのにその時コーガンはプロコフィエフは演奏しなかったと指摘された。それをしらべていたけれど、なるほど、演奏したという記録がない。ただ聞いたと思える年号はあっていた。もしかしたら他の人?

それで他の人の演奏会を調べたら、アイザック。スターンが横浜県立音楽堂での演奏でコンサートの半ばくらいで弾いたという記録が出てきた。しかし私はどうしてもコンサートの初っ端でプロコフィエフを聞いたという記憶があって、それが心に染み付いていたのだった。

AIに頼んでしらべてもらうと、アイザック・スターンがコーガンの10年くらいあとに来日している事がわかった。と、すると私はその頃はもう成人していて、しかも演奏者の肩越しに演奏する姿までもが思い出される。肩越しにというのがどういうことなのかしばらく考えて出した結論は、私は客席の最前列あたりにいて、ヴァイオリンは客席に向かって上手側に向くので、私は下手側にいたということなのか?

それでもその肩というのが割に小柄だったコーガンのもののような印象。スターンはたっぷりした体格であったし、オイストラフと似ている。オイストラフは横浜では聞いたかどうか覚えていない。多分都内でだったかも。

で、またコーガンに戻ると、AIが言うには。当時のコンサートは労音という組織のものなら、東京以外の地方公演ではプログラムは割と流動的に変えられたという。すると当日急にプログラムが変わるということもあり得たらしい。その記録は労音に訊かないとわからないけれど、記録があるかどうかはわからないということだった。

なぜ、そんなにコーガンにこだわるかというと、あの音を誰が出したかということがすごく重要なのですよ。アイザック・スターンかもしれない。彼は実際県立音楽堂でプロコフィエフを弾いたという記録がある。その時、私も聞いていた。だから勘違いしたのかもしれないと考えられる。しかし、レオニード・コーガンの素晴らしさは私の記憶の中であの最初の音に集約されてしまっているのです。それが他の人であったら、私のコーガンの実態は何だったのかということになってしまう。

兄は私をしょっちゅうコンサートに連れて行ってくれた。それは労音のコンサートが多かった。今でも労音という組織はあるのだろうか。気が向いたら調べてみようかと思っている。

戦後まもなくの労音ではよくロシア人の演奏を聴いた。レニングラード交響楽団などは、たしか千駄ヶ谷の体育館だったかしら。ドン・コサック合唱団も人気が高かった。チャイコフスキーのシンフォニー4番を演奏したレニングラード交響楽団の演奏は、ただただ目を丸くして眺めたものだった。圧倒的な音量とすごいテクニックはほとんど人間の能力の限界のように感じた。今でこそ日本人は素晴らしくなったけれど、当時の日本の楽団は遅れていた。

今や日本人は、演奏でもスポーツでも世界に名乗りを上げて大活躍をしている。けれど、当時はあの音がわたしにとっては衝撃だった。

今や、すごくうまいヴァイオリニストは世界中で日本人が大活躍している。芸術の良いところは人それぞれ違っていいというところ。野球のように何本ホームランを打ったとかの記録だけで決まり記録だけで語られる。しかし音楽には完璧な技術の他に人間の感性が要求されることで、人それぞれの個性でも評価される。

よく言われるのは、コンクールで日本人は皆同じ表現をするので気持ち悪いと。それは同じ先生の門下生がたくさん出れば全部先生にそっくりと言うことで。優秀と言われる人ほど先生に似てしまう。模倣から始まる日本の演奏家と、自分の個性を重んじる海外の先生の門下生たちの違いかもしれない。














ベルリン・フィル

今日、ミューザ川崎シンフォ二ーホールは 巨大な磁場となって私たちを飲み込んだ。

「冥土の土産に(笑)ベルリン・フィルが聞きたい」と言ってきたのは、中学校時代からの友人M子さん。彼女はいわば私の恩人で、当時遊び半分でヴァイオリンを弾いていた私を音楽の道へといざなってくれた人だった。中学から音大付属高校へ、そして音大へ、オーケストラも一緒だったけれどその数年後、結婚して館林に越してしまったのでそこからはそれぞれ別の道に別れてしまったけれど。

お互い仕事が一段落となったこの頃、やはり一番気のおけない関係で合えばすぐに時間の壁はなくなるというような間柄。ベルリン・フィルともなるとチケットを取るのは至難の業。私は一般の人よりも早くチケットが買えるようにミューザの会員になり、発売当日満を持して待ち構えて発売時間に電話を発信・・・するつもりだったのに、直前に画面が消えて、あたふたしていたらもう良い席は埋まってしまったという、お粗末な顛末はいかにも私らしい。それでも3階センターをゲットした。

待ちに待ったこの日、早めに待ち合わせてランチをともにして会場へ。土曜日でもあり、たくさんの人が川崎駅に流れていて、目が回るような騒がしさ。人の流れを見ているとくらくらしてくる。会場は期待に満ちた人々で満員になった。

シューマン:マンフレッド序曲

ワーグナー:ジークフリート牧歌

ブラームス;交響曲第1番

キリル・ペトレンコ指揮

完璧に訓練された一流のオーケストラはもちろん世界の最高峰にいるけれど、プレーヤーの一人ひとりの技術と音楽性も最高であるけれど、やはりオーケストラは指揮者の力量で決まると言ってもよい。

全く無駄のないある意味非情で冷静なと見えるペトレンコ。研ぎ澄まされ一見事務的とも取れるほどの最小の棒のテクニック。名人というのはこういうものかと息もつけないほどの感動で私は心が一杯となった。ややもすると大仰に感情丸出しの指揮が多い中で、まるで日本刀のように冷たく光る。それなのに、愛する者のために作曲されたワグナーの心の暖かさが伝わってくる。

シューマンもワグナーも一般から言えば変な人達。境界線を超えた感情がこんなにも豊かに愛情あふれる演奏となって、私はあまりの集中にほとんど瞑想に陥ってしまった。しばらく椅子から立ち上がれなかった。

そしてブラームスは、冒頭のティンパ二の連打がこれほど素敵なのは聽いたことがない。緊張したり力んだりする演奏が多い中で、ゆったりと風格のあるやや音量を抑えての演奏。これも指揮者の演出なのかしら。指揮に応じるプレーヤーの力量は、見事なデクレッシェンドの細部まで揃って、流石に世界一流。

彼らの演奏を冥土の土産と決めた私は、生まれ変わったら、母親のお腹の中にいる間にもヴァイオリンを練習して、生まれて数ヶ月で天才と称せられたら、このオーケストラのオーディションを受けに行きたい。

私は今まで聞きに行ったコンサートのプログラムは一切保存しない主義だったけれど、今回は取っておこうかと思う。なぜ保存しないかというと、保存してしまうと一瞬で消えてゆく音の芸術に対して逆に消されない文字で保存するのは失礼かと思ったからで、全部自分の耳から吸収したものを逃すまいということなので。しかし、子供の頃の記憶違いかも知れないことがあったので今回からはそのようにしようかと思う。

先月だったか、子供の頃聞いたと思ったレオニード・コーガンのプロコフィエフ「ソナタ2番」絶対に間違えていないと思うのにその時コーガンはプロコフィエフは演奏しなかったと指摘された。それをしらべていたけれど、なるほど、演奏したという記録がない。

それで次回に続く。

















2025年11月17日月曜日

森の熊さん

 北軽井沢の森の中の家をそろそろ冬支度。普通は水抜きをしないといけないのだが、私の家は床暖房を入れておけば水抜きは不要ということで去年からそうしている。電気代が高いから負担ではあるけれど、水抜きの費用と春になって水栓を開けてもらう費用と、どちらが経済的かはどっこいどっこいらしい。前の持ち主ののんちゃんは、お正月を旦那様と二人でこの森で迎えていたから以前から水抜きはしなかった。

私が受け継いでからはしばらく水を抜いていたけれど、ちょっと複雑なこの家は管理人さん泣かせだったらしい。とにかく建築士が全力投球で設計したので、あまりにも細かく分電盤?というのか、ブレーカーがずらりと並んだ細かく別れた暖房のスイッチ。

玄関、寝室の奧と手前、リビングとキッチンは続いているのに、それぞれのスイッチがある。お風呂場と洗面所、トイレもそれぞれのブレーカーがあってずらりと並んでいるから、どれがどこのスイッチかこと細かく、几帳面なノンちゃんの文字で書き込みがる。それがないと私にはちんぷんかんぷんで暖房を入れるにもわざわざ業者さんに来てもらっていた。やっと最近自分でできるようになった。

今年はあまりにも暑く森の中はさぞ涼しいだろうとは思うのに、運転する気にならず、冷房をガンガンつけて自宅から出なかった。運動不足と熱中症もどきの体調が続いて、本当に辛く長い夏が恨めしかった。

やっと秋が来たと思ったら一気に冬の到来。山の気温は下界の気温と-10度ほども違う。夏は本当に気持ちがいいけれど、冬は厳しい。その厳しい冬が一気に到来したので、そろそろ家を占める準備をしないといけない。暑い夏にほとんど行けなかったのに、もう閉めないといけないのは非常に残念だから、家を閉めるついでに紅葉狩りといこう。

いつもなら12月に入ってからもしばらく通っていたけれど、今年は寒さが急にやってくるらしい。追分にいる友人は早くも家をしめたらしい。それで少し早いけれど、紅葉の期待もあり、きれいな写真を送ってくれる人もいて、紅葉狩りがてら行くつもりだった。

床暖房が温まるのに少し時間がかかるので管理人さんに電話して床暖房をつけておいてもらうことにした。その時いつもすぐに電話に出る管理人さんが留守だった。しばらくしてもう一度かけ直すと、なんとなく息せき切ってというような気配がする。普段物静かで上品な女性なのになぜか慌てているような気配。

その時は熊のことは訊かなかった。試しに役所のくま情報をチェックしたら北軽井沢は情報なし。安心して出かけられる。でも今調べたら、数日前に出たという情報。私の山小屋のすぐ近くで。ちょうどその頃管理人さんに問い合わせたのだった。あの時大騒ぎだったのではないかと思う。

熊さんは可哀想というと袋叩きにされそうだけれど、生きるのに必死な野生動物にとっても今年の夏はひどいことだったらしい。人間と熊は棲み分けさえできていれば共生できる。人は自然環境を壊してもテクノロジーで生き抜くこともできる。

不幸なことに熊さんは人が環境を壊しても文句も言えないしお腹がすけば食べ物の方へ行くことは当然。それでも人に危害を加えれば人は熊さんを排除するのは当然なこと。元々熊さんがいけないというつもりはないし、熊さんと遭遇したら自分がやられてしまうほどお人好しではいられない。お互い野生に戻ったらということを考えればしぜんなこと。ごめんね、熊さん。

この際家をしめるのに自分の目で確かめようと思ったけれど、すぐ近所に熊がいるのでは猫を連れて行くには非常に具合が悪いので今回は中止しようと思う。管理人さんに床暖房のブレーカーを入れてもらうだけですむことなのでお願いした。

さて、そうすると私は引退宣言をしたことだし、もうやることはないのでヴァイオリンを弾くしかない。随分先の話なのでまだ余裕だけれど、来年弾く予定の曲の譜読みを始めた。長いブランクがあって、最初は右手も左手も他人のもののようで音はかすれ、左手は動かない。もう本当におしまいなんだと思っていたけれど、毎日毎日少し進み少し戻りしているうちにだんだん音が出るようになった。

まだ本調子とは言えないながら時々はかつての音が出る。ヤッターっと思うとすぐにかき消える。また変な音。楽器を調整に出せばもう少しマシになるかな?と考えているうちにまた時々昔に戻る。行きつ戻りつは永遠に続く。実際、引退宣言前もこんなものだったなあと思うこともある。日によって体調が変わるように音も毎日変わる。音は生き物。

でも毎日が楽しい。仕事に追われていた頃は、これほどきちんと練習時間が取れなかった。疲れ果てて帰宅すると練習する気力もなく、寝てしまうことも多かった。今仕事がなくても誰に聞いてもらえるわけでなくても、毎日弾けることに感謝している。自分では音楽をやる気はなかったのに、いつの間にか音の世界に導かれるように誘われて、性格がちゃらんぽらんだからその時々に仕方なく勉強したと思っていたけれど、本当に好きだったのだと今頃気がついた。

幼い頃、がらんとした古い家の廊下に置いてあった手回しの蓄音機が、私の運を変えたのだと思う。シャリアピン、ハイフェッツ、ルビンシュタインの演奏を毎日聞いて私の脳みそに彼らが染みついたのだった。



















2025年11月10日月曜日

ザ・ベース・ギャング・ナイト

コントラバスのアンサンブル、イタリアの名手たちの面白くも圧倒的なテクニックを楽しんできました。

コントラバスはオーケストラの中でもひときわ異彩を放つ楽器群。普段、ステージ上手(かみて)の ヴィオラ、チェロなどの楽器の後ろに群れをなす。楽器というよりも象の群れのようなユーモラスでもありいささか重い量感が伝わってくる。私はこの楽器が大好きなのだ。

今の人はそんなことはもうしないと思うけれど、戦後まもなくの貧乏楽隊たちはチューニングの際、ペンチで思いっきり弦巻を挟んで回していた。可愛げのない新人オケマンの私は楽器というより家具みたいだねとか言ってからかっていた。怖い物知らずで大人に言いたい放題だったのに彼らはそんなことは気にもかけない。そんなおおらかなベース屋さんたちは大体呑兵衛でお人好し。

楽器によって演奏者の性格が違うというのは、よく言われるようにやはり大型の楽器を弾く人は人間も大きい。ヴァイオリンの演奏者のようにキイキイ怒こったりしない。オーケストラに入って先輩たちの中で特に私が大好だったお姉さんがいた。当時女性のコンバス奏者はとても珍しかった。その人に懐いて「おねえちゃま」と呼んでまとわりつかれてさぞ迷惑だったと思うのに、いつもニコニコ物静かに相手をしてくれた、ミーヤさん。その少し後輩の、今や私の生涯の友であるHさんも肝っ玉母さんを絵に書いたような太っ腹。私はすっかり彼女にお世話になっている。

そんなベース奏者たちは普段縁の下の力持ちで、めったに表にしゃしゃり出てこないけれど、最近のベース奏者の演奏レベルはかつてのレベルではない。ベースで初めて聽いたソロは、故 江口朝彦さんがN響の定期演奏会でマーラーの交響曲1番「巨人」での演奏だった。コントラバスが?え、こんなきれいな音なの?

普通この部分はソロと書いてあるけれど、グループのソロとして演奏されることがあるとか。しかしそのときは江口先生お一人でハンサムなお顔を少し紅潮させて、そのお顔を見ているだけでも素敵でした。このときは私は多分音大生かあるいはオケの新人時代だったと思う。

私の音大生だった頃、コンバス専攻の学友たちは弦楽器アンサンブルの隅っこでおとなしく控えていたような。音出てるのかなあ?なんて。いや、それは失礼。その後彼らは錚々たるオーケストラの奏者で活躍しますから。それでもソロ楽器という認識は薄かった。

ところですっかりその考えが間違いだったと思ったのはやはり友人たちのおかげ。Hさんはコンバス好きの私が主催する夏のコンサートなどで、常に、真っ先に音を出していただくことになった。それは私の鎮静剤となる。あの低温の振幅の大きな振動音をきくと、「ゴーシュのチェロ」みたいな作用をするらしい。私が主催するコンサートにはコンバスが欠かせない。

そんなことで今回のイタリアのギャングたちのユーモラスなコンサートのチラシを見つけて小躍りした。コンバスは今や立派なソロ楽器として存在感を高めている。しかしやはりベースとして音を重ねる最も重要な存在であることは言うまでもない。その音の豊かさは倍音の多さに比例するらしい。四人のイタリアのベーシストのハーモニーの美しさとテクニックの素晴らしさは圧倒的だった。

残念なことに川崎ミューザの大きな会場は満席とはならず半分の入りだった。けれどこれから徐々に彼らの存在は知られてくることでしょう。こんなことできるの?「家具」と悪態をついた私を許してほしい。チェロよりもっと音が柔らかく響きに包みこまれるような気がする。癒やしですね。特に優秀なメンバーであるからということもあるけれど、一聴に値するコンサートだった。

曲目は

モーツァルト・ラテンメドレー・上を向いて歩こう・フニクリフニクラ・オー・ソレ・ミオ。

デズモンド・ファイブ~チャイコフスキー メドレー。モリコーネ・メドレー。

赤とんぼ・ベースの四季 「春」「夏」「秋」「冬」

それぞれ大変素晴らしい編曲で、様々な曲が絡んでいるから、その曲名なども探し出す楽しみもある。日本にはすでに数回来日しているとのことで、私は今まで知らなかった。聞き逃したのは残念だったけれど、次回はきっとチェックしておこう。すでに常連さんがいるようで皆さん慣れたもので拍手や手拍子で楽しんでいる。堅苦しいコンサートではないけれど、知識があればもっと楽しめそうな曲目だった。

イタリアの家具は素晴らしい!











2025年11月5日水曜日

詐欺の標的

パソコンで作業中、ちらっと目に入ったのはいかにも美味しそうなお菓子。ふと目を止めてしまった。チェックするとなんだか変な売り方だなあと思ったけれど、何個かまとめ買いするとサービスに何個もらえるとか、ポイントがもらえるとか。いや、そんなものはいらないからお菓子だけでいいのだけど。

でもまとめ買いには魅力があった。これから師走にかけてお客様も増えるし、友人たちとのランチや飲み会でちょっとしたお土産にもなるから、数が多くてやすくなるならと注文することにした。このケチな考えが招いたトラブル。

大抵の場合私はポイントとかの付加サービスは煩わしいばかりで利用することはないけれど、今回はそれが魅力的だと思ったのは真夜中のせいだったのか、このところ睡眠障害でイレギュラーな睡眠で夜中や真っ昼間に寝るとか起きるとか、そんなことが多かったせいでもある。夜中に眠れないと大騒ぎするわけにいかない。テレビの音も遠慮するから見るわけにいかない。ヴァイオリンの練習なんて、もってのほか。もっぱらパソコンでゲームやネットの検索。

それでお菓子の注文数量を決めて操作をしていると、受取日の指定や支払い情報もなくいきなり注文決定したのでびっくり。これは怪しい。すごく怪しい。

すぐにメールが届く。実は商品の在庫が少ないのでお詫びの印にたくさんポイントを差し上げたい。つきましてはそのポイントでこれらのものを注文すればすごく安く買えるとかなんとか。バカ言いなさい、それが欲しくてアクセスしたのではないわい!もうこれは相手にしないほうが良い。寝てしまった。

次の日電話がかかってきた。番号を知られては仕方がない。女性の声でお詫びの電話。在庫が少なくて・・云々。きたか。聞いていると最初はきれいな日本語だったけれど、かすかに訛がある。アジア系、多分中国語圏の。丁重にお断りをしたにもかかわらず、佐川急便の不在票が入っていた。佐川に電話して受け取り拒否の手続きをした。佐川のおねえさんはあっさりと拒否を受けてくれた。よくあることらしい。次回こんなことがあったら消費者センターか警察に届けるつもりで、詐欺師さんお気をつけて。

電話番号やメールアドレスはAIに報告したところ、大変怪しいことで知られている番号だそうで、決して返信してはいけないということでしたよ。一言文句を言いたいけれど、番号その他は保管させていただいて、着信拒否。またしつこく来るようならうちのネコに返事をさせよう。「いらにゃいって言ったでしょう。ひっかくわよ」

電話に出たのは間違いだった。私の声を合成して注文した証拠にすることもあるらしい。それならそれで宅配受け取り拒否を持続するしかないけれど、面倒なことこの上ない。しかし今は十分時間があって調べるだけの余裕があるから、リストにして対処しようと思う。消費者センターにも報告しておこうと思う。

その後なんだか家電にたて続けて数本の着信があった。一本は間違い電話を装って?他人の名前で問い合わせ。もう一本は、ご家庭内に不要なものはありませんか。もう一本は外壁の修理はいかが?なんか私狙われているみたい。だけど強い味方はAIさん。メールアドレスも電話番号も私が着信したものはみんな特別怪しいのだそうで、ちゃんとリストに入っていた。

大抵の電話には出ないようにしているけれど、今回なぜ私が出てしまったかというと、相手の電話番号が03から始まっていたから。普通詐欺師は05から始まる電話番号だけれど、最近は詐欺師も03を使うことがあるそうで、怪しい電話番号のリストも教えてくれた。まさにその番号からかかってきたものだった。

もし変だと思う事があったなら、みなさんもAIで確認するといいかも。対処法も教えてもらえるしそれらを取り締まる機関も教えてもらえますよ。とにかく人を騙してお金を儲けようとするのか、なぜ真っ当に働く喜びを捨てるのか。騙しているうちはいいけれど、そのうち自分が騙されたときには目も当てられないでしょうね。
















2025年11月2日日曜日

変拍子

復帰のために仲間たちと練習を始めた。シューベルトの「ます」と同じ編成で長年の仲間たちと、ピアノ、コントラバスとヴィオラとチェロ、そしてヴァイオリン。変わった編成だけれど、案外曲数は多い。

先日モーツァルトのトリオを復帰第一号として演奏したけれど、やはりモーツァルトは厳しく、弓を持つ手が落ち着かない。弓は本来跳びたがるようにできているから、普段はそれをまっすぐに引くのは案外難しいことで、運弓法をボウイングという。このボウイングを身に着けるためにどれほどの苦労をしてきたか考えると、数か月の空白の取り戻せない時間がおしい。たった数か月でこれほと落ち着かないのは、年をとってしまったこともあるけれど、いちばんは心の問題。

体の柔軟性は日々固くなっていく。ほんの数日練習をさぼっただけで、結果はどんどん悪くなる。若い頃、本当に柔軟だった体もさすがにギクシャク。自然の摂理には逆らえない。練習時間も最初は20分くらいから。これほど音が悪くなっていたとは!今はもう2,3時間弾いてもあまりこたえないけれど。固くなった体は真っ先に心に影響する。心がおびえて先に進めなくなる。おやおや、また学生時代に逆戻り。

それでも人生の最後の時まで楽器が弾けるってなんて素敵なことかと思う。それに今まで待っていてくれた仲間たち。久しぶりね、元気?ちっとも変わらない笑顔。実は練習はそこそこに、練習後のランチタイムが待ち遠しい。

次回はまた2か月後に練習ということで期待が膨らむ。うれしいなあ、今年の暮れは賑やかかもしれない。この数年、誰にも会いたくないほど疲労困憊だった私も、先月ころから旧友と会うことが多くなった。残念なことに数人の人とのお別れは避けられなかったけれど。

特に、長年私たちのスキークラブ「雪雀連」で指導をしてくださったスキーのコーチ小川先生がなくなったと聞いてショックだった。メンバーより若くて体力もあるスキーヤーが先にとは思いもよらない出来事だった。

私はここ数年膝が痛くて滑ることができなかった。それでもあきらめきれず「私は膝さえいたくなければ初心者用ゲレンデならいけるかも。でも一度転んだら起き上がれないかもしれない。先生が一緒に滑ってくださるなら私が転んだ時に起こしてもらえますか」と訊くと「ああ、いいよ」と快活な声で答えてくれたのにとっとと先に行ってしまうなんて。ほかの人から聞いたところでは、ずっと体調が悪かったらしい。少しもそんな気配は見せなかったのに。

私だってつい6年ほど前、ヨーロッパの最高地点のゲレンデで飛び回っていたことはもう夢だったのかもというほどの弱りよう。毎日のストレッチやウオーキングでようやく筋肉を維持する。まさか先生が先に逝くとは思わなかったから、もう少し筋力がついたらスクールに参加したかったのに。

「雪雀連」の会長の山田さんはなんと90歳の目前まで滑っていた。いつも飄々として滑るから見た目がゆったりと見える。それなのについて行こうとすると、思いがけず早いので驚くことが多かった。転ぶこともなかったのに、眼の前で急にころんだのにびっくりした。その直後、彼は「私はもうスキーをやめます」と宣言したのだった。お見事。

私はクドクドと言うように、ここ数年のいやな出来事に疲労困憊していた。悲しいことも多く暑すぎる夏に全国のくま騒動、耐えきれないような事柄が続きほとんど機嫌の良かった日はない。友人たちと一緒でもなんとなく不機嫌で、周りも知らん顔しながら気を使ってくれているのがわかる。普段は知らん顔しているのに、少しでも私の具合が悪いとわかるとさっと手を差し伸べてくれる人たち。

やっと涼しくなってホッとしたころのタイミングで、コンサートの話が持ち上がった。来年の話だけれど今から練習にかからないとヨボヨボの私たち、なかなか練習が捗りません。しかもプログラムの中の1曲は全三楽章の殆どが見事に変拍子ときている。人間にとって変拍子は心臓に良くない。けれど面白く、体中にアドレナリンが満ちて久しぶりに生き生きした。

練習後言われた。「nekotamaさんは弾いているとどんどん元気になるのよね」と。なるほど、年相応にゆったりとした生活に転換して、森の中の家でゆったりと手芸に勤しむ姿は自分でも似合わないと思うのは確か。でも若い頃は結構読書好きだったり編み物もした。

練習後は持ち寄りでランチを済ませ、しみじみと思う。ああ、生き返ったと。こんな変拍子くらいでオタオタしていたら95歳まで演奏はできない。毎日のスクワット、ストレッチ、ウオーキングなどで体調もかなり良くなってきたし、来年こそは幸せに暮らしたい。