2019年5月5日日曜日

ドヴォルザーク チェロ協奏曲

楽譜探しをしていたら、ドヴォルザークのチェロ協奏曲の楽譜を見つけた。
ヴィオラ用に書き直したもので、いつかこれを弾きたいと思って買い置きしていたもの。
仕事に追われて新しい曲の譜読みは必要なものが優先。
遊んでいる暇はなかった。
早急に必要でない、ましてヴィオラの曲だから暇になったらという僅かな希望だけでしかなかった。
今、やっと希望がかなったわけで。

数年前、ロンドンアンサンブルのチェリストのトーマス・キャロル氏がこの曲を弾いた。
彼らは来日すると毎回私の家で練習したのだけれど、狭いレッスン室が怒涛のような音量に満ちてゴウゴウと壁が共鳴した。
象の群れが一斉に咆哮するみたいに。
小さい編成で伴奏するので、少人数で様々な楽器のパートを弾くはめになったから忙しい。
ファゴットやクラリネットの分まで。
私はヴィオラを受け持っていたから、中間音の主に管楽器が分け前として与えられた。
ときにはセカンドヴァイオリンの分まで。
それはそれで、大変勉強になった。
けれど、普段オーケストラで弾いているものとは違うので、とまどいも多かった。
「nekotamaそこ間違っているよ」とトーマスは情け容赦ない。
君が悪い・・・決して気味が悪いではありませんよ。
彼はソロだけでなく伴奏のことまで全部頭に入っているから、少しのミスも許さない。
練習は厳しいけれど本番が終わると「nekotama~素敵な音だったよ」いつも褒めてハグしてくれた。

楽譜が見つかったので、早速ヴィオラを取り出して弾きはじめた。
押し入れで無聊を託っていたヴィオラは、驚きのあまり弦が切れてしまった。
おやおや、また聖徳太子が羽をはやして飛んでいく。
仕事が減った身にとって、弦の値段は高すぎる。

世の中で名曲と呼ばれているものは、テクニックが難しくても決して弾きにくいことがない。
世界中で愛される名曲は実に理にかなったもので、有名になるのにはそれなりの理由がある。
ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、名曲の要素満載なのだ。
短い時間に次々と心を揺らすような旋律が沸き起る。

若い頃、私はこの曲をロストロポーヴィッチの演奏で何回か聴いた。
痺れるようなピアニシモ、会場を揺るがすフォルティシモ、感動で椅子を立つことが出来ないくらいだった。
残念ながらカザルスやピアティゴルスキーの演奏には出会えなかったけれど。
もう少し前の時代に生まれていればよかったと思うが、そうすると今こんなブログは書いていなかった。
ないものねだりばっかり!

ロストロポーヴィッチのような演奏はできるわけないけれど、気分は最高!
頭の中でロストロポーヴィッチさんと一緒に弾いているつもりで、散歩していてもいつのまにかハミングしている。
今はブラームスのソナタ、北軽井沢の夏のコンサート、秋の古典音楽協会定期演奏会でのコンチェルトのソロパート等々、練習しなければいけない曲が山のように待ち受けているのに困ったなあ。
でも嬉しい苦労はいくらでもできる。

ドヴォルザーク、ピアノ伴奏でどこかで弾いてみようではないか。
密かに企んでいる。
友人たちが来たら、鍵をかけて家から出られなくして椅子に縛り付けて聴かせようか。
すると長年の友情がおじゃんになる可能性が・・・

おじゃんといえば志ん生の「火焔太鼓」
お前さん半鐘はいけないよ、おじゃんになるから・・・えー、おあとがよろしいようで。






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