数日前から治療しているのに口内炎はしぶとく口の中に居座っている。痛みは軽減しているし腫れも半分くらいになったけれど、口の中を指で探ると意外に広範囲で驚いた。その上喉の入り口にまで広がっていることがわかった。小さなクレーターのようなツブツブが喉の入り口で指先に触れる。口中の右半分がやられていた。
歯磨きが下手なのか、硬いものでも構わずガリガリ食べて歯が丈夫なのをいいことに頬張って・・・要するに行儀が悪いのだ。大家族の末席に位置してろくなしつけもされなかったから、食べたいものを食べたいときに食べたいだけ食べるという自然兒で、それでおおらかに人生過ごせたところもあるけれど恥をかくことも多かった。
母が私に厳しく言ったことは「人様に迷惑をかけるようなことをしてはいけない」「挨拶はきちんと」これだけ。たった2つ。
学校から帰ってただいま!といっても「聞こえないからもう一度」大きな声ではっきり言わないといけない。人様に迷惑をかけない亊は、生きているだけで周囲に迷惑な存在の私には無理。それでもその2つは常に私の心に染み付いていた。私の友人たちはお嬢様が多く、皆さん優雅に振る舞えるのに私だけはがさつ。喧嘩っ早い、よく吠える、我慢できない、ルールを無視するなどは日常茶飯事。
そんなことを反省していたら高校の同級生から電話があった。私が一人ぼっちでいるからどうしているかと心配になったそうなのだ。本当にありがたい。声を聞いたら元気そうで安心したわと言われた。口が腫れているのに嬉しさのあまり元気な声を出していたらしい。しまった!もう少し暗い声で話せばよかった。同情されたかも。
彼女はピアノ科で、毎朝同じ電車で高校に通っていた。思えば毎日がバラ色で電車の中でもずっと笑いっぱなし。周りの人たちまで時々巻きこまれて笑うこともあった。同じ電車に乗ると車両も決めてあるから顔ぶれは同じで、別の大学の人とか会社員とかいつの間にか顔見知りになった。当時私が乗っていた路線は一部分が単線だったから一台乗り遅れると大変で、皆ほとんど毎日同じ時間に乗り合わせることになる。
ある時ゲルマンというあだ名のドイツ語の先生が結婚するという話になった。ゲルマンは中年になっても奥さんがいなかった。彼が結婚するというのでめでたくはあるけれど一体誰と?それが親戚の女性だった。私が「親戚にも余っていた人がいたんだ」というと目の前の座席に座っていた人が「ブオッホ!」と吹き出して周り中笑ってしまった。いつも会うおじさん。傘に名前が書いてあった。天森さん。傘が雨漏りでは役にたたないねなんてヒソヒソしていたら聞かれてしまったらしい。いつも気難しい顔をしていた彼の頬が緩んで、聞かれたと知った私達はひたすら謝った。
私達の通学電車はいつも笑いに満ちていた。電話をくれた彼女が、卒業してからあるコーラスグループのピアノ伴奏をしに行ったらどこかで見たような顔がこちらを見ていた。練習日が2,3回過ぎた頃話しかけられて「いつも電車が一緒でした」「いつ見てもずっと笑っていましたよね」と言われたそうな。
下車する駅の駅員さんとも仲良しで、電車が1分でも遅れると遅延証明書をもらう。駅員さんに、時間は書かないでねと言って。駅を出るとすぐにクローバーが咲き乱れる野原があって、そこで同じ電車の全員が牛乳なんか飲んで30分ほど過ごすと、やおら学校に向けてあるき出す。全員一緒でないと先生にバレるから抜け駆けはいけないという鉄の掟があった。もちろん遅延証明書には遅延時間40分と書き込んである。帰りは「先生、電車の時間があるので終わりにしてください、これ逃すと大変なんです」と授業を終わらせてもらう。
それがきかない先生だと窓からこっそりかばんをおろしておく。そして先生が黒板に向かった隙きを狙ってさっと廊下に飛び出すという作戦。これは時々失敗した。外を歩いている他のクラスの学生が「だーれ、こんなところにかばんおいているのは」と大声で言う。彼らはかばんが外にある私達の意図を承知のうえ。抜け出したときの達成感、急に生徒の数が減って驚く先生。こんなことばかりしていた。先生もお見通しだった。ときには「今日はいいのか?」なんて言われた。
今コロナの規制の中で言うことをきかない若者を見るけれど、一種の強がり、悪ふざけかもしれないなと思う。私達もなにも一刻を争って家に帰りたいわけではない。先生の鼻をあかすのが面白かっただけ。なにか決められたことを素直に聞くことはないと。それでも今回のことは世界中の人の命に関わるから、若者よ、素直になろう!今回だけはお願い。
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