一夜明けて、世はすべてこともなし。
ワクチン接種後だんだん腕が痛くなってきたから、これは副反応、腕が腫れ上がったり熱が出たりしたらどうすればいいのかと思っていたけれど、痛かったのはその日の夜まで。今朝目が覚めたらけろりと治っていた。とりあえず1回目のワクチン接種ができて安心したのか、いつにもなく熟睡できたらしく、全てスッキリとしていた。腕は横に上がらなかったけれど、ヴァイオリンを弾く体勢を取ると全く痛まない。どこまでもヴァイオリンを弾くことは体にいいのだと妙に感心した。けれど2回めとなるとそうはいかないらしい。1回目よりも更に反応が大きいというから気持ちの準備だけはしておこう。
昨日はワクチン接種後ということで、あまり激しく動いてはいけないという良い口実ができたから、思い切り怠けられた。普段はぼんやり怠けていると、気持ちは後ろめたい。なぜこうなってしまうのかしら。だれでも自分の中に驚くほど勤勉な部分と、休みたい気持ちがあると思う。私の場合は怠け者7割、勤勉で恐ろしく集中するところが2割、あとの残りは半分勤勉半分怠け者。
大学時代、友人の別荘に泊まり込んでいた。野尻湖の湖畔にあって外国の老婦人がゆったりと木陰の籘椅子に座っていた。その姿を見たとき「あんな老後が送りたい」とつぶやいたら友人が笑っていた。まだ19歳くらいだったから、友人たちは老後のことなど考えもしなかったと思う。けれど、私はいつもはるか先の年齢のことを考えていたようだ。
若い頃猛烈に働いたのもゆったりとした老後が送りたかったから。老後と言われる年になったら、実際にはゆったりとできないことがわかったけれど。理想はオオナマケモノのように数時間でもじっとして木にぶら下がっていること。飛んできた虫をパクリと食べると、あとは次の獲物が飛んでくるまで待つ。なんて幸せなの!
そういう私の姿を間近で見ている人たちの目には、私は保護するべきものと映るらしい。おかげで皆さんにお世話になっている。ちょっと頭の弱い虚弱な年寄と思うらしい。実際そうなんだけれど。そこが思うつぼで知らない人まで荷物を持ってくれる、スーパーのお姉さんはカゴを運んでくれる、お兄さんは重たい水や猫砂などをカートに積んでくれる。家に帰ってその荷物を持ってえいや!とばかり階段をのぼる姿は見せられない。
そんなわけで、昨日午後はずっと映画を見ていた。「リリーのすべて(The Danish Girl)」デンマーク・コペンハーゲン。主人公リリーはゲルダのもと夫のアイナー。二人は画家夫婦。実は彼は性同一性障害者で、妻を深く愛しているものの自分が男であることに耐えられない。ゲルダはそんな夫を励ましアイナーとしてでなくリリーとして生きたいという夫を助け、リリーは性転換手術を受けて女性となる。しかしその手術の予後は悪く、彼はゲルダに見守られて死んでゆく。美しくも哀れな物語。
画面が美しい。二人の作品である絵も美しい。リリー役の俳優の物静かな振る舞いが生き生きとしたゲルダと対照的で、心を揺さぶられる。決して大げさな苦悩の表情をしないから、なおさら彼の深い悲しみが伝わってくる。近来まれなほど感動した。アマゾン・プライムヴィデオでは、様々な古い映画や日本ではマイナーな映画などが見られて、その中でも秀逸ではないかと思う。決して劇場にまで足を運ぶことはなかったと思うけれど、こうしてみると映画館まで観に行けばよかったと思う。