昨日に引き続き、弥生にお住まいの弥生人の美智子さんと、四谷周辺を徘徊してきた。
その前は上野池之端の寿司や「英多郎」で気炎を上げたばかり。
まだ徘徊○人にはなっていないが、この調子だと2人とも間もなくそうなるに違いない。
ずっと前から今日は四谷のフランス料理のお店「テート・アテート」に行く約束をしていた。
昨日急に紀尾井ホールのチケットが手に入って、それならマチネーが終ってから食事にすれば良いと思ったら、テート・ア・テートは休日はお休み。
それで連日四谷通いとなった。
6時半に予約。
私が思っていたフレンチレストランとは少しイメージが違って、入り口に可愛いブリキ?の置物。気取ったところがない。
ヨーロッパのカフェのもう少しくだけたような。
入り口にずらりとワインが並んでいる。
すでにお客さんは数人入っている。
20人くらいの席数で、わたしたちが行ってから間もなく満席になった。
コースが決まっていて、オードブルはサーモンとアボカドペースト、ホワイトアスパラガスに生ハム、赤カブのピクルスなど。
もっとあったけれど、説明するのが難しい。
お店に行ってお試し下さい。
気取ったお店のように味が薄すぎるなんてことはなく、しっかりとついている。
ワインを注文してゆっくりと食べ始める。
スープは意外にも穴子と鴨の鰹節出汁のスープ。
これが全く違和感なく調和して、鰹だしはやはり日本人の口に良く合う。
フランスパンの皮がカリカリして香ばしく、すごく美味しい。
最近流行の糖質抜きのダイエットではないが、普段から夜は主食を食べないのに、おかわりまで食べてしまった。
メインは鯛など数種類から選べるが、私たちはラムチョップを頼んだ。
ラム肉は私の大好物で、牛や豚よりも好き。
脂の多い肉は苦手なので。
デザートは10種類もあって、その中から3種類選べる。
トマト味のクレームブリュレがあったので、珍しさで選んだが、内心では普通のクレームブリュレの方が美味しいだろうなと思っていたら、当たり!
美智子さんの普通のものをちょっと試食させてもらったら、やはりそちらの方が美味しい。
ま、物は試しで。
これで2時間半のコース。
エスプレッソで締めてすごく良い気分で、膨らんだお腹を抱えて帰宅した。
勢いがついた徘徊美(?)人たちは、この次はフグにしようと目論んでいる。
2014年4月30日水曜日
2014年4月29日火曜日
伊藤恵ピアノリサイタル
紀尾井ホール
ベートーヴェン ピアノソナタop.13「悲愴」
武満徹 フォー・アウェイ
ベートーヴェン ピアノソナタop.31-3
シューベルト ピアノソナタop.78「告別」
伊藤恵さんのピアノを聴くのはこれで3回目。
私はこの方の弾くシューベルトが大好きで、ご本人も本当に楽しそうに演奏する。
なにが良いって、音程が良い。
ピアノの音程は調律だけのことではない。
どの音をどう響かせるかによって、和音がガラッと変わってくる。
まるで弦楽器のハーモニーを聴いているような鳴らし方・・・純正調で調律されているかのような、響きが聞こえる。
私たち弦楽器奏者からすると、重音は一緒に鳴ればいいってものでもない。
ピアノはせっかく音程が決まっているのだから、それをどうハモらせるかというところまで追求したらいいと思うけれど、中々ここまでハモらせることが出来る人は少ない。
殆どピアノを弾かない私ですら、季節毎の調律は欠かさない。
アンサンブルの練習が始まる時には、必ず調律する。
弦楽器奏者は少し神経質だけど、毎日毎日レッスンでも仕事場でも、音程、音程と言われて育ってくるから、しかたがない。
今日一緒に聴いていた美智子さん(弥生人のほう)も帰り道で真っ先にそのことを言い出した。
やはり同じ事を考えていたのだ。
伊藤さんは演奏中の手と体の動きが、見るからに美しい。
ベートーヴェンの時も少し聞こえたけれど、シューベルトは特にピアノの音に混じって、彼女自身が思わず旋律を口ずさんでいる声も聞こえた。
のめり込んで、シューベルトを呼び戻しているかのように。
彼女は演奏が終るといつもステージから、少しお話をする。
今回のプログラムの内、やはりベートーヴェンが相当手強く、彼女にとっては冒険だったこと、ベートーヴェンの合間に武満さんの曲を入れたのは、二つのベートーヴェンを中和する?様な意味だったようで、この曲はガムラン音楽に影響されて作曲されたという。
ながれる雲を眺めているような、無心な気持ちになる。
無心になりすぎて心地よく、眠らせて頂いた。
武満先生、ごめんなさい。
数回お目にかかったことのある、武満さんの思い出もあるけれど、又の機会に。
とにかく素敵なコンサートでした。
ベートーヴェン ピアノソナタop.13「悲愴」
武満徹 フォー・アウェイ
ベートーヴェン ピアノソナタop.31-3
シューベルト ピアノソナタop.78「告別」
伊藤恵さんのピアノを聴くのはこれで3回目。
私はこの方の弾くシューベルトが大好きで、ご本人も本当に楽しそうに演奏する。
なにが良いって、音程が良い。
ピアノの音程は調律だけのことではない。
どの音をどう響かせるかによって、和音がガラッと変わってくる。
まるで弦楽器のハーモニーを聴いているような鳴らし方・・・純正調で調律されているかのような、響きが聞こえる。
私たち弦楽器奏者からすると、重音は一緒に鳴ればいいってものでもない。
ピアノはせっかく音程が決まっているのだから、それをどうハモらせるかというところまで追求したらいいと思うけれど、中々ここまでハモらせることが出来る人は少ない。
殆どピアノを弾かない私ですら、季節毎の調律は欠かさない。
アンサンブルの練習が始まる時には、必ず調律する。
弦楽器奏者は少し神経質だけど、毎日毎日レッスンでも仕事場でも、音程、音程と言われて育ってくるから、しかたがない。
今日一緒に聴いていた美智子さん(弥生人のほう)も帰り道で真っ先にそのことを言い出した。
やはり同じ事を考えていたのだ。
伊藤さんは演奏中の手と体の動きが、見るからに美しい。
ベートーヴェンの時も少し聞こえたけれど、シューベルトは特にピアノの音に混じって、彼女自身が思わず旋律を口ずさんでいる声も聞こえた。
のめり込んで、シューベルトを呼び戻しているかのように。
彼女は演奏が終るといつもステージから、少しお話をする。
今回のプログラムの内、やはりベートーヴェンが相当手強く、彼女にとっては冒険だったこと、ベートーヴェンの合間に武満さんの曲を入れたのは、二つのベートーヴェンを中和する?様な意味だったようで、この曲はガムラン音楽に影響されて作曲されたという。
ながれる雲を眺めているような、無心な気持ちになる。
無心になりすぎて心地よく、眠らせて頂いた。
武満先生、ごめんなさい。
数回お目にかかったことのある、武満さんの思い出もあるけれど、又の機会に。
とにかく素敵なコンサートでした。
2014年4月28日月曜日
狂気の自転車レース
よそのブログから拝借した動画。
すごいバランスとスピード。命知らずにも程がある。
とはいえ、私たちも、もう少し安全なところではあるけれど、山スキーを楽しんでいた。
この動画のように、八幡平の急斜面を連らなって横切る。
下から風が吹き上げて、天気が良ければ遠くの山々も見渡せる。
山開きの直後なので、まだらに雪が残っていたり、土が露出していたり、暖かい年には殆ど雪がなく、板を担いで残雪のところまで歩く。
林の中を、木に結んである赤いリボンを目印に滑る。
そうでないと迷子になってしまう。
一番最後が一番怖い。
自分の背丈より高い雪の壁を、まずスキーを下に放り投げ、背中でおりなければいけない。
下はアスファルトの自動車道。
ゲレンデでは味わえない、すったもんだの世界。
この動画を撮っている人は、危険な箇所で、いきなり前の人を追い越すのに、普通の道路では追い越されているのが可笑しい。
よくあんなにひどい道で突っ込んでいける。
最後まで大きな声で挨拶しながら、走って居る。
自転車大好きな私は、ママチャリでわざと歩道の縁を乗り越えたりしている。
若い頃に、こんなこともやっておけば良かった。
かつてのお転婆娘が本当のお転「婆」になってしまい、手遅れ。
残念無念!
2014年4月27日日曜日
兵士の物語
いつかは弾いてみたいと思っていた曲なのに、アンサンブルが難しかろうと今迄放置していた。
今年の音楽教室の新年会で、隣り合わせになったクラリネットの
U先生と演奏しようと盛り上がって、やっと実現する。
兵士が悪魔に魂を・・・・おや、又どこかで聴いたような。
タルティー二「悪魔のトリル」同様、あちらの方々は悪魔に魂を売る話がお好きなようだ。
悪魔に魂を売ると言うことはどういうことなのか、恐ろしいと同時に恍惚の世界が待っているのではないか。
もとよりクリスチャンでもなく、「宗教の形」を一切受け付けない私であれば、こんな世迷い言と切り捨ててしまう。
宗教家の立場なら、全ての悪事は悪魔のせいにすれば良い訳で、ずいぶん好都合なこと。
神の対岸に悪魔がいて、ただ、光と影は表裏一体だから、同時に存在しなければ意味はない。
影の無い光は薄暗い。
光の無い影はありえない。
一対であれば神も悪魔も必要。
心が光りばかりの人はいないし、影を持ち合わせていなければ、明るさは嘘になる。
神も悪魔もこの世に遍く存在するなら、同時に両方(共通項)を取り去ってもなんの支障もない。
残るのは自然のみ。
という理屈から私は特定の宗教は持たない。
私の神様は音でありモーツァルトであり大自然であり・・・
私の周りの森羅万象。
むしろ宗教の影の部分の恐ろしさは、想像を絶する。
今世界中が容認している宗教だって、その始まりには、いや、たぶん今でも、野蛮きわまる布教活動をやってきたのだから。
魔女狩りやって猫を殺してネズミが増え、ペストが大流行、なんて話を聞くと、ため息が出る。
今でもどこかで、同じような事をやっているかもしれない。
「赤毛のアン」のアンの言葉。うろ覚えだけど。
私は森の中で跪いて神様を感じるだけ。
これが本当じゃないかしら。
さて、音楽の話に戻ると、今回演奏予定のストラビンスキー作曲の「兵士の物語」はピアノ、クラリネット、ヴァイオリンのトリオバージョン。
スネア、ヴァイオリン、トロンボーン、ファゴット、トランペットetc.の7重奏編成もある。
曲が面白いので、作曲者自身がアレンジしたものかどうかは知らないが(たぶんそうでしょう)リズム的に中々手強い。
数小節毎に拍子が変わる。
4分の2拍子の次に4分の3、4分の2、8分の3、4分の2、8分の3、4分の3・・・・とくるくる変わる。
反射神経を試されているようなものだから、今の私は大丈夫かな?
若かりし頃は、どちらかというと変拍子は得意なほうだった。
オーケストラでプロコフィエフだったか、変拍子の多い曲のリハーサルで、殆どの人がわからなくなって落ちたときに、私だけしつこく弾いていたと他人から言われたことがある。
自分ではすっかり忘れてしまったが、そんな事もあったらしいから、変拍子には強い(はず)。
ま、昔の事ですから。
この曲は語りがつく。
悪魔の言葉に
今持っているものに昔持っていたものを足し合わそうとしてはいけない。
今日の自分と昔の自分、両方を持つ権利などない。
と、あるから、私も昔出来たことを今さら言っても仕様がない。
練習あるのみ、ですか。
今年の音楽教室の新年会で、隣り合わせになったクラリネットの
U先生と演奏しようと盛り上がって、やっと実現する。
兵士が悪魔に魂を・・・・おや、又どこかで聴いたような。
タルティー二「悪魔のトリル」同様、あちらの方々は悪魔に魂を売る話がお好きなようだ。
悪魔に魂を売ると言うことはどういうことなのか、恐ろしいと同時に恍惚の世界が待っているのではないか。
もとよりクリスチャンでもなく、「宗教の形」を一切受け付けない私であれば、こんな世迷い言と切り捨ててしまう。
宗教家の立場なら、全ての悪事は悪魔のせいにすれば良い訳で、ずいぶん好都合なこと。
神の対岸に悪魔がいて、ただ、光と影は表裏一体だから、同時に存在しなければ意味はない。
影の無い光は薄暗い。
光の無い影はありえない。
一対であれば神も悪魔も必要。
心が光りばかりの人はいないし、影を持ち合わせていなければ、明るさは嘘になる。
神も悪魔もこの世に遍く存在するなら、同時に両方(共通項)を取り去ってもなんの支障もない。
残るのは自然のみ。
という理屈から私は特定の宗教は持たない。
私の神様は音でありモーツァルトであり大自然であり・・・
私の周りの森羅万象。
むしろ宗教の影の部分の恐ろしさは、想像を絶する。
今世界中が容認している宗教だって、その始まりには、いや、たぶん今でも、野蛮きわまる布教活動をやってきたのだから。
魔女狩りやって猫を殺してネズミが増え、ペストが大流行、なんて話を聞くと、ため息が出る。
今でもどこかで、同じような事をやっているかもしれない。
「赤毛のアン」のアンの言葉。うろ覚えだけど。
私は森の中で跪いて神様を感じるだけ。
これが本当じゃないかしら。
さて、音楽の話に戻ると、今回演奏予定のストラビンスキー作曲の「兵士の物語」はピアノ、クラリネット、ヴァイオリンのトリオバージョン。
スネア、ヴァイオリン、トロンボーン、ファゴット、トランペットetc.の7重奏編成もある。
曲が面白いので、作曲者自身がアレンジしたものかどうかは知らないが(たぶんそうでしょう)リズム的に中々手強い。
数小節毎に拍子が変わる。
4分の2拍子の次に4分の3、4分の2、8分の3、4分の2、8分の3、4分の3・・・・とくるくる変わる。
反射神経を試されているようなものだから、今の私は大丈夫かな?
若かりし頃は、どちらかというと変拍子は得意なほうだった。
オーケストラでプロコフィエフだったか、変拍子の多い曲のリハーサルで、殆どの人がわからなくなって落ちたときに、私だけしつこく弾いていたと他人から言われたことがある。
自分ではすっかり忘れてしまったが、そんな事もあったらしいから、変拍子には強い(はず)。
ま、昔の事ですから。
この曲は語りがつく。
悪魔の言葉に
今持っているものに昔持っていたものを足し合わそうとしてはいけない。
今日の自分と昔の自分、両方を持つ権利などない。
と、あるから、私も昔出来たことを今さら言っても仕様がない。
練習あるのみ、ですか。
2014年4月26日土曜日
dtabで読書
dtabには、ゲームや音楽や、私が沢山楽しめるようにと、色々な物をパソコン名人が入れてくれた。
そこに青空文庫というのがあって、ボランティア活動でできあがったらしい。
私が以前、目が悪くなって読書もままならないと嘆いていたのを覚えていての親切。
さっそく開いて見ると、作品はたぶん著作権の関係だと思うけれど、かなり旧い作品、例えば芥川、漱石などの文豪。
外国のものはカフカなど。
その中に泉鏡花の作品があって、「高野聖」も久しぶりに読み返してみた。
カフカの「変身」
芥川の「羅生門」
夢中で読んで気が付くと深夜になってしまう。
特に泉鏡花は、夢幻と現実の交錯する不思議な鏡花ワールドに、かつて酔いしれたことなど思い出して懐かしく、しかも今読んでも新鮮で、同じように感銘するのが名作たる所以。
明治頃の小説は文章も格調高く、しみじみと日本の文化はいかに優れていたかを思い出させられた。
漱石などは本がすり切れてぼろぼろになるまで、13才年上の姉から私まで読み継がれて、黄ばんだ紙の色が薄茶になるくらいの長い年月、本箱に置かれていた。
兄からは音楽を、姉からは文学の影響を受けた。
姉は毎年、私の誕生日とクリスマスには、必ず本をプレゼントしてくれた。
それが大事な宝物で、寝ても覚めても本を読んでいた幼い頃。
もう目が悪くて本も読めないと思っていたら、又最新の技術が私を読書に誘ってくれる。
こんなに幸運で良いのだろうか。
次々に読み返したい名作の数々が、思い浮かぶ。
この先全く退屈知らず、ばんざーい!
むしろやりたいことが多すぎて、虻蜂取らずにならないと良いけど。
そこに青空文庫というのがあって、ボランティア活動でできあがったらしい。
私が以前、目が悪くなって読書もままならないと嘆いていたのを覚えていての親切。
さっそく開いて見ると、作品はたぶん著作権の関係だと思うけれど、かなり旧い作品、例えば芥川、漱石などの文豪。
外国のものはカフカなど。
その中に泉鏡花の作品があって、「高野聖」も久しぶりに読み返してみた。
カフカの「変身」
芥川の「羅生門」
夢中で読んで気が付くと深夜になってしまう。
特に泉鏡花は、夢幻と現実の交錯する不思議な鏡花ワールドに、かつて酔いしれたことなど思い出して懐かしく、しかも今読んでも新鮮で、同じように感銘するのが名作たる所以。
明治頃の小説は文章も格調高く、しみじみと日本の文化はいかに優れていたかを思い出させられた。
漱石などは本がすり切れてぼろぼろになるまで、13才年上の姉から私まで読み継がれて、黄ばんだ紙の色が薄茶になるくらいの長い年月、本箱に置かれていた。
兄からは音楽を、姉からは文学の影響を受けた。
姉は毎年、私の誕生日とクリスマスには、必ず本をプレゼントしてくれた。
それが大事な宝物で、寝ても覚めても本を読んでいた幼い頃。
もう目が悪くて本も読めないと思っていたら、又最新の技術が私を読書に誘ってくれる。
こんなに幸運で良いのだろうか。
次々に読み返したい名作の数々が、思い浮かぶ。
この先全く退屈知らず、ばんざーい!
むしろやりたいことが多すぎて、虻蜂取らずにならないと良いけど。
2014年4月25日金曜日
恒例(高齢)弾く会
高校時代からの同級生のピアニスト、大学からの同級生、一度来てもらったらそのまま、仲間に引きずり込まれてしまった私より17才も若いFUMIKOさん・・・
からの構成による恒例の月例「弾く会」みなさんは弾き合いと言っているが、今日も又荻窪のとある豪邸で行われた。
ピアニスト達は何れ劣らぬ優等生だったし、お嬢様育ちで趣味も洗練されているのに対し、私は田舎育ち。
弦楽器の連中は色気ないなあ、などと男子たちに中傷をされながらの学校生活。
「住む世界が違うのさ」と思っていたけれど、この歳になると、いつしか同じように苦労して同じように楽しんでと、人生の終盤は殆ど同じラインに立っている。
違うところはピアノ科の人達は未だに大まじめで、弦楽器は冗談が好きだというところ。
昔から相場が決まっていた。
今日もピアノ奏者達はものすごい大曲に挑戦して、さらいこんである事を見せつけられた。
今回私はピアノのSさんから、ブラームスの「ソナタ3番」を弾くから練習しておいてとの指令が飛んだので「イエッサー」といやいや練習を始めたら、Sさんがお休み。
慌てて先日「天使のソナタ」と偽装表示をして、さるお方のお誕生祝いに弾いた「悪魔のソナタ」に急遽変更。
他のピアニストのNさんに手伝ってもらうこととなった。
この曲は私はものすごく好きで、何回弾いても飽きないけれど、Nさんはラヴェルの難曲に挑戦していたところなので、余計な曲が割り込んで、たぶんすごく大変だったと思う。
それでも文句を言いながら、快く?弾いてくれた。
Sさんのお宅は今改装中。
大きなピアノが2台部屋を占領していて、自分の練習には問題がないものの、他の楽器が入ると手狭だった。
彼女は合せ物が好きで、もう少し広ければ室内楽が出来るのにということで、今回の改装に踏み切った。
大工さんがいるから家をあけられないし、ピアノも弾けないそうで、今回は休みになってしまった。
私も広いレッスン室を持ってはいるけれど、クローゼットや水場があってサロンコンサートをするには(出来ないことはないが)狭い。
下に駐車場があって、そこを部屋にして物を置かなければ、優に40人くらいの観客が入れる。
ただいま考慮中。
皆の改築に影響されて、段々その気になってきた。
からの構成による恒例の月例「弾く会」みなさんは弾き合いと言っているが、今日も又荻窪のとある豪邸で行われた。
ピアニスト達は何れ劣らぬ優等生だったし、お嬢様育ちで趣味も洗練されているのに対し、私は田舎育ち。
弦楽器の連中は色気ないなあ、などと男子たちに中傷をされながらの学校生活。
「住む世界が違うのさ」と思っていたけれど、この歳になると、いつしか同じように苦労して同じように楽しんでと、人生の終盤は殆ど同じラインに立っている。
違うところはピアノ科の人達は未だに大まじめで、弦楽器は冗談が好きだというところ。
昔から相場が決まっていた。
今日もピアノ奏者達はものすごい大曲に挑戦して、さらいこんである事を見せつけられた。
今回私はピアノのSさんから、ブラームスの「ソナタ3番」を弾くから練習しておいてとの指令が飛んだので「イエッサー」といやいや練習を始めたら、Sさんがお休み。
慌てて先日「天使のソナタ」と偽装表示をして、さるお方のお誕生祝いに弾いた「悪魔のソナタ」に急遽変更。
他のピアニストのNさんに手伝ってもらうこととなった。
この曲は私はものすごく好きで、何回弾いても飽きないけれど、Nさんはラヴェルの難曲に挑戦していたところなので、余計な曲が割り込んで、たぶんすごく大変だったと思う。
それでも文句を言いながら、快く?弾いてくれた。
Sさんのお宅は今改装中。
大きなピアノが2台部屋を占領していて、自分の練習には問題がないものの、他の楽器が入ると手狭だった。
彼女は合せ物が好きで、もう少し広ければ室内楽が出来るのにということで、今回の改装に踏み切った。
大工さんがいるから家をあけられないし、ピアノも弾けないそうで、今回は休みになってしまった。
私も広いレッスン室を持ってはいるけれど、クローゼットや水場があってサロンコンサートをするには(出来ないことはないが)狭い。
下に駐車場があって、そこを部屋にして物を置かなければ、優に40人くらいの観客が入れる。
ただいま考慮中。
皆の改築に影響されて、段々その気になってきた。
2014年4月24日木曜日
桜子
名前は桜子。
名前の通りのはんなりとした、日本的な美人になりました。
初めからオーケストラプレーヤーを目指すというので、それなりの訓練をすることになった。
まず初めは音楽を好きになるために、あらゆる曲を自由に弾かせ、どんどん合奏に参加させ、初見力のためのトレーニングも沢山した。
それで、初見は自由自在になった。
すっかりヴァイオリンに取り憑かれたところで、最初の難関は音階練習。
初めからカール・フレッシュの音階をガンガン弾かせる。
子供のうちに音階は可哀相だからとやらせない先生もいるが、私はそれには絶対反対。
子供のうちにやらないでどうする。
彼女は相当きつかったらしく、レッスンの帰り道母親に「この世に音階が無ければ良いのに」と言い、母親は「先生、このハ長調の音階、もう1年もやっています。まだ、だめでしょうか」
「まだまだ」私は冷たく突っぱねる。
それでも音階の訓練の結果はめざましく、今では重音の音階も蝶々が飛ぶように楽々弾く。
全ての基礎になるのだから、ないがしろにしてはいけない。
最近ロンドンアンサンブルが来る度にアンドラーシュ・タマーシュに聴いてもらっているが、彼からはテクニックは問題なしとのお墨付きを頂いた。
問題は音楽性。
見かけの通り、たいへん落ち着いた穏やかな性格なので、今音大で師事している先生からは「貴女の音楽は京都よね」と言われるそうだ。
おっとり、礼儀正しい、今時珍しいお嬢様に育っている。
内面のパッションを、どう表面に出していくかが今後の課題。
彼女の校外でのデビューコンサートです。
お近くの方はどうぞ聴いてやってください。
登録:
投稿 (Atom)
.jpg)