2025年7月11日金曜日

セコムさんありがとう

夢を見ていた。

古くからの友人で以前はずっといっしょに旅したりお酒を飲んだりしていたのに、最近はとんとご無沙汰の人の夢。彼女は髪の毛に金色の大きなリボンをつけて華やかに笑っていた。なぜかそこで目が覚めた。そしてなぜか電話の着信音のようなものをきいた 。こんな夜中に電話かけてくる?スマホに着信記録は見当たらない。時間は午前2時。

夢か。なぜか数年来少しも会わなかった人の夢を見るなんて、なにかあったのかな?明日電話してみよう。ベッドに戻ってもう一度眠りにつこうと思っていたら外の階段を上がってくる静かな足音を聞いたような気がした。こんな夜中に上の階の人が帰ってきたのかな?

私の耳は地獄耳。最近日によって少し聴力の衰えを感じることがあっても、あいかわらずよく聞こえる。忍び足のような足音が気になる。起き上がってドアスコープから外を覗くと、信じられない景色が目に飛び込んできた。向かい側にレッスン室のドアが見える。でも、開いている。明るい部屋が見える。一体なにが!その後の自分の行動が、これも信じられない!

なんのためらいもなく部屋を出て隣へ行った。私はあまり物事に驚かない性格で、ステージで演奏しているときに様々なハプニング・・例えば大きな地震が来たりとか、誰かが繰り返しを間違えたり、イヤリングが落ちたとか・・それでもびっくりすることなく平常心でいられるのだ。でも今回は自分の家のドアが開いていて電気がついている、この夜中に、普通びっくりするでしょう。

隣に行くと玄関に大きな男の人が立っていた。ああ、セコムさんだ。またやらかしたか!

生活反応がなかったものですからと言われる。生活反応の警備の契約をしているので、一定の時間反応がないとこうして見回りに来てくれる。独居老人が中で倒れていても誰も気がつかなければ、孤独死になる。周囲は大迷惑だからと契約した。それで時々反応装置をかけていない場合は警報装置が作動してこうして見回ってくれるのだ。

時々と言っても頻繁にというほど装置のかけ忘れが多く、電話がかかってくる。するとさっきの着信音はこれだったのか。そこで電話に出なかったのでわざわざ見回ってくれたのだ。半分ボケた老人につけた装置は頻繁に作動して警備の人たちを悩ましている。昨日寝る前にちょっと気になった。レッスン室のセコムかけたかな?でも、さっき鍵をかけた記憶あるし大丈夫だろう、と。こういうときにはたいていかけてないのだということは長年のことでわかっているのに。

最近特に頻繁にかけ忘れる。これはいかん。猫は全く役に立たないから犬を飼おうかしら。猫は私が目覚めたついでに窓を開けさせてフラリと真夜中の外に出ていった。







2025年7月10日木曜日

木々の魂

今年はまだ一回しか北軽井沢の森に 行っていない。

毎年木々が芽吹いた頃、新緑の森を見たくて出かけるのだけれど、隠退した音楽家はなぜか忙しい。引退したというのは嘘ではなくて、本当に心身が疲れ果てて生きる力もなく、ひたすら休む日々が続いた。楽器のケースは7ヶ月ほどはめったに開けられなかった。休むというのも割合にエネルギーが要るものだとその時思った。

休もうと思っても睡眠は短く切れ切れで、目が覚めると運動をしなくてはとか明るく振る舞いたいとか色々余計なことを考える。そのことで疲れてしまうのだった。そして春が終わりあっという間に暑い夏の気配、その頃からメキメキと調子が上がってきた。ようやく体に力が戻ってきて、痛かった膝や足首の調子も良くなってきた。今だったらスキーもできそう。

それでもまだというより、もうこのままで終わりたいという気持ちと、もう少し休みたいという気持ち、少しずつ練習してみようかなという気持ちが交互にやってきては消えてゆく。思い切ってレッスン室の改装を始めた。より防音を強化するためにドアを変え二重窓の間に防音材を詰めてみた。これが思いがけなく効果的に音漏れを減少させ音の質の向上につながった。自分の音がまとまって聞こえるのが心地よい。

そうこうしているうちに、いち早く事態を察知した友人たちからのお誘いがあって、それが導線となって私の再生を促してくれた。もちろんもう大掛かりなコンサートはできないけれど、これからゆっくりと好きな曲を好きなだけ弾ければいいなと思っている。

部屋の工事は終わったけれど、なかなか片付けはできない。もともとが整理整頓まるでだめだから仕方がない。最初のうちはもう新しい服や靴など買うまいと思って自粛していたけれど、時々衝動買いをする癖は治らない。また買い物してはサイズが合わなくて返品したりとう無駄なことが続く。

もうとっくに部屋はスッキリしていいと思うのに、何故かごちゃごちゃのまま。私の才能は猫を手懐けることに多くの時間をさいているから忙しいのだ。徐々に片付け始めてはいるものの、スッキリとなるのはいつの日か。体が動かなくなったら、それに反して頭の中は忙しくなってきた。もともと1日中動かなくても楽しめる性格なので。寝たきり老女になっても私は退屈しないと思う。ただし、それまでにボケなければだけど。

だんだん音楽復帰の風がそよそよと私を誘うようになってから、練習が本格化してきた。以前よりも練習が楽しくて没頭している。それはやはりだいぶ頭が弱ってきたからだと思う。以前なら少し集中すれば苦もなく弾けたものが今はそうはいかない。何回練習しても音が覚えられない、指使いがさだまらないとか、すったもんだの毎日。すったもんだはこういう楽しいときには大歓迎なのだ。練習は面白い。

やっとひけるようになって次の日、同じところでつまずく。なんてこった。楽器の練習は根気あるのみ。それで北軽井沢の滞在は練習にもってこい。

今回猫は家においていった。元野良猫を野に放った。最近野良の、のんちゃんは、近所の家に入り浸り、ときにほんの少し帰宅するだけでまたお出かけ。お兄ちゃん猫と仲良くご近所を食べ歩いている。家のご飯に飽きて、グルメになってしまった。うちはそれで餌代がかからなくて助かっているけれど、時々帰ってきてほんの少しお愛想に一口つまんで出ていく。それで私がしばらくいなくても大丈夫とみた。

猫のいないドライブは快適で、毎回の大騒ぎが嘘のよう。そしてたっぷり練習ができて浅間山への散歩もおもうがまま。これで寒くなってくると猫は以前と同じように甘えてくるのでしょうね。それも嬉しいけれどしんどくもあり。

今庭の木々が緑の海のように広がって鳥がさえずり、家をすっぽりと包みこんでくれる。守られていると同時にエネルギーを放射して私を元気ずけてくれる。やっと長い眠りから覚めたように私の頭が回転を始めた。

しかしながら残念なことに、フル回転するとオーバーヒートを起こしかねない。中年の時期にかかっていた整体の先生によく言われた。「部品が古いからねえ」今はその時よりももっと古くなっているのだけどね。

































2025年7月5日土曜日

自分のためだけの練習

 この8月に久々にステージに立つ。その他の予定は来年までまだなにもないから、毎日色々な曲を弾いて楽しんでいる。自分のためだけに練習することのなんと楽しいことか。

もともとあまり表立って弾くよりも陰でコソコソ陰謀を企てることのほうが好きだから、ああでもないこうでもないと楽譜をためつすがめつ眺めて、どうやって面白く弾こうかと思い巡らす。楽譜を見るのは本当に面白い。私は楽譜の顔を見た途端テンポがわかるという特技を持っている。常識的に言えば楽器の技術にふさわしいテンポ設定があるということなので。

それでもとんでもない作曲家がいるから油断ならない。先日のnekotamaで書いたけれど、新曲で本邦初演などの曲では想像もつかないときもある。でも大抵の作曲家ならその人自身の癖とか類似の曲とかを知っていればすぐにテンポはわかる。それでほとんど外れたことはない。

楽譜を見慣れてくるとあちらから話しかけてきてくれる。最初は見落としたりしていた記号も弾き進めるうちに生き生きと語りかけてくる。だから初見の楽譜を読むときにはとりわけワクワクする。最近よく一緒に弾いているHさんが次々に課題を出してくるので、あたふたしながらもたいそう面白い。彼女とはオーケストラの同僚だった10年ほど、なにかにつけて合わせてきた。それが今、数十年のブランクを経て再開している。こんな幸せなことはないでしょう?

オーケストラに入りたての新人だった頃、私は毎日涙目だった。次々に全く知らない曲を練習しなければならなかった。楽しいなんてものではない、緊張のあまり練習場に入ると吐き気がしたものだった。来る日も来る日も譜読みに明け暮れ、仕事が終わっても大久保の練習場の閉室時間の22時まで、練習する毎日。

ほかの人たちのように子供の頃から英才教育を受けなかった。その差は歴然で音大を卒業してもなお他の人よりも遅れていたはずで、その割に座る席は恵まれたポジションだったからそれは苦労した。しかしものすごく苦労して練習したおかげで、その努力を見ていた人たちが助けてくれたのだった。ある人が私に言ったことは「あなたは卒業してからの修行がすごかったわね」修行だそうで、たぶんそのように見えたのだと思う。

周囲の人達がこの人を助けたいと思ってくれたのが私の一番の幸せだった。ドジでトンマで見るに見かねて手を差し伸べたくなる、そのような新人だったらしい。当時N響を定年退職したばかりの北川さんという方がエキストラで来て、もたもたしている新人に色々教えてくださった。「この指使いはどのポジションであっても同じにすると簡単なんだよ」とか。その北川さんの娘さんが、後に私の仲の良い友人になり、その後の仕事でも最後まで一緒にできたことが本当にラッキーな遭遇だったと思っている。

こうして考えると私は自分で成長したわけではなく、周りの人に感謝をしてもしきれないほどの好意を受けて育ててもらったのだという思いが強い。本当にみなさんありがとうございます。その中でも音楽家ではないけれど長年に亘り一番力を貸してくれた方が今病に倒れ、私は自分の無力さに打ちひしがれている。私にできることはないかもしれないけれど、私が安心して音楽に打ち込むことができた環境を作ってくださった方の快癒を心底祈っている。

自分だけの練習と思っているけれど、それはまた聴いていただくための練習にもつながる。来年の秋にはコンサートができると思います。それまで技術の維持と音楽に対する情熱が枯渇しないように、何よりも健康で怪我のない生活が求められる。辛さも寂しさもすべてひっくるめて生きる喜びを失わないように。普通よりも遅れて始めた音楽の勉強が自分にこんなに大切なものになろうとは夢にも思わなかった。












2025年7月1日火曜日

ワンちゃん事情

ネットで知り合いになったWさんとは滅多に会えないけれど、ふたりとも今はフリーであるので久しぶりにお目にかかることになった。

彼女は何回聞いても私にはあまりよくわからない・・・要するにまともな社会の人だから お話を聞くだけで面白い。雰囲気も落ち着いているし、時々こうして話ができると私もこの日本に居場所があるかもしれないとホッとするのだった。

昨日あのクソ暑い!中私の家に来てくださった。いつもなら客人をおもてなしするのに不味い手料理で対応するのに、連日の暑さで脳みそがパンクしているからなんのアイディアも浮かばない。幸い家近にデパートがあってお惣菜売場がある。そこで買えば少しはまともなものが食べられるかと出かけた。

開店と同時に売り場に殺到と思ったけれど、客は殆どいなくて肩すかし。売り場は活気がなくドヨンとした売り子さんたち。不景気と暑気あたりで元気がない。私も連日の暑さに寝てばかりいるから何を買っていいかわからない。

とりあえず手前から目についたものを買っていった。なんだか葉っぱばかり、サラダ類しか目に入らない。自分の食欲に合わせるとこうなってしまうので最後にローストビーフサラダを買うことにした。きれいに並んだローストビーフの下に野菜類が隠れている。注文すると店員さんはまずローストビーフを脇に避けて野菜から入れ始めた。思わず「あ、ビーフを退けないで」と言いたくなったのを我慢。

野菜がたくさん入ったところでわずかにローストビーフを上に乗せ始めた。その間私はじっと作業の過程を見つめていた。さぞやりにくかったと思うけれど、そこは慣れたもので店員さんはしれっとしている。たしか以前はこのサラダのローストビーフはこんなに細かく切ってなかったような気がする。だからそれなりに量が入っていたのに、今は細片を無理やり葉っぱの上に並べてきれいに見せている。あーあ、本当に世知辛い世の中。

全てのものが値上がりしてお米まで庶民の口には入らなくなりそうで。日本人よ、危機でござる。デパート自体いつ傾いてもおかしくない。車で駐車場の入口スロープを登りながらあたりを見た。天井に大きなひび割れの修理箇所がいくつもあり、普通ならこんなものは修理後はきれいに隠すのにその余裕もないらしい。堂々と大きなミミズがのたくっているような筋を見せっぱなし。

駅で待ち合わせた客人と暑い中家について、まずはビール。Wさんはお酒が強そうでいつかはじっくりと一献酌み交わしたいとおもっていたのに、あいにく私のほうが最近とんとアルコールに弱くなってしまった。飲むと息がはあはあして苦しいので最近はめったにアルコールを口にすることができない。残念なことに酔っ払ったときのあの陽気な世界に行くこともできない。

以前船の上で仕事をしたことがあって、仕事が終わったら何でも飲んでいいよと言われてお酒をいただいた。ところが船はいつも揺れているからか、めったにないほど早くお酒が回ってしまった。上機嫌になった私はもう何を見てもおかしくて、それを見た仲間たちのおもちゃになった。みんなで箸を転がす。「ほれ」とか言いながら。それを見た私が「ああおかしい、ケッケッケ」と笑い、最後に客室につながる階段を抱えられながら登った記憶。船室のベッドに寝かされた以後は何も覚えていない。

こんな陽気なお酒は若くて元気でないと味わえない。残念だけれど、昨日もノンアルコールのビール。せっかくお酒に強い人がいるのに。でも正気でじっくりとお話できたのが良かった。

私達は世間の道から少し脇道にそれた場所にいる。一見華やかでもその実態は練習に次ぐ練習。最後に打ち上げ花火が揚げられるからカタルシスにはなるけれど、頭の中にはずっと本番にむけての予定が渦巻いている。常に正気とは限らない。それを取り戻させてもらえるのが、冷静に着実に生きている真っ当な人たちなのだ。時々足を地につけている人達と他の世界の話ができることが、私にとってすごく重要なことだと思っている。

その貴重な存在のWさんは以前ミニチュアシュナウザーの飼い主さん。その子が亡くなったらご主人がペットロス症候群になってなどと聞いて、気の毒になった。以前コンラート・ローレンツ博士の本で、ペットを失くしたらすぐに次の子を飼いなさいと書いてあった。

そのときには随分冷静で冷たいんじゃない?と思ったけれど、それは後に全くの真実で最高の治療だと実感した。その博士の説は御本人が信じられないほどたくさんの動物と生活し、そして見送った実体験からのものだったと。Wさんの家に新しい子がいると聞いてほっとしている。

次々にペットを飼うのは動物にだけではなく人間の心の平和にも良い。汚い、うるさいなど言っていないで実際に飼ってみればよく分かること。私自身、最初に飼った猫を失くし一ヶ月間泣いて暮らした。その次の猫に会うまでの悲しかったこと。つぎの猫に出会い、それ以後隙間なしの猫との共同生活。猫を飼うデメリットよりも飼うメリットの大きさを考えて次のワンちゃんを飼う決断をしたWさんご夫妻は正しい!

















2025年6月24日火曜日

さくらんぼ

毎年さくらんぼを送ってくださる人がいる。仕事仲間のSちゃん。仕事仲間(だった)と書かないといけない。彼女はまだ現役でも私はもう引退したのだから。音楽事務所でさんざんお世話になった社長も亡くなって、一段と寂しくなってきた仕事関係者たちでも未だにこうして覚えていてもらえるのは嬉しい。すぐにお礼の電話をして少し話をした。

思い出すのは去年のさくらんぼ。せっかく送ってもらったのに、その時私は入院中だった。ひどい肺炎を起こして呼吸困難になり、急遽入院したためにさくらんぼの季節だということを失念していた。病室でクロネコヤマトのメールに気がついたのは少し遅くなってからで、慌てた。すぐにスマホのメールの配達日変更のページで日時の変更をした。ところが、すでに手遅れでもう我が家に届けに来たらしい。でも何回来ても私は不在。連絡もない。

そこですったもんだ、なま物だからおいていくわけにいかない。困った黒猫さんは荷物を送り主に返送した。そうとは知らない私は姉に頼んで、指定の日時に私の家に行って、もしさくらんぼが届いたらもらってほしいと連絡。そして姪にも電話して、さくらんぼはたくさんあるのであなたのところに一つ上げるから叔母さんのところで待っていなさいと言ってしまった。待てど暮せどさくらんぼは来ない。結局いろいろ訊いたら黒猫さんの事情がわかって、姉と姪は草臥儲けだった。

今年は無事さくらんぼが届いて、あの辛い入院生活を思い出した。あれからもう一年経ってしまったのか。悪い夢を見ていたようなおぼろげな記憶。一言も言葉を言わない患者たち、声を聞くこともない。冷暗所にいるような不気味さ。あれが老人病院の実態だとしたら、私は自宅で死にたい。あまりにも咳がひどく他の患者から苦情が出たため部屋を変わるように言われて、今空いているベッドは一つだけと言われて入ったのがこの病室だったのだ。

今年のさくらんぼは去年と違って本当に嬉しくいただいた。

電話口でSちゃんの声を聞きながら、去年までとは打って変わった明るい環境でいられることの幸せを噛みしめた。もう二度とあんな辛い時間を過ごしたくない。秋になって涼しくなったらまたなにか食べに行きましょうねとSちゃん。Sちゃんはくいしんぼ。仕事で旅に出ると、彼女と一緒なら美味しいものにありつけるとわかっているからついていく。楽しい時間をたくさんもらって美味しいものを食べて、仕事も楽しくて幸せだったことをさくらんぼで思い出す。

去年は食べられなかったのだから、今回はさくらんぼ独り占め、誰にもあげないでこっそり食べよう。でもどうしようかな。やはりおすそわけしないといけないかな。去年は散々姉にも世話になったし・・・あら、でももうなくなっちゃった!なんてね、意地汚いこと。

Sちゃんから「声が元気そうでよかった」といってもらえたのが嬉しい。

再びヴァイオリンの練習が始まって、長いときで4時間、少なくとも2時間の練習が気持ちよくできるようになった。最初のうちは30分も経つとへとへとで次の日は中休み。昼寝しないと持たないほどだったのが、今は軽い体操をするくらいに感じられる。これが定着すれば社会復帰も間もない。

今日つくづくと自分の左手を見たら、超絶ひん曲がっていた中指がこころなしかまっすぐになってきたような気がした。まっすぐというにはまだまだ、それでも、一時期には5ミリほども小指側に傾いた薬指は今は3ミリほど中指側に戻っている。ちょっと感激!

曲がっていったのは日頃の練習不足のせいだったのか。これからは心を入れ替えて、練習にはげもう。こんな高齢になっても練習ができる環境には感謝。周囲の人々が亡くなったり去っていったり、特に愛する人との別れはつらい。私にヴァイオリンがなかったら生きてはいけないように神様の設定がなされているのだろうと思った。かつてなんの因果か、到底実現できる環境にいなかったのに音大からオーケストラ、その後の活動は周囲からの励ましで実力以上のステージの数々に登場できて、幸せだった。

最近は楽譜の整理を始めた。もうあとからあとから出てくる出てくる、大量の楽譜。しかもびっくりするのは大抵の楽譜は演奏済み。中にはまっさらで買ったのを忘れていたものもあるけれど、良くもこんなに弾いたものだと驚いた。私が自主的にしたのではなく、周りに誘われて面白がってやったことだから、これも友人たちのおかげ。

今年11月、ベルリン・フィルの来日演奏会には、最初に私を音楽の方向にいざなった親友といっしょに聴きに行く。彼女がいなかったら私は趣味でヴァイオリンを弾くおばさんになっていた。よくぞ、誘ってくださった。ありがとう。









2025年6月20日金曜日

猫は浮かれ人はあえぐ

私の家の二匹の野良猫たちはこの暑さにも絶好調。

猫は人間よりも体温が高いから暑いのが堪えないのかもしれない。AIに訊いてみよう。答えは猫は多様な気温に対応できるとか。野生に近いから、野生だったら暑いの寒いの言ってエアコン使用に走ることがない。砂漠のマヌル猫が原型らしい。というわけで人間が一番弱虫。

文明が進むにつれ人はどんどん弱虫になり、それをカバーするために新しい機械に頼り、もっともっと弱くなる。戦争で大量の殺し合いをしているから人の数は減っている?インドでさえ中国でさえ出生率は低迷しているらしい。このまま行くと機械がどんどん生み出され人の数は減る。機械が偉くなって人は機械にこき使われる。そのうち機械が子どもを生むなんてことにならないかしら。ホラーじゃなあ。

しかし機械は悪意を持たないものと考えるとそのほうが平和かもなんて絶望する。人の悪意は今の世界の情勢を考えるととんでもないことだと思う。悪意が更に悪意を生む。今のロシアなど、何を好んで他人の土地を奪うのか。狭い日本でひしめき合いながらも平穏に暮らす我々にはもったいないほど広い土地を持つ人たちの欲の深さよ。

機械は悪意を持たないと言ったけど、犬の形のロボットが機関銃のようなものを発射しながら走る姿を見て、もう世も末と思った。偉い人は冷暖房のきいたビルの中で命令だけする。走り回るのはロボットと兵隊だけ。死んでも数を数えられるだけで悲しむのは家族のみ。非情さが機械の陰に隠れてしまう。戰場の映像を見終わると偉い人たちは、さて今夜はどこのレストランで美味いもの食えるかなと言いながら欠伸をする。理不尽極まりないことなのに。

日本にはまもなく巨大地震が起こると長年言われ続けてきたから、きっとまもなく起こるのでしょう。そのときに生き残っても瓦礫の中で年老いた自分が苦痛に耐えて生きる姿は想像したくない。生き残れるのはいいほうで多分残り少ない人の中には入れないと思う。もし生き延びたら猫さんたちのお世話になるしかない。

例えば、自宅にいれば、猫のトイレを使わせてもらう。先日猫のトイレの砂が余ったので友人に上げようと思ったら「それ、とっときなよ、災害のときに人もつかえるから」と。なるほど、さすが筋金入りの猫きちさん。彼女は多頭飼いの猫母さん。今は少なくなってしまったけれど絶えず可哀想な野良たちを保護してきた。この際だから猫たちに恩返しをしてもらってもいいのではないかと。

キャッツフードは食べられないけれど、一時の命の糧にはできないものなのかしら?寒い時期なら一緒に寝れば行火の代わりになる。なによりも心の支えになるはずだけど、猫は冷たいからいざというときに頼れないのは覚悟しておかないといけない。そのくせ自分が心細いときには甘えて抱っこをせがむ。抱き心地が悪いと爪を立てて逃げる。悪い性格の標本みたい。

でも見習うところもある。こういう生き方は非常時には滅茶苦茶役に立つに違いない。きっと生き延びられるから見習ってみたらいかがですか?

最近せっせと投稿が続いているけれど、脳が活発に動いているというよりもたがが緩んでおしゃべりになったというところです。きっと早くも認知症の始まりというべきかも。どんどん妄想が生まれてくるのですよ。真面目に捉えず読み飛ばしてくださいね。



















2025年6月19日木曜日

酷暑、米騒動にアメリカ(米)騒動など

ピアノの調律が終わったので、ちゃんとしたピアニストに試し弾きをしてもらいたいと思って声をかけたのはいつものSさん。私の引退宣言以来会っていないし久しぶりでなにか合わせて見ようという約束になった。本当は今日がその予定の日だった。

昨日は美容院へ行ってあまりの暑さにへとへとになって帰ってきた。これはやはり危険な暑さだと思い「明日の練習はどうする?」と尋ねようと思っていたら先に彼女の方から連絡があった。やはりやめておこうということになって、残念だけれど中止。

なんてこった。この暑さ尋常ではない。

世界が騒がしい。トランプ大統領が世界中の経済を引っ掻き回しているから、彼の顔色を伺う日本も大変。地球のそこかしこで戦争状態が続いている。気象状態が不安定で災害が多発、経済もそれにつれてバタバタとしている。しかしトランプさんは何がしたいのだろうか。

選挙でアメリカファーストを掲げたために他国に威力を見せつけないといけないから、大げさに騒ぎ、しかし世界中が相手だから思ったより相手はしたたか。思うようにはいかない。それでなんとなく人相が変わって、弱気の表情が見え隠れする。しかし強引すぎて見ていると大丈夫かい?と声をかけたくなる。

特に大学内までも人種差別で、これはもう末期的だと思ってしまう。こんなことしていたらアメリカもおしまいではないかと。トランプさん、あなただってイギリスから逃れて新天地に移民として来た人々の末裔ですよ。お忘れですか?大切な研究者たちまでも追い出して、それでアメリカは栄えるとでも?

nekotamaには政治や経済や、そういう難しいことは書かない主義だったけれど、今のトランプさんを見ていると心配でたまらない。それでわたしたちのピアノ合わせの中止に直接繋がらないにしても、こんなひどい気象異常が発生するのも無理はないと思えてしまう。

地球規模、宇宙的に考えればほんの一時期の異常であって、またサイクルが変わって穏やかなときもあるとは思うけど、今はエキセントリックな大統領と極端な天候に振り回されて右往左往する人々で溢れかえる悲しい時代。こんな極端な人に世界を任せておけるのか心底心配している。大体何がしたいのか。なるべく争いを避けて言葉を交わし信頼と秩序を大切にするのが、アメリカの民主主義の根幹ではないのか。自分だけの考えで世界を掌握するなんて!

日本の政治はコメ絡みでJAが暗躍しているとか。古い政治の仕組みが邪魔してコメ不足が重大な局面を迎えているそうで、それはそれで非常に問題だけれど、アメリカのたった一人の大統領に世界が振り回されているのを見るにつけ、まあ、平和だなあと。でも困るのです。

日本の将来を考えると、まず子どもたちの教育に全力を注ぐ必要に迫られている。日本では若者の選挙の投票率が30%強、フィンランドでは90%に近いと聞いて絶望的になった。フィンランドでは小学校から政治の仕組みを教えるとか。本当に必要なことを考える教育の仕組みが確立されているらしい。政治家も党派を超えて討論することもあると聞くと、仲良しグループで意見をまとめる日本では考えられない。

常々思うことは日本人は議論ができない。例えば、自分の考えを明かさず他人の意見を待って大多数に賛同するとか、非常にずるい。意見が対立すると喧嘩腰になる。お互いに意見を取り交わしているのだから、喧嘩しているのではないにもかかわらず。

言いたいことをきちんという、相手の話をちゃんと聞く、前提にはお互いに嘘をつかないこと。こんなことを言うと相手に感じ悪く取られてしまうからという遠慮が諸悪の根源。私ははっきり言いすぎてトラブルを招く。でもこれが日本でなかったらちゃんと聞いてもらえるのになあという思いが強い。

nekotamaは平和に過ごしてきたけれど、それだけでは済まない世の中かもしれない。ある日突然騒動を起こして捉えられ、牢獄で叫んでいるかもしれない「コメ食べさせろー」なんて。キャッツフードでなくおコメをください。