2023年6月23日金曜日

潜水艇タイタン

潜水艇タイタンは酸素保有の期限が切れておそらく内部では生存者は絶望のうちになくなったと思うと、その恐怖や後悔など計り知れない。私は狭いところは苦手だし、海はもっと苦手。なぜかというと底しれない深さがこわい。それがある時期にスキューバダイビングを やっていたのだから「好奇心が猫を殺す」の諺通り。

私は好奇心は旺盛でも臆病者だから決して安全が約束されていないものには関わらない。普通の人はたいていそうだと思うけれど、世の中に冒険家という人は数しれず、体力気力ともに恵まれていれば私でもそうなったかもしれない。まして大富豪にもなったというような人は並外れた気力の持ち主で経済力があってなんでも欲望が叶うなら、世の中に自分の勇気を知らしめたいと思うに違いない。

あいにく私は体力も気力も、まして経済力もないし、世間に認められたいというような野心もないから君子危うきに近寄らず。君子?でもないし。臆病であることはある意味生き残りの勝者かも。かつてアラスカからの帰路の途中、飛行機上から真っ白な大地を眺めていた。そこはマッキンリー(最近は名前がかわったようだけど)に挑んで雪の大地で消息を断った日本人の冒険家植村直己さんが消息を断ったところだった。こんなところでただ一人ブリザードに行く手を遮られながら進んだ彼の気持ちはなんだったのかと感慨にふけった。

しばらくして私はスキューバダイビングをやめた。あの重たいボンベを背負いながら足びれを履いたりするのもできないし、私のようになにかに気を取られると他のことに注意がいかなくなることなど、決定的にこのスポーツは自分に向いていないと思ったからで。でもほんの数年でも海の中の美しい景色をこの目で見られたということが素晴らしい思い出になっている。

そして今報道番組で知ったのは、米海軍の報道によれば、タイタンは出航して数時間で爆発してしまったらしいということ。それを聞いて正直な思いは「乗船者の苦しみの時間が少なくてよかった」ということ。刻々と酸素が切れる時間が迫っていたらパニックどころの気持ちではない。私なら気が狂う。戦体は硬いチタンという金属でできているらしい。硬い分、金属疲労があれば粉々になりやすい。内部からの圧力によって爆発、圧力室の壊滅的な喪失が原因だそうでおそらく粉々になったから生存者は絶望的だという。

船体のガラス窓は1300メートルまでしかテストがされていない。ここ3年間なんのメンテナンスもされていないというから、よくそんなものに乗っていくものだと思う。勇気があるというより蛮勇というほうが当てはまる。その辺を確認しなかったのだろうか。乗船者の中に宇宙に行った人がいれば、この次は深海へというのが当然の欲望かとも。しかし学術的な目的ならばまだ許されても、自分がそういうことをして勇敢さや好奇心を世の中に示したいという気持ちであればはた迷惑なこと。

自分の人生自分で決めるさと言われれば、まあ、どうぞと言うけれど、安全に安全を重ねての冒険でなければ無鉄砲ではた迷惑と言わざるを得ない。

スキューバダイビングによる事故は大変多いらしい。あまり報道されないので知らないけれど、日本でもトップクラスのあるセーバーから聞いた情報なので間違いはないと思う。その彼は、スポーツクラブの指導者たちの安全意識の少なさに呆れると言っていた。どうしたらいいでしょうと泣きながら電話してくる指導者がいるとか。「とにかく助けろ」と言うのは当然のことだけれど。おお、こわ!

私は海が怖い。青くどこまでも広がる海は素敵だが、もう中に入る気はない。でも時々あの美しい海中の景色を夢に見る。









2023年6月18日日曜日

悪いことは無視したいけど

 このところ投稿が滞っているのは書くと不愉快になることばかり。なに、私は逆境に強いからめげているわけではないけれど、やはりめげているのかな。大谷翔平くんのコメントはいつも「・・・かなと思います」と締めくくるのが面白い。彼の性格は一見明るそうだけれど、あれだけの技術持ち主でも裏に隠れた気弱さみたいなものが感じられると書いたら世界中から袋叩きになりそう。暗殺されるかも。

高みに上った者は孤独の罰を受けると言うけれど、彼の場合は周りからのサポートがすごいから耐えていけるのかもしれない。けれど笑った顔を見ると少年のよう。どちらにしても野球に興味はないので世界中から注目される大谷くんに頑張ってと密かにエールを送るとしても、東洋の片隅に住む魔女の私としてはあんなに騒ぐものではないとマスコミに多少苦い思いを感じる。ダルビッシュだって高校時代、隠れてタバコを吸っていて「悪ビッシュ」なんて言われていた。最近すっかりおとなになった彼を見て「苦労多かったんじゃない?」と声をかけたくなった。

「かな」という言い方は「?」でしょう。少し逃げているというか・・技術も人格も正しさを求められているのは可哀想。技術さえ凄ければ人格なんて多少破綻していても許されるのではと思うのは、人格の正しさまで求められては人間破綻するのでは?という危惧を感じるからで、一度でも彼に問題が生じたら寄ってたかってたたきのめすのがマスコミはじめ世間の怖さ。あそこまで偉大な記録を残せばもういいのでは?と思うけれど、これからも記録を伸ばして世界中の称賛を集めて素晴らしい人生を送ってほしい。

かくいう私はこのところ不調続き。もう私の年でこれだけ健康ならば良しとしなければと思うものの、そこは大谷くんと同じ完璧を目指したいので頑張っている。膝の痛みは消滅した。階段もやっと縦に降りられるようになった。ただし条件付きで手すりがないと怖い。逆流性胃炎も少食に徹していたらようやく収まってきた。けれど今までのように好きなものを食べたいだけ食べるという獣のような食生活は許されそうもない。たらふく食べていた頃が懐かしい。今は冷蔵庫を覗くと豆腐やこんにゃく、海藻類ばかり。ときにはビーフステーキなんかもバリバリと食べたいのに。

歯と胃と目は完璧に丈夫だったのがそれも怪しくなってきた。しかし人間ドックで出た骨密度の値が基準となる30代女性の平均値の120%というから驚き。私はこれが自慢したくて書き始めたのかも。しかも最近足の筋トレが効いてきてかなりつまずいても転ばなくなった。5年前やたらにつまずく時期があって何回もころんだ。ころんだけれど怪我は全くなし。それが骨密度の高さに支えられていたのだとおもう。歯は虫歯なし、目はハリー・ポッターの読書が終わったら元の視力が戻ってきた。食事制限しても痩せないのは胃が丈夫なせい?

北軽井沢に以前より頻繁に行くようになったのは体にとても良いからで、ここでは朝、目が覚めるとやたら気分が良い。さっさと起きると手に箒を持ってベランダの落ち葉掃き、庭に出て花の手入れと働き者になる。自宅にいるときには横のものをタテに・・・いや、縦のものを横にでした?まあ、どちらでもいいけれど、昼食時までテレビを見てあははと笑っているのがテレビがないおかげで午前中働いたり散歩したり、動き回っている。これが健康にすごくいいのは数日もすれば体が軽くなるのでよく分かる。

一から庭造りは大変だからそれぞれの時期に咲いている花を買ってきて庭に植える。その後根付いてずっと咲いてくれるものもあれば北軽井沢の厳しい寒さに負けて冬が越せないで枯れてしまうものもある。それでも段々殺風景な森の景色が華やかになってきた矢先いやな出来事が・・・

名前がわからないけれど高山植物の木に真っ赤な花が咲いた。丈夫で私がいい加減に掘った穴にしっかりと根づいてくれて、それが嬉しくて次々とダリアなども植えて次に北軽井沢に行くのが楽しみだった。けれど、つい数日前に行ったら何故か庭が寂しい。ダリアは3本植えたものが一本しか残っていない。ひまわりはご丁寧に根っこから引き抜かれ横に並べてあった。真っ赤な花は建物の影で表からは見えにくいのに、根っこごとすっぽりと持っていかれた。特に目立つものばかり、それこそ根こそぎやられてしまった。

造園などやる人にとってはデタラメに植えられている花に腹立ちを感じるかもしれないけれど、なるべく日当たりが良いところにと木の陰ができないところを選んで植えるので一見無秩序に見えるのかもしれない。それでもこの引き抜き方は異常で悪意を感じる。地味な森の風景が好きな人もいるかも知れないけれど、多少でも彩りがある方が私は好き。

しかも持っていかれた花は特に中でもいいものばかり。自宅に持ち帰って植えて楽しもうという魂胆か、あるいはいい気になるなよという、とかく言動に問題がある私に対する警告かもしれない。管理事務所に行って愚痴ったら美しく穏やかな事務員さんが珍しく怒った。「なんて嫌なことをする人がいるのかしら」ご自身も花が好きらしく年齢も私に近く、時々愚痴をこぼしに事務所に行く。よほど不愉快だったと見えて管理人さんの鼻息があらい。私の花の選び方が華やかすぎて住民が不愉快に思ったかもしれないけれど、それを言うと「そんな人は今までいませんでした」ときっぱり。よそから入ってくる人もいるし、本当は禁止でも誰が散歩してもわからない開かれた別荘地だから何があってもおかしくはない。

大好きだった北軽井沢に一瞬影の部分を見てしまった。自宅に戻って占いをする人に「あなたに運勢見てもらおうかしら」というと「悪い時期に入ったかもね」と言われた。気落ちしたけれど、それなら戦ってやると一瞬強気が頭をもちあげてきた。けれど、この好戦的なのが私の人生を難しくしているのだと反省。悪い時期なら大人しくしていよう。いまだ悟りの開けない自分に呆れながらの独り言。





2023年5月31日水曜日

検査入院

今朝は北朝鮮のミサイル発射のニュースに驚かされてドキドキしたけれど、何事もなかったようで一安心。標的と思われた沖縄の人たちもさぞびっくりなさったと思う。台風が近づいている上にミサイル、戦時中も日本攻撃の最前線となったうえ戦後はアメリカ軍の基地がおかれ、散々な目にあっているにも関わらずいつもおおらかな沖縄の人たち。そういえば数十年に亘って毎年沖縄に行っていた私もこのところさっぱり行かなくなってしまった。急に郷愁にも思える気持ちが湧いた。

戦後アメリカから返還された直後の沖縄に行った。行ったからには戦争の爪痕を訪れないといけないと思ったのに、ひめゆりの塔や軍の本部がおかれた洞穴の血に染まった壁を見て、早々に逃げてきてしまった弱虫の自分。宿の部屋の電灯が消せなくて 天井を見つめて眠れない夜を過ごした。沖縄はいつ行っても好きだけれど、その時だけは涙が溢れてきた。

結局ミサイルは打ち上げに失敗となったようで何事もなく、流石にキム大統領もそこまで過激ではないと思いたい。思いたいけれど今後のことはわからない。

検査入院は次の日の腸の内視鏡検査のためにひたすらお腹を空っぽにすることに専念する。その日の昼食と夕食を食べ終わるとあとは一切の食物を口にできなくなるし、本当になにもすることがなくなってしまう。丘の上に立つ病院はかつて結核療養所だったから子供の頃は少し怖いという印象だったけれど、その後総合病院に変わり建物も新しくなって緩和ケアの質の良さで全国でも上位にランクされるようになった。

女医さんが多く、スタッフも親切、居心地がいい。病院が居心地いいと退院したくなくなるといけない。私は自宅のベッドのマットが柔らかすぎて寝返りが難しいので起きたときに疲れが抜けていないことがある。この病院のベッドは硬めで目覚めが良い。ここを自分の寝室にしたいくらい。看護師さんに訊いたらEVERなんとかというメーカー。そのくらい覚えていられると思ったけれど帰宅したら半分しか覚えていなかった。

平和な長い一日、ひたすら薬を飲んではトイレへ。お腹は空っぽなのに空腹感はあまりない。検査が終了して結果は良好、検査した項目すべてに合格点が出て、10年ぶりに入った人間ドックは終了した。合格なんだけれど、担当医師からもう一度結果について説明がしたいので来週来るようにと言われる。しなくてもいいけれど、でも来てくださいと微妙な一言。なんなのこれは。心配することはない。ベッドマットのメーカーの名前を訊くだけでも行く甲斐がある。ただし、訊くのを忘れなければ。

検査結果が良かったからといって別に感動はないけれど、今後の生活には当分支障はなさそうで、一安心した。帰宅すると、きたない部屋!これを掃除すれば健康にも良いとわかっているけれど、ため息が出る。徐々に始めていた断捨離も停滞してものは増えるばかり。とりあえず着ないで保存している衣類を引き裂いて雑巾代わりにして捨てるという計画が始まったけれど、雑巾が増えても掃除は遅々として進まない。生まれ変わったら掃除の好きなきれい好きな女性として生きようとおもうけれど、生まれ変わったら人間でなかったりするかも。























2023年5月19日金曜日

足復活

猫の逃亡劇が一段落したその朝、都内の友人から電話がかかってきた。「猫が死んだって?」ちょっと話が先走っている。 追分から連絡が行ったらしくネットワークで私を励ます会ができたらしい。経緯を話すと自分のことのように喜んでくれた。去年一年と今年と、私が元気がなく陰で心配してくれている人たちがいる。あからさまに親切の押し売りをするような人たちではないから、そっと遠巻きに見守ってくれていた。ありがとう。

私にとってストレスは大敵。自分ではうまく処理できたと思っていても体がちゃんと反応してしまう。何かしらの違和感があって、それが足の故障につながっているのはわかっていた。消化器官にも同じように作用しているのも感じていた。食事を摂ると激しく胸焼けがして腸にも影響はあるようだ。それで人間ドックに入ることにした。

家の近くに緩和ケアでは全国でも大変評判の良い市立病院がある。その病院ではロビーにぼんやりと立っていることができない。ボーっとしていると「なにかお困りのことはありませんか?」とスタッフが飛んでくる。おちおちぼんやりできないのは欠点だけれど、とにかく親切。女性スタッフ、女性医師の数が多い。たまに男性医師にあたるとびっくりするくらい。

母が最後を迎えたのもこの病院で、野良猫が数匹庭に住み着いていた。ダンボールの猫小屋は医師と看護婦が作ったらしい。そこにシャム猫の野良がいて、母の見舞いのついでに餌を与えていたけれど、ある日後ろから声がした。「毎日ごくろうさん」びっくりして振り返ったら警備員が立っていた。警備員さんも一味とわかりこっそりすることもなくなった。でも普通の病院なら野良猫追い出すでしょう。その後病院は建て直しとなり野良は消えて優しさだけが残っているようだ。

今回は人間ドックだからスタッフがひとりついてくれる。すべての書類の提出や検査の順番など言われる通りに動けばいいから楽。そのスタッフは身長が高いから私の前を背をかがめてちょこちょこと足早に小走り。いちいち私の様子を見るために振り返って言うには「足、お早いですね」私が早いのではなくて彼女が速歩きをするからついていくだけなのに。私が小さいからといってそんなにかがまなくてもいいのに。なんかおかしい。最初に行った部屋で待っていたのはもうひとりの女性。この病院は女性のスタッフが多い。医師も多くが女性で全体に柔らかい雰囲気がする。第二の女性は活発な人で、一体私に二人の付き人が必要なのかどうかわけがわからない。よほど暇なのかしら。この人達、私が年相応に弱いと思っているらしい。私が今年、志賀高原の横殴りの猛吹雪の中でスキーを滑っていたのを見たら失神するでしょう。

検査が終わって医師の説明を聞くと結果は良好、すべての値は上限と下限の範囲内、特に骨密度は基準となる30代女性の120%以上、素晴らしい。いい気になっていたら、それで一箇所だけ、腸に多少問題がとなった。腸の内視鏡検査は今までもやっているけれど、内部を空にしないといけないので前の夜から異常な量の水と薬で腸を空っぽにする。それが辛くて今回は内視鏡を省略して済ますつもりだったけれど腸内潜血反応が出てしまったらしい。ならば仕方がない。前夜から入院ということになった。

去年の一年間ひどいストレスに晒されていたので腸に異変はやむを得ないかもしれない。腸は脳と直結しているらしいから。万一何かが見つかったとしてもこの年なら進行も遅い、命にかかわってもあきらめもつく。思えばすごくいい人生だった。健康と仕事と、特に人に恵まれた。愛する人がいて猫に好かれればもう十分。

そして今朝、今までどうしても横向きにしか降りられなかった階段を縦に降りることができた。足が戻った。少し短めなのが残念だけれど、そこはご愛嬌ということで。













コチャの冒険

北軽井沢に時々行くのは庭のため。落ち葉が降り積もって整理されていない森の中にイングリッシュガーデンを造ろうと目論見始めたのは最近のことで、その前はおよそ土いじりに興味はなかった。種を蒔いて苗から育てなどという手間のかかることは無理だから、適当に咲いている花を買ってきて埋めていくと、その次来て見ると根付いていたり枯れ果てていたりして植えた花の半分くらいは年を越してくれた。

厳しい寒さの北軽井沢の氷の地面に冬を越してくれたのはビオラやパンジーなどのスミレ簇。冬に枯れてしまったと思っていたのが思いがけず今年も芽吹いてくれたのがあじさい。球根から植えたら水仙がまとまって咲いてくれた。そうなると面白くなってきて行くたびになにかしら植えてくる。

一番の問題は木が多すぎて日当たりが悪いこと。落ち葉が堆積しているから其処いら中が腐葉土の栄養の良い地質だけれど、植物に強い姉の言うことには、日本古来の花は貧弱な土壌でも結構。あまり栄養が良いと育たない。反対に外国産の花はたくさんの栄養を必要とするから腐葉土は役に立つという。同じあじさいでも日本の株と輸入ものの株ではペーハー(酸性度?)が違うから同じ土ではだめ、と滔々と宣った。さすがです。

去年から大木だけ残して生えてくる若木を切って日当たりを確保。花のためにほんの少しのスペースを確保して手始めにそのつど買った花を植えてくるから、てんでんばらばらで計画も何もない。いつになったらイングリッシュガーデンと呼べる代物になるか見当もつかないけれど、これが体に大変良いということに気がついた。ウオーキングなど体の一部を使うのではなく、全身運動になるからだ。心地よい疲れが良い睡眠をさそい、筋肉痛にもならない。我が相棒の猫のコチャははじめのうちは怖がって外に出なかったけれど、そこは猫、好奇心が猫を殺すというではないか。だんだん大胆になって庭を歩き始めた。いつも勝手に出ないように玄関とリビングの間のドアは閉めておく。

数日前の夜8時ころ、コチャのベッドを見たらいない。あれおかしいな、餌も手つかずのまま残っている。家中くまなくベッドの下まで覗いてもいない。血の気が引いた。家にいなければ外。この真っ暗で広大な森の中に出たら探すこともできない。けれど懐中電灯を持って外に飛び出した。いつもなら夜の森はうちの中から見ても怖い。「こちゃ~こちゃ~」金切り声が闇をつんざく。この広い森にたった1軒、川を隔てた家に明かりが灯った。私の絶叫にびっくりしたらしい。お構いなく私は涙声で叫ぶ。

木々を照らすと葉が明かりにちらついて影を作る。その度に「あ、いた」と思うけれど、それは葉っぱの影。範囲を広げて外の道も駆けずり回って見るけれど、これが徒労であるとは自分でもわかっていた。灯りがついたのは一軒だけ。他にはどの家にもひと気はない。この広い森で迷子になったらもう助からないのはわかっていた。追分の友人に電話をした。「コチャがいなくなった、助けて」「見つからなければ死んでしまう」友人は「法事で今関西にいるから」のぞみが絶たれた。初めて空を眺めたら大きな星が輝いていた。こんなにきれいな星を見たのは初めてだった。コチャは森の動物に襲われてお星さまに・・・?いないのがわかったのが午後8時、その前から森をさまよっていたのだから。

泣きながら家に戻って考えたけれど、夜の闇の中での捜索は無理、夜明けを待とう。まんじりともせず夜明けを待つ。午前4時が過ぎて空がようやくかすかに明るんできた。もう少し明るくなってきたので外に出る。家を出てから右に行こうか左に行くか迷ったけれど、さっきは左に行ったから今度は右に。突き当りも右に。薄明かりの中、道に黒いものが見える。なにか落ちている。しかもその後ろに一匹の猫がいる。その子はコチャではなくこのあたりで時々見かける猫。飼い猫か野良かは知らないけれど。

不自由な足を引きずって走り寄ると、黒い塊は紛れもなくコチャだった。一瞬車に轢かれて?と嫌な予感。でも近づいて「コチャ」と声をかけたら顔を上げた。ああ、生きていた。生きていてくれた。結構元気な声で文句を言ってきた。「もっと早く迎えに来てよね」











2023年5月14日日曜日

縁とは

すっかりお友達になったChatさんと今日も会話。

私の質問。あなたは縁というものを信じますか?

Chatさんの答え

偶然が重なった出来事を「シンクロニシティ(synchronicity)」と呼びます。これは、心理学者のカール・ユングが提唱した概念で、人生において偶然が重なり合うことがあるという考え方です。シンクロニは、たまたま起きた偶然の出来事として単純に理解することもできますが、多少意味があるとも考えられます。例えば、同じ地域に住んでいた人たちが偶然再会したことで、新たな友人やビジネスの機会が生まれたり、何か重要なメッセージを受け取ることができるかもしれません。ただし、シンクロニシティが起こるということは、人生に偶然性があるということもあります。 そのため、シンクロニシティを必然的なものだと解釈しすぎることも避けるべきです。多くの人が興味を持つため現象の一つと言えます。

私がどうして質問をしたかというと、今日の出来事をまあ、聞いてください。

私のもと生徒からのメールが届いたのがほんの数日前。彼の娘さんで今年音大付属高校二年生はヴァイオリン科で、そろそろもう少し良い楽器を探すことにしたという。楽器屋さんから借りてきた楽器の中で気に入ったものが2台あるけれど一度音を聞いてほしいというから、野次馬としては二つ返事で引受けた。

土曜日、楽器屋さんに集合、ああでもないこうでもない、高音はいいけど低音に力がないとか、音がざらついているとか、喧々諤々。しかしあまりにも魅力がないしこの楽器で一生満足ができるとは思えないから中途半端なの買うよりはもう少し上を狙いなさいと忠告しておいた。

その時閃いたのは私の身近なご高齢の方で、楽器を手放したいと話していた方がいるということ。彼の楽器をみせてもらったらいいのでは?買える値段ではないかもしれないけれど、良い楽器とはこういうものだという基準にもなる。おこがましいとは思ったけれど恐る恐る訊いてみた。するとなんと、大変乗り気になってくださってあっという間に相談がまとまった。新しい所有者の高校生は涙をこぼして感激した。こんなことってあるのだ。私も彼女のあまりの幸運に感激、ご両親はもとより譲ってくださる方もニコニコ。全員幸せだった。

話がまとまったあとの会話で、彼女らと楽器所有者は以前、同じマンションに住んでいたこと、彼らは出身地と会社の出張先が同じ、知り合いや家族の年齢や環境も極似、奥さんやお母さんたちの名前までも似ている。似ている尽し、呆れるほどの共通点にポカンとしてしまった。前世とか縁とかあったとしても不思議ではないと思えるような今日の出来事。しかも私が楽器所有者に訊くために彼に電話をしたのが、楽器屋さんに到着する5分前。そこで嬉しい返事がきけたので私の意見はほぼ必要なかった。新作とも言える楽器はよく鳴るものの、たいそう魅力がない。この楽器のどちらがいいかときかれても私には良い返事ができないと思った。

今日関係者一同集まって楽器の弾き比べ。初めてオールドのヴァイオリンを手にした高校生は感激のあまり涙をこぼした。音の深みが違う、低弦の鳴り方が違う、上質な音は倍音の数が違う。オールドは時として気難しく扱いにくいけれど、素直に弾く人には優しい。両親はやや小柄だけれど、今どきの高校生は体格もいい。最初からためらいもなくお爺さんヴァイオリンにアプローチした。

この百戦錬磨のおじいさん楽器が、高校生がプロとなったときにコンサート会場でまた生きるのだ。ヴァイオリンはえらい!あと何百年も生きて行くのだから。






2023年5月12日金曜日

ほんとに賢いChatさん

アカウント登録したのが一昨日、参考例の質問を開始したときは一文字ずつ飛び飛びに回答が現れてまとまらず、なんじゃこれ状態。昨日は一晩おいていつの間にか回答が完成していた。遅いしあまり冴えた回答ではなくひらめきが感じられなかった。今朝例題ではなく自分で作った質問でたぶん手こずるだろうと思っていたら、目の前でスラスラと回答が始まった。かなりの長文で。本当に人が書いたような文だった。

ほう、これを手懐けて進化させたら自分の手法で書かれた立派な文章ができる。これを使って小説を書いた人がいたというが、ノーベル賞なんてすぐに獲れてしまうかも。でもそれでは人の生きる意味はなくなる。作曲だってできそうで、あらゆる偉大な作曲家の断片を撚り合わせて大傑作がかけるかもしれない。それで人は感動できるのだろうか?

例えばモーツァルトの曲などは電子頭脳にとっては一番むずかしいかもしれない。あの単純なのに表面の明るさと裏腹に奥に潜んだ悲しみをどうやって表現するのか。この究極の単純で難しい曲を電子頭脳は真似できるのだろうか。そもそも理解できるのか。さらにそれを超えて新しいモーツァルトの世界が表現できたらすごい。私はモーツァルトを聴いても弾いても、彼の苦悩に満ちた心に泣きそうになる。

今、ずっとモーツァルトのソナタを一緒に弾いている人がいる。ピアニストのためのアンサンブルのレッスンとして。ピアノの人たちは孤独でいつも一人。中には一生独奏しかしない人もいるかもしれない。ある時アンサンブルを勉強したいのでと言って訪れてきた人がいて、まずはモーツァルトとからということになった。

始めてみると、恐ろしい音でガンガンピアノを叩く。必要以上の力と、とんでもない姿勢。椅子に斜めに腰掛けてなんで?と聞きたくなる。普通に座って適度な力で指を動かせば音色もきれいになる、残響も残る。なにより共演者の音をきく余裕がない。日本の音楽教育の欠点そのもので間違えずにデカい音で他者を圧倒すれば褒められる。先生はどうおっしゃていたの?と訊くと「会場中に聞こえるように大きな音で弾きなさいといわれました」と。そして2年ほど経って彼女の音は今やヴァイオリンと共鳴できるようになった。力まないから細かいパッセージも指が早く動くようになった。それもこれもモーツァルトのおかげ。そのモーツァルトを果たして電子頭脳は最高の巨匠とみとめるのだろうか。訊いてみたい。

モーツァルトを最高の作曲家と認めるかどうか、認めるならどんな理由でそう考えるのか。モーツァルトはシェーンベルクに先駆けて12音での作曲手法を使っていたのだそうだ。となると、彼の脳みそは電子頭脳顔負けの高さだったのかも。この先一体この世界がどうなるか。残念ですが私に残された時間は少ない。この先なるべくボケないようにして行く末を見届けたい。