2018年5月30日水曜日

睡眠障害?

毎日あまりのうたた寝の多さに少し心配になってきた。
うちで読書していてもいつの間にか夢の中。
ハッと気がつくと座ったまま眠っている。

つい最近までは昼寝をしようとしてもできなかった。
前夜の睡眠が足りていないから30分ほど昼寝をしようなどと思っても、全く眠くならない。
むしろ睡眠時間が短いほうが気力や集中力があって、元気だった。
それがこの1週間ばかりうつらうつら。
これが運転中だったらと、ぞっとする。
それだけが心配でしかたがない。

今朝筋トレをしにジムへ行ってその話をしたら、トレーナーから「寝ているときいびきをかきませんか?」と訊かれた。
そう言われても、自分が寝てしまえば自分のいびきは聞こえない。
それに友人たちと旅行へ行って同じ部屋に泊まっても、だれもが、私は静かに寝ていると言う。
今まで話していて急に返事がなくなったと思ったら寝ていたとも。
その後朝まで大いびき、歯ぎしり、夢遊病などで誰かを悩ませたということはないから、ずいぶん静かに眠るようだ。
ジムのトレーナーは睡眠障害があって、睡眠時無呼吸らしい。
それで突然死レベルの症状なので、夜寝るときは器具を装着して眠るらしい。
器具を付けて寝ると、次の日はすっきりという。

私は寝付きも寝覚めも良い方だから睡眠障害は考えられないけれど、今なにか自分で気が付かない問題があるのかもしれない。
一度睡眠外来に行ってみることを勧められた。

学生時代から緊張の連続だったから、その疲労が今、思い切り出てきているのかもしれない。
考えたら緊張していないときは殆どなかった。
学生時代は楽器演奏の実技テストと校内演奏会、学外演奏会、卒業の実技テスト。
卒業したらオーケストラの入団テスト。
毎日の神経のすり減るような練習と本番の連続。
フリーになって仕事の量がますます増えて、時間との闘い。
それは楽しいことも多かったけれど、こんなに長年緊張しまくっていれば本当なら突然死してもおかしくはないほどの状況だった。
特に引退までの10年間は仕事地獄。
いくら好きとは言え、体力が落ち始めているのに無理を重ね、がんにもなった。

それでも好きなことだから乗り越えられた。
今年は暇な時間が増えて、それで眠いのかもしれないけれど、それにしても変だから病院を探している。
夜はぐっすり眠れる。
それなのに昼間のうたた寝は老化か痴呆の初期か。

私は嗅覚障害があって、匂いがよくわからない。
化粧品売り場に行くと「この匂いはいかがですか?」と訊いてくる店員がいる。
私は匂いがわからないと断っているのにしつこく嗅がせる人がいる。
例えば目の見えない人に絵を見せて感想を訊くとか、耳の聞こえない人に音楽を聞かせて一緒に歌わせるとかはしないでしょう。
匂いの問題は本当に説明しづらいけれど、ジムのトレーナーは副鼻腔炎が原因で睡眠障害が出るのだと診断されたという。
私も時々鼻の奥が腫れて病院に行くから、それが睡眠障害になって顕れてきたのかもしれない。

嗅覚障害でもう一つ。
重い人格障害のある人は極端に嗅覚能力が低いという。
オーストラリアの学術誌「Chemosensory Perception」によれば、反社会的行為や共感の欠如、冷淡さなどで特徴づけられる人格障害と嗅覚の障害は、どちらも脳の眼窩前頭皮質と呼ばれる部分の機能障害に発することがわかっている。
シドニーのマッコーリー大学の研究者らは
人格障害と診断された79人の嗅覚能力を調べた結果、人格障害の診断スコアの高いグループは嗅覚能力が最も低いグループと一致した。
ただし、嗅覚能力が低いことがすなわち人格障害を表すものではない。

人格障害と言われれば、私はその疑いもないことはない。
自分が猫だと思いこむ。
猫だからなんでも許されると過信しているところがある。
いうなればニャン格障害。

もともと大した人格でもないから、しでかすことも大したことではないのが救いかも。






















2018年5月27日日曜日

眠り猫になる

ご無沙汰しておりました。
ここ数日珍しくロングスリーパーとなり、日がな一日寝ているような状態でした。
つに私も眠り姫になりました。
本物の眠り姫と違うところは、王子様はいつまでたっても現れないというところです。

私は春生まれ。
毎年なぜか自分の誕生日の近くで熱を出したりするはずが、今年は無事に過ぎたと思ったらその後、猛烈なやる気のなさに襲われた。
いままで生きてきたうちで最も根が深い。
とにかく物が考えられない。
いや、これはいつものこと。
目の前にクロイツェル・ソナタの本番が迫っているのに、練習ができない。
練習はこれでもかとしつこくするのがいつものことなのに、楽器のケースを開けてしばらくぼんやりと眺め、調弦をする。
それからゆっくりお茶を飲んだり、パソコンでゲームをする内に昼食の時間になる。
結局午前中の練習はなし。

昼食が済むとソファでうたた寝。
昼寝の習慣は全く無いので、これも珍しい。
目が覚めると午後も遅くなっていて、散歩や買物に1時間ばかり費やす。
帰ってくるとすこし練習。
30分もすればだるくなってしまう。
そのうちあたりは暗くなって、夕飯の時間。

とまあ、こんな具合で1日過ぎてしまう。
夜は眠りたくないので無理やりゲームなどして起きているけれど、気がつくと思いっきりマウスを飛ばしたりして、いつの間にか眠っていたことに気がつく。
歯を食いしばって起きているけれど、眠気に勝てない。
眠りたくないだけであって眠れないのではないので、ベッドに入って電気を消せば即夢の中。

日中ボーッとして、全てが脱力したまま。
一体この状態を抜けることが出来るのかしらと危ぶんでいたら、今日辺りから少しずつ頭が働くようになってきた(ようだ)。
自分で考えている以上に積年の疲労が溜まっていたらしい。
働きすぎで過労死するのではと危ぶんでいた状態から一転、仕事をやめてやっとのんびりするつもりだったけれど、長年のリズムが崩せない。
なにかやっていないと落ち着かない。
それで去年は色々計画をたてて、自分の技術の見直しなど図ったら、これが意外にきつかったようで。
その後中々立ち直れなくて、今年の前半で後遺症がどっと!ということだったのかもしれない。

肩の筋肉に痛みが走る、皮膚炎、胃腸炎が続く。
健康診断を受けたいと思っていても決心がつかない。
それなのに、ずっと家にいてぼんやりしている。
傍目には暇で退屈そうに見えても、することは沢山ある。
それなのに、なにもする気がおきない・・・というより出来ない。
これはうつ病かと思われるかも。
でも機嫌は良いのだ。

元々陽気な性格なので、暗くはなれないし食欲もある。
けれど、とにかくなにも出来ない。
ほんとに出来ない。
大好きなアンサンブルもする気が起きない。
今年の北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァル出演は、9月9日に決まった。
曲を決めたり練習時間を決めたり、それも出来ない。

長い年月の中で、時々こういうことが起きる。
これはまあ、運動の前の助走の部分に例えられる。
しばらくボーッとしている内に徐々にエネルギーが蓄えられて、動くことが出来るようになる。
これがないと本物のうつ病になるのではないかと思う。
会社に勤めている人は自分の都合だけでぼんやりは出来ない。
ぼんやりできないでいる内に疲労が蓄積されて、本物のうつ病になってしまう。

こういう時に私はフリーで良かったと思う。
先日、今回クロイツェル・ソナタを共演するMさんと合わせた。
ずいぶんサボっていたのに、なぜか楽に弾ける。
ああ、これか・・と思った。
身体が凝り固まっていたらしい。
眠りに眠って、長年の身体のバランスの崩れなどを直していたようだ。
ようやくからだのバランスが取れるようになってきた。
この数ヶ月目めまいがしたり空間認識がずれていたり、これが年をとるというものかと思っていたけれど、思い切りぼんやりすることで治りかけてきた。

1日5時間以上は眠ることがなかったのが、ここ数日は長時間眠っている。
ときには10時間越え、いくらでも眠れる。
これでこのまま永眠するか不死鳥のように復活するかの分かれ目。
復活にかけてもう少し眠ることにしたけれど、元気になるとやりすぎる性格だから、だれか手綱を付けてドウドウとコントロールしてくれると助かるけれど。
と言っても、手綱をひかれると「うるさいっ!」とか言って怒り出すので、始末に負えない。
友人たちはいつも遠巻きにして眺めているしかないのでは。
眠り猫は眠い。
又明日、おやすみなさい。












2018年5月20日日曜日

お寿司で繋がる

私は食べる達人だから、食事のお誘いはひっきりなし。
全部乗ってしまうと胃を壊すから、泣きの涙でお断りすることも。
でも予定が空いていたら絶対断らないのが、さるお宅でのパーティー。
主催者は先日軽井沢でお世話になったY子さん。

南青山の素晴らしいマンションで催されるお食事会は、いつもとびきり美味しい。
例えば和歌山からマグロを一本持ってきて眼の前でさばいてくれる、マグロの解体ショー。
これは大人気で、この家の現在の女主人Y子さんのお父様のために始められた。
残念なことにお父様は亡くなられたけれど、当時お誕生日やお見送りの際に集まった人たちは、いまだに集まってはお父様の想い出話をする。
美しい銀髪でニコニコと、集まった人々を嬉しそうに見渡していたお顔を思い出す。
殊の外音楽がお好きだったようで、私達の演奏もいつも最後まで聞いてくださった。
腰が悪く椅子に座るのもやっとという状態なのに。

今日は上野池之端の 英多郎 寿司から職人さんが来て握ってくれた。
ここのお寿司は江戸前の絶品。

7月に、Y子サンのお父様のメモリーコンサートが帝国ホテルで催される。
出演はギター・ヴォーカルの谷康一さんと彼のお嬢さん、ハワイのフラを踊る山田ようこさん、それにヴァイオリン林美智子さんのメンバーで、賑やかで明るいことのお好きだったY子さんのお父様を偲ぶ。
私達はそれにあやかって楽しく過ごすという趣向。
その打ち合わせという名目のはずが、いつの間にか宴会になった。
前日もY子さんの同級生が集まって宴会をしていたらしい。
どうなっているの?この家は。

今日は約10人ほどのメンバーが集って、コンサートの打ち合わせと言いながら、殆ど打ち合わせること無く、おしゃべりとお寿司に夢中。
大勢の人で溢れかえっているパーティーでは一人ずつゆっくりと会話が出来ないけれど、今日は10名ほどだったので、1つのテーブルに集まって会話した。
面白かったのは元飛行機の機長だったお二人。

一人は退職後、外国籍の飛行機会社の社長に就任。
冷静な穏やかな風貌で、これからのアジアの目覚ましい発展について話した。
他の一人は飛行機の操縦と音楽演奏の時間的相似点について、または相違点についての話。
時間で動く音楽と飛行機の操縦に共通点があるのではと。

私は以前、戦闘機に乗って成層圏に行くツアーがあることを知って、すこし調べてみた。
費用は意外と安い。
オーストラリアは高めだけれど、ロシアのほうは安くて手が届く。
それならと張り切って調べている内に、身長に制限があることに気がついた。
私は手のひらサイズだから、多分安全装置などのサイズに合わないのだろう。
それで断念したことがあった。
元機長氏の話では、成層圏と行っても、たかだか100キロ以内。
それなら平面で動けば静岡より近い。
しかも上昇していく時は非常に簡単。
でも還りはどうする。
減速するのは危険で困難を伴うそうで、良くわからないなりに納得する。
そして元機長氏は、音楽の演奏も最後に収めるのが難しいでしょうと言うから、私達は1番最後を頂点にするように持っていくから、そこで燃え尽きると言ったらどうも納得出来ないようだった。
やりっぱなしはないけれど、演奏は帰りのない宇宙旅行のようなものかもしれない。
聴衆を道連れにして深く深く音楽の中に潜ってゆく。
気がつくと終わっている。
しばらく現実に戻れない。
ここが帰還する難しさと言えばそうかもしれない。
いうなればスキューバダイビングみたい。

毎回様々なケースがあるから一概に言えないけれど、感動で椅子から立ち上がれないこともあるし、すっかりカタルシスが出来て軽々とした気分のときもあるし、それはコンサートの種類によっても違う。
成層圏まで行くように音楽の高みに登るのは、最後の瞬間がとても大事になる。
それをどう上手く収めるかでコンサートの成功に繋がるのかもしれない。
それは演奏者だけでなく聴く側のエネルギーも不可欠だから、コンサートは演奏者だけでなく聴衆も演奏家のうちと思わないといけない。
帰還する難しさ・・・うーん!

私が自分自身のコンサートで感じるのは、まぎれもない暖かい気持ちの波動。
ステージに出たとたん、好意の波が伝わってくる。
長年聴いてくださる人たちは、私がステージに出て行くだけで喜んでくれる。
猫がヴァイオリンを弾く珍しいケースだからかもしれない。
その暖かさにヌクヌクと浸って、いつも心地よく演奏できる。
だから私はいつまで経っても大成しない。
最初から最後(たぶん)まで甘やかされた人生。

今回は今まで話す機会がなかった方たちと、沢山話しが出来た。
お顔は毎回見ているけれど、どんな方か知らなかった人のことも分かって線がつながったり。
元機長のお二人。
ギター・ヴォーカルの谷康一さん。
ハワイのフラを踊る山田よう子さん。
ヴァイオリンの林美智子さん。
この人たちが次のコンサートの主役。
下の階の歯科医師のご夫婦。
ご夫妻の趣味の1つはスキー。
次のシーズンにはぜひご一緒にという話も持ち上がった。

宴酣で、気持ちよく響く谷さんの歌声。
すてきだなあ。
今回私は客席で樂しませていただく。
よっ!待ってました、なんて声かけちゃおうかなあ。




















2018年5月16日水曜日

新緑の軽井沢

南青山の住人のY子さんのお招きで、彼女の軽井沢のお宅に逗留。
といっても2泊3日。
もう少し長くいられると良いけれど、なにかと用事が途切れなくて長逗留は断念した。

先週はヴィオラ奏者のKさんから、追分の別荘にこない?とお誘いがあったけれど、とくにどうということはないのに全く動けない状態。
たぶん低気圧が影響したものと思える。
それでせっかくのお誘いも断ってしまった。
身体も頭も動かない。
なにも決断できない状態で鬱状態かと訊かれると、そうでもない。
気分は悪くないのに、身体を動かせない、決断ができない。
これをなんというのか、自分でもわからない。
強いて言えば老いたのかもしれない。

今週になってお天気が良くなるにつれて気分がよくなって、新幹線で軽井沢へ。
Y子さんの車でお宅へ向かった。
車なら駅からあっという間の距離。
先週は雨が降り続いて日曜日には雨の中でゴルフやったんですよ、とY子さん。
月曜日には雨が上がって気温も湿度も快適な日になった。

彼女の家は素敵なマンションで、ベランダの外は滴るような緑の木々。
それだけで癒やされて、その上可愛いメスのチワワちゃんが歓迎してくれるので、動物好きな私の満足度はどっと高まってくる。

快晴で微風の外出日和。
車で旧中仙道の碓氷峠のお蕎麦屋さんへ。
お店の前庭から国立公園につながっているという絶景が売り物。
お蕎麦も美味しいけれど、力餅も美味しいと言うからどちらも食べたい。
さあ、どうする!
迷った末に出た結論は両方食べる。
それでもいくらなんでも一度に両方は食べられないから、分けて食べようということになった。
間に散歩を入れればいいでしょう?と悪知恵はいくらでも湧いてくる。
お蕎麦を食べて、店の下の方にある湧き水とわさびの畑を見る。
そこから丘に登ると、目の前に連なる山々がすこし霞んで、景色全体が緑のスクリーン。
その中にまだ葉も付けていない薄茶色の箒のような木が、彩りを添えていた。
散歩から戻って又お餅を食べる。
クルミと餡。

北軽井沢の別荘にOさんとFさんが来ていると連絡があって電話をすると、夕飯食べにこない?ということで、軽井沢から白糸の滝を通って北軽井沢に向かう。
私が北軽井沢に来るといつも泊めてもらうのは、Oさんのお隣の、のんちゃんの家。
でも、のんちゃんはまだ別荘の方に来ないので、私は家なし子。
それでOさんがこちらに泊まってもいいよと言ってくれたけれど、今回はK子さんの軽井沢の家に泊めていただく。
夕方北軽井沢のOさん宅へ着くと、毎度ながらご馳走の山。
Oさんは、玄人も真っ青な料理の達人なのだ。
お刺身と鶏のピリ辛炒め。
白ワインを楽しげに飲みながら、OさんFさんコンビは今日もグルメ三昧。
たらふくご馳走になって、いい気分で軽井沢に帰ってきた。
ワンちゃんを連れて行くかどうか大分迷っていたY子さん。
お二人が嫌がるようなら車の中で寝かせておくつもりだったけれど、二人共犬を見るなり目尻が下がって大歓迎となった。
可愛がられてお姫様気分のワンちゃん。
帰り道、すっかり日が暮れた山道で、カモシカの目が赤く光る。
タヌキが出る。

軽井沢に戻って夜中までおしゃべりをしたりお茶を飲んだりして、さて寝ようということになった。
チワワちゃんは私の布団に潜り込んできた。
チワワは細くてうっかり寝返りを打って押しつぶしたらいけないと緊張したけれど、彼女はそのまま朝までグッスリと眠っていた。
夜中に目が醒めるとワンちゃんはピクリともしないで爆睡している。
心配になってつついてみたり、ゆすってみたり。
こんな小さな、猫より小さくて細い子をうっかり潰したら大変!
でも朝になったら元気に起きてくれた。
犬がこんなに眠るものだとは知らなかったから、びっくりした。

2日目は奥志賀高原へ。
いつも冬になると2,3回スキーをしに来るけれど、夏のしかも初夏の頃は初めて。
渋峠頂上の群馬県と長野県の県境にあるロッジの前には、大きなゴールデンレトリバーを連れた男性が座っていた。
私達が近寄っていくと大型犬はフレンドリーに挨拶してくれた。
私は大型犬に好かれるので、早速1匹が飛びついてきた。
と言うより私が飛びついたのかも。
もう1匹のすこし年かさのほうの犬は、私の足を後からガシッと掴むので、前に進めない。
舐められて私の膝のあたりはベトベトに。
飼い主はそれを見て犬たちを叱りつけるけれど、私は大喜びで彼らと遊んだ。
奥志賀高原で昼食を摂るつもりだったけれど、ゴールデンウイークが終わって夏の観光シーズンに向けてメンテナンスに入ったホテル群は全てお休み。
空きっ腹で運転するY子さんは気が立っているので、超絶技巧の運転となる。
遅い車が前に居るとイライラ。
いなくなるとビュンビュン、カーブを曲がる。
車の性能が良いので、曲がりくねった山道を矢のように飛んでいく。
私の膝に座っているチワワは、必死で足を踏ん張ってバランスをとっている。

来た道をもどる途中にやっと1軒食事が出来るロッジを見つけた。
ここは数年前に、スキーに来た時に泊まったことがある店だった。
お昼ご飯にありついてY子さんの運転も、多少スピードが緩んできた。
Oさんは明日もご飯食べに来ていいよと言ってくれたけれど、その夜はY子さんの手料理をご馳走になり夜更けまで話し込んだ。
Y子さんの料理も玄人はだし。
私の友人たちは料理の達人揃い。
私は食べる方の達人。

今回軽井沢に来た目的は、コンサートの出来る会場探しのためでもあった。
まだ夏のシーズンになっていないので開いていないところもあって、これから徐々に探していく予定。
北軽井沢でミュージックホールフェスティヴァルに参加するだけでなく、積極的に今後の演奏活動が出来るかどうか、今模索中なのだ。
軽井沢にはコンサートの出来る美術館や個人で持っているスタジオなど、探せば沢山あるらしい。
美しい自然に囲まれた小さな会場で、楽しく音楽が出来たら良いと思っている。
協力してくれる人がたくさんいて、それは夢ではなく、間もなく実現すると思う。
演奏する側であったり、宿泊させてくれる家だったり、都内からわざわざ聴きに来てくれる人たちだったり、採算度外視での協力者がいてこそ可能なのだけれど。

私は犬を飼ったことがない。
飼いたいと思っていたけれど、いつも猫が沢山いたので実現しなかった。
3日間だけれど、犬を連れて歩く楽しさを味わった。
犬を連れていると行き交う人達が皆ニコニコして挨拶をする。
こんなに心をなごませてくれるのは動物が天使だから。

帰宅したら私の猫が膝に乗ってきた。
うーん!猫も可愛い、犬も可愛い。心が愛情で満たされていく。
見事な新緑と動物と人々にもらったパワーで、元気が出てきた・・・かな?


























2018年5月8日火曜日

お天気や

気分がころころ変わる人のことをお天気やというけれど、まさしく私がそれで、最近暑い日が続いたらすっかりやる気を失くしてしまった。
昨日、友人が軽井沢に行くので一緒にいかない?と言ってきたのに断った。
いつもなら二つ返事をするところなのに、どうしてもなにも出来ない。
夏日が続くようになってからは、ヴァイオリンも弾けなくなった。

ぼーっとして、ひねもすパソコンに向かいて徒然なるままに・・・とゲーム三昧。
ほとんどバカかと思える状態に陥って、自己嫌悪していた。
こんな老後を送るつもりはなかった。
いつまでも足腰を鍛えて、他人の世話にはならず、シャッキリと生きようと思っていたのに、この体たらくはなに?

この数日気温が下がったら、なんだか急にやる気になってきた。
ヴァイオリンの練習を始めたら身体が硬い。
試しに両手を背中に回して手のひら合わせをしようと思ったら、合わせられない。
つい最近まで手を背中で組めたのに。
びっくり!これはいかん!
練習は始めると面白い。
毎日楽器はケースから出して弾いてはいるものの、練習と言えるほどの時間はとっていなかったから、数日ぶりのちゃんとした練習。

やる気が無い時は音階だけでも弾いたら?とは友人の言葉。
それが1番つらいのよ。
プロ志望の子供を教えていた時に、プロになるならと音階を小さいうちから仕込んだ。
本人は嫌でたまらなかったようだけれど、今それが役に立っていて、彼女は3度などの重音の音階もなんなくこなす。
テクニックはもう問題なしと、ハンガリーの名手のタマーシュ・アンドラーシュに言われた。
私自身も音階はずいぶん練習したけれど、彼女ほど上手くはない。
私の子供の頃の先生は音階をさほど重要だと思っていなかった。
自分が大人になってから必要性を考えての訓練だったから、小さい頃からやっている人たちにはかなわない。

昨日から涼しくて、今朝は久しぶりに床暖房をつけた。
猫が喜んだ。
そして私も元気になった。
寒冷地で育ったわけではないのに、私は寒いのが好き。
寒いと気分がしゃんとする。
スキー場で吹雪かれていると、生きる希望が湧いてくる。
根っからの修羅場好みなのかもしれない。

以前教えていた大人の女性とスキーに行った時は猛吹雪だった。
その人が「先生!気持ちいいですね。生きてるって感じがします」
私も「ほんとね、じゃあ、てっぺんから一気に滑らない?」
3本のリフトを一気降り。
上からも下からも吹雪かれているのに、気持ちが良いとは。
気の狂った師弟でした。
レッスンの時に、楽器を持たずにワインをぶら下げてくるようなこともあった。
私もなぜか彼女のレッスン日にはつまみを用意していたり。
大人の生徒は面白い。
よく一緒に遊んでもらったけれど、彼女が結婚して子育て始めてから疎遠に。
去年のコンサートに来てくれて、久しぶりに対面した。
様子はすこしも変わらなかったけれど、名刺をもらったらすごく偉い人になっていた。

涼しいと記憶がもどってくるものだと実感した。
どうしよう、これから暑くなると、私は煮えてしまう。
脳みそはボイル、固茹で、手脚は溶けてしまう。
暑いのは嫌だ。
早く冬が来ないかななんて、まだ夏でもないのにお天気に左右されやすい猫の独り言。



























2018年5月6日日曜日

一日一業

仕事が忙しかった頃の私は、3つくらいのことを同時にしていないとすべてが間に合わなかった。
洗濯機を回して鍋を火にかけて、ヴァイオリンの練習。
休みの小節が来ると、鍋のフタを取って煮え具合の点検、味見。
車の運転をしながらおにぎりを齧り、参考資料のCDを聴く。
生徒のレッスンのふりをして一緒に音階を弾いて、ちゃっかり自分の練習に。
オーケストラの練習の合間、指揮者が他の楽器に指示を出している間に、次のプログラムの譜読み。
運動不足は歩きながら弾くことで解消。

延々と続く仕事と毎日の練習と、その間を掻い潜って海外旅行。
馬に乗り、海に潜り、雪山を転げ落ちる。
今思えばなんであんなに忙しかったのか。
若さとは無尽蔵のエネルギーの宝庫。

働いて稼いだお金はほとんど使ってしまったから、懐は涼しいけれど気持ちは呑気。
振り返れば楽しい人生送ったと思っている。

今朝美容院に行って美容師さんと話していたら「これからどこへおでかけですか」
美容院へ行くのは人に会うからとか食事に行くからではなくて、自分がさっぱりしたいから。
大体、他人様にお見せするような容姿の持ち合わせもないから、私が髪を整えた所で誰も気が付いてなんかくれるものですか、グスン!
どこかへおでかけかと訊かれたから「私は最近一日に一つのことしか出来ないの。だから今日はここに来ただけでおしまいなの」

この美容院のスタッフは絶対に客に反論しないのは見事なほどで、時々腹が立つ。
私は腹黒いから、時々前に言ったことと反対のことを言ってみる。
すると前は反対のことに「そうですよね」と相づちを打ったのに、正反対のことにも「そうですよね」
ハサミの切れ味が鈍るといけないから、難しい会話はできない。
これで会話を重視してしまうと、ハサミを振り回されたりしかねない。

ずっと以前、カットをしてもらっていたKさんは凄腕のカリスマ美容師だった。
けれど彼は激情型の人で、私が猫の写真に見入っていたら「猫好き?」と訊いてきた。
「好きよ、Kさんは?」と言うと「俺、猫大っきらい」
訳を訊いたら、奥さんが異常な動物好きで目に付いたノラ犬・猫を片っ端から保護してくるので、100坪もある自宅の庭は動物だらけ。
猫のために俺は稼いでいるようなものだから、やってられないよと口角泡を飛ばす。
その間ハサミを持った手は休み無くカットし続ける。
いつざっくりやられるかわからないから、怖気をふるった。
そういう時はドンドン私の髪の毛は短くなって、気がつけばほとんど丸刈り。
しかし面白いことに、短くなり過ぎた髪の毛は伸びると、本当に形良くなってくる。
名人と変人はイコールなのだ。
その彼も、口が動くと手が止まるようになってしまった。
最近は友人と同じ美容院に替えて、毎月いっしょにランチを摂ることになった。

前の話に戻る。
1日1つしか仕事ができなくなったので、なにか関心事があると、そのことしか頭に入らなくなる。
コンサートがあれば日常の事は殆ど頭に浮かばない。
もっともコンサートをするということは想像以上のハードさで、会場の準備からプログラムの構成を考えメンバーを決め、チラシの校正印刷、会場の大きさから考えてチラシの発送をどこまでするか等々。
人に任せる部分もあるけれど、全部のことを最終的に決定するのは自分。
衣装が中々決まらない、太って靴が入らなくなってしまったなどでパニックになることもある。
電話での問い合わせやチケットの申込みを受け付けるなど、山のような仕事がある。
去年の11月のコンサートの会場が150名のキャパシティーだったので発送を控えた人たちから、先日ギャンギャン文句を言われた。
友達じゃないの、冷たいわね、教えてよ。
ごめんごめん、人数が多すぎて帰ってもらった苦い経験があるので、つい弱気になってしまう。

これほどハードなときでなくても、1つのことが頭に浮かんでいるうちは他のことは入っていかない。
今日は美容院に行くということでおしまい。
先日は富士市まで出掛けておしまい、という様に。
そのうち、今日は呼吸をしているからこれで一仕事なんて具合になる。

北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァルに、去年に続いて参加が決定した。
今年は9月9日の最終日に演奏することに。
それでプログラムの構成を考えないといけないのに、最近は思考停止状態。
いよいよ書類を提出しないといけないのに、それも出来ない。
こまりましたねえ。
1日1仕事となると朝ごはん食べただけで終わる。
まあ、それも良いかも。
でも食事は3回摂りたいなあ。
しかも、これだけは忘れないから困ったもので。


























カレートースト

夜中にネット投稿欄の書き込みを見て、ヘラヘラ笑うことが多い。
世の中で本当に色々な考えや価値観の違いがあるのには、ひたすら驚く。
今朝、グラタントーストを作っていて思い出したのが、ある投稿。

最近付き合い始めた彼女に、なにか料理を作って欲しいと頼んだ男性。
彼女は日頃から料理が得意と話しているから、試しに冷蔵庫にあるもので作ってもらった。
するとカレーの残りと溶けるチーズを食パンに載せてトースターへ。
そうして出された物に唖然とした、という話。
こんな料理ってないだろう?と言う男性。

私はこの男性にビックリした。
これ私もよくやることで、今朝は作りおきのスープを別に取り出してバターと小麦粉でとろみをつけ、チーズとそれをパンに載せてトースト。
グラタンのトースト。

スープは常に作り置き。
野菜たっぷり使えば、一品の立派な野菜料理。
それに肉や魚を組み合わせ、あとは適当に小皿料理を添えればバランスの良い食事になる。
スープは最初はスープとして飲む。
すこし野菜が柔らかくなってとろみが出てきたら小さい鍋に取り分けて、今日みたいにグラタン、カレーに変身。
最後には片栗粉でとろみをつけて硬焼きそばにかけたり、春巻きの皮で包んで揚げる中華風のメニューとなる。
時々味噌を加えて味噌汁にしたりも。
そうそう、コロッケの中身としても使える。
つなぎにじゃがいもの茹でたものとか、クリームソースとか作って揚げる。
具を出したあとのスープは美味しいから、スープパスタにしても良い。
同じ物を使っても、同じメニューが続くことはない。
家庭料理なんてそんなもの。

毎回食材を揃えて作るというのは不経済だし、煮込まれた野菜類はとても美味しい。
このやり方は忙しい人には時間短縮にもなるし、経済的にもお勧めなのだ。
栄養バランスも最高。
その投稿者の彼女はいきなり作れと言われて、冷蔵庫にあるものでさっと作れたということは、とても良い家庭で育ったのだと思う。
きっと母親がそういう人だったのだと。
けれど作ってもらった男性はそれをブウブウ非難する。
こんな料理ってないだろう?
どんな家で育ったのかな。

ギャラリーたちのコメントは、ほとんど彼女擁護。
うまそうじゃん!
余り物でササッと作れる彼女はすごい!
偉そうに言うな、お前何様だ!みたいなコメントが続々。
この男性頭が硬すぎるし、きっとあまり良い家庭で育っていないなという印象を受けた。
男性の家では毎回食材を揃えてレシピ通りに料理して、余った料理は捨てる?
そんなもったいないことを。
私は殆ど余すところなく食べ切れるようにメニューを考える。

買い置きの食材をいかにバランスよく使い切るかが腕の見せどころ。
最後にちぐはぐな食材が残った時に、どんな料理にするか考えるのも楽しい。
じゃがいも、人参、玉ねぎは常備してあるから、忙しくてどうしても買い物ができないときにはその3種で様々に工夫する。
忙しい仕事の合間でも食べることに手を抜かなかったから、今でも健康で穏やかな心でいられる。

思うに、この男性はつまらない男で、彼女のやることなすことケチつけるんだろうなと。
決まりきったレシピで作らないと料理したとは思えないのかと。
コメントする野次馬たちが正しい。
家庭では、常に料亭で出されるような料理が食べられるわけではない。

以前、私の家と隣の家は木造で隣接、音が良く聞こえた。
隣の奥さんが娘さんに話しているのが聞こえた。
「ねえ、シュウマイを揚げて食べるんだよ。揚げシュウマイって言うんだって。美味しかった。珍しいね、揚げシュウマイ」
けっこうお歳のいった人だったので、人生の後半で揚げシュウマイに遭遇したワクワク感が出ていて笑った。
うちなんか、すこし時間の経ったものは全部揚げてしまうから、珍しくはない。

ずっと以前だけれどTBSラジオで「秋山ちえ子の談話室」という番組があった。
車の運転しながらよく聞いていた。
秋山ちえ子さんが息子さんのお嫁さんの話をしていたことがある。
トマトにチーズを載せて焼いたものをお嫁さんが作って、それが美味しかったという話だった。
トマトを焼いて食べるんですねえ・・と感激した口調で。
トマトって焼かないものだと思っていたの?
チーズと組み合わせるのはイタリアンの定番ですが。

自分の育った環境で食育されてそこから出られない人は、頑固だなあと思う。
なんでもありじゃないのかな。
思いがけない組み合わせ、調味料だって今はそばつゆで野菜煮たりして、それが美味しいという人もいれば手抜きと怒る人もいる。
選択肢の少ない人はそれだけ自分の世界を狭くしている。

世界中で様々な食物があるけれど、なんだってそこの住民にはご馳走。
虫や気持ちの悪い食材はご遠慮するけれど、何処かへ行ってその地の食べ物が食べられないのは不幸だと思う。
冷蔵庫の余り物で料理した彼女さん、あなたは正しい。
そんな狭量な男は捨てなさい!
おっとっと、そこまでは言わないけれど、つまらん男だなあ。





















2018年5月4日金曜日

爪音

今日は気温は高めだったけれど風が爽やか。
わが家の前の桜並木を歩く人達も心なしかノンビリしている。
眼の前をダックスフントを連れた人が歩いていた。
カチャカチャカチャカチャ・・・ん?一体何の音?

追い越す時に耳をそばだてたら、ワンちゃんの足音。
爪が伸びて?いるらしく、可愛らしい音がする。
追い越しする時に飼い主さんに「爪の音が可愛いですね」と言ったら不思議そうな顔をされた。
「え、音がしますか?」
毎日散歩していると思うのに、気がつかなかったらしい。

電車に乗ると車内アナウンスが聞こえた。
「足を前に突き出すと他のお客様の迷惑になりますので、突き出さないでください」
はいはい、私はいくら突き出しても通路まで届かないから大丈夫ですよ。
それでさっき会ったダックスフントのことを思い出した。
私達同類ですもの。

今日は今年始めてサンダルを履いて出掛けた。
それでなにかと足のことが気になったらしい。
先日筋トレをしにジムへ行ったら、今日は靴を履かないで裸足でやりましょうと、パーソナルトレーナーのKさんに言われた。
裸足でというと気になるのは足のケア。
良かった、つい先日足の角質の手入れをしたばかり。
ケアの前の足は人様に見せられない。
かかとガサガサで、大根、生姜やにんにくだっておろせそうな具合なのだ。
サンダルを履く時期が近付くと慌ててお手入れ。
それでもツルツルとは言えない手入れ途中。

ずっと以前、プールで休憩中に友人から「足の裏がきれいねー」と褒められた。
その頃は本当に足裏からどこからどこまで、きちんと手入れをしていたし、若かったから(今よりは)ツルッツルにしていた。
「そうなの、私の身体で1番綺麗なのは足の裏なの」と自慢したけれど、今はもう見る影もない。
どこもかしこも、しわしわがさがさ。
裸足で歩いたら、今朝のダックスみたいな音がするかもしれない。
足音で「あ、nekotamaさんが来た」ってわかってしまうかも。
ガサガサガサガサ・・・・私はゴキブリか!

すごーく昔。
♬あしおーとだけーで、あなたーがわかーる、めをとーじていてーも、あなたがわかる♬
という曲が流行った。
オーケストラに足音に特徴のある人がいて、靴音がうるさい。
引きずっているのか、エネルギーが有り余っているのか、その両方かもしれないけれど、やたらに足音の目立つ人がいた。
丁度その人と一緒に弾いている頃の歌だった。

私はジョルジュ・シムノン作のメグレ警視シリーズが好きだった。
メグレ警視が家に帰ると、自分でドアをあけなくてもひとりでにドアが開く。
彼の家が自動ドアだったわけではない。
奥さんが彼の足音がすると待ち構えていて、彼のためにドアを開くから。
あれはシムノン氏の理想の奥さん像だったのかとも思う。
現実はそんな甘いものではないのに。
ドアくらい自分で開けなさい、メグレさん。

往きの電車で白人系の女性が座っているのを見たら、とても足が短い。
あらま、西洋人でも足が短い人がいるんだなあと、妙に親近感を覚えた。
帰りの電車では日本人の女性。
すごく足が長い。
ほんっとに長い。
世の中変わってきた。
昔はバレーダンサーといえば西洋人に限ると思っていたけれど、最近の日本人は決して引けをとらない。
ミス・ユニバースで日本人初の優勝した人は誰でしたっけ。
八頭身と騒がれて感心したものだけど、最近は八頭身どころではない。
以前NHKの通路で、私と同じようなずんぐり体型の人と歩いていたときのこと。
向こうから来た女性の足の長さったら驚異的で、胸から下にすでに足が生えているようだった。
私と友人は側を通り過ぎてから「今の人間?」「いや、宇宙人」
やっかみではないけれど、あまり長すぎるのも火星人みたいで気味が悪い。

今日はダックスフントに始まって足のことばかり気になる日だった。
サンダルを履いたらまだ爪を塗っていなので、裸足で歩いているような気がした。
マニキュアもペディキュアも好きでは無いけれど、なぜか夏になると塗りたくなる。
足のことばかりで今日はあしからず!

ここに落とすと思ったでしょう、みなさん。
どうせ私のやることは読まれていますからね。

そう言えば黒田節に「爪音高き想夫恋」という歌詞があった。
ダックスフントの歌ではありませんよ、念の為。


追記
黒田節の歌詞の2番

峰の嵐か松風か 訪ぬる人の琴の音か
駒を引き止め立ち寄れば 爪音高き想夫恋









2018年5月3日木曜日

人の波

新横浜駅で新幹線に乗ろうと思ったら、とんでもない混み方。
乗車券と特急券は用意していなかったからまずチケット自販機に並ぶ。
ここまで乗ってきた乗車券を入れるように指示されたけれど、モバイルSuicaを使ったので器械が対応してくれない。
結局窓口にいかないといけないことになった。
不便なものだ。
その間にもワンワンと、どこから湧いてきたかと思うような人混み。
子供は騒ぐ、トイレは行列。
行列の私の後ろの子供が騒ぐ・・・列車に間に合わないかもしれない。
順番はまだ?

親が不安げにダメかもしれない。
子供はなんでもっと早くこなかったのと親に言う。
そうよ、こんなことは予想されることだから、いつもの何倍か時間に余裕をみないと。
子供の父親が、弁当どうする?と奥さんに訊くと**弁当にして!それからどこそこで待ってて。
男性は奥さんの指示どおりにわかったと言って、お弁当を買いに走る。
この人は飼いならされて会社でも家庭でも、こうして他人から言われたことをおとなしく実行するのに慣れているんだなと思う。
良き社会人、良き家庭人、せっかくの休みも家族のために走り回って、こんな人混みでおとなしくしているゴールデンレトリバーみたいに。

やっと乗った新幹線のこだま号の自由席は満員で、朝のラッシュ時のような混み方だった。
その中でも頑なにスマホ見る人がうざい。
スマホにそんなに面白いことが入っているわけではなくて、他人と自分を隔離する道具として使っているのかとも思う。
ちょっと身体を斜めにすれば周りに余裕が出来るのに、がんとして突っ張ってアホとちゃうか。

とにかく、ゴールデンウイークとはこういうものなのね。
私の生活はおよそこういう世間の習慣からかけ離れていたから、なんだか一斉に遊ばなければならない人たちが気の毒になる。
それなのになぜ出掛けたのかと言えば、私の生徒が元習っていた先生の発表会に出るというので聴きに行くことにしたので。
その会場が富士市にある。
本当に熱心に通ってきて、ずいぶん上達したので聴いてあげないと。
私は自分で発表会を開くというようなことをしない不精者なので、生徒たちはあちらこちらの発表会に混ぜてもらうので可哀想。
元教えていた音楽教室の発表会だったり、友人の発表会だったりに頼み込む。
やはり勉強すれば発表の機会はほしい。
私は自分が弾くのに忙しくてあまり良い先生ではないけれど、弾く人の気持はわかるのでなるべく聴いて上げるようにしている。
それで、混雑の中、富士まで行ったというわけで。

新幹線で三島まで行ってそこから富士まで、途中田子の浦なんてところを通る。
実際富士山が車窓から見えて有名な、田子の浦にうちいでてみれば真白にぞ・・・と言う句を思い出した。
今日の富士山は真白とは言えないけれど、雨上がりの雲の上からすこし霞んで優雅に顔を出していた。
乗り換えの三島駅ホームで駅蕎麦を食べた。
本当は終わってからゆっくりと三島で下車して、赤魚の煮付けかなんか食べようと思っていたのに、立ち食い蕎麦のメニューに珍しい桜えびと野菜のかき揚げがあって、時間も丁度お昼時で乗り換え時間は余裕があるし。
それはその場で揚げるらしく、揚げたてのサクサクの美味しいかき揚げだった。
これはめっけ物だった。
ただ熱々なので短い時間では食べられない。

富士市はかつて大変臭い街だった。
製紙工場やセメント工場が煙を吐いて、せっかくの富士山が気の毒。
現在は寂れた街に工場の跡なのか休日なので稼働していないのか、人も車もまばら。
その中に綺麗な交流プラザがあった。
多目的とは言いながら音響もよいホールでの発表会。
一生懸命演奏しているのに子供が走り回る。
親は呑気におしゃべり。おやおや。

私の生徒はといえば、最近音も表現力も格段に進歩してきたので安心して聴いていられるけれど、子供たちが騒いだら集中力を欠いてしまうといけない。
と、思っていたら、子供の出演者がはけた時点で皆さん退場。
よかった!
大人だけになって静かに聴いてもらえた。

帰路は混雑もなく新幹線も座れたけれど、なんだかどっと疲れた。
人混みに子供が交じると修羅場になる。
子供は嫌いではないけれど、躾をしない親を見るとイライラする。
子供は大人が思っている以上に理解力があるから、きちんと躾ければすぐに猿ではなくなるのに。

ロンドンアンサンブルのピアニストだった故松村美智子さん。
ある時子供がぎゃーという声をを出した時「イギリスではあんなのは考えられない」と言った。
イギリスの親は躾が厳しくて、子供は非常に行儀が良い。
だけど、18歳過ぎて親の手がはなれると、みんなハッチャケちゃって変になっちゃうのよ、と笑いながら話してくれた。
日本人とは逆ね。
日本の子供はうるさいけど大人は大人しすぎる・・・そうなのだ。

美智子さんのご主人のフルート奏者のリチャードが来日して、5月12日にコンサートに出演する。
興味のある方はどうぞ足柄までいらっしゃってください。

         5月12日(土)午後2時30分開演
           南足柄文化会館小ホール
          
         ヴァイオリン    碓井志帆
         フルート・尺八   リチャード・スタッグ
         チェロ       海野幹雄
         ピアノ       海野春江

      バッハ:ブランデンブルグ協奏曲第5番 他
  
  リチャード・スタッグ氏の編曲で、彼の着物姿での尺八演奏などが人気です。