2014年5月13日火曜日

散歩

一緒に居ると楽しく心が安まる友人がいて、月に1度はおしゃべりをしに喫茶店でのお茶会をする。
今日は朝の内は雨。
どんよりとした天気で、目的地に着くまでの道すがら、いつもならきれいに見える大山と富士山が雲に隠れてしまっていた。
あまり家から出たがらない人で、どこかへ行こうと誘ってものってこない。
到着の電話をしていつものお店ではなく、他に行かない?と言いかけて、言ってもむだかと諦めた。
しばらくお茶していると、珍しく外へと誘われた。
さっきの電話で私が言いかけたことを、気にかけてくれたようだ。
近所に遊歩道があって、そこを歩き始めた頃には雨が上がり、かなり強い日差しが顔を直撃する。
車に帽子を忘れてきたことに気が付いたけれど、取りに戻ると言ったら気が変わるといけないから、日焼けを気にしながら歩き始めた。
今は四季の中でも暑からず寒からず、新緑も咲き始めた花も美しい。
気持ち良く歩きながら、とりとめの無いおしゃべりをしていると、いつもの慌ただしい生活を忘れてしまいそうな、のんびりとした気分になる。
家からほんの少し西に向かったところで、田園風景も見られるのがうれしい。
子供の頃は、我が家からまだ富士山が見えていた。
夕日に向かって兄姉と並んで立ち、後ろに出来る影が長く伸びていくのを、振り返って見ていた。
あの頃の子供はのんびりしていた。
夕日が沈むと揃って家に入り、晩ご飯を食べたりお風呂に入ったり、大家族でいつも賑やかに暮らして居た。
今はそんなに沢山の人と一緒だと、たぶん疲れてしまう。
子供の頃眺めていた方角に惹かれてしまうのは、山のせいか人のせいか。













外山滋さんを偲ぶ

先月無くなった外山さんのことを書くのは3回目。
重複しますがお許しを。

アマデウス合奏団は、外山氏が率いた弦楽アンサンブル。
コンサートミストレスの北川さんと外山さんとは非常に気が合って、外山さんの指揮とソロで私たちが伴奏をする仕事が沢山あった。
とりわけ印象に残るのが、長野県松本市での仕事だった。
1週間ほどの滞在だったが、毎日オルガンのある響きの良いホールでの学生向けのコンサートは午後の部が終ると暇になるので、車を連ねて上高地までドライブ、午後のお茶を楽しんで夕日を見ながら帰って来た。
メンバー同士がすごく気が合って、生涯でもこんなにアンサンブルも遊びも楽しかった仕事は他にはないと、その当時のメンバーが未だに口をそろえる。
なにかにつけては、思い出のメンバーで集まってお酒を飲む。

外山さんは史上最年少でN響のコンサートマスターになったくらいの天才。
国際コンクールの審査員にもなり、海外からも認められる人だった。
彼のCDを聴くと、あまりの上手さに驚く。
私はアマデウスに参加する前に、弦楽3重奏をしばらく一緒にやっていただいた。
当然ヴァイオリンは外山さんで、私はヴィオラ。
なぜこんな大物と一緒に弾かせて頂けたかというと、あるとき知り合いのチェリストから電話があって、1週間後に弦楽3重奏の本番があるけれど、ヴィオラが急に降りてしまったという。
どんな事情かは分からないが、当時売れっ子の美しい女性ヴィオリストは我儘でも有名で、なにかお気に召さなかったのかもしれない。
しかも曲目はモーツァルトの「弦楽3重奏ディヴェルティメント」長くて難しい曲で、ヴァイオリンなら数回弾いているからなんとかなるが、専門でないヴィオラでは弾いた事も無い。
1週間で果して出来るものか、しかもそんな大演奏家と。
断っても断っても、電話の向こうのチェリストはめげない。
最後には黙ってしまって、沈黙の気まずさに負けて引き受けてしまった。
今のように私もヒマならなんとかなるけれど、当時の忙しい仕事の合間をぬって夜中まで練習して、ようやく初めての練習に目黒のお宅にお邪魔した。
たいそう気さくな方で、楽しそうに弾いて下さった。
それ以来とても気に入って下さって、ベートーヴェンもやりましょうと言うことで何曲か弾いて、次に取り組んでいたときに悲劇が起こった。
チェリストが真っ青になって外山さんと連絡が取れないと言ってきた。
その少し前からあの陽気な方が、時々音が合わないと言って不機嫌になることがあった。
ベートーヴェンのトリオのCモール。
冒頭の部分がへんな音がすると言う。
私の耳にはさほど違和感は無いけれど、とにかく耳の良さでは神様級だから、私たちには分からないほどの音程のずれを感じるのかと思って、何回も練習したけれどお気に召さなかった。
その直後、彼は耳を壊して長い闘病生活となった。
一つの音が何重にも重なって聞こえたりするらしい。
それで残念なことに弦楽3重奏は解散した。
彼は芸大教授もやめて、音楽界から姿を消してしまった。
そして数年後、北川さんのお誘いでアマデウス合奏団で弾いた時に指揮者として現れたのが、外山さん。
私の顔を見ると、急に顔がくしゃくしゃになって、今にも泣き出すのではと心配した。
もともと陽気な方だから、その後は和気藹々の仕事が続いて、ご本人はヴァイオリンを弾くとまだ、音が2重に聞こえたりするらしかったが、松本では盛り上がって毎日笑いに充ちていた。
その後も時々仕事でお会いしたが、お歳を召されて明石で隠居生活に入った。
「明石詣で」と言って生徒さんが時々訪れるほかは、お世話の方と2人でマンションの一室でひっそりと暮らしていた。
北川さんと私が「明石詣で」に行った時にはいくぶんぼんやりなさっていたが、ヴァイオリンの話になると途端に生き生きとなって、私たちが帰る頃には、以前のあの陽気な往年の外山さんになっていた。
北川さんがこの3月、仕事の通り道、往きか帰りに明石に行くつもりで、結局帰りにしたのがざんねんなことになって、その前日亡くなられたという。
往きによっていればお目にかかれたのにと、悔しがっていたけれど。
まだ皆がヴァイオリンを手探りで教え学んでいた頃の日本に、あれほどの才能が花開いたのは、奇跡としか言いようがない。
明日外山さんを偲んで「松本組」が集うことになった。



















2014年5月12日月曜日

西湘フィル第3回定期演奏会

この記事の内容は削除しました。
かなりズケズケと言いたいことを書いたら、それが皆にとてもショックだったらしく、可哀相なので怖いおば(あ)さんをやめて、優しい媼に戻ります。
言いたいことは言ったので「はらふくるるわざ」にはなっていませんが、日本でははっきり物を言うのは歓迎されませんね。

私は外国に行くとすごく快適に感じるのは、回りくどい言い方をせずに済むことで、しかも自分の意見を言わないと、あちらから追求してくるほど、きちんと話せるから。
可笑しかったのはロンドンアンサンブルのメンバー達と箱根に行ったとき。
火山ガスの危険度を示す信号機が付いていて、青信号を見た彼らが「日本人はどうしてあれを青というのか。あれはグリーンである」としつこく訊いてきた。
日本は三原色の範囲であれを青と言うのだと言っても納得しない。
延々と論争させられた。
なんでも気が付くと、あれはどうしてと訊いてくる。
納得するまで大騒ぎ。
大きな子供たちを連れて歩いているようだった。
理論の上に成り立つ社会と情の社会の違いが、はっきりとする。
私はどちらかというと理屈やだから、物を言うときに気をつけないと人を傷つけていることがある。
勿論日本人の場合だけれど。
海外に行ったらがんがん物が言えて気持ちがいい。
ただし、語学力がないから、相手に自分の言い分が分かるかどうかは別問題。
相手の言うことも分からないから、お互い都合が良いのかも知れない。













雨田さん

毎日訪問するブログは決まっていて、朝起きるとまずそれらのブログを一巡する。
その中に写真が素敵な一級建築士さんのブログがある。
その下のコメント欄が面白い。
ダジャレが飛び交い、あるときは数十ものコメントがどっと寄せられる。
最近の記事は根津神社。
その中に「猫神神社」があるというコメントがあって、覗いてみた。
覗いている内にみつけた!
一枚の写真は雨田さんの猫だ。
チャイコフスキーのトリオを弾いている3匹の猫。

雨田さんはハーピストで画家でもあったお父様の影響からか、チェリストだったのが、いつの間にか画家としても有名になってしまった。
それも殆ど猫と、たまに犬の絵。
楽器を弾いている動物の絵。
初めて見たのは、オーケストラの練習場のコーヒーサービスコーナーにかかっていた猫の絵。
一体だれがこんなに可愛い絵を描いたのか訊いたら、あの人よと教えられた瞬間、ご本人の前に飛んでいった。
ぜひ私にも一枚描いて下さい。
すると優しい笑顔の中で目が鋭く私をとらえているのがわかった。
画家やカメラマンの目だと感じた。
後日和紙を5枚ほど持って、お願いしたら「え、こんなに沢山!で、なにを描くの?」と言うので、貴方の自画像をお願いしますと言ったら、しばらくして届いたのが、子狸がチェロをひっくり返して逃げている図。
もう一枚はつぶらな目で空を眺めながら、立ったままでチェロを弾いている子狸。
もう一枚はチェロの弓で赤とんぼを追いかけている子狸。
なぜか内股。
全部、狸。
なるほど、そう言われてみればハンサムなのに、似ている。
狸か狐かといえば狸顔。
その頃の雨田さんはまだ画家としてはアマチュアだったので、紅茶とクッキーを差し上げて、文字通りお茶を濁した。
今は画廊で値段がついていて、手が届かない。
絵はがきにもなって売られている、売れっ子の絵描きさん。
お宅にお邪魔した時、玄関を入ると沓脱ぎに、いきなり猫のトイレが置いてあった。
よく雨田さんの絵に出て来る、白地にグレーの模様のジャリちゃんと言うのが当時の飼い猫さんだった。
雨田さんが近所を歩いていてジャリに出会ったけれど、よその奥さんが「あら、**ちゃん」と他の名前で呼んでいたそうだ。
「猫は保険かけてるんだよね」と笑っていたけれど。
うちの亡くなった猫も数枚描いて頂いた時、写真を見せてたら、「大丈夫?」と訊かれた。
思い出して悲しむのではと、気遣いをしてのこと。

絵ができあがって、おまけと言ってハガキ大の絵を渡された。
白い嫋やかな猫がヴァイオリンを弾いている。
それはきっと私の姿だと思い込むことにした。
描いた人と見る人の見解が違っても、芸術はそういうものだということ。文句ある?













2014年5月10日土曜日

女3人よれば

西湘フィルの定期演奏会を明日にひかえて、最後の練習が夕方から始まる。
今日は会場練習で、終ると9時半。
それから家に帰るには遠すぎるので、駅前のホテルに泊まることにした。
コントラバスのHさんとヴィオラのFUMIKOさん。
お互い長い付き合いだから、初めは近くの温泉の和室で雑魚寝と思っていたが、遊びに来ているわけではないので、やはりホテルに部屋をとった。
それでも練習が終れば少しは楽しくお酒でも一緒に飲むつもりで、ワインとつまみをいそいそと用意をする。
車に積めば色々な物が持って行けるので、あれもこれもとなってしまう。
ワインと一緒なら果物入りの固いパンに臭くて塩っぱいブルーチーズをのせ、その上にマーマレードをのせる。
これが実にワインに合う。
アンチョビとオリーブの塩漬け、スモークサーモンも。
それにサラダとトマトがあれば、夜食としては出来すぎ。
少し食べ過ぎかな。
コーヒーも忘れずに。
そんなことを考えて居たら、楽器を忘れそうになる。
私の友人達は、何れ劣らぬ面白い人達ばかり。
苦労が無いわけでは無いが、目一杯人生を楽しんでいる。
コントラバスのHさんは、ご主人の難病の介護を数十年、ご主人が亡くなったストレスでご本人も乳がんと大腸ガンを発症。
数回の手術を乗り越えた。
その間お嬢さんを育て、大学を卒業させ、社会人として世に送り出した。
普通の人ならとっくに鬱病になっている様な、そんな大変な中でも大学で教え、ご主人の介護のために勉強をして、ついに介護士の資格までとって仕事にしてしまった。
さらなる上を目指して、勉強を続けているらしい。
いつ会っても笑顔が輝いている。
乳がんの発病が私と同じくらいの時期で、お互いに気遣いあって病を克服してきた、謂わば戦友でもある。
圧倒的に彼女の方が修羅場だったけれど。
FUMIKOさんも苦労知らずのお育ちだと思っていたが、いまや2匹のビーグルズの母親。
子育ての大変さを日々、ブログに綴っている。
人はただ苦労すればいいってものではない。
その苦労をどのように自分の中で昇華させて行けるかが問題。


























2014年5月9日金曜日

兵士の物語初合せ

ストラビンスキー「兵士の物語」
今年の新年会で酔っ払った勢いで音楽教室の同僚のピアノ、クラリネット、ヴァイオリンでトリオ版を演奏することになった。
酔っ払っていたから忘れているかと思ったら、先日クラリネットの講師のUさんからメールが届いた。
そろそろ始めませんか?と。
それまで放置してあったので、慌てて譜読みを始めた。
ストラビンスキーらしい不協和音と変拍子の連続。
しかし、それほど難しくはない。
少し安心。
所々、これどうやって弾くの?というところもあるが、色々考え方を変えれば、なんとかなることもあった。
ガクタイの頭が柔らかいのは、こんな訓練するからかなあと、言い換えればいい加減、良く言えば柔軟思考。
今日初合わせは、教室に3人集まって、狭いところにひしめき合いながら、音だし開始。
楽譜の見かけが真っ黒(音符が沢山ある)なので休止符を落としたりするものの、考えていたよりも手こずらず、初めの楽章を終った時に「あ、一緒に終った」と思わずつぶやく。
こういう曲を弾くとアドレナリンがドッと出て、生き生きしてくる。
面白い。
重厚なブラームスなども素敵だけれど、時にはこうした現代物も楽しい。
ストラビンスキーと言えば、オーケストラでは「春の祭典」「火の鳥」「ペトルーシュカ」などが定番で、よく弾いたものだった。
初めて春の祭典を弾いたのはオーケストラに入団して間もなく、
最後の部分の変拍子の連続に泣かされたけれど、一度覚えてしまえばそう難しいことも無くて、若くて反射神経も抜群だったから、かえって得意の曲の一つになった。
ある時の定期演奏会の曲目が、武満徹「ノベンバーステップス」そしてストラビンスキー「春の祭典」の2曲だった。
武満さんの曲は大変上手くいって、指揮者の秋山和慶さんから後日聞いたのは、その時武満さんが舞台袖で待っていて、秋山さんに「どうしてこんなに良い音がするの」と言ってポロッと涙をこぼしたそうだ。
作曲者自身が涙をこぼすほどの、出来栄えだったらしい。
気を良くしたメンバーは次の「春の祭典」に取り組んだ。
最後の最後まで上手くいっていた。
さあ、最後のクライマックスの変拍子、だれもが大成功と思ったのに・・・休符のところでギャンと飛び出した人がいた。
全員がっかりだけれど本人が一番がっかりしたらしく、しょげ返っていて、しばらくしたらこれが原因では無いかも知れないが辞めて故郷に帰ってしまった。
でも本当のこと言えば、そんなことはすごく小さな事で、本気で弾いた結果飛び出したなら、皆は許してしまう。
聴衆だってそれほど気にはしない。
でもやってしまった本人はそうはいかない。
しばらく悪夢にうなされる。
オーケストラ独特の恐怖感は、いまでも夢に見るほど。
「春の祭典」の日本初演は山田一雄指揮のN響だったらしい。
噂では、最後の部分がひっちゃかめっちゃかになり、指揮者もグチャグチャ、最後にホルンがエイっと終って無事終了した。
でもやんやの大喝采だったそうな。
まだ日本のオーケストラの黎明期、どれほど難しく思えたか。
今時の若い演奏家たちはなんなく変拍子をこなす。
我が家の楽譜の墓場はピアノの上。
いつか弾こうと思って買った楽譜が積んである。
その中にストラビンスキーのヴァイオリンとピアノのための「Divertimento」がある。
ついでだからと言ってはなんだが、そろそろこの曲にも取りかかってみよう。


























2014年5月8日木曜日

宿泊履歴

今月11日は西湘フィルの定期演奏会。
前日夜9時半まで練習があり、次の朝は10時ゲネプロとなると、もう家に帰っていたら寝る暇が無い。
それで前夜から秦野に泊まることにした。
団員の少ないアマチュアオーケストラは、費用の捻出が大変だし、指揮者に殆どのギャラがいってしまうので、会場費など必要経費を除いたらもう余っているお金など無いのはよくわかる。
だから宿泊費は請求出来ない。
団を立ち上げるときに関わった身としては、それは致し方が無いけれど、今回宿泊にお付き合い頂くヴィオラとコントラバスのエキストラに申し訳が無い。
ネットでなるべく安いホテルを探すが、宿泊日が土曜日と言うことで、ぐんと跳ね上がる。
駅前のホテルが一番いいのだけれど、少しでも安いところと思って探していたら、温泉の宿泊施設があった。
女性3人、和室で雑魚寝ならほんの少し安い。
3人で楽しく飲みながらのおしゃべりも悪くない。
近隣の町のホテルも探しあちらこちら何回も予約しては取り消し、又同じところを予約し、色々考えたけれど、安心して泊まれ、当日会場に近いとなると、駅前のホテルがベスト。
2日前まではキャンセル料がかからないから、いい気になって予約、取り消しを繰り返し、宿泊施設は良い迷惑だったろう。
ちゃんと予約と取り消しがされているか見ようとして、確認のページに行ったら、以前旅行した時の記録が残っていた。
へえ~、こんなホテル泊まったっけなどと、思い出して懐かしい。
そうそう、このホテル真夜中に人っ子1人居ない駅におりて、侘しい思いで泊まったっけ。
あれ、こんな場所にも行っているんだ。
次々に、全国を飛び回っていた頃の記憶が蘇る。
普通の人ならストレスになるような生活が好きだった。
外国へ行っても1人で歩くのがなにより好きだったし。
エジプトで迷子になったときには、さすがに少しだけ焦ったけれど、ちゃんと帰って来た。
昔を懐かしむようになったのは、歳をとったせいかな。
でもまだ、来年はイギリスの湖沼地帯に・・なんて話も出ている。
ロンドンアンサンブルのリチャードがスイスのスキー場に連れて行ってくれるという話も。
多動児だからどこへでも気軽にすっ飛んでいく。
それでも静かに本を読んだり、音楽聴いたりするのも好き。
どちらかというと子供の頃は読書好きの人見知りをする子供だった。
どうしてこんな落ち着かない大人になってしまったのかしら。
いつでも、これは何かの間違いだと思っている。