2018年2月26日月曜日

獣のような

毎日オリンピック見て涙ぐんだり歓声を上げたり。
私は基本的にはスポーツ観戦があまり好きではない。
大体、他人と0.01秒差がついて金と銀とメダルの色が変わるなんてナンセンス。
見た目同時だから同じ金を上げればいいのにと思う。
私のような人は自分にも他人にも厳しくなれないから、競争はできない。
もし自分に優れた運動神経があったとしても、たぶん競技には出ないと思う。
自分で技を磨くのは好きだけど、人と比べる気は全然起きない。
なんだって人間ひとりひとり、全部違うのだから。
才能がないからこんなものさと、すぐに諦めてしまうから平和に生きてきた。
臆病者の処世術かもしれない。

もし才能があったら、私でも競争するかなあ。
信じられないけれど。
それでも他の人が努力して苦労の末手に入れたメダルは尊いと思う。

スピードスケートの小平選手の実況中継をしていたアナウンサー。
彼女の目を「獣のような」と何回も言っていた。
彼女は滑っていないときには本当に可愛い顔をしている。
スタート間際には必至の形相をするけれど、やはり可愛い。
その目を「獣のような」というのはひどいなと思っていたら、彼女自身が「チータやヒョウになりたい」と言ったことから、そのような表現になったらしい。
うろ覚えでチータとヒョウだったと思うけれど、とにかく走るのが早い動物。

しかし若いお嬢さんを「獣」というのはいかがなものか。
本人は早い動物の例としてチータやヒョウと言ったのであって、彼女と獣はどう想像しても一致しない。
アナウンサーはたぶんなにか良いことを言おうとして、彼女の言葉に飛びついたのだと思うけれど、いささか浅はかでした。
キリッとした美しい目だと思う。

競技者達、特に女性アスリートたちは皆美しい。
高梨沙羅ちゃん、本当にきれいなお嬢さんになった。
カーリングのメンバーは美人揃い。
北海道訛の「そだねー」もよかった。
これが仙台の人だと「うんだっちゃー」となって、いささか間延びしてしまう。
でも待てよ!「ウンダッチャー」はリズム的には「ブンチャッチャー」みたいで、乗れるかもしれない。

たった1度のチャンスを活かせる人は、すごいと思う。
ただそれはほんの一握り。
羽生結弦くんみたいに2回も金メダルを取る人もいれば、かたや、ジャンプの葛西さんのように、多分最後のチャンスに寒さと追い風で失速したのはお気の毒。
しかし考えてみると、莫大なお金とエネルギーの浪費と自然破壊で行われるオリンピックって、どうなの?と考えてしまう。
暖かい部屋でテレビを見ている人が、元気をもらいましたって・・・
アスリートたちが命がけでやっている練習のことを考えたら、見ているだけで元気になるのはいい気なものだと言いたくなる。
元気なら外へ出て自分でやれば?

アスリートたちはたぶんオリンピックのおかげでボロボロ。
勝てばいいけれど、負けたらボロクソに言われて体も心も傷つく。
パシュートの韓国人選手。
同じ組の遅い人を批判したら轟々たる非難を浴びた。
彼女はとても正直だっただけで、こういう組み合わせにした方が悪い。
土下座して謝ったそうだけれど、自分で滑らない連中からとやかく言われる筋はないのでは?
自分が滑ってみて初めて他人のことが言える。
私は自分が選手ではないから、頑張っているどの人も愛おしく思える。

もういい加減オリンピックなどやめればいいのに。
こういう発言は国賊ものですかねえ。

















親切?

来月2日から志賀高原へ、スキーの予定。
なにかと用事が立て込んでいるから、早めにチケットの購入をすることにした。
みどりの窓口で書き入れるのは面倒だから、家から購入するチケットを書いたメモ用紙持参で窓口へ。

3月2日 東京ー長野 *時*分発 かがやき*号
3月4日 長野ー東京 *時*分発 かがやき*号

ちゃんと書いてあるのに「これ出発は3日ですね?」
は?書き間違えたかと思って見ると、ちゃんと2日と書いてある。

私の顔がよほどアホ面だったらしく、この人は1日間違えていると思い込んだ駅員。
なんでスキーに行って1泊で帰らにゃいかんの。
それでもくどくど何回も3日と言う。
2日と書いてあるでしょうと言うと、ニコニコして「この通りでいいんですね?」

勿論良いのよ。
高齢者=アホと思う若者がわんさかいる。
私達機械にゃ弱いけれど最近の流行りにも敏感、漢字だってちゃんと読める。
ヴァイオリンが弾けて楽譜が読める。
仕事柄、年間30回も飛行機乗っていたし、海外の経験も豊富。
一人でどこへでも行ける。
遅刻や間違いもしない、迷子にもならない。
渋谷の迷路のような地下道を飛ぶように歩くことだって出来る。
物覚えが悪くなったと言っても、肝心なところはちゃんとして(と、思い込んで)いる。
一日中鍵探しはまあ許される範囲。
若いものには負けないとか、そんなことは言わない。
負けるに決まっているから。

古着屋さんにあるもののほうがましと思えるようなダウンジャケットに古ぼけた毛糸の帽子を被り、マスクをしてホームレス風。
ホームレスの方がよほど良い格好をしているかも。
この格好が良くなかった?

たぶん親切なんだと思う。
最近やたらと周りの人が親切にしてくれる。
先日もショルダーバッグのストラップが裏返ってメビウスの帯みたいになっていたら、後ろに居た知らない人が一生懸命直してくれた。
私はだらしなくて、こういうことに無頓着。
命に関わることではないし。
先程チケット購入窓口で並んでいたら、女性の駅員が来て購入申込書に書き込んでくれようとした。
家からメモをもってきたからと言って断ったけれど、他の人にもそうするのかと思ったら、他の人にはしない。
チケットなど買ったことのない人と思われたかも。
言うことがアンニャモンニャで、窓口の人が困ると思ったのかな?
認知症の人が大根売り場と間違えて、チケット売り場に迷い込んだとでも思ったのかも。

これは親切というより余計なお世話。
高齢者にやたら親切にしてはいけない。
どうしても手伝いがほしければこちらから言うけれど、そうでなければ出来る限り死ぬまで自力で生きるべきだから。
それにリタイアした人は時間が有り余っているから、余計な時間がかかってもなるべく独り立ちして生きていくのが本当のすがたなのだ。
猫や犬を見てご覧なさい。
死ぬ間際までトイレに這って行く。
食べられなくなっても自力でトイレに行く。
人間もこうでなくては。

親切な方々!私がなんのために長野まで行くか考えつかないでしょう。
志賀高原でスキーですぞ。
寒風吹きすさぶ雪原を颯爽(?)とドタドタ降りてくるのですぞ。
そんなこと聞いたら、びっくりして腰を抜かすかも。
もっと驚くこと教えてあげよう。
同行者の年齡は四捨五入で90才。
その人がひらりひらりと滑る姿を見せてあげたい。
ものすごく記憶力が良くて仕事もまだ現役・・・と言ったらどう思うかな。
だから高齢者に、やたら親切にするのはやめたほうが良い。

でも・・・
以前、外国人が新幹線で立ち往生していた。
入り口で先に進まないと思ったら、目の見えない人で困っている。
誰も彼に声をかけない。
それで私が座席を訊いて案内したけれど、こういう時には誰も動かない。
せめてどうしたのか訊いて上げればいいのに。
英語が出来なくても、チケット見て座席に案内するくらいは出来るでしょうが。
私に親切にしてくれなくても、こういう人に親切にしてあげましょう。
駅の端を歩いていた目の見えない人がホームから転落する事故があった。
なんでそばを歩いていた人が注意をしてあげなかったのかと、不思議に思った。






























2018年2月22日木曜日

築地

築地場外市場へ。
第1目的はお寿司、第2、第3の目的は買い物と甘味のお店。
レールを敷いてくれたのはヴァイオリンのM子さん。
築地場外でお寿司はいかが?
勿論二つ返事。
お寿司?!耳に心地いいなあ。
お連れは南青山のセレブのY子さん。

築地本願寺の正門前で待ち合わせと言うので少し早めに出たら、時間が余ったので外は寒いからお参りをしてきた。
寒いからって、この罰当たりめが。
最初は雨模様だったけれど、待ち合わせの10時少し過ぎた頃にみぞれ混じりとなってきた。
本願寺の境内に衣だけまとったお坊さんが、托鉢をしている。
この寒さの中で薄い衣で微動だにしない。
これも修行のうちなのかしら。
私には到底出来ないことで、こういう人を見るとほとほと感心する。

時間が来たので階段の上から外を見ると、いたいた!ライオンのたてがみのような髪の毛をしたM子さんと少し痩せたらしいY子さんが下から手を振っている。
そこから怒涛のような動きが始まった。
M子さんの案内で場外のお店探索。
朝なのに超絶混雑で、中国語、韓国語が飛び交う。
肩同士が触れてしまう程の人の波。
私達3人は、パシュートの選手達のように縦1列となって、繋がって歩く。
この速さなら金メダルが取れるかもしれない。
足は3人共早い。
私の友人に足の遅い人はいない。
食の細い人もいない。
気の長い人もいない。
人の隙間を縫ってお店を見て、買い物を決めていく。

混雑した道に面してお豆やさん。
ここはM子さんのお友達のお店。
その奥がお寿司屋さん。
M子サンの顔で、私たちは店の向かいにある6人ほど入れる小部屋に通された。
運ばれてきたお寿司を見るとあまりにも美味しそうで、お腹をすかせた猫状態。
ウニャウニャウニャウニャ・・・
他の二人は朝食抜きだそうだけれど、私はうっかり朝ごはんを食べてしまった。
でもお寿司なら入る・・・いくらでも。
本当に美味しかった。
ネタが違う。
コースが済んでもまだいける。
追加を頼んでもまだいけそう。
でも、あまり意地汚いと本願寺さんにお参りしたご利益がなくなる。

その後は買い物計画の続きで、ここはお肉、ここでは西京漬け、ここではお豆など、必要事項を一周しながら教えてもらった。
周りながら目ぼしい物を買った。

わんさか買い物をして、リュックはいっぱい、保冷袋もいっぱいで重い!
そして第3の目的、甘味のお店。
築地駅と新富町の中間くらいにある甘味「天まめ」
6人入るといっぱいになってしまう小さなお店。
お店で作るという生寒天とお豆の品の良い甘さと、ピクルスの丁度いい酢加減がマッチして、お腹がいっぱいでも、これも又いくらでも入りそうで怖い。
路地に入ったところなのに、お客さんが次々に現れるのは、知る人ぞ知るお店であるらしい。

最後に鶏肉のお店でM子さんの飼っているセレブ犬(イタリアの貴婦人犬)のためと、私の食べる分の鶏肉を買って全ての目的終了。
買い込んだ食料はうちの冷蔵庫に入るかしら。
最近買い物をしたばかりなので、うちの冷凍庫は満杯なのだ。
それを言ったら他の二人が冷蔵庫を買えば?などと寝言を言う。
あなた達、担いで行ってくれる?というと誰も返事をしない。
都合が悪くなると耳が聞こえなくなるらしい。




















2018年2月19日月曜日

ホワイトアウト

今年2回めのスキーは志賀高原で。
長年定宿としてきた志賀高原の石の湯ホテルは数年前に廃業の憂き目にあったけれど、山岳ガイドの大雲さん初めスタッフの努力で再開されて、やれうれしやと思ったのもつかの間、再び閉鎖されてしまった。
志賀高原でも石の湯という過疎的なゲレンデのそばで、地の利が悪く建物も老朽化していたので中々新しい客の獲得には繋がらなかったと見える。

以前の経営陣は、理想のホテルを作ろうと団結した数人のスタッフが集まって、家族的な経営をしていた。
常連客が付いていたけれど、スタッフが年を取り経営が難しくなってきた。
私たちはこのホテルに「戻る」と、ただいま!と言いたくなるほど馴染みだった。
暖かい対応で、私達の1番良いようにと、常に気配りしてもらった。
けれど、経営陣が変わると普通のホテルとしての規則に従わないといけないようになり、常連は離れ、新しい客は中々増えなかったらしい。
せっかく彼らとも顔なじみになって、居心地良くすごしていたのに、残念なことに私たちは行き場所がなくなってしまった。

今年は中々ホテルが決まらなかったけれど、一ノ瀬スキー場にやっと宿が取れた。
一の瀬ファミリーゲレンデが目の前のホテルジャパン志賀が今回の宿。
部屋数が多い大きなホテルだった。
石の湯ホテルの売り物はその食事にあった。
佐藤さんという名コックさんがいて、とても美味しい料理に出あえたのに、一の瀬のホテルは朝夕共にバイキング。
ごく普通の味で種類も多く、まあまあと言えるけれど、佐藤さんの味には到底及ばない。
これは本当に残念。

今回は「雪雀連」恒例のスキースクール。
毎回講師はO先生。
若い頃は意固地でスキー以外のことは一切興味のなかった彼も、雪雀連の老練な懐柔作戦にハマって、随分柔らかくなってきた。
今回初日は、なんと3時間半に亘るぶっ続けのレッスンとなった。
体がなれていないのに休憩なしの3時間半はつらい!
雪質は硬めでよく滑る。
人が多くなければ気持ちよく滑ることが出来るが、人が溢れかえっているこのゲレンデは常に速度はコントロールしないと、衝突の危険がある。
コントロールが難しい。

リフトで上がるたびに美しい景色に歓声があがる。
毎回少しずつ暮れてゆく空の色、雲の様子は、ある時は霞がたなびくように、次の瞬間は金色に輝いたり、時の経過で様々に変化する。
最後には青と黒の墨絵の世界となってレッスンが終わった。
日頃のストレスが流れ去る。
疲労困憊してホテルに戻り、お風呂でゆっくりと温まり夕飯。

2日目は朝から雪。
前日の夜の相談では、奥志賀高原まで足を伸ばす予定だったけれど、だんだん雪が激しくなってきたので近場で滑ることになった。
昼前から雪は増々激しくなってきて、リフトの上で震え上がった。
指導員らしい人が電話で連絡をしているのを聞いていたら、大雪警報が出た云々と話をしている。
風は狂ったように吹き荒れて、吹き流しが真横に流れている。
風音もすごい。

だんだん視界が悪くなって、ついには天地左右、白一色。
ゲレンデの状態が見えないので、どの程度の斜面かもわからなくなってしまった。
いわゆるホワイトアウト。
今まで遭遇した最悪のホワイトアウトだけれど、先生がついているから私たちは安心していられる。
彼は浦佐スキー場で鍛えられて、その後は立山を本拠地として、ホテルのスタッフや大きな荷物を運び上げる歩荷(ボッカ)なども体験しているから、とにかく強い。
以前スキーを片方流して立ち往生した私を背負って、鬼首(おにこうべ)のゲレンデを滑り降りた。
鬼首の急斜面のスネークロードを、私のスキーは持ち主を載せず、軽々と一人で降りていってしまった。
他の人が捕獲してくれて、スキーと持ち主はゲレンデの下で再会した。

この雪嵐の中でも先生のお説教は途切れない。
見えていないはずなのでどんな滑りをしているかわからないと思うのに、目で見なくても音でわかるらしい。
真後ろを滑っていると急に注意が飛んでくる。
もう少しきちんとカーブを曲がってからターンをしろとかなんとか。
だって見ていないでしょう、なんで分かるの?と訊いたら音でわかると言われた。

雪が舞って足元は見えないから、初めての斜面で、斜度もコブの状況もわからない。
すると重心のかかっていない方の足で様子を見るようにと・・・
そんなこと言われても一瞬一瞬が早すぎて、転ばないのが精一杯。
やっと下まで降りて「見えないから怖くて泣きそうになったわ」と言ったら「鬼の目にも涙だね」と言った人がいた。
いつの間にかコブ斜面を滑っているのに気付く。
最初からこぶ斜面だと分かっていたら避けたものを、知らないで滑ってしまった。
でも知らないから滑れたようなものかもしれない。
とにかくスキーでは恐怖心がいけない。
怖がらなければ普通に運動していれば良いわけで、それは楽器の演奏にも通じている。
とにかく体を固くしてはいけない。
分かっていますよ。
自分の生徒たちにはいつも言っている。
関節を固くするな。
余計な力を入れるなと。
全く同じことを先生から言われるから、悔しい。

ついに激しい雪と風に追われて、午前中でレッスンは終わりとなった。
道具を片付けてホテルの部屋に戻ると、同室の人が「ほら、羽生くんが始めるわよ」
日本人のフィギュアスケート始まって以来の金銀メダルの同時獲得。
すごいなあ、えらいなあ!
テレビの画面の羽生結弦、宇野昌磨二人の頭をなでた。

3日目、私は次の日にコンサートの練習が入っているので朝の内に帰ることにした。
8時頃、ホテルのすぐ近くのバス停でバスを待つ。
激しい雪は一晩で沢山降り積もり、必死の除雪作業が早くから始まっていたにもかかわらず、遅々として雪だまりは解消されない。
やっと車1台通れる位の道では、1台でも車が立ち往生したら大渋滞になる。
バスは来ない。
雪は激しく降り続ける。
一緒にバスを待っていた女性がいた。
雪の中、私がコートのフードを被らずに立っていたら、せっかくフードがあるのにかぶらないんですか?と訊いてきた。
私はそう言われるまでは、フードの存在すら気が付かなかった。
彼女が親切にフードを被せてくれた。
あらあら、あったかい!

やっとバスが到着。
私はその前に、昨日まで泊まっていたホテルに帰ってタクシーを呼んでもらおうかと思っていた。
でも、この吹雪ではタクシーも来てくれるかどうか。
帰りの列車のチケットが無駄になるかもしれないと思い初めた頃、やっとバスに乗せてもらえた。
バス停で一緒だった女性と隣り合わせに座って話を聞くと、彼女は季節労働者で岩手から来ているという。
偶々今日は休みで長野に行くのだと。
岩手は何回も行っているし最近も11月に行ったばかりだというと、故郷の話を熱を込めて語り始めた。
早春の北国の新緑の美しさを。
そうそうわかるわかる、私も初めて三陸海岸へ行った時、あまりの若葉の美しさに感激したことがあったから。

長野駅まで語り合って、名残惜しくお別れした。
次回は3月初めに志賀高原に行くから、その時に彼女が働いているホテルに行けば会えるかもしれない。

新幹線では爆睡。
隣の女性が降りるまで目が覚めなかった。
隣の人は降りる時「富士山が綺麗ですよ」と、ひとこと言って降りていった。
私が眠っていなければ「綺麗ですね」と話しかけたいところだったのではないかしら。
ワゴンを押してきたお兄さんも「ほら、富士山、今日は良く見えます」
日本人は本当に富士山が好き。
あの真っ白な世界に居たのがウソのように晴れた陽だまりに戻ってきた。






















































2018年2月15日木曜日

旧友

もう何年になるのかなあ。
私がオーケストラに初々しい新人として入団した時からは。
私だって初々しい頃はありました。
最初からこんな古狸だったわけではありません。

私が入団して間もなく、当時珍しかった女性のコントラバス奏者のHさんが入ってきて、そのあと、ヴィオラ奏者のKさんが入団。
共通の趣味がスキーということもあって、その後は公私共に長いお付き合いが始まった。
アンサンブルにスキーにと一緒に楽しんできたけれど、その間にはそれぞれ結婚や子育てなどの山あり谷ありの人生があって、多少疎遠になった。
私はオーケストラをやめてからはフリーミュージシャンとしてクラシック業界だけでなくスタジオやテレビ界などにも出没して、彼女たちとは畑違いの分野でも仕事をしていた。
それでも絶え間なく連絡が行き来していたのは「雪雀連」のおかげ。

年に数回はこのクラブのメンバーとしてのイベントに参加するので、集まってはアンサンブルをしたりおしゃべりをたのしんだりしていた。
持つべきものは友!といつも思いを新たにする。
最近ようやく少しだけゆっくり出来るようになった私たちは、時々集まって遊ぶ。
昨日は二人揃って楽器を持ってわが家に突撃してきた。
楽譜をわんさか持ってきたものの、ドヴォルザークの弦楽5重奏曲Op.77の譜読みをしたら全員ぐったり。
3人で5重奏とはこれいかに。
うーん!
そこに居ても居ぬ(犬)と言うが如し。
おそまつ!
1匹でもニャンと言うが如し。
もっとお粗末!

とにかく自分のパートだけ弾いて後は口三味線。
こんなに長いことアンサンブルをやってきているのに、この曲は私は初めてお目にかかった。
とてもスッキリとした合わせやすい曲で、そのかわり重厚さとか複雑さとかはないけれど聴き栄えのする曲のようだから、夏の北軽井沢でのコンサートの曲目の候補とした。
その他、ヴィオラとコントラバス、ヴァイオリンとヴィオラの曲など、めぼしいものを候補にあげていく。
まだ時間があると言っていると、あっという間に夏になってしまう。
準備が大変で、コンサートはあっという間に終わる。
ステージに居るのは本当に氷山の一角の部分。
海中に隠れた部分が企画と練習、その他の雑用。

コンサートの準備にはえらく時間と労力がかかる。
去年、私は疲れ果てて今年の夏のコンサートはやめようと思っていたけれど、先日サホロへスキーに行った時に「雪雀連」の会長から要望とメンバーからの援助の申し出があって、重い腰を上げることになった。
演奏はHさん、Kさん共に二つ返事で協力をしてくれることとなった。
私は彼らを餌でつっておびき寄せた。
去年のボジョレーヌーボーを開けて、ツマミやサラダをこしらえて待っていると、ニコニコして現れたお二人。
他にメンバーは3人ほどいるけれど、今回はそれぞれの都合でこの二人だけ。
中でもこの人達は私の本当の旧友たち。

こんなに長期に亘ってお付き合いしてくれる人たちは、博物館に入れて飾っておきたいくらい貴重なもの。
私生活では様々な苦労を乗り越えてきた人たちは、強く優しい。
つうと言えば、かあ。
ユーモアと機知に富んだ素敵な女性たち。
個性豊かで自分の足でしっかりと人生を踏み固めてきた。

私の幸せは友人にあり・・・と何回も言うけれど、私の財産なのだ。
お金も力もない、美貌も残念ながらクレオパトラには及ばない。
例えがひどいって?
では、近所の三毛猫を例にしましょう。
ミッケにも及ばない。

あ、これ私の写真ね。
 嘘だと思うならうちに来て実物を見てください。
 前もって必ず連絡を。
その日はうちに居ないようにしますので。

実はこのクレオパトラは
エリザベス・テーラー。
綺麗ですねえ。
なんか猫っぽいなあ。



















白銀

日銀にはとんと縁のない私だけれど、白銀へはもう半世紀以上律義に毎年通っている。
小学生の時は体育の授業は苦手で、なんで跳び箱飛んだり懸垂しないといけないのかと、内心うんざりしていた。
運動そのものが好きでは無くて、縁側で雲を眺めては頭の中で考え事をしている子供だったから、走るのが早いとか遅いとか、なんで他人と競うのか不思議でたまらなかった。
その頃から他人は他人、自分は自分のマイペース人間だった。

それでも連日オリンピックで活躍する若者を見ると、一生懸命の姿に少しウルっとくる。
でも、銀でいいじゃない、たった0.02秒の差なら金とどうちがうの?なんて思うくらいだから、決してアスリートにはなれない。
1番面白かったのはスノーボード。
歩夢くんの、淡々とした話っぷりのどこにあのファイトが隠れているのか訝しくなる。
ニキビの顔がかわいい。

面白いと思ったのは女子スピードスケートの選手たち。
競技後のインタヴューでは他の大抵の競技者は「皆様のお陰です」と言うけれど、あの人達はこれが自分の実力ですと言い切る。
そうですよ、貴女の実力よ。
だれが声援だけで勝てるものですか。
死ぬほど苦しい毎日の練習を休みなくこなせてこその、銀メダルや銅メダル。
それに対して声援を送るのは、いうなれば自分の代理人として彼女たちを見ているからで、応援する人が自ら苦しい練習をこなしたわけではないもの。
とは言うものの、他人が見ていなければ頑張れない。
たしかに競技を支える多くの人々の支援あってこそのレース。

私達のコンサートと同じで、聴いてくださる人たちがいなければ演奏会はしない。
うちで楽しく弾いているだけでは物足りなくなって、ノコノコステージに上るのだから。
さて、来月です。 
           3月15日(木)19時開演
            東京文化会館小ホール
         「古典音楽協会第156回定期演奏会」

私はヴィヴァルディー「4つのヴァイオリンのための協奏曲」の第2ヴァイオリンのソロを弾きます。
と、ここでちゃっかり宣伝。
よろしくおねがいします。

その前に明日から白銀に招かれて志賀高原へ。
体をほぐしに行ってまいります。
スキーに行くと気力がみなぎってくるのがわかる。
真っ白な世界はどんなときでも美しい。
明け方の雲が段々明るくなって来て太陽の光が雪に照り映える時、風が吹きすさんで木々が揺れている時、夕暮れになって人々が一斉に自分の宿に向かって滑っていく時、どんな一瞬もワクワクする。
もっとも私は特に最近、夕暮れまでは滑らない。
たいてい3時ころには宿へ戻って、お湯に浸かっている。

若い頃からナマケモノで、人より少なく滑るのがモットー?だった。
人生全て人より少なく。
頑張らなかったお陰で息は長い。
いまだにスキーに行くと言うとびっくりされる。
絶対にアスリートにはなれないけれど、これが私流の猫的生活なので。
猫と言えば・・・
モーグル、スノーボードの選手たち。
前世は猫だったに違いない。
しなやかに柔らかく力強い、動きの一つ一つが美しい。




白銀の世界から戻ったら、翌朝から4つのヴァイオリンの音合わせ。
今までスキーで怪我をしたことは一度もないけれど、過信せず細心の注意を払って滑ってきます。














2018年2月10日土曜日

兄は危うい

去年の春、京都・奈良を一緒に旅した友人からメールが入った。
「今奈良に居ます」だって。
室生寺の階段登ったとか有名なかき氷やさんに行くとか、羨ましい。
私は冬はもっぱらスキーに勤しむ。
別の友人からのメール。
この冬もnekotamaさんは日銀に招かれていると・・・えっと??
「日銀」?なんのこっちゃ!

よく見たら「白銀」だった。
読み間違えたと返信すると彼女から
さすがnekotama財閥!「日銀」とは!庶民とはわけが違う!と返信があった。
視力(知力?)が衰えているからこうした読み間違え、数知れず。

私のすぐ上の姉が、去年脳梗塞で倒れて施設に入ったので御見舞に行こうと、長兄から連絡が来た。
姉は手術直後は右手足に麻痺が残り、言葉も出なかった。
ようやく一命とりとめてリハビリ病院へ転院、その後今の施設へ。
そこはどんな施設かわからなかったけれど、とにかく行ってみようと言うことで訪れた。
兄は愛車のBMWを売ってしまって沢山お金が入ったので昼飯ご馳走するよ、と餌で釣られて私の車で行くことになった。

かつて兄は、かなりの頭脳の持ち主だった。
勤勉で真面目だから出世もしたのに、今や支離滅裂。
特に去年連れ合いを失くし、一人暮らしになってガンを患い治療中。
非常にきれい好きなので一応身奇麗にはしているものの、言うことがどうもおかしい。
施設に到着して姉としゃべっていても、トンチンカン。
私の11歳年上だから無理もないとは思うけれど、自分の将来を見せられているようなのだ。

そうか、11年後にはこうなるのね。
姉は倒れた直後よりはずっと言葉も出るようになって、麻痺した右足が僅かに動かせるようになった。
なにか言おうとするけれど、中々言葉が出ない。
ゆっくり聴いてあげようと耳をそばだてていると、そこへ兄が急に横槍を入れる。
せっかく姉が話をしようとしているのに。
一方的に兄が言葉をかぶせてくるから、そこで姉は話す機会を失ってしまう。

それでも久しぶりに家族に会えて、嬉しそうに笑っている。
私たちはとても仲の良い兄弟だった。
「日銀」に呼ばれるような財閥ではなかったけれど、母の苦労のお陰で分け隔てなく育てられた。
それでも兄弟間で運不運があるようだ。
この姉は病気がちだった。
兄弟の日陰に当たるポジションに居たようだ。
上の3人は大切に育てられ、次の二人はかなり放任で、末っ子の私は好き放題。
下から2番目のこの姉は我儘も言わず、かなり我慢していたものと思える。
諦めたような笑顔で私達を迎えて、なんとか話をしようとする。
空気を読めない兄はお構いなしに話しかける。

病気は姉の運命とは言うものの、なにかやってあげなければと考えている。
私は病人の面倒を見るのは、意外や意外得意なのだ。
猫の世話だけでなく、人間の世話だって出来るのだ。
兄弟で車の運転をするのは私だけになってしまったので、車を出すことで役に立ちそう。

なんだか姉に悪いみたいに思えるけれど、私は来週又「白銀」の世界へ。
元気でいられる内に遊んでおかないとね。
私が最後の時には、兄弟はとっくに居ないと思うから、自分の身は自分で守らないといけない。

奈良から再度メールが。
かき氷美味しかった、ですって。
この寒いのに?なんでかき氷なの。
この季節なら善哉でしょうが。
おお、さぶっ!





















新入り

時々同級生の3人のピアニストと研究会の「弾き合い」
今日はフルート奏者が新たに参加。
同級生のAさん。
彼女はピアニストたちと同様優等生だった。
学生時代はN響でエキストラで演奏していたから、卒業後は華々しく活躍すると思っていたら、卒業と同時に結婚してしまった。
お相手はトランペッター。
彼は第一線で活躍していたので彼女は内助の功に徹していたけれど、時々私達とアンサンブルで仕事をした。

私たちは学生時代から仲良しで、学食の奥がなぜか管楽器のたまり場となっていた。
主に木管楽器、フルート、クラリネット、オーボエなどの中に私がいつも紛れ込んで一緒にアンサンブルをしていた。
この場所はドアで仕切られていたとは言え、音は筒抜け。
学食の人たちからよくも苦情が出なかったと思う。

誰彼となく楽譜を持ち寄って、気が付けば音をだしていた。
勿論Aさんも居て、中心的存在だった。
彼女とはラヴェル「セプテット」を一緒に弾いた。
ハープと弦楽四重奏、フルート、クラリネットの編成で、ハーピストの先生であるヨゼフ・モルナールさんのレッスンに行った思い出話で盛り上がった。

モルナール先生は特に女性はあまりお好きでは無いから、厳しかった。
ハープというのは見かけの優雅さに比べ、ものすごく手足の重労働。
手はいつもアルペジオなどを美しく奏でているけれど、足は絶え間なく転調のためのペダル操作をしている。
こんな複雑な楽器は中々見当たらない。
それで生徒さんが間違えると、先生の手が彼女の手を叩く。
「この手、いけません!」
ペダルを踏み間違えると足が出て蹴りが入る。
「この足いけません!」男性にしてはとても優雅な方なので、私たちは目を丸くして見ていた。
帰りの電車で新宿から国立までずっと笑い転げて居たのが、Aさんと私だった・・・らしい。
私は電車で笑ったことまでは覚えていなかった。

そんなお付き合いだったので、数年前の三軒茶屋でのSさんと私のコンサートにご案内をしたら、当日入場者が多すぎて席が足りずお帰りいただいてしまった。
お花まで頂戴したのに。
あとでお詫びの電話をしたら笑って許してくれたけれど、本当に失礼なことをしたと恐縮した。
去年のSさんと私のデュオ・コンサートはそれもあって、客席数が倍の会場にして、もう一回ご案内。
その時は無事に聴いてもらうことが出来た。

その時のプログラムのひとつがプロコフィエフの「ソナタ第2番」
この曲は元はフルートのために書かれた曲なので、彼女はそれを聴いて自分も演奏したいと思ったという。
そして今日、研究会に初参加となった次第。
ピアノはSさん。
私と先日弾いたばかりなのでお手の物。

当日快晴、暖かい日差しが心地よい。
春ですね~!
相変わらずピアニストたちの意欲がすごくて圧倒される。
なぜ、この人達ってこんなに真面目なのか。
爪の垢煎じて飲まないと追いつけない。
私の爪の垢を煎じて飲ませれば、もう少しナマケモノになってくれるかなあ。

ピアノ3人、ソプラノ歌手1人、フルート1人、そしてヴァイオリン(のようなもの)を弾く私、計6人が集まった。
Aさんは久々に会う同級生たちに興奮したのか、元々明るくておしゃべりだから大いにはしゃいでる。
声が良く通る。
管楽器の呼吸法の成果かもしれない。

私はタルティーニ「悪魔のトリル」を弾いた。
最近ずっとSさんと合わせていたけれど、彼女は今回フルートと合わせるので、もう一人のNさんにお願いして合わせてもらった。
気心知れているから、練習は2回通して終わり。
Nさんには10年ほど前、オペラシティーのリサイタルホールでのコンサートに出演をお願いした。
その時彼女と一緒に弾いたのがショーソン「ヴァイオリンとピアノ、弦楽四重奏のための協奏曲」
難曲だったけれど合わせに合わせ抜いて、細部まで徹底的な練習をしたので、本番はとても安心して演奏できた。
とても素晴らしい想い出になった。

もう一人のピアニストのOさんとは一昨年、リヒャルト・シュトラウスの「ソナタ」を合わせてもらったけれど、次はモーツァルトの「ソナタ」のどれかを合わせてみようかと密談中。
モーツァルトを弾くのは人生最大の楽しみで、Oさんの機知に富んだ演奏はモーツァルトがそこにいるかのように聞こえると思う。
考えたら、こんな贅沢して良いのだろうかと思う。
これはすごいことだわ。
演奏も3人3様、それぞれ個性豊かで一緒に弾くのはとても楽しい。
音楽的に啓発され続けている。

さて今日初参加のAさんの演奏を聴いていたら、やはりプロコフィエフのソナタはフルートのために書かれたものだと思った。
今を去るうん十年ほど前、当時来日したフルートのランパルの演奏を聴いた。
その更に前、ヴァイオリンのレオニード・コーガンの演奏を聴いた。
コーガンの演奏があまりにも良かったので、私はそれ以来この曲はヴァイオリンの方が向いていると思っていた。
けれど、客観的に聴いてみるとフルートのイメージが強いと思った。
今日これをフルートで聞けたのは幸せだった。
次回、この曲を弾くことがあれば、フルート的な要素を取り入れてもいいかなと。
レオニード・コーガンの演奏を聴いた時、私は中学生だった。
最初の音があまりにも素晴らしく全身に鳥肌が立った。
本当に若い頃に味わった感動は、いつまでも忘れられない。

Aさんにはフルートとヴァイオリンのデュオを合わせようと誘われた。
こうして私の音楽人生は、素晴らしい友人たちに支えられている。






















2018年2月1日木曜日

サホロは上天気

4日間のサホロリゾートでの生活は命の洗濯だった。
出かける前の運動不足がたたって、足腰も胃腸もすっかり弱っていた。
そんなに過食をしているとは思わなかったのに、運動が不足した分消化力も弱まっていたようで、お腹がすかない。
すかないのにいつもと同じ分量食べていたら、全く空腹感がなくなってしまった。
それでもお腹が痛いとか、壊しているとかしているわけではないから、普通に食べていた。

十勝帯広空港到着時の気温はマイナス18度。
晴天無風の穏やかな日だった。
バスで1時間半、サホロリゾートに到着。
スタッフの出迎えを受けて館内に入ると、そこはもう日本ではなかった。
聞けば中国本土、台湾、香港、韓国の人たちだという。

私が初めてここを訪れたときには、スタッフも客もカナダ、オーストラリア、イギリスなど欧米の人が主流だったけれど、世界経済の変動でこんなに変わってしまうとは。
今回はスタッフもアジア系が多く、館長はトルコ人。
中国人は一族郎党引き連れて大挙して押し寄せていた。
世界中でなにかとお騒がせの彼らだけれど、今回は比較的富裕層が多いらしく子供も躾が行き届いていて、賑やかではあるけれど五月蝿いというほどではない。
むしろ日本の子供に比べるとずっと行儀が良い。
彼らも世界中から非難されてマナーを身につけたようだ。

到着すると早速レストランで昼食をとる。
目移りして困るほどのバラエティーに富んだメニューがずらりと並んでいるので、つい目があれもこれもと選んでしまう。
大きなガラスの窓越しに外を見ると、少し風が吹いているけれど真っ青な空と真っ白な雪、輝かしい景色が広がっている。
食事が済むと早速ゲレンデに繰り出した。
手始めに下の方のゲレンデ、そしてその周りのゲレンデをいくつか回ってみた。
雪は申し分ない。
流石に気温が低くてリフトに乗っている間は背中がゾクゾクした。

足慣らしはそこそこにして、ホテルに帰ってプールに行く。
透明な天井はドーム状で明るいプールにはほんの数人が泳いでいる。
泳ぐ合間にジャグジーで温まり、外の雪の中にあるカナディアンバスへ飛び込んだ。
なぜカナディアンバスと言うのかは知らないけれど、私達のあとからも香港のきれいなお嬢さんたちが入ってきて、はしゃいでいる。
そこへチラホラと雪が降ってきて顔に当たるので引き上げた。

ゲレンデで冷えて固まった体がこの水泳ですっかりほぐれて気分が良い。
食事の前にビールを飲みにバーへ行くと、大勢の中国人の家族が椅子を占領している。
なんとか隙きを見て潜り込み、食前酒を済ませてから食堂へ移動。
毎回メニューが変わって、もうどうしましょうと言うほど目移りがする。
人が持ってきた物が気になる。
あら、それどこにあったの?なんて訊いて、食べながら次に食べるもののことを考える。
お腹が空いていないのについ次の物に手が出る。

夜中に胸焼けがして目が覚めた。
おっと、やはり食べ過ぎ。
眠れない、気分が悪い。
少し眠って次の日は朝食を抜いた。
同室者から薬をもらってしばらく横になっていた。
食堂に行くと危険だから行かないでお湯だけ飲む。
しばらくすると気分が良くなって、皆に遅れること30分ほどでゲレンデへ出かけた。
運良くリフト乗り場で仲間と合流できたので一緒に滑り、午後はまたプールで水泳。
夕食はほんの少量のご飯に里芋の煮物のみ。
お酒も飲まないで寝た。

3日めも上天気。
風もなく暖かい。
朝食はヨーグルトのみ。
私は2日間下の方でばかり滑っていたので、ゴンドラでスキー場の頂上を目指した。
頂上付近も上天気でパウダースノーの絶好のスキー日和。
ベテラン揃いの私達のグループの滑りは、安定感があって早い。
平均年齢を知ったら、たぶんギョッとされると思う。
このベテランさん達、食べることもすごい。
量も質もたっぷりと、お酒の量もたっぷり。
年を取ったら少食で粗食が長寿のもとなんて良く聞くけれど、あれは人それぞれだとつくづく思う。
多少寿命が縮んでも、最後まで元気な方が良いにきまっている。

4日間、こんなに天候に恵まれたのは珍しい。
穏やかな表情の帯広空港を後にした。
名残惜しかったけれど食事が重くちょっと食傷気味だったので、羽田に戻ってからお寿司やさんでお口直し。
胃の調子はすっかり治っていた。
雪は万病の薬、酒は百薬の長、かくして私の財布は空っぽ。やれやれ!