ここ数年毎年行われるハビブ・カヤレイ氏の公開レッスンを聞きに行った。
スイスのカヤレイ・ヴァイオリン・アカデミーで研鑽を積んだヴァイオリニストの細野京子さんの主宰。
師であるカヤレイさんの教えを日本に広めたいと、ここ数年尽力されたのが実を結んで、すっかり定着したのは喜ばしい。
彼のレッスンを聴いていて感動するのは、美しい音に対する飽くなき情熱。
いついかなるときも決して音を粗末に扱わない。
受講者が出来なければ出来るまで教える。
1時間のレッスンで出来るのは殆ど曲の冒頭部分のみ。
その間何回も何回も繰り返し、理想の音に近づけさせようと努力する真摯な姿勢に胸を打たれる。
受講者の音が次第に変わっていくのも聴いていて愉しい。
どんなに時間がかかっても諦めない。
そして温かい人柄が生徒を揺り動かして、初めはカチカチだった体の力が抜けていく様を見ると、教師たるものこうあるべきと一瞬猛反省をする。
すぐ忘れてしまうのがいけないけど。
先日見学したのはフランスのオリヴィエ・シャルリエ氏のレッスン。
パリ音楽院の教授でありロン・ティボー国際コンクールの審査員である鬼才のレッスンは、曲の構造と和声についてが主だった。
例えば16分音符の連続であっても、全部弾き方が同じではないということ。
曲がどんな構造になっているかを解き明かしていくと、見る見る立体的になっていくのが素晴らしかった。
日本人の生徒達は、いずれも技術的には申し分ないのに、なぜか演奏が平板なのは、こうした曲の分析力がないからではと思う。
今の若者の技術は十分に世界的水準にある。
だから和声と構造に対する勉強をすれば、世界でもトップクラスになれるはず。
私は今までのんびりと音楽を楽しんでばかりだったけれど、こういう人達のレッスンを聴くと、なぜ留学しなかったのか悔やまれる。
オーケストラと室内楽があまりにも面白くて、外国に行くように勧められても、その余裕もなかった。
前述に重複するが、日本には優秀な先生と生徒達がいるのに、今ひとつ何かが欠けているのは、こうした構造と和声に裏打ちされた音楽の組み立て方を知らないからだと思う。
日本人は世界的なコンクールで優秀な成績をおさめているけれど、生まれながらに持っている伝統の力にはかなわないと時々実感する。
2014年5月6日火曜日
2014年5月5日月曜日
クライスラーの嘘
5月の後半、東日本大震災復興支援コンサートで使うのは、例の生き残りの木で作られたヴァイオリンとヴィオラ。
どういうシステムになっているのかはわからないけれど、主宰者が楽器を借りてくれる。
その楽器はコンサートの2日前にしか貸し出してもらえないので、1日だけ手慣らしして弾かなくてはならない。
ヴァイオリンは長年同じ楽器を使っているので、もう自分の体の一部のようになってしまっている。
それで、違う楽器を使うと微妙に「ツボ」と言うのだが、音程のスイートスポットが違う。
勿論鳴り方も全然違うと思うので、馴れるのに1日では短すぎるけれど、そういう約束で借りるらしいので、仕方が無い。
さて曲目はどうしようか考えて居たのだが、長すぎず気難しすぎず、それでも格調高くとなると適当なものが思いつかない。
ヴィオラはFUMIKOさんが弾く。
いつもはチェロの代わりにヴィオラとピアノとヴァイオリンでトリオを弾いているので、その編成のレパートリーがある。
復興支援と言うことなので、なるべく日本の曲を多めに入れてと考えて居た。
それでトリオとしては日本の曲、それぞれのソロは自分の好きな曲となった。
最近生徒達が何故か、我も我もと弾いているクライスラー「プレリュードとアレグロ」が大変素敵な曲なので、それを弾くことにした。
この曲は先日ロンドンアンサンブルのタマーシュが目も醒めるようにあざやかに弾いた曲。
彼は「この曲弾くのは6才の時以来かな」と言っていたそうで、私はそれに遅れること8年ほど。
その時にはこんなに面白い曲だとは思わなかった。
訳もわからず弾くと、なんてへんてこな音型の連続なのかと思ってしまう。
ところが、早いパッセージを猛スピードで弾くと、なんとそこに浮き上がってくる旋律がある。
まるでパズルのようなのだ。
初めて弾いた時にはワケが分からなかったので、ただ早く弾けば良いのだと思った。
先生も別になんの説明もしてくれなかったし。
この曲、クライスラーが演奏旅行中にイタリアの図書館で見つけた、プニャー二という旧い作曲家の楽譜、そのテーマを元にアレンジしたという触れ込みで発表された。
ところが数年後クライスラーは、実はあれは自分の作曲であると告白しセンセーションを巻き起こしたという。
いわゆる偽装。
何故そんなこと言ったのでしょうね。
クライスラーって、ものすごくIQが高かったのだと思う。
どういうシステムになっているのかはわからないけれど、主宰者が楽器を借りてくれる。
その楽器はコンサートの2日前にしか貸し出してもらえないので、1日だけ手慣らしして弾かなくてはならない。
ヴァイオリンは長年同じ楽器を使っているので、もう自分の体の一部のようになってしまっている。
それで、違う楽器を使うと微妙に「ツボ」と言うのだが、音程のスイートスポットが違う。
勿論鳴り方も全然違うと思うので、馴れるのに1日では短すぎるけれど、そういう約束で借りるらしいので、仕方が無い。
さて曲目はどうしようか考えて居たのだが、長すぎず気難しすぎず、それでも格調高くとなると適当なものが思いつかない。
ヴィオラはFUMIKOさんが弾く。
いつもはチェロの代わりにヴィオラとピアノとヴァイオリンでトリオを弾いているので、その編成のレパートリーがある。
復興支援と言うことなので、なるべく日本の曲を多めに入れてと考えて居た。
それでトリオとしては日本の曲、それぞれのソロは自分の好きな曲となった。
最近生徒達が何故か、我も我もと弾いているクライスラー「プレリュードとアレグロ」が大変素敵な曲なので、それを弾くことにした。
この曲は先日ロンドンアンサンブルのタマーシュが目も醒めるようにあざやかに弾いた曲。
彼は「この曲弾くのは6才の時以来かな」と言っていたそうで、私はそれに遅れること8年ほど。
その時にはこんなに面白い曲だとは思わなかった。
訳もわからず弾くと、なんてへんてこな音型の連続なのかと思ってしまう。
ところが、早いパッセージを猛スピードで弾くと、なんとそこに浮き上がってくる旋律がある。
まるでパズルのようなのだ。
初めて弾いた時にはワケが分からなかったので、ただ早く弾けば良いのだと思った。
先生も別になんの説明もしてくれなかったし。
この曲、クライスラーが演奏旅行中にイタリアの図書館で見つけた、プニャー二という旧い作曲家の楽譜、そのテーマを元にアレンジしたという触れ込みで発表された。
ところが数年後クライスラーは、実はあれは自分の作曲であると告白しセンセーションを巻き起こしたという。
いわゆる偽装。
何故そんなこと言ったのでしょうね。
クライスラーって、ものすごくIQが高かったのだと思う。
2014年5月4日日曜日
子供が可愛くない。
ゴールデンウイークで電車に乗ると、親子連れがわんさか乗ってくる。
若い両親と学齢前の子供。
これがたまらなくうるさい。
こんなこと言うおばさんがいるから、日本の出生率が減るんだと思われると困るけど。
子供を産んだことも無いくせに、子育ての大変さも知らないくせにと言われそう。
でも私は大家族で育ったから、いつでも実家には子供がいて、親よりも私が面倒見ることも多かった。
子供は躾ければ、いくらでもちゃんと出来ると言うことを知らなさすぎる。
ガクタイは世間の枠から外れているわりには、子育てはキチンとする人が多い。
例えばレストランで大声を出したり走らせたりはしない。
友人達がまだ子育て世代だった頃、その子供たちと一緒に食事に行っても、不愉快な思いをしたことは一度も無い。
しっかりと躾けられていて、大人の会話の間騒ぐことも無い。
少し大声を出すと「ここは遊び場ではありませんよ」とたしなめられ、すぐに静かになった。
いつもオーケストラに子供を連れてくる人が居た。
その子は練習が始まると椅子に座って、ジッと練習を聴いていた。
椅子から立ち上がることも無かった。
そのかわり休憩に入ると、大騒ぎ。
大人達もわかっているから、目一杯走らせてあげる。
そして練習時間になれば1時間から1時間半、じっとしている。
その頃、まだ4才位だったと思う。
小学校に入るまでそれが続いた。
コンサート会場にも来ていた。
コンサートが終るまでジッとして聴いているか眠っているかだった。
海外に旅行して思うのは、日本の子供のしつけが悪いこと。
飛行機の中でも騒ぐのは、殆どが日本人の親子。
海外の免税店のレジで、友人がレジ係と話をしていた。
なにを話してたの?と訊くと、店内で子供が泣いていたのでレジ係から「あれは貴女の子?」と訊かれ、「日本の子供はすぐに騒ぐ」と言われたので「私はシングルよ」とアピールしていたそうな。
電車の中で自宅そのままに、だらしない親子を見かけると不愉快になる。
座れないと言って駄々をこねる。
座るとつり革に掴まりたいと言って泣く。
昨日は向かいの席に、胸を開けて授乳している母親を見て唖然!
お願いだから降りてからにして下さい。
私の隣のおじさんが、身を乗り出すじゃあないですか。
父親がだらしない。
子供の言いなり放題、子供は親をすっかり見下す顔つき。
その顔が本当に可愛くない。
子供は2才にもなれば、人の言うことがよくわかる。
サル、イヌ以下にしては子供が可哀相なのに。
若い両親と学齢前の子供。
これがたまらなくうるさい。
こんなこと言うおばさんがいるから、日本の出生率が減るんだと思われると困るけど。
子供を産んだことも無いくせに、子育ての大変さも知らないくせにと言われそう。
でも私は大家族で育ったから、いつでも実家には子供がいて、親よりも私が面倒見ることも多かった。
子供は躾ければ、いくらでもちゃんと出来ると言うことを知らなさすぎる。
ガクタイは世間の枠から外れているわりには、子育てはキチンとする人が多い。
例えばレストランで大声を出したり走らせたりはしない。
友人達がまだ子育て世代だった頃、その子供たちと一緒に食事に行っても、不愉快な思いをしたことは一度も無い。
しっかりと躾けられていて、大人の会話の間騒ぐことも無い。
少し大声を出すと「ここは遊び場ではありませんよ」とたしなめられ、すぐに静かになった。
いつもオーケストラに子供を連れてくる人が居た。
その子は練習が始まると椅子に座って、ジッと練習を聴いていた。
椅子から立ち上がることも無かった。
そのかわり休憩に入ると、大騒ぎ。
大人達もわかっているから、目一杯走らせてあげる。
そして練習時間になれば1時間から1時間半、じっとしている。
その頃、まだ4才位だったと思う。
小学校に入るまでそれが続いた。
コンサート会場にも来ていた。
コンサートが終るまでジッとして聴いているか眠っているかだった。
海外に旅行して思うのは、日本の子供のしつけが悪いこと。
飛行機の中でも騒ぐのは、殆どが日本人の親子。
海外の免税店のレジで、友人がレジ係と話をしていた。
なにを話してたの?と訊くと、店内で子供が泣いていたのでレジ係から「あれは貴女の子?」と訊かれ、「日本の子供はすぐに騒ぐ」と言われたので「私はシングルよ」とアピールしていたそうな。
電車の中で自宅そのままに、だらしない親子を見かけると不愉快になる。
座れないと言って駄々をこねる。
座るとつり革に掴まりたいと言って泣く。
昨日は向かいの席に、胸を開けて授乳している母親を見て唖然!
お願いだから降りてからにして下さい。
私の隣のおじさんが、身を乗り出すじゃあないですか。
父親がだらしない。
子供の言いなり放題、子供は親をすっかり見下す顔つき。
その顔が本当に可愛くない。
子供は2才にもなれば、人の言うことがよくわかる。
サル、イヌ以下にしては子供が可哀相なのに。
2014年5月3日土曜日
久々の西湘フィル
5月11日秦野市文化会館にて定期演奏会。
そのお手伝いにはせ参じることとなった。
初めトレーナーとして行っていたのだが、練習日が休日なので東名高速が恐ろしく混み、帰路は3時間くらいかかることも多かった。
毎回空いていたことがなくて、往復するだけでヘトヘトになるので、トレーナーはお役御免にしてもらい、演奏会の時にエキストラで参加することになった。
それもヴィオラをという要請だったけれど、私はヴィオラ大好きでも体が小さくて、負担が大きい。
それで今回はファーストヴァイオリンを弾かせてもらう。
オーケストラで一番楽なのが、ファーストヴァイオリン。
美しい旋律を気持ち良く弾かせてもらえる。
それは音程は高いし目立つから間違えればアウトだし、それなりの苦労があっても、セカンドヴァイオリンやヴィオラのようにワケのわからないことはやらされない。
内声は本当に難しい。
ファーストヴァイオリンとチェロに挟まれて、あちら立てればこちら立たずみたいな苦労をする。
卒業後オケに入ってファーストヴァイオリンばかり長く弾いて居たので、セカンドヴァイオリンが羨ましくて仕方が無かった。
何回かセカンドを弾かせてとお願いしても許可が下りず、10年以上経ってから、もう辞めるというときに初めて弾かせてもらえたらこれが面白くて、それから数年居座ってしまった。
今はもうセカンドヴァイオリンは弾けそうも無い。
若い頃に染みついたファーストヴァイオリンの癖が、つい出てしまうから。
セカンドは、曲が良く分かっているベテランで無いと難しい。
音が低くて目立たないから初心者はセカンドに回されることが多いが、それは間違っている。
自分の役割をハッキリと知った上で、高音と低音の仲立ちができなければいけない。
スコアを読んでキチンと役割を果たせるようでないと、内部から崩壊が起きる。
今回どのパートを弾きたいですかと聞かれたから、1も2もなくファーストと答えた。
楽なんです、本当に。
今日初めて練習に参加した。
顔ぶれは少し変わっていたが、開団当時からの有力メンバーが頑張っていて、ずいぶんレベルが上がっていた。
かなり良い線行ってます。
曲目は
ビゼー 「アルルの女組曲」
ブルッフ 「ヴァイオリン協奏曲」
フランク 「交響曲」
14時開演。
気持ちの良い季節になりました。
お誘い合わせの上、ご来場下さい。
お待ちしております。
そのお手伝いにはせ参じることとなった。
初めトレーナーとして行っていたのだが、練習日が休日なので東名高速が恐ろしく混み、帰路は3時間くらいかかることも多かった。
毎回空いていたことがなくて、往復するだけでヘトヘトになるので、トレーナーはお役御免にしてもらい、演奏会の時にエキストラで参加することになった。
それもヴィオラをという要請だったけれど、私はヴィオラ大好きでも体が小さくて、負担が大きい。
それで今回はファーストヴァイオリンを弾かせてもらう。
オーケストラで一番楽なのが、ファーストヴァイオリン。
美しい旋律を気持ち良く弾かせてもらえる。
それは音程は高いし目立つから間違えればアウトだし、それなりの苦労があっても、セカンドヴァイオリンやヴィオラのようにワケのわからないことはやらされない。
内声は本当に難しい。
ファーストヴァイオリンとチェロに挟まれて、あちら立てればこちら立たずみたいな苦労をする。
卒業後オケに入ってファーストヴァイオリンばかり長く弾いて居たので、セカンドヴァイオリンが羨ましくて仕方が無かった。
何回かセカンドを弾かせてとお願いしても許可が下りず、10年以上経ってから、もう辞めるというときに初めて弾かせてもらえたらこれが面白くて、それから数年居座ってしまった。
今はもうセカンドヴァイオリンは弾けそうも無い。
若い頃に染みついたファーストヴァイオリンの癖が、つい出てしまうから。
セカンドは、曲が良く分かっているベテランで無いと難しい。
音が低くて目立たないから初心者はセカンドに回されることが多いが、それは間違っている。
自分の役割をハッキリと知った上で、高音と低音の仲立ちができなければいけない。
スコアを読んでキチンと役割を果たせるようでないと、内部から崩壊が起きる。
今回どのパートを弾きたいですかと聞かれたから、1も2もなくファーストと答えた。
楽なんです、本当に。
今日初めて練習に参加した。
顔ぶれは少し変わっていたが、開団当時からの有力メンバーが頑張っていて、ずいぶんレベルが上がっていた。
かなり良い線行ってます。
曲目は
ビゼー 「アルルの女組曲」
ブルッフ 「ヴァイオリン協奏曲」
フランク 「交響曲」
14時開演。
気持ちの良い季節になりました。
お誘い合わせの上、ご来場下さい。
お待ちしております。
2014年5月2日金曜日
騒音
ストラビンスキー「兵士の物語」の譜読みを始めた。
本番はまだ先の9月。
それでもなんやかやしていると、あっという間に本番前日ということになってしまうから、早めに譜読みだけしておこうと先日から楽譜を広げて弾き始めた。
私の家の上の階には、女子大生の姉妹が住んでいる。
今はゴールデンウイークで、部屋にいることが多いようで、時々かすかに生活音が聞こえる。
ところが私がストラビンスキーの練習を始めると、とたんにあたふたと歩き回る音がして、階段をトントントンと駆け下りて、出て行ってしまう。(ような気がする)
私の僻みかもしれないけれど、そんなに慌てて逃げなくてもいいじゃない。
これでもかと不協和音でフォルテの変拍子が連続、上の部屋にまで聞こえているのかも知れない。
上の階が時々空き部屋になったときに入ってみて、下でピアノを弾いてもらっても、それほど聞こえない。
かすかになにか楽器が鳴っている・・・それも楽器の音かどうかもわからないくらいの音量。
それがストラビンスキーは、こんなに過激な反応を引き起こす。
私は午前の遅い時間から練習を始めるので、偶々お嬢さんのお出かけの時間とぶつかるのかどうか、こちらに後ろめたい気があるので、そう思ってしまうのかも知れない。
ヴァイオリンは遠くまで音が飛ぶから、むしろピアノよりもうるさいのかしら。
それでも、楽器は宙に浮いているのだから、音が壁や床を伝わっていかない。
音を出す人達は周囲に気兼ねして、肩身狭く生きている。
我が家も一応は防音工事をしてある。
壁と天井には鉛の板が入り、ドアは厚めで窓は二重窓。
下は駐車場なので、ありがたいことに車は苦情は言わない。
練習し初めはあまり大きな音は出さないが、曲ができあがってきて、だんだん良い気持ちになるとつい、目一杯弾いてしまう。
部屋探しに訪れた人達も、下の階の人が音楽家と聞いて、やめる人もいる。
それでも音楽が好きだし、昼間は部屋にいないからいいわと思って借りたら、ストラビンスキー。
ショックが大きかったかもしれない。
本番はまだ先の9月。
それでもなんやかやしていると、あっという間に本番前日ということになってしまうから、早めに譜読みだけしておこうと先日から楽譜を広げて弾き始めた。
私の家の上の階には、女子大生の姉妹が住んでいる。
今はゴールデンウイークで、部屋にいることが多いようで、時々かすかに生活音が聞こえる。
ところが私がストラビンスキーの練習を始めると、とたんにあたふたと歩き回る音がして、階段をトントントンと駆け下りて、出て行ってしまう。(ような気がする)
私の僻みかもしれないけれど、そんなに慌てて逃げなくてもいいじゃない。
これでもかと不協和音でフォルテの変拍子が連続、上の部屋にまで聞こえているのかも知れない。
上の階が時々空き部屋になったときに入ってみて、下でピアノを弾いてもらっても、それほど聞こえない。
かすかになにか楽器が鳴っている・・・それも楽器の音かどうかもわからないくらいの音量。
それがストラビンスキーは、こんなに過激な反応を引き起こす。
私は午前の遅い時間から練習を始めるので、偶々お嬢さんのお出かけの時間とぶつかるのかどうか、こちらに後ろめたい気があるので、そう思ってしまうのかも知れない。
ヴァイオリンは遠くまで音が飛ぶから、むしろピアノよりもうるさいのかしら。
それでも、楽器は宙に浮いているのだから、音が壁や床を伝わっていかない。
音を出す人達は周囲に気兼ねして、肩身狭く生きている。
我が家も一応は防音工事をしてある。
壁と天井には鉛の板が入り、ドアは厚めで窓は二重窓。
下は駐車場なので、ありがたいことに車は苦情は言わない。
練習し初めはあまり大きな音は出さないが、曲ができあがってきて、だんだん良い気持ちになるとつい、目一杯弾いてしまう。
部屋探しに訪れた人達も、下の階の人が音楽家と聞いて、やめる人もいる。
それでも音楽が好きだし、昼間は部屋にいないからいいわと思って借りたら、ストラビンスキー。
ショックが大きかったかもしれない。
2014年5月1日木曜日
たまさぶろうの入院
最近すっかり歳をとった、たまさぶろう。
少しも食欲衰えず、早朝からめしよこせと大声で鳴く。
ところがこの2,3日、妙に食欲がなくなって、それで缶詰もカリカリも種類を変えてみた。
いわゆる外国産の健康食のカリカリ、缶詰は日本の同じメーカーで原料の違う物。
カリカリは喜んで口をつけたが、その後、大量に吐いた。
粒が大きいからかと、少し細かくしてあげても吐く。
1昨日は元の食べ馴れた缶詰にようやく口をつけたけれど、ほとんど食欲がない。
そして昨日朝はぐったりとして時々水を飲むだけ。
これは大異変!
食欲の権化で朝から大騒ぎするたまが、これでは病気にちがいない。
数えてみればたまはもう18才。
人間の歳に換算すると、優に100才位ではないかと思う。
今日獣医さんに連れて行ったら、その年にしては元気だし毛並みもきれい、他の猫もまだ健康でいるのは、飼い方が上手だと褒められた。
後2匹の雌猫は、食が細くて痩せては居るが、元気で飛び回っている。
よほどストレスが少ないのでしょうと言われたが、その分私がたいへんなのだ。
毎日の気温の差に応じてエアコンの調節、缶詰の種類もしょっちゅう変えて飽きがこないように気くばり、飲み水は活性炭で浄化されるタイプの水飲み器で、水も常に新しい物をと心がけている。
人間だったら「自分でやんなさい!」としかりつけるところだが、猫には滅法甘い。
いつも代わる代わる依怙贔屓のないように、頭をなで抱っこする。ふう~。
それでも猫たちには与えるばかりでなく、こちらもずいぶん慰められている。
仕事が忙しく、突然死してもおかしくないほど働いていた頃、寝ていても動悸が激しくてたぶん血圧も相当高かったと思う。
ずっと耳鳴りもしていた。
ところが猫をなでると、あら不思議。
動悸が治まり、耳鳴りも軽減する。
辛いときには猫に一緒に寝てもらう。
私が突然死せずに生きていられたのも、猫さんたちのお陰。
そのたまが朝から大量に吐く。
吐く物が無くなるだろうと思うのに、水を飲んでは吐くを繰り返したので、とうとう病院に連れて行った。
以前から腎機能の4分の3は停止していると言われていたから、尿毒症かもしれない。
とにかく昨夜は病院にお泊まりしてもらって、治療をお願いしてきた。
顔を見るとまだしっかりしているので、たぶん今回は回復すると思われるが、刻一刻とお別れが近づいてきているのだなあと、感無量。
今居る猫たちが、これでもう最後となる。
新しく飼うには私が歳をとりすぎている。
思えば今まで、何十匹の猫を飼っただろうか。
道ばたで倒れていたり、棄てられそうなのを引き取ったり、心に残るような事も沢山あったけれど、何よりもいつも喜びと安らぎをくれた彼らに感謝したい。
全部いなくなったらサバサバしてなんの心配も無く旅行ができる。そうなってほしいような、そうならないでほしいような・・・
もちろん、そうならないほうがいいに決まってる。
今朝たまは退院して、迎えに行ったら大声鳴いていた。
獣医さんにお別れを告げ、退院。
すでに点滴の効果が出て、缶詰をぺろりと平らげた。
飼い主、飼い猫共にお騒がせいたしました。
タマが元気になって、お財布も心も軽くなった。
少しも食欲衰えず、早朝からめしよこせと大声で鳴く。
ところがこの2,3日、妙に食欲がなくなって、それで缶詰もカリカリも種類を変えてみた。
いわゆる外国産の健康食のカリカリ、缶詰は日本の同じメーカーで原料の違う物。
カリカリは喜んで口をつけたが、その後、大量に吐いた。
粒が大きいからかと、少し細かくしてあげても吐く。
1昨日は元の食べ馴れた缶詰にようやく口をつけたけれど、ほとんど食欲がない。
そして昨日朝はぐったりとして時々水を飲むだけ。
これは大異変!
食欲の権化で朝から大騒ぎするたまが、これでは病気にちがいない。
数えてみればたまはもう18才。
人間の歳に換算すると、優に100才位ではないかと思う。
今日獣医さんに連れて行ったら、その年にしては元気だし毛並みもきれい、他の猫もまだ健康でいるのは、飼い方が上手だと褒められた。
後2匹の雌猫は、食が細くて痩せては居るが、元気で飛び回っている。
よほどストレスが少ないのでしょうと言われたが、その分私がたいへんなのだ。
毎日の気温の差に応じてエアコンの調節、缶詰の種類もしょっちゅう変えて飽きがこないように気くばり、飲み水は活性炭で浄化されるタイプの水飲み器で、水も常に新しい物をと心がけている。
人間だったら「自分でやんなさい!」としかりつけるところだが、猫には滅法甘い。
いつも代わる代わる依怙贔屓のないように、頭をなで抱っこする。ふう~。
それでも猫たちには与えるばかりでなく、こちらもずいぶん慰められている。
仕事が忙しく、突然死してもおかしくないほど働いていた頃、寝ていても動悸が激しくてたぶん血圧も相当高かったと思う。
ずっと耳鳴りもしていた。
ところが猫をなでると、あら不思議。
動悸が治まり、耳鳴りも軽減する。
辛いときには猫に一緒に寝てもらう。
私が突然死せずに生きていられたのも、猫さんたちのお陰。
そのたまが朝から大量に吐く。
吐く物が無くなるだろうと思うのに、水を飲んでは吐くを繰り返したので、とうとう病院に連れて行った。
以前から腎機能の4分の3は停止していると言われていたから、尿毒症かもしれない。
とにかく昨夜は病院にお泊まりしてもらって、治療をお願いしてきた。
顔を見るとまだしっかりしているので、たぶん今回は回復すると思われるが、刻一刻とお別れが近づいてきているのだなあと、感無量。
今居る猫たちが、これでもう最後となる。
新しく飼うには私が歳をとりすぎている。
思えば今まで、何十匹の猫を飼っただろうか。
道ばたで倒れていたり、棄てられそうなのを引き取ったり、心に残るような事も沢山あったけれど、何よりもいつも喜びと安らぎをくれた彼らに感謝したい。
全部いなくなったらサバサバしてなんの心配も無く旅行ができる。そうなってほしいような、そうならないでほしいような・・・
もちろん、そうならないほうがいいに決まってる。
今朝たまは退院して、迎えに行ったら大声鳴いていた。
獣医さんにお別れを告げ、退院。
すでに点滴の効果が出て、缶詰をぺろりと平らげた。
飼い主、飼い猫共にお騒がせいたしました。
タマが元気になって、お財布も心も軽くなった。
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