2017年10月10日火曜日

ナマケモノの赤ちゃん

悶絶するほどの可愛さです。
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昨日はロンドンアンサンブルのピアニスト、松村美智子さんが亡くなってから初めてのお墓参りに行った。
この春、彼女は息を引き取ってしまった。
音楽の才能はもとより、人をひきつけてやまない豊かな感情、繊細でありながら皮肉屋でもあり、その人柄の魅力を一言ではいえないけれど、人生を全力で駆け抜けて行った感がある。
どれほど体が痛くても、コンサートをやめるなどとはつゆ程も思わなかったその忍耐が、体を蝕んでしまった。
一年くらい休んでも誰も忘れはしないのに、それほど責任感が強かったのが仇となった。
休んで直してからでも復帰できるほど、充分若かったのに。
なぜそうしてくれなかったのかと、私たちはくやしい。

わたしが理想とするのはナマケモノ。
美智子さんの夫のリチャードさんはノンビリやさんで、いつも美智子さんに叱られていた。
ある時美智子さんが「あなたとリチャードはいっしょね」と言うから「なぜ?」と訊くと「ふたりとも天然」と言って笑った。
美智子さんが笑うと、赤ちゃんのようなほっぺがぷっくりと可愛らしく膨らんで、とてもチャーミングだった。
私たちは一緒に良く笑った。
本当によく笑った。

昨日美智子さんの同級生だったNさんと、自由が丘駅からお墓まで歩いた。
休日の自由が丘駅前はそこここで野外ステージが組まれていた。
その喧騒を抜けて、10分くらいでお寺に着く。
大木の茂る境内の緑陰にはいると、急にひんやりとして静けさに包まれた。
お墓の掃除をしてお花とお線香をあげると、本当に美智子さんが逝ってしまったのだという実感が湧いてきた。
もう、この下から出てくることはないのだと。
愛情いっぱいに受けて育った彼女を、ご両親が抱きしめているかもしれない。

美智子さんは何事もすべて把握していないと気が済まない性分で、ほんの些細な辻褄の合わなさも許せなかったようだった。
本業のピアノは稀にみる繊細さだった。
一緒に演奏してもらったときには、全身が耳で出来ているのではないかと思うほど、反応が早かった。
人の何倍か生き抜いて、それでもまだまだピアノが弾きたかったと思う。
もう一度一緒に笑って旅行して演奏して、お寿司が食べたかった。
彼女はロンドンでは美味しいお寿司がたべられないと言って、日本に戻るとよくお寿司を食べに行った。
自由が丘のお寿司屋さんがお気に入りで、雪の日に寒さに震えながら食べに行ったこともあった。
手袋をなくして大騒ぎ。
次々に思い出が蘇る。

美智子さんがもう少しナマケモノだったらと、考える。
もう少し長生きしてくれたかもしれない。
それでも私がこの先何十年か生きたとしても、彼女の方が沢山のことを充分やってのけているに違いない。
象は象なりの、ネズミはネズミの人生を全うすると本で読んだことがある。
彼女は疾風のように沢山の出来事を巻き込んで生き、私はしょっちゅう木にぶら下がったまま動かずにぼんやり雲を眺める。
それぞれの時間の密度は、長さとかかわりなく同じなのかなと。













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