今年2回めのスキーは志賀高原で。
長年定宿としてきた志賀高原の石の湯ホテルは数年前に廃業の憂き目にあったけれど、山岳ガイドの大雲さん初めスタッフの努力で再開されて、やれうれしやと思ったのもつかの間、再び閉鎖されてしまった。
志賀高原でも石の湯という過疎的なゲレンデのそばで、地の利が悪く建物も老朽化していたので中々新しい客の獲得には繋がらなかったと見える。
以前の経営陣は、理想のホテルを作ろうと団結した数人のスタッフが集まって、家族的な経営をしていた。
常連客が付いていたけれど、スタッフが年を取り経営が難しくなってきた。
私たちはこのホテルに「戻る」と、ただいま!と言いたくなるほど馴染みだった。
暖かい対応で、私達の1番良いようにと、常に気配りしてもらった。
けれど、経営陣が変わると普通のホテルとしての規則に従わないといけないようになり、常連は離れ、新しい客は中々増えなかったらしい。
せっかく彼らとも顔なじみになって、居心地良くすごしていたのに、残念なことに私たちは行き場所がなくなってしまった。
今年は中々ホテルが決まらなかったけれど、一ノ瀬スキー場にやっと宿が取れた。
一の瀬ファミリーゲレンデが目の前のホテルジャパン志賀が今回の宿。
部屋数が多い大きなホテルだった。
石の湯ホテルの売り物はその食事にあった。
佐藤さんという名コックさんがいて、とても美味しい料理に出あえたのに、一の瀬のホテルは朝夕共にバイキング。
ごく普通の味で種類も多く、まあまあと言えるけれど、佐藤さんの味には到底及ばない。
これは本当に残念。
今回は「雪雀連」恒例のスキースクール。
毎回講師はO先生。
若い頃は意固地でスキー以外のことは一切興味のなかった彼も、雪雀連の老練な懐柔作戦にハマって、随分柔らかくなってきた。
今回初日は、なんと3時間半に亘るぶっ続けのレッスンとなった。
体がなれていないのに休憩なしの3時間半はつらい!
雪質は硬めでよく滑る。
人が多くなければ気持ちよく滑ることが出来るが、人が溢れかえっているこのゲレンデは常に速度はコントロールしないと、衝突の危険がある。
コントロールが難しい。
リフトで上がるたびに美しい景色に歓声があがる。
毎回少しずつ暮れてゆく空の色、雲の様子は、ある時は霞がたなびくように、次の瞬間は金色に輝いたり、時の経過で様々に変化する。
最後には青と黒の墨絵の世界となってレッスンが終わった。
日頃のストレスが流れ去る。
疲労困憊してホテルに戻り、お風呂でゆっくりと温まり夕飯。
2日目は朝から雪。
前日の夜の相談では、奥志賀高原まで足を伸ばす予定だったけれど、だんだん雪が激しくなってきたので近場で滑ることになった。
昼前から雪は増々激しくなってきて、リフトの上で震え上がった。
指導員らしい人が電話で連絡をしているのを聞いていたら、大雪警報が出た云々と話をしている。
風は狂ったように吹き荒れて、吹き流しが真横に流れている。
風音もすごい。
だんだん視界が悪くなって、ついには天地左右、白一色。
ゲレンデの状態が見えないので、どの程度の斜面かもわからなくなってしまった。
いわゆるホワイトアウト。
今まで遭遇した最悪のホワイトアウトだけれど、先生がついているから私たちは安心していられる。
彼は浦佐スキー場で鍛えられて、その後は立山を本拠地として、ホテルのスタッフや大きな荷物を運び上げる歩荷(ボッカ)なども体験しているから、とにかく強い。
以前スキーを片方流して立ち往生した私を背負って、鬼首(おにこうべ)のゲレンデを滑り降りた。
鬼首の急斜面のスネークロードを、私のスキーは持ち主を載せず、軽々と一人で降りていってしまった。
他の人が捕獲してくれて、スキーと持ち主はゲレンデの下で再会した。
この雪嵐の中でも先生のお説教は途切れない。
見えていないはずなのでどんな滑りをしているかわからないと思うのに、目で見なくても音でわかるらしい。
真後ろを滑っていると急に注意が飛んでくる。
もう少しきちんとカーブを曲がってからターンをしろとかなんとか。
だって見ていないでしょう、なんで分かるの?と訊いたら音でわかると言われた。
雪が舞って足元は見えないから、初めての斜面で、斜度もコブの状況もわからない。
すると重心のかかっていない方の足で様子を見るようにと・・・
そんなこと言われても一瞬一瞬が早すぎて、転ばないのが精一杯。
やっと下まで降りて「見えないから怖くて泣きそうになったわ」と言ったら「鬼の目にも涙だね」と言った人がいた。
いつの間にかコブ斜面を滑っているのに気付く。
最初からこぶ斜面だと分かっていたら避けたものを、知らないで滑ってしまった。
でも知らないから滑れたようなものかもしれない。
とにかくスキーでは恐怖心がいけない。
怖がらなければ普通に運動していれば良いわけで、それは楽器の演奏にも通じている。
とにかく体を固くしてはいけない。
分かっていますよ。
自分の生徒たちにはいつも言っている。
関節を固くするな。
余計な力を入れるなと。
全く同じことを先生から言われるから、悔しい。
ついに激しい雪と風に追われて、午前中でレッスンは終わりとなった。
道具を片付けてホテルの部屋に戻ると、同室の人が「ほら、羽生くんが始めるわよ」
日本人のフィギュアスケート始まって以来の金銀メダルの同時獲得。
すごいなあ、えらいなあ!
テレビの画面の羽生結弦、宇野昌磨二人の頭をなでた。
3日目、私は次の日にコンサートの練習が入っているので朝の内に帰ることにした。
8時頃、ホテルのすぐ近くのバス停でバスを待つ。
激しい雪は一晩で沢山降り積もり、必死の除雪作業が早くから始まっていたにもかかわらず、遅々として雪だまりは解消されない。
やっと車1台通れる位の道では、1台でも車が立ち往生したら大渋滞になる。
バスは来ない。
雪は激しく降り続ける。
一緒にバスを待っていた女性がいた。
雪の中、私がコートのフードを被らずに立っていたら、せっかくフードがあるのにかぶらないんですか?と訊いてきた。
私はそう言われるまでは、フードの存在すら気が付かなかった。
彼女が親切にフードを被せてくれた。
あらあら、あったかい!
やっとバスが到着。
私はその前に、昨日まで泊まっていたホテルに帰ってタクシーを呼んでもらおうかと思っていた。
でも、この吹雪ではタクシーも来てくれるかどうか。
帰りの列車のチケットが無駄になるかもしれないと思い初めた頃、やっとバスに乗せてもらえた。
バス停で一緒だった女性と隣り合わせに座って話を聞くと、彼女は季節労働者で岩手から来ているという。
偶々今日は休みで長野に行くのだと。
岩手は何回も行っているし最近も11月に行ったばかりだというと、故郷の話を熱を込めて語り始めた。
早春の北国の新緑の美しさを。
そうそうわかるわかる、私も初めて三陸海岸へ行った時、あまりの若葉の美しさに感激したことがあったから。
長野駅まで語り合って、名残惜しくお別れした。
次回は3月初めに志賀高原に行くから、その時に彼女が働いているホテルに行けば会えるかもしれない。
新幹線では爆睡。
隣の女性が降りるまで目が覚めなかった。
隣の人は降りる時「富士山が綺麗ですよ」と、ひとこと言って降りていった。
私が眠っていなければ「綺麗ですね」と話しかけたいところだったのではないかしら。
ワゴンを押してきたお兄さんも「ほら、富士山、今日は良く見えます」
日本人は本当に富士山が好き。
あの真っ白な世界に居たのがウソのように晴れた陽だまりに戻ってきた。
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