2017年10月19日木曜日

会場練習

11月3日のコンサートに向けての練習もいよいよ煮詰まってきた。
緊張が続く。
誰がこんなことしようなんて言い出したの?
弾けば弾くほど問題が出てきて、自信がなくなってくる。
肩はバリバリ、目はショボショボ。

会場の響きに慣れるために、ミューザ川崎の音楽工房でリハーサルをしてみた。
音響はとても良い。
お客さんが入ると残響が少なくなるとは思うけれど、気持ちの良い響き方をする。
何よりもピアノがガンガン鳴りすぎないのが助かる。
会場によっては妙に反響して、まるでお風呂場で弾いているような感じになることもあるから、適度な残響時間で良く出来た会場だと思う。
気持ちよくリハーサルを終えると、間もなく本番がくるという緊張感が高まってくる。
本番前の2週間くらいが1番苦しい時期なのだ。

ほとんど絶望的な気分で、毎回音程が気になる。
弾くたびにわけがわからなくなってくる。
ああ、もう嫌だ。
そう言いながら終わればケロッとして、さあ、次は何を弾こうかなんて考える。

同級生から電話があって、彼女もヴァイオリンだけれど「あなた、良くコンサートできるわね。わたしなんかもう立って弾くのが辛くて」と言われた。
先日ピアノの人から、ヴァイオリンは立って弾くから大変ですねと言われたばかり。
まさか立っているのが辛いなんてと笑っていたけれど、ヴァイオリンの人からもそう言われるとは思わなかった。
そうなのか、私は元気なほうなのかと、変なところで納得した。
家で練習するときにも私は座らない。
立っているのはさほど苦にならない。
ステージでは座って弾くような室内楽のパート練習も、立ったままで。

ヴァイオリンを弾くのは全身運動だから、座ってしまうと動きが制約される。
私が健康でいられるのは、毎日ヴァイオリンを弾いているからだと思っている。
仕事に追われていた頃は、時間的、体力的にも練習時間がとれないことが多かった。
今のようにじっくり練習することも出来ず、本番を重ねることによって練習していたようなものだった。
今のように楽譜を根本から読み直し、考え、練り上げていく作業はとても楽しい。
そのかわり今まで気がつかなかったような弱点も見えてくる。
案外自分は神経質なのが分かって、今まで強気で生きてきた人生を振り返ると冷や汗が出る。

フランクのソナタは転調が多くて、調性感を掴むのが難しい。
ヴァイオリンは自分で音程が作れるから、調性が出せる。
それには自分の中での音感がないといけない。
特に指が曲がってきてからは、その作業は年々難しさを増してきている。
音程は指を立てるか寝かせるかだけでも変わってしまう。
本当に0.数ミリの世界のできごと。
青木十郎さんというチェリストがいた。
先年亡くなられたけれど、90歳でリサイタル、晩年に出したバッハのCDがミラクルであると評判を聞いた。
その音程の良さを、私の周りの人達が絶賛していた。
だから歳のせいには出来ないので、私はなにか他の言い訳を見つけようと日々考えているけれど、そんな時間があるなら練習しなさいと言われそう。

関節が曲がって節くれだった自分の手をじっと見ていると、この手が私の幸せの元だったと気付く。
下手くそだったのがよかったのかもしれない。
なまじ上手くてコンクールに通ったりしたら、世界を股にかけて歩くようになる。
そんな苦労は自分には無理。
すぐに押しつぶされて死んでしまう。
ずっとマイペースでいられたから、今こうしてまだ弾いていられるのだと思う。

私はナマケモノ。
あのナマケモノは木にぶら下がっているうちに体に苔が生えてくるって本当かな。

苔と言えば体に・・・あ、その話は又次回。
なんかテレビの番宣みたいだけれど。


















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