2017年10月8日日曜日

メニューイン

2、3日前の投稿「苦労してます」で絶不調と書いたけれど、主な原因はフランク「ソナタ」で使う楽譜の版をメニューイン版にしたこと。
今までずっと使っていた楽譜がボロボロになり、譜めくりをする時に紙が破れそうになるし、ずっと代わり映えしない弾き方をしていたから、このへんで初心に戻って勉強し直そうと、数種類の楽譜を取り寄せた。
どの楽譜も共通点はあるものの、フィンガリング(左手の指の運び方)、ボウイング(右手の弓の使い方)ともに様々な考え方があって、それぞれの編曲者が自分の個性を打ち出してくる。
学生時代から使っていたのは日本の出版社のもので、それにすっかり慣れてしまっていたから、なんとなく弾ける。
しかし、版が違うとぎょっとするほど弾けなくなる。
もともと知らない曲ならともかく、長い間に自分のやり方で弾いていたので、少しでも変わるとつかえるし、初見で弾くような気がする。

メニューインの版を選んだのは、本当にユニークだったから。
これでなにか掴めて曲想も変わることだろうと思って、練習を始めたのは、もう何ヶ月か前のことだった。
彼の思うことは理解できる。
たしかにこれで弾ければすごく豊かな表情が出るのではないかと、しばらく我慢して練習に励んだ。
けれど、どんどん泥沼にハマっていく。
どんどん音程が不安定になっていく。
しかし、元の自分のやり方で弾くとつまらない。

こういう弾き方で出来れば中々よろしいのではと思う。
しかし敵は天才、私は愚才。
どうやったって敵うわけがない。

自分の音程の悪さに悲鳴を上げるようになった。
先日の練習の時に「あなたねえ、どんどん(両手を視野を遮るように顔の両側に当てて)こういうふうになっていってるわよ」ピアニストに指摘された。
自縄自縛、自分でもそう思う。
中々音程が定まらないので、音を取るのが怖い。
音楽が前に進まない。

それで思い出したのが先日の女子会のときの会話。
「メニューインは音程が良くないのよね」と誰かが言った。
そうか、あのフィンガリングでは彼でも難しいのだろうか。
それとも歳をとってからの話だろうか。
続く「しかも弓がブルブルして大変なのよね」
天才も大変なのだ。
私がこのような状態でも優しい友人たちは「頑張ってね」と言ってくれるけど、メニューインではそうもいかない。
あのハイフェッツが引退したのも、彼のポリシーが「いつでも前回よりも上手く弾かないといけない」ということだったからだと聞いた。
だから引退はかなり早かったようだ。

人間絶好調のときもあれば絶不調のときもある。
それを許さないほどの自己を律する生き方をしないと気が済まない人もいれば、私のようにそのうちなんとかなるだろうと考える輩もいる。
今頃おめおめと、フランクのソナタが難しいなんて言うのは自尊心が許さないほどでなければ、大成しない。

チェコのヴァイオリニストの、スークの引退演奏会を聴いたことがある。
これが日本に来る最後だときいて涙なしには聴けなかったけれど、それだけでは無く本当に演奏が素晴らしくて感動した涙でもあった。
こんなに素晴らしいのになぜ引退してしまうのか、もったいないと思った。
彼らクラスになるとほんのすこしのミスも許されないのだろうというのはわかる。
しかしもったいない!
高みに登ると孤独の罰を受けるとはよく言ったもので、私達の窺い知れないほどの辛さがあるのかなとも思った。

楽譜が変わったから弾けないなんて言ったら、アホかといわれそう。
前回の練習の時に、見るに見かねた相棒がもう一冊の楽譜を見せてくれた。
それは日本でもおなじみのフランスのヴァイオリニスト、プーレさんの編曲。
借りてきて家で弾いてみたら、まあ、なんと明快な洗練された編曲!
泥沼から抜け出したようになって、私は一息ついた。
あと1ヶ月を切ったけれど、今からこちらの楽譜で練習開始。
やれやれ、メニューインのお陰でとんだ道草・・・かと思ったけれど、やはり捨てがたい魅力があるから、次回弾くときにはもっと時間をかけて自分のものにしたい。

ね、長時間立っていることよりも弾くことのほうが大変なことなのよ(笑)
私もしつこい。

























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