2014年5月21日水曜日

ギトリス

先日友人からギトリスの公開レッスンを聴きに行かないかと、お誘いを受けた。
その日は生憎、所用があって行けなかった。
今朝その友人と電話で話していて、そう言えばギトリスのレッスンどうだった?と訊いたら、脱力に終始したというので、さもありなんと思った。
それと使う弓の分量。
早すぎて使いすぎる弓を、一様に指摘されていたそうだ。
ギトリスの演奏を聴くと(私はCDでしか聴いたことが無いけれど)自由自在、羽が生えて空を飛び回っているかのようだ。
軽々と舞い上がり、演奏は遊びの境地。
全く力む事がない。
言い換えれば、こうなるまでの修行がすごかったということが出来る。
人間、脱力が本当に出来る人は数少ない。
今時の若者はもの凄く上手くて、私たちにはもうそんな技術はないけれど、とにかく力みすぎる。
これ見よがしに上手さアピール。
私もかつてはそうだったかも。
ただ、私はあんまり上手くなかったけれど、それでも若い頃の演奏のテープなど聴くと、力が漲っていてそれなりに面白い。
音程もぴしゃりと決まっていた。
最近は指が曲がってきて、音程にも苦労するけれど、音は前よりも出るようになってきた。
私は目標はほんの少しずつ、ゆっくり前に行ければ程度だから、まあそこそこと言ったところ。
以前は首、顎、肩、あらゆるところに力が入っていた。
それが元で偏頭痛を起こしたり。
あるとき大ヴィオリストのプリムローズの本を読んでいたら、理想的な楽器の持ち方は、酒場で弾いているヴァイオリン弾きのように・・・要するに顎でぎゅうぎゅう挾まないで、楽に肩と鎖骨に載せて両手とも力まないで気楽に弾いて居る・・・そんな風なイメージだと思う。
音が出る原動力は重力で、弓の重さと腕の重さが両方かかれば、それだけで十分な音が出る。
腕の重さは肩の力を抜いて、これも重力を味方にすれば充分。
それを更に弦を手で押してしまうと、音は潰れてしまう。
潰れるから更に強くこする・・・の繰り返し。
私がよく小さい生徒に言うのは、例えば、滑らかなピアノなどの表面を拭くとき、手首固めてギュウギュウ拭かないでしょう?
面に沿って同じ力で、スッスっと柔らかく拭くでしょう?
その時肩に力入れてる?入れないでしょう?
お風呂のお湯をかき回すときに、手首は柔らかくしているでしょう?そのままでいいのよ、なんて言っている。
お掃除出来ない私からそう言われても、生徒は納得出来ないに違いないけれど。
でも先生のうちのピアノは汚れているから、もっとぎゅうぎゅう拭いた方がいいよ、と、返されたらどうしよう。
まあ、これは子供に言うことだから。
大抵の人はヴァイオリンを持った途端、親の仇とばかり普段の動きを忘れてしまう。
かつて私たちが受けた教育がそうだった。
曰く、弓は人差し指で弦に押しつけて、大きな音を出しなさい。
これが諸悪の根源。
曰く、左手は指板を叩くようにしっかりと押さえなさい。
これが力む原因。
曰く、首はヴァイオリンが落ちないように、しっかり挟みなさい。
これで見る見る音が悪くなる。
今反省を込めて生徒達に言うことは、最小限の弓使いで、最大の音が出せるように、そのためには脱力がいかに大切かをこんこんと話す。
人間が猫のようにしなやかだったら、もっと名ヴァイオリニストが輩出したでしょうに。
ただし、脱力のためにどれほどの練習が必要かと思うと、気が遠くなるほどとしか言えない。
毎日のことでも、歩くのだって完璧な人は少ない。
ギトリスみたいになるには生涯かかっても無理だから、来世に期待しよう。
来世、馬になっていたら、蹄が邪魔で弾けないなあ。ヒヒーン!
弓の毛の宝庫だけど。




















2 件のコメント:

  1. 音楽のことは門外漢ですが、それでもわかる気がします。 本当にうまい人たちって、うまく力が抜けているんですよね。 昔武道(少林寺拳法)をやっていたときは、武道って重力との戦いだと思いました。
    来世は、ナマケモノがいいかな。

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  2. おや、気が合いますねえ。
    私も理想とするところがナマケモノなんですよ。
    でもnyarcilさんのように美味しい物ばっかり食べていると
    木にぶら下がれなくなりますよ。

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